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第一話 再び始まる戦い、トウカとの不思議な旅

「どうやら自分の能力にしっかり目覚めたようじゃの」

開口一番お館様はそう言った。

夢の中の彼女は、驚くほど真剣な眼差しで、それまでの雰囲気を一変させていた。

「まだだよ。時の歩みを遅くすること、時を止めることはできたけど、過去に飛ぶ能力をどう発現するのかはさっぱりわからない」

「気づいてしまえば簡単なことよ。全てはイメージじゃ。自分の中にないものはどうやっても出せないが、自分の中に芽吹いたものは必ず花を咲かせることができる」

ぼくの周囲を歩くお館様は、着物の裾を持ち上げて素足の細い足首を覗かせながら、ひらりひらりと舞うように一周した。

その足元に波紋が浮かぶ。

「お館様も時士なんだよね?」

ぼくは少し前から思っていたことを口にした。

初めてお風呂で会った時、ぼくの体は動かなくなった。

あれは停止の力を使ったからだろう。

「そう、そのことに気づけたなら大したものじゃよ。もっともわしも、時士に時の制御をしかけるとその効果は違ったものになると知ったのはあの時じゃったがの。なにしろ自分以外の時士に出会ったのは初めてじゃったから」

そうだ、もしあれが時士であるぼく相手にしかけたものでなければ、恐らくぼくは時間を止められたことにも気づかなかっただろう。

荊の動きを止めた時、恐らく荊はぼくが彼女の時間だけを止めたことを、頭では理解しても、実際に体感してはいないはずだ。

一瞬にして背中に走った痛みが、後からそうだったのだと推測させただけだろう。

その点ぼくは完全に時の流れを操られることなく、停止時間でも自分の時間認識を失うことはなかった。

時間を強引に戻されることで、自分の意図とは逆に視線をお館様に引き戻されて、そのまま固定されたことも、それが時間制御であるとまではわからなかったにしても、はっきり認識することはできた。

これもまた時士としての能力の一つに違いない。

「もしかしなくても、そうやってほかの人をからかって遊んでいたんだね」

「厳しいのう始は。まあそう言うな。役得というものじゃよ。年寄りの密かな楽しみと言ってもいいがの」

役得ねえ……ぼくは一通り自分の能力を活かせそうなイタズラを考えてみたが、その妄想はヤバすぎてとても公表も実現もすることができそうもないから、とりあえず忘れてしまうことにする。

「時を遡る方法はいくつかあるが、純粋に時間遡航をしたいなら、その時と場所を強くイメージすることじゃな。じゃが気をつけるがよい。一度の遡航でお前は膨大な生命力を削がれることになる。そう何度も使える手ではないぞ」

ぼくは黙って頷くと、まず最初にどこに帰るべきかを考えた。

そしてぼくが一人の思考に落ち込むと、夢の中でぼくの心に直接アクセスしていたお館様は、ふとぼくの視界から遠ざかった。

彼女は彼女で自分の世界へと戻っていたのだろう。


 そしてぼくは、まだ暗い陽の射し込まない部屋で目を覚ました。

窓際に手を伸ばしてカーテンを開くと、どんよりとした空が見える。

チヒカさんが張ったままのロープがピンと伸びる庭に目を落とすと、ぼくは誰も見ていない部屋で一人俯いて、ほんの少しだけ泣いた。




 制服を着て学校へ向かう道を歩く間、ぼくは夢の中のお館様との会話を思い出していた。

過去の世界をイメージする。

それだけで過去へと遡ることができる?

だとしたら一体いつに行くべきだろうか。

考えてみても、実はそのイメージがピンと来ない。

当然だろう、ぼくの中にはこの問題を解決するための、介入すべき時間軸のイメージがないのだから。

当然それを思い浮かべることもできない。

全ては伝聞でしか知らない時代に起こったことだ。

チヒカさんを殺さないためには、彼女の幼少期に関わるべきだろうか。

それとも事件の起こった時そのものに介入すべきだろうか。


果たしてぼくが介入して、問題が解決するのだろうか?


五年前の封印の儀式において、巫女とぼくの父を殺害した時間にいきなり飛んで、それを止めるだけの力がぼくにあるだろうか。

一人ならともかく、あのチヒカさんと荊の二人がかりでは、とても時間を止める力だけで勝てる気はしない。

とすればチヒカさんがこの世界に来た時を狙って、彼女に警告を与えるべきだろうか。

でもその段階ではまだ子供なわけだし、ぼくの言うことなんか聞くだろうか?

しかも荊はその頃にはもうとっくに成人している。

忘れるところだったが、ミノリもチヒカさんと一緒にこちらに来たんだっけか。

あれが全部敵に回るとしたら、それはそれでえらいことになりそうだ。


 考え事をしていたぼくは、そこで思い切り誰かにぶつかった。

「いたっ、さすがに完全無視して体当たりはないでしょうよ!」

その聞き覚えのある声に、ぼくは盛大にしりもちを突いたまま顔を上げた。

「ご、ごめん……つい考え事をしていたから」

そう、十年前に行くにはどうしたらいいか、なんて考えていたばっかりに、ぼくはトウカに思い切りぶつかっていた。

これがアキミならともかく、トウカではボンバーな髪型以外クッションがどこにもない。

とか考えたら、また察知されて殴られそうだ。

ぼくはなんとか腰を持ち上げて立ち上がると、同じようにしりもちを突いていたトウカに手を伸ばした。

「全くもう! 誰のことを考えていたのやら」

それでもブーブー言うトウカの手を握りしめた瞬間。

「あ……!」

「え……!?」

ぼくたちは淡いブルーの光に包まれていた。

なんだこれ、髪でも逆立って変身しちゃうのか?

ぼけたことを考えた瞬間、視界が真っ暗になったと同時に、ぼくは気を失っていた。


……それからどれだけ眠っていたのだろう。

五分くらいかな。

ぼくは重たい体を持ち上げると、ベッドの中で目を覚ました。

!?

はねおきようとする体がギシ、とベッドを軋ませる。

しかしなんだこのベッドは。

見覚えのない……いや、ある。

あるけれど、決してそれは今あるはずのない光景だ。

ぼくは窓際に短すぎて歩幅が安定しない足を向けて、やけに高い位置にあるカーテンを引くと、そこにあるはずのチヒカさんが張ったロープがないこと、そして部屋の片隅にとうに捨てたはずの合体超合金があることを確認した。

そしてガラス窓を鏡にして、自分の姿を確認してみる。

そう、これは間違いない。過去のぼくの姿だ。

それも幼稚園児くらいの背丈しかない。

ぼくは過去に飛んだのか?

だとしてもこのサイズではなにもできないじゃないか。

ベランダに出ても、そこに張り巡らされた格子の合間からしか、外の風景を眺めることができない。

こんなに小さかったんだなぼくは。

当たり前と言えば当たり前なんだけど、それにしても身動き一つ取るにもぎこちなさすぎて、これじゃ本当になにもできそうにない。

そのときぼくの視界の端に、二人の少女の姿が飛び込んできた。

一人はトウカの姿だ。そしてもう一人は……!?


 慌てて扉を開けて部屋の外に駆け出すぼくは、心配そうに声をかける母の横を通り過ぎて、どこか見覚えのある、多分昔はいていたサンダルを引っかけて、玄関を開いていた。

周囲の建物が微妙に替わっていて、すでになくなった古い建物のせいで、二人がどこにいたのかピンとこない。

ぼくは自分の家の周囲なのに迷子になりそうになりながら、それでも鈍足すぎる足を励まして、やっとトウカがいた場所にたどり着いた。

「ふうん、チーちゃんっていうんだ。近所の子?」

「いや、拙者連れのものとはぐれてしまったでござるよ」

「ござるだって、へんなのー」

「変でござるか? これが普通だと思っていたでござるが」

「またござるって言ったー」

ぼくは電柱の影から、こっそりとその二人の姿を見た。

明らかに今のスレンダーさとは違う、ぷっくりとプリンのように膨らんだトウカのシルエットは、懐かしすぎて涙が出てきそうだが、今それはどちらかというと問題じゃない。

そう問題なのはもう一人の存在。

あれは間違いなくチヒカさんだ。

何故この二人がこの時代に出会っているんだ……!?

いやそれ以上にござるってなんだ。

チヒカさんのキャラがまるで違うじゃないか。

そこは問題じゃないのか? いや問題にしたほうがよさそうな気も、どうでもいい気も両方する。

二人の会話は続く。

「チーちゃん面白いねえ。一緒の幼稚園に入れるといいのにね」

「よーちぇんでござるか? よくわからないでござるが、拙者を迎えに来てくれる人に頼んでみるでござるよ」

「はーくんにも紹介してあげるよ。泣き虫だけどいい子だよ。この家に住んでるんだ」

「ほう、ハークどのでござるか」

「おい、チヒカ。なにをしている」

そんな二人の微笑ましい会話に割り込む若い女の声に、ぼくは愕然とした。

それは淡いピンクのふりふりドレスに身を包み、そしてこれまたこまっしゃくれたお子様を抱いた、なんとあの荊の姿だった。

お子様のほうはミノリなんだろう。

金髪じゃないけど生意気そうな目元がそっくりだ。

だがそれ以上におかしいのは荊の服のセンスだ。

一体全体、なにをとち狂ってこんな格好をしているのやら。

だがその厳しく吊り上がった瞳と、全身から感じる緊張感が、間違いなく荊のそれを醸していた。

それでも若い荊は、そこまでの恐ろしさを感じさせない。

それは子供が相手だからというのもあるのだろう。

「さ、もういくぞ。子供とはいえ、この世界の人間に不用意に接触するな」

「はい、マスター。それじゃトウカどの、さよならでござるよ」

「えー、また会えるよね、ね?」

「困ったでござるな……」

まとわりつくトウカ。

あいつはああなるとしつこいんだ。

それに眉を下げているチヒカさんが実に初々しい。

なんて言っている場合ではないのだが。

あの二人が出会っていたなんて、今まで全く知らなかった。

チビなチヒカさんは、トウカの腕を振りほどこうとするが、涙目になって抵抗するトウカにその力も緩んでしまうようだ。

仕方なく彼女は、自分の首にかけていた首飾りを外した。

「トウカどの、ではこれをあげるでござるよ。このネックレスはこちらに来る時母に持たされたものでござる。きっと縁があればまたお会いできるでござるよ」

そのネックレスを受け取ったトウカは、自然とチヒカさんの体から手を離していた。

その隙をついて荊のそばに走り寄ったチヒカさん。

振り返ってトウカに手を振る顔は、少し寂しげだ。

「きっとだよー、また遊ぼうね」

「さ、行くぞチヒカ。これから訓練の日々だ」

そういってチヒカさんの小さな手と手を繋ぐ荊は、まるでお母さんのように見える。

その姿は道の角で曲がり、そしてぼくの視界から消えた。

トウカはただネックレスを手にして、そこに佇んでいた。

「トウカ……」

ぼくはなにも考えずに彼女のそばへと歩み寄っていた。

振り返るトウカの小さな手が、ぼくの手と触れ合った瞬間、バシュッと派手な音がして、ぼくの視界がまた歪んだ。

なんだこれは……わからないことばっかりだ。

そして一瞬の間を置いて、ぼくはそこに現代のトウカを見た。

「はーくん! これ一体どうなってんの!?」

それはぼくが聞きたいところだ。

一体全体なにがどうなっているのか。とりあえずぼくは自分のてのひらを見た。

それは五歳たらずの小さな小さな手ではなく、十五歳のぼくの手だった。

どうやら姿だけは元に戻ったらしい。

だがその風景は替わらず、十年前のままだ。

「トウカ、チヒカさんと知り合いだったの?」

ぼくはとりあえず目前の疑問を口にする。

「チーちゃんのこと? あれがチヒカさんだったの!? うん、確か幼稚園に通っていた時に、一度だけ会ったことがあるけど……」

混乱しきった顔で言いながら、トウカは手の中にあるネックレスに目を落とした。

「そう、これを手にしてから、私はどんどん痩せるようになっちゃったんだよ。食べても食べても全然追いつかなくて、仕方なく糖分を大量摂取するように……」

おいおい、そのネックレス呪いのアイテムかなにかじゃないのか。

チヒカさんというか、向こうの世界ならありえるな。

えらいオチがついたものだ。


 だがそれ以上の事態が訪れる。

「あの音は!!」

曲がり角の向こうに消えたはずの荊の声がこだまする。

駆ける足音がこちらに向かってくるのが、はっきりと聞こえた。

このままでははちあわせしてしまう。

子供の姿ならともかく、この格好はまずい!

後から思えばぼくは相当混乱していたらしい。

この時代の荊が、ぼくのこの制服姿を見たところで、なにがどうなるということはない。

どうせまだ出会っていないのだから。

だが見つかれば殺される、ぼくはその強迫観念の一心で、事情をまだ飲み込めていないトウカの肩を押していた。

「きゃ! なにすんの」

トウカにしてはやけに弱々しい声とともに、ぼくの家を囲う低い樹木の中にその体を押し込んだ時、ぼくはトウカのネックレスに触れていた。

瞬時紅い光が視界に満ちた。

が、なにも起こらない。なんだあれは。いや今はそれよりも荊だ。

ぼくはトウカがスカートを押さえてはいるものの、際どいラインがはっきり見えている危ない格好でひっくり返っているのを、さらにつま先を押すことで木の奥に押し込みながら、くるりと反転して荊に備えた。

くそ、こんなところでいきなり、たった一人であの荊と戦えるだろうか。

そして二人の視線が絡み合う。

ふりふりのスカートをひらめかせていても、やっぱり荊は荊だ。

この時点で荊はいくつだっけな。

どちらにしてもぼくが生まれているんだから、母さん並の年齢なのは間違いない。

チヒカさんよりはさらに年上で、力も十分強いだろう。

勝てるだろうか。

ぼくは太い眉の根元にギッと力を籠めて、きたるべき瞬間、闘争の開始に備えた。

「し……」

し?

「師匠!!」

次の瞬間、荊は信じられないような行動を取ったので、ぼくは思わず時間を止めることも忘れて、その体を受け止めていた。

スカートをふわりとはためかせながら、ぼくに飛び込んでくる荊は、戦士のそれではなく、まるで少女のようだった。

「師匠、師匠師匠、お師匠様! 一体今までどこに行っておられたのですか!」

力強く大剣をなんなく振り回す腕が、それでも女の子のようにぼくの背中に回る。

すがりつかれて胸元で泣かれると、くすぐったくて仕方ないんですが。

いやそれよりもこれはどうなっているんだ。

ぼくは混乱しきったまま、救いを周囲に求めて視線を逸らした。

まず目に入ったのは、じとっとした目つきでぼくと荊を見つめるミノリ。

その横にはチヒカさんが、指をくわえて荊とぼくの抱擁シーンを見ている。

お子様には刺激が強すぎないだろうか、この場面は。

しかしこの二人じゃなんの助けにもならない。

と思ってふとトウカのほうを振り返ると、トウカはちょいちょいとぼくに向かってコンパクトを示しながら、その鏡を指差す。

そしてぼくはその中に見た。

ぼくではない、一体誰だと言いたくなるような、年かさのちょっと毛が多い乱暴者のような顔つきと格好の男の姿がそこに映っているのを。

「うわぁぁ!」

「し、師匠? どうされましたか」

思わず叫んだぼくに、それでも取りすがる荊が心配そうに顔を上げる。

上目遣いの荊……なんだこの可愛さは。

とても荊とは思えないが、それでもやっぱりこいつは荊だ……よな?

「はぁ……はぁ、な、なんでもない。それよりも……」

なんとかその場を取り繕うとするが、まるで頭が働かない。

師匠って誰ですか? と聞きたいんだが、そんな雰囲気でもない。

「いつまでくっついてんの」

ついに痺れを切らしたのか、トウカが木をメシメシと言わせながら、葉っぱまみれの体を道の側に戻してくる。

その目は主にぼくを睨みつけている。

「なんだ、この女は」

「なんだはこっちのセリフ、うちのはーくんになにをしているのこの年増」

「と、年増だと!」


あー……なんだこれ。一気にギャグだよ。

いや、笑って見ている場合じゃないな。

あの荊相手に、こんなラブコメのはちあわせみたいなシーンでしかけて、トウカが無事でいられるはずがない。

だがぼくの行動よりも前に、荊はめざとくトウカの手に握られたままのネックレスを見つけた。

「む、お前も同族か……師匠、どういうことです。やはり若い女のほうがよろしいのですか」

荊は嫉妬をむきだしにして、ぼくの胸ぐらをつかみながら迫ってくる。

駄目だ、やっぱりこれただの修羅場だよ。

ぼくは一体どうすればいいのか、十数年の人生経験でも、さすがにこんな場面は遭遇したことがない。

いや、そうでもないか? 横から覗くトウカのじとっとした目つきが、さらにぼくを責めている。

「私たち以外にこんな年増女まで手出してたの? 信じられないなーはーくん。さすがにこれはないよ」

「ご、誤解だ……それに話がややこしくなるから、トウカはここでちょっと待ってて」

ぼくはなんとか荊から逃れると、トウカの肩に手をおいて説得すると、トウカはあいまいな表情を浮かべながらぼくから視線をそらした。

それを肯定と受け取ったぼくは、慌ててひらひらの荊を捕まえると、道の曲がり角の向こうに走り去る。

「師匠……私を選んでくれるのですね」

目をハートマークにする荊に絶句しながら、ぼくはさらに体が大きくなって上がった歩幅を制御しきれずに、ふらりとよろけてしまう。

そんなぼくをしっかりと支える力強い腕。

やはり荊は荊なんだな。なんて言っている場合じゃない。

荊はまた至近距離でぼくを抱きしめるようにつかんでいる。

これじゃ立場が逆だよ……いや、そういう問題でもないな。

まいった。一体なにがどうなっているんだ。

時間を止めて逃げるべきなのか、ここは。


「あー、おほん。荊、とにかく離れて。離れて」

ぼくはなんとか師匠らしく威厳を見せて、咳払いのあと荊の腕に手を回して、それを遠ざけようとした。

ノースリーブのワンピースからすらりと伸びる荊の腕は、やけにつるつるすべらかで、筋肉なんてどこにもないようにさえ思えた。

その声でやっと引き下がる荊は、それでもまた距離を縮めてきそうな近距離で、ぼくをじっと見ている。

「師匠……師匠がおられなくなってから、私たちは必死で戦ってきました。それでも戦況は悪くなる一方で……それに花凛まであちらについてしまいました。あいつが次代の封印の巫女だったのです。師匠があれほどかばわれていた花凛が、こんな裏切りをするなど」

一分ともたずに、またすがりついてぼくに抱き着く荊は、これまでの事態を簡潔に説明した。


うーん……つまり、ぼくは、今この姿のぼくは荊の師匠なわけだ。

そしてもっと若い頃の荊に接触している。そして母さんをかばう。

けど母さんは裏切って封印を施す。

時期的にはもう封印を施している……?

ぼくが生まれていて、チヒカさんがこちらに来ているんだから、もうお役目は終わっているはずだな。

そして荊はそれでも一人で戦っている。

で、その荊はぼくを頼りにしている?

じゃあここで

「荊、もういいんだ。戦うのはやめよう」

とでも言えば、事態は一気に改善するんじゃないだろうか。

あれ、これ晴れて問題解決しないか。じゃあやってみよう。

「荊、ご苦労だったな。だがもういい。これ以上無理をして戦いを広げなくてもいいんだ」

「そうはいきません! 新たに向こうの世界から優秀な子弟も送られてきました。チヒカとミノリは必ず私が優秀な戦士として育て、あのババアを討ってみせます。それが私とお師匠様の、そして腐り落ちていく我らの世界全住民の悲願ではありませんか!」

ババアってのはお館様のことなんだろうけど、腐り落ちていくという表現は穏やかじゃない。

だけどここで荊をうまく誘導できれば、向こうの実情がそれだけ探れるんじゃないだろうか。

いや下手なことを聞くと怪しまれるかもなあ……どうしたらいいんだ、この状況。

そのときぼくの耳にチヒカさんの声が聞こえてきた。

「これ、私があげたネックレスに似ているでござるな。もしかしてトウカどのから奪ったのではござるまいな?」

「そ、そんなわけないじゃん! あー……でも、どう説明したらいいのかな」

トウカが困っている。

さすがに今の成長した自分がトウカだと説明できる状況ではないことは理解しているらしい。

こういう物わかりのよさが、普段からもっとあればなあ。

「ならいいでござる。少しデザインも違うでござるし、偶然でござろう。それは同族が持てば力を増幅することができるお守りらしいでござるが、何故か拙者の力は増幅してくれないのでござるよ。だからトウカどのに差し上げた。惜しいとは思わないでござるよ」

「そ、そう……同族とか力とかよくわかんないけど、とりあえずありがとう……って言ったらおかしいか」

トウカはいろいろ自ら暴露しているが、小さなチヒカさんにはいまいち伝わっていないようだ。

力を増幅させる……ねえ。

あれ、なんかわかったような気がしたけど、つまり、これは……。

「どうされたのです師匠。どうかあの時のように、私に次に向かうべき道を示してください」

いやさっき示しただろ、と言いたくなったが、ぼくはその言葉をすんでのところで飲み込んだ。

これならいっそ戦いになったほうが早かった気がするなあ。

「とにかく、花凛にはもうなんの価値もない。彼女に手を出すのはやめるんだ。そしてしばらくは子供たちの育成に力を注ぎ、決して無理はするな。数少ない戦士をこれ以上失ってしまうことは避けたい。自分の体を大事にしなさい。おやか……あのババアのことは当分放っておいても害はないだろう」

「はい、ですが……」

それでも納得しない荊に、ぼくは思わず両手をむきだしの肩に置いていた。

初めてのぼくからの抱擁である。いやそう言われると背中が寒いのだが。

「これは命令だ、荊。五年後の封印の儀式、決してこれを邪魔してはならん。それがお前や、その他のものの運命を決めてしまう! その時だけは大人しく事態を静観するんだ。いいな」

そう、もしここで荊を説得してあの戦いを止めることができれば、チヒカさんは父さんを殺すこともなくなる。

巫女も生き残り、チヒカさんが命を削ることもないはずだ。

だが荊は、やっぱり荊だった。

「お師匠様、私を気遣ってくださるのですね。ありがとうございます。ですが私は決して負けません、必ず五年の後にはさらに腕を磨き、そしてあの子供たちとともに封印を破壊してみせます。見ていてください」

そして荊は、またぼくの胸に飛び込んでくると、すかさずぼくの唇に自分のそれを重ねて、柔らかい房をしっとりと合わせた。

「あー! なにやってんのあんた!」

背後でうるさい声がして駆け寄ってくるが、ぼくはもうそれを半分も聞いていなかった。

い、荊とキスしただって……?

しかしそんないい気分を台無しにしたのは、背中に思い切り蹴りをくれたトウカの一撃だった。

その瞬間、ぼく、そしてトウカは瞬時にして消えていた。



そして残された荊は、空の手を宙で切って、消えてしまった愛する人を、もう一度抱きしめる仕草を見せた。

夢見がちに輝く瞳は、遙か遠くを見つめて、確かにそこにあった温もりの感触を反芻する。

「師匠……またお会いできますね」

それを訝るように見つめるミノリとチヒカの幼い瞳は、なにが起こっていたかを理解することもなく、また以後この時のことを思い出すこともなかった。



 いたたた……ぼくは気がつくと、なにもない空間に浮いていた。

ふと手を見ると、それは十五歳のぼくの手だ。

そして顔をぺしぺしと叩いてみたりもする。

それを見たトウカが、そばでまたコンパクトをぼくに差し出してみせる。

そこに映っているのは間違いなくぼくだ。

一体なにがどうなっているのやら。

「ねえはーくん、これ一体どうなっているの?」

「それはぼくが聞きたい。タイムスリップでもしている夢を見ているとしか」

半分は嘘だけど、半分は本当だ。

ぼくだってわけがわかっているわけじゃない。

だがどうやらぼくの時士としての力は、トウカを巻き込んでしまったらしい。

「これいつ戻れるんだろうなあ」

「そうだね、どうせ戻るならあの時間に……」


お館様に聞いた話、時間を飛ぶにはイメージが必要になる。

ぼくは漠然と十年前を想像した。

そしてトウカの中にあったその時間に一番近いイメージ、つまりチヒカさんとの邂逅の瞬間に、ぼくたちは遭遇したらしい。

そしてその時間におかしな形で介入してしまった。

あれでは荊の説得は失敗だろうな。

なんとかしてあの頑固者を止める方法はないだろうか。

なんて考えていたら、ぼくはいつのまにか俯いて座っていた。

そしてどこかで聞いたことがある、電車が通り過ぎていく轟音。

「妬けるな、チヒカさんって人に……」

あれ、これは前も同じシーンを体験したぞ。

そしてぼくの肩に腕を回しているのは……トウカ?

あれ、このシーントウカだっけ。

だがトウカはあの声で、ぼくがかつて聞いた言葉を紡いでいく。

淡々と、しかし熱っぽく。その瞳が潤んでいるのが、ぼくにもわかった。


「好きだから許せないんだよ。だったら怒って、気持ちを全部吐き出してから許してあげなさい」


「私も怒ってるけどね。私だってずっとそばにいるのに、他の人をそんなに好きになるなんて。だから私も怒ることにするよ」


あ、駄目だこの次は……唇が近づいてくる。

だが、その唇は寸前のところで止まって、ぼくの唇には触れきらなかった。

「一体何人に手を出すつもり? この浮気男」

ちゅ、と小さく音がして、その瞬間に唇が触れ合った。そう、ほんの一瞬だけ。

これはあの時のトウカとぼくじゃない。

過去に飛んだぼくとトウカの、再現シーンだ。


そしてぼくとトウカは、一瞬も時間の経過を感じないまま、登校途中の道ばたにいた。

助け起こした手もそのままだ。

だがその手はするりと抜け落ちて離れていく。

「頭が重い……はーくん、わるいけど今日は休むね」

そしてトウカは重たい足を動かすと、よろよろと来た道を戻っていく。


ぼくも疲れた……駄目だ、いろんな意味で意識が飛びそうだ。

これが時間遡航という奴なのか。

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