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第二話 夢の中のアキミは淋しい通りの家に一人

 ピピピピピ。

聞き慣れたアラームの音に無理矢理意識を引き戻されると、ぼくはけだるい体を持ち上げて、それをなんとか止めた。

昨日トウカと別れてから、どう家に戻ってきたのか、実は全く記憶がない。

なんとか部屋に戻って、制服を脱ぎ散らしたぼくはベッドに転がりこんで、そのまま泥のように眠った。

そしてもう朝だ。ほぼ二十四時間が経過したことになる。だが眠りはまるで足りない。

どうやらぼくは時士として時間遡航ができるようになったらしい。

しかしその成果はほとんどないと言っていい。

結局ただ荊に迫られただけ。

これ以上の混乱は勘弁して欲しいところだ。いや女性関係方面で、だけど。

今日はお館様と夢の中で語り合う余裕もなかった。

逐一報告する必要もないとは思うけど。

「呼んだか」

「わっ!?」

いきなり声をかけられて、ぼくは反射的に飛び退いていた。

顔を上げるとお館様が、真っ赤なサマーセーター姿で立っていた。

「いつ来たの? いやどうやって入ったのさ」

「玄関なら開いておったぞ。不用心じゃの。昨夜は誰とお楽しみじゃったか知らんが、連絡が取れなんだでのう。気になって来てみたのじゃよ」

ああ、ここにも面倒な女性がまた一人。

ぼくは主に精神的な頭痛に苛まれる頭を押さえた、いや抱えた。

これ以上ぼくを消耗させないで欲しいものだ。

「その様子ではどうやら時を飛べたようじゃの。どうじゃ、混乱したじゃろう」

「混乱なんてものじゃなかったよ。もっと詳しく教えておいてくれればいいのに」

「また卵の話をさせるつもりか? それは無意味じゃよ。教え示せば余計に身動きがとれんかったじゃろう。じゃからアドバイスはできんよ」

これだよこの人は。

ぼくは恨みがましくその瞳を見たが、しかし視線はすぐ別のところに移った。

薄いセーターから覗いている、不思議なネックレス。それは……

「これか? これは力の増幅器じゃよ」

「それ、過去でも見たよ。チヒカさんが、偶然会ったぼくの幼なじみにそれをあげていた。ぼくも触ったけど、紅い光が出ていきなりおっさんになったよ」

「ほほう……? そうかそうか」

にやにや笑いながら、お館様は気楽な様子で、ベッドにぼすんと腰を下ろした。

長い銀髪からうなじが覗く後ろ姿が、ぼくの視界に嫌でも入ってくる。

「これは道具としてはそう珍しいものではなくての。こちらにもあちらにも、いくらでもある類のものじゃよ。じゃからチヒカが持っておっても不思議はない。そしてこの石は、人によっていろいろな効果があっての。それは本人の能力や適性と必ずしも合わぬのじゃよ。じゃから満足に使えないものも多数おる」

「チヒカさんも自分は効果がないって言っていたな」

「ふむ……まああやつの戦士としての力は増幅できんじゃろうな」

「それってどういう意味?」

お館様は、ぼくの唇に細い指を当てると、しっとポーズを取った。

「それは秘密じゃ。自分で卵を割ることじゃの。それよりもぬしは珍しく自分の力をストレートに増幅できたようじゃの」

「ストレートって?」

「わからんか? ぬしの場合は、自分の時間を進めたのじゃよ。そのおっさんとは、未来のお前の姿じゃろうな」

うーん? そうなのか。

しかし未来の自分を荊は師匠と呼んでいた。

これは一体どういうことなのか。

考え込むぼくに、妙に薄着なお館様の体が近づいてきた。

「まあよい、これはおぬしにやろう。わしの分身だと思って大事にせい」

そしてお館様は、ぼくの首にあれと似たような、でもよく見ると形が少し違うネックレスをかけた。

ぺたん、となにか薄い膨らみが触れた気がするが、もうそういうのはいいや。

「しばらく会わぬうちに随分と手慣れたようじゃの。もうこの程度では動じぬか」

「うーん、でも自分がネックレスするのはちょっとな」

「ポケットにでも忍ばせておけばよい。その力がいつか役に立つこともあるじゃろう」

ぼくは頷いてそのネックレスを握ってみた。

「そういえば、チヒカさんが持っていたネックレス、ぼくの友達が持っているんだけど」

「女友達……じゃろう? 何人よそに女をこしらえておるのかのぬしは」

またそんなトウカと同じようなことを。

ぼくのじと目にも最初からまるで動じないお館様は、軽く片目を閉じてから話を続けた。

「心配せんでもこのネックレスは能力を持った人間の力しか増幅せん。普通のおなごが持ったところで、なんの効果も及ぼすまい」

そう、ならいいけど。


 そこで着信が鳴った。

ぼくはケータイに手を伸ばすと、そこに目を通す。

昨日から何通もメールが来ている。

それは大半がアキミとハルカからのものだ。

どうやらトウカと揃って学校を休んだことが問題視されているらしい。

鬼気迫る内容のタイトルは、もはや本文を読む気さえ感じさせなかった。

「ほれ、女友達じゃの」

うるさいよ、もう。

ぼくは留守番をすると言うお館様を残して、重たい体を持ち上げてなんとか制服に身を包んだ。

お館様曰く、体力的に問題はないらしい、ただ精神的な疲労だろうと。

連日学校を休むわけにもいかないので、ぼくは仕方なくお館様の新婚ごっこにつきあわされてから、家を出た。

新婚ごっこに関しては細かな言及を避けたいと思う。

あの人、エプロンなんてどこから見つけてきたんだか……。


 道に出ると、ぼくはトウカを押しやった低い樹木の部分に目をやった。

もちろん長い年月でそんな傷痕はすっかり消えているのだが、まるで昨日のことのように、その場所は替わらず同じ姿を示していた。庭師がいい仕事をしている。

しかしこの家の前をうろうろしていて、よく荊は母さんとニアミスしなかったものだ。

いろいろ気になることは浮かぶのだが、しかしぼくは相変わらずそれを頭の中でしっかり整理して結晶化することができないまま、ふらりふらりと安定しない足取りで歩みを進めた。


ふちゅん


と、そんなぼくの前方に柔らかい感触が当たって、その顔を塞ぐ。

「きゃっ」

と高い声がして、ぼくが顔を上げると、恨みがましいような困惑しているような、あるいはちょっと嬉しそうな顔をしたアキミがそこに立っていた。

「ご、ごめん」

「ううん……それはいいけど、さすがに道ばたでいきなりはちょっと」

いや、なにを言っているんだアキミは。さすがにわざとじゃないって。

「心配して見に来てくれたの?」

「うん、迷惑じゃなかったかな……?」

「そんなことはないけど。ちょっとお疲れなだけだよ」

「そう……だったらいいんだけど。トウカと一緒に休むから、二人でどこかに行ったんじゃないかって」

ああ、それで心配していたんだな。

アキミのあからさまに元気のない顔が、心配そうにぼくを覗き込む。

普段は生気薄くて不気味な雰囲気さえ漂う彼女も、こういう時だけは女の子の顔をする。

「違う違う、ほんとにただ疲れているんだよ」

時間逆行してきたからね、とはさすがに言えなかったものの、手を横に振ってなんとか否定するのが、今のぼくの体力ではやっとである。

「そっか。じゃあ少しだけ安心した。でも……ほんと言うとあの頃に戻りたい。まだなにも起こっていなかったあの頃に……」

遠い目をしてぶつぶつと言う彼女がなにを考えているのか、ぼくはその時正確に察してはいなかった。

なので彼女が不意に両手を伸ばしてぼくに抱き着いてきた時も、それを回避する余力はなかったのだ。言い訳じゃない。

「始くん、やっぱり私、諦められない!」

後から思えばトウカとキスをした(された)事実を知らされた上に、二人揃って学校をサボって消えたことで、アキミも相当焦っていたのだと思う。

その積極的なアキミの行動は、しかし思わぬ方向でぼくたちに受難を呼び込んでしまうことになった。

「なにこれ!?」

ああ……このブルーの光は、既に一度見たあれだ。

ちょっと待ってくれ、一体ぼくはどこに飛ばされるんだ。

だが今のぼくに、それを止めたり抗うだけの力はもうない。

仮に時間を止めたり遅くしたところで、この事象を止められるわけではないので、同じことなのだ。それで窒息した人がいたっけな。


 そして抵抗する気力もわかないままぼくは、次の瞬間またどこかへと飛ばされていた。

どこへ? その答えは間もなく明らかになった。

「おい始、なにやってんだよ。早く帰ろうぜ」

そう声をかけてこちらを振り向くクソガキ……いやお子様の姿がすぐに目に入った。

ぼんやりと道ばたに立っていたらしいぼくは、ランドセルを背負っていた。

懐かしい紺の半ズボンと、赤いシャツ。

これ苦手な色なんだけど、母さんがやけに好きだったんだよな。

ぼくは間違いなく田中としか思えない子供に「お、おう」と曖昧な返事を返しながら、現代では既にもうなくなっている駄菓子屋の前をとぼとぼと通り過ぎた。

「ちぇ、俺がもっと大金持ちならばあさんの店ごと買って経営してやんだけどな。なくなるなんてねえよな」

既に買い食い済みだったらしい田中は、スルメをくわえながらまるで酔っ払いのおっさんみたいな大言を吹いている。

駄菓子屋のおばあさんが年で、もう店を閉めると聞いた時のことだっけか。

もうその頃にはすっかり珍しくなっていた古めかしい個人商店だが、何故かぼくと田中はその店が好きで、毎日学校帰りにちまちまと買い物していたことを思い出した。

そういえばトウカのカステラ好きも、この店がルーツだったような気がする。

だが寄る年波には勝てず、店は閉店。

田中は一時期そのことでぶーぶー言っていた。

ただ二週間もするとコンビニ通いが定番になって、もうすっかりおばあちゃんのことも忘れてしまったのだが。


 そんなノスタルジックな光景を挟んで、ぼくはアキミがどうなったのか思いを馳せていた。

トウカの時のパターンからすれば、アキミもこの時代に飛ばされてきている可能性は高い。

そして、もしかしたらまた荊やチヒカさんと出会うかも知れない、とも。

そういえばこの時のぼくはいくつだったかな。

そう、あれは……いやこれは、小学校に上がってすぐくらいの話だ。


だとしたら、もしかしてアキミとはまだ出会っていないんじゃないだろうか?


参ったな。この姿でこの時代に、アキミとはぐれてしまったかも知れない。

こういう時の定番として、アキミを見つけられないとぼくも元の時代に戻れないんじゃないだろうか。

いやぼくは帰れても、アキミがこの世界に取り残されてしまう……?

なんといっても新米初心者時士、検定でもあればまだ八級くらいのぼくでは、まるで勝手がわからない。

「聞いてんのかよ始」

「ん、なに?」

ぼくは慌てて田中に顔を向けた。

その田中はぼくの首根っこをつかまえると、ぐいっととある家の庭を覗くポジションにぼくを誘導した。

「あの子、可愛くね?」

そう言って田中が指差すのは、忘れもしないかつてのアキミの姿だ。

まだ胸も膨らまず細身でガリガリのアキミが、大きな窓に寄りかかって外の景色を眺めている。

ぼくは内心ほっとした。どうやら再会はそう難しくなかったようだ。

トウカの時の例を考えれば、彼女に触れることができれば元の姿に戻れそうだ。

ただ、その場合は田中が邪魔だな。

「見ろよあのふくよかな体つき。ああいうのをぼんきゅっぼんって言うんだぜ」

ん? 田中はなにを言っているんだ。

この頃のアキミは……ともう一度見直して、ぼくは田中がなにを見ているのか理解した。

それは窓辺で外の景色を珍しそうに見つめるアキミ、ではなく、その横の犬小屋で丸くなっている、ブサイクなデブ犬の姿のほうだった。

そうそう、こいつはいわゆるそういう嗜好があるんだったな。

だからあの三人とも友達づきあいはしていても、別に口説こうとかそんなことを考えたことはないらしい。

もっとも普段から受けている仕打ちを考えれば、田中があの三人に惚れるというのもありえないとは思うのだが。

今回もおいしく外してくれるよ全く。


 デブ犬の話題で騒ぐ田中と分かれ道で別れてから、ぼくは来た道をアキミの家の方向へと引き返し始めた。

本来のぼくは田中に曖昧な返事をしすぎた結果、奴の趣味につきあわされてしばらくこの家の前に通うはめになったのだが、今回はやけに冷めた対応をしてしまった。

これでまた歴史が変わってしまうのだろうか。

いや変わったとしてもなんの問題もなさそうだが。

まあそれはどうでもいいや、と思っていたぼくの前に、仁王立ちになっている少女が現れた。

でっかいアヒルのアップリケをつけたワンピースに身を包む……いやこのマーク、そしてこのワンピースは何故かデジャヴを感じさせるぞ。

そう、あれは荊の……ということはこの少女は、やっぱりチヒカさんだ。

それもトウカと一緒に出会ったときのちんまりした姿のチヒカさんだ。

「おぬし、なぜそれを持っている……? そうか、同族でござるな」

彼女のドスの利いた声は、殺気に満ちみちていた。

え? なんのことだ?

ぼくは首元に手をやって、そこにあるお館様にもらったネックレスのことを思い出した。

服や持ち物は子供時代のものなのに、なんでこのネックレスだけ残っているんだ。道理でさっきから首が重いと思ったんだ。

なんて言っている場合でもなさそうだ。

チヒカさんは刀を抜く構えで腰を低くして、ぼくを威嚇している。

同族ならなかよくしようと言いたいが、そんな雰囲気でもなさそうだ。

「同族、違いは陣営だけとはいえ敵は敵。ここで始末しておくでござるよ」

相変わらず謎のござる言葉を使うチヒカさん。

そうか忍メイドってこういうことか、とか考えている場合じゃないっ。

いくらなんでもチヒカさんの剣術なんか相手にできるか! ぼくは慌ててまた反対方向に走り出していた。

「逃がさんでござるよ、おとなしく観念されたし」

できるかいっ。ぼくは思わず反射的に振り向いて、片手をかざしてみせた。

「いやっ」

女の子みたいな声だが、とにかくぼくは気合いをこめてみた。

思わず構えるチヒカさん。

……

「なにもおこらんでござるな」

その隙にぼくは、もう脱兎のごとく駆け出していた。

どうやら子供の状態で力を使うことはできないらしい。

ぼくはとにかく止まりそうな足を叱咤し、ばくばくとうるさい心臓を押さえつけて、どこかの家の低い塀をのぼり、その裏に尻餅をついて着地した。

駆けてくる足音が近づいて、そして遠ざかる。

ふう……なんとかまけたらしい。

ぼくは額に浮かぶ汗を拭って、腰をゆっくりと持ち上げた。

そこでふと目があったのは、幼い日のアキミの顔だ。

懐かしい、そしてあどけないアキミの顔は、まだこの頃はごく普通のおとなしい女の子のそれだった。

どこであんな負のオーラをまとうようになったんだっけな。

「あの……どなた?」

怯えた様子でぼくを見るアキミ。

「ぼくだよ、あき……」

そこまで言って、そういえばまだアキミと幼少時のぼくは出会っていなかったことを思い出す。

「えー、あき、ちだと思って入ったら人の家だったんだ。ごめん」

とかなり無理のある説明をしながら、ぼくは頭をかいた。

その頭に木の葉が一枚乗っていたので、ぼくはそれを慌てて払いのける。

だがそれがアキミのツボにはまったらしい。

彼女は上品にくすくす笑いをして、なんとか打ち解けてくれたようだ。

「私アキミっていうの。本当は学校に行きたいんだけど、少し体が弱いからまだ通えなくて」

そう語るアキミの顔は少し寂しげだ。

そうか、そんなことがあったんだなアキミは。

ぼくは務めて笑うようにするが、それがどこかわざとらしい笑みになっている気がして、ちょっと引き気味になってしまった。

「ぼくは始。大丈夫だよアキミ。キミはもうすぐ普通に学校に行って、普通に友達と遊んだりできるようになるよ」

本来なら気休めのおべんちゃらではあるが、未来を知っているぼくとしては、そう言い切っても差し支えはないはずだ。

「ついでに言うならあのデブ犬のメロンの病気もすぐよくなるよ」

あの犬が病気になっていて、酷く心配していた話は、ずっと後にアキミから聞いたことだ。

ぼくは間を持たせるためにそんな話をした。

いや実際はアキミに触れて、さっさとここを去らないとまずいわけで。

となると怪しまれずに近づくためには、ここで当たりのいいことを言っておかないといけない。


これがまずかったとわかるのは、すぐ後の話。


「ほんと? なんでそんなことがわかるの? なんだか王子様みたい」

目をキラキラさせてぼくの言うことを信じている様子のアキミは、実に単純な女の子だった。

事実でなければがっかりさせてしまうところだが、嘘ではないのでここはなんの問題も……いや、あれ、待てよ。

そう言いながら、じりじりアキミに近寄っていたぼくは、そこで思わず先ほどの追いかけっこ疲れから、足をもつれさせてしまう。

そしてアキミの肩を抱いたままひっくり返る体。

「きゃっ」

そして折り重なる体の、ごく特定の一部位が触れ合うことで、ぼくとアキミは思い切り目を見開いていた。

そのままぽん、と軽い音を立てて戻る体は、子供のサイズからいきなり大人のサイズに戻ったため、位置関係が大きくずれることになった。

またマシュマロな柔らかさに包まれるぼくの顔。

「いやん」

と後の特徴である低い声音をさせながら、押し倒されたアキミが、ぼくが顔を上げると同時に胸元を手で隠している。

ぼくは慌てて跳ね起きた。

「ご、ごめん」

「んーん……私、なんだか夢を見ていたみたい。それも一番戻りたかった子供の頃の自分になっていたの。突然庭から現れた男の子が、メロンのことを大丈夫って言ったり、私の体のことも大丈夫って言うんだけど、それは全部本当だったのよ」

ぼくは心理的に冷や汗をたらしていた。

もしかしなくても、アキミが言う「すごいことをした」って、ぼくが未来から介入して偶然アキミに出会った結果起こったことだったのだろうか。

「そして私は押し倒されて、そのときキスをされてしまうの。それからその男の子はすぐ消えてしまったけれど、本当に私もメロンも元気になった後で、私は運命の再会を果たす。始くん、あなたは私の王子様だから……」

うわあちょっと待て。

それとてつもなく恥ずかしいぞ。

ぼくは真っ赤になって後ずさりしていた。

ついさっき適当な思いつきで言った言葉がいかにクサかったか! 思い出しただけで火を吹きだしそうだ。

「あれ、そういえばこの家って……」

違和感に気づいたアキミが、きょろきょろと周囲を見渡す。

ぼくは慌てて振り返るが、そこにあの声が響いてきた。

「ふ、こんなところにいたでござるか。もう逃がさんでござるよ」

ジャキン、と音がして、塀がゆっくりと割れ落ちていく。

斬撃によって綺麗に斜めに切り裂かれた合間から、覗くのは小さいながらも殺気をまとったチヒカさんだ。

ああもう、なんでこんな時に!

ぼくはなんとか対抗手段を考えようとして、まず時間を止めてやろうかと考えたが、その時不意にネックレスが光ったので、そこに手を当てていた。

ほとばしる光が、ぼくと、そしてこちらを確認しようとしていたチヒカさんの視界を奪っていく。アキミも多分そうだろう。

「あ、あなたは確か」

チヒカさんが声を発すると、彼女の視線から殺気が消える。

どうやらぼくはまた変身していたようだ。

もうわけがわからないが、思わずてのひらを見る。

それは十五歳の時より明らかに皺を刻み、汚れて年経た大人のそれになっていた。

おっさんモードのぼくらしい。

「師匠のお師匠様でござるな。こんなところでなにをしているでござるか」

それはこっちのセリフなんだがな。

ぼくは一つ咳払いをしてから、なんとか威厳を保とうと声音だけは整えて語り出す。

「お前は荊のところの娘だな。お前こそこんな場所でなにをしている。へたな暴れ方をすれば、我らの秘密が知れてしまうぞ」

するとチヒカさんは恭しく膝をつくと、それでも気丈な顔を上げてぼくを見た。

なんだかくすぐったい気分だが、そんなことを言ってはいられない。威厳、威厳だ自分。

「はっ、それがこの町に里の人間が潜んでいると情報を得ました。これが事実なら早々に始末しておくべきかと思い、荊の命を受けて探っておりました。すんでのところで逃してしまいましたが、マスターのお師匠様はなにかご存じなのですか」

その犯人は目の前にいます、とは言えないので、ぼくはまた咳払いをした。

「うむ、だがやはり人里に降りてくるのは危険だ。その任務は私が引き受けるから、荊に作戦を中止して引き上げるように言っていたと伝えてくれないか。あの子のことも、これ以上追わずともよい」

「ですが今日新たに一人見つかった以外にも、以前も非常に強力な娘が見つかっています。放置しておくのはよくないでござると思うのですが」

以前も非常に強力な娘だって? 一体誰のことだ。

お忍びでお館様が出てきたんじゃないだろうな。

ぼくは少し考えたが、まっすぐにぼくを見つめるチヒカさんの視線に気づいて、またすぐにごほごほと咳をした。

駄目だ全然威厳が保てていない。

「うむ、話はよくわかった。だがやはりお前は修行の身。これ以上下界と関わるのは控えよ。私もそう言っていたと荊に伝えるように」

「はい、では本日はこれにて下がります。お師匠さまも隠れ里にお越しください。荊マスターも会いたがっておられるでござるよ」

聞き分けのいいチヒカさんは、くるりと踵を返すと、音もさせずにその場を去っていた。

ぼくはふっと大きく息を吐き出すと、脱力してアキミのほうを振り返る。

「始くん、年を取ると貫禄でるのねー、素敵よ」

はいはい、そうですか……まあ余計な説明しなくても理解してくれて助かったけど。


 なんだかよくわからないが、結局アキミの思い出話につきあわされたような気分だ。

彼女との接触が、この時間へ飛ぶきっかけになっているのは間違いないようだし。

「とりあえず戻ろう、アキミ、元の時代へ」

「うん……でも、その前にもう一つ」

「へ?」

そう言って手を繋いだぼくたち。

即座にまた十五歳のぼくに戻ったかと思うと、紅い光に包まれて、ぼくたちは時間を飛んでいた。

何度経験しても慣れない、このフラッシュ過多の輝き方。


そして次に気がついた時、ぼくはあの河川敷に座っていた。

ああ、なんだかオチが読めてきたぞ。

「これからどうしたい……? 今からチヒカさんを殴りにいこうか?」

そう、彼女には似合わないポジティブな言葉を紡ぐのは、今度はアキミの番だ。

「でもただ許すのは癪だよね。今引っかかっているのはそのことなんでしょう?」


「私も怒ってるけどね。私だってずっとそばにいるのに、他の人をそんなに好きになるなんて。だから私も怒ることにするよ」


それはアキミの声だと思って聞けば、とても彼女らしい発言だった。

そして唇と唇が触れ合い重なる。それはほんの一瞬だけの接触。

そしてそれはアキミにとっての夢で、そしてぼくにとっては紛れもなく現実の一コマだった。


「よかった……私に生まれてきて、始くんと出会えて。今幸せよ?」

そう呟く彼女を中心に、また光が溢れ出していく。



 そしてぼくは、また見慣れた風景へと戻ってきた。

「あのね始くん、心配して迎えに来てなんだけど、私この夢の余韻を楽しみたいから、また明日ね」

ぼくが愕然とするくらいどーんと体力の低下を感じて、その場に倒れ込みそうになっているのをほとんど見ることもなく、真っ赤に火照ってゆでダコのようになっているアキミが、ふらふらとおぼつかない足取りでぼくの前から去っていく。

一体なにをしにきたんだ、彼女は。

いや今は学校どころか彼女の相手をする余裕もないから、おとなしく引き下がってくれて助かる。非常に助かる。

ぼくは続けての時間遡航の影響で、もう体がぱきぱきに固まって今にも倒れそうだ。

できたら家まで送って欲しいけど、それは無理なんだろうな……。

またぼくはどうやって家に帰り着いたのか、あとになっても思い出せないくらい疲労困憊となって自宅へと歩き出した。

そしてまたハルカの矢の催促メールと電話は、無視されることになったわけで。

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