第二十七話 二つの切り札を切って頂点へ!? ランキングを上り詰めるために、手札として持っていた完結ブーストともう一つの切り札。それらを用いてついにベコノベの頂きに手をかけた件について
僕は今日も書き続ける。
あの日、ベコノベに出会った日から変わらぬ毎日。
もちろんほんの少しだけ、小説を書くことができなくなったこともある。また同じことはこれからも起こるかもしれない。
でも結局、僕は小説を書き続けるのだと思う。
なぜなら、小説を書くことは何ものにも代えがたいほど楽しいからだ。
そしてこれこそが僕の新しい生き方だからだ。
サッカーという夢は失ったけれど、ベコノベと言う場所に出会うことができた僕は本当に幸福だと思う。
ベコノベはまさに大きな公園。
誰しもが自由に楽しめ、誰しもが新たな遊びを模索できる。
そして今回、僕は誰もがわかり易く簡単に楽しめる砂場を作ろうとした。
その目的は一つ。
勝手に公園を占拠する人たちに対し、僕たちにも公園で遊ぶ権利があるのだと主張するためにだ。
ベコノベと言う公園は運営会社のものではあるけれど、その場は誰か個人が独占するためのものでもない。
ベコノベを取り戻す。
これは僕たちにとっての戦い。
結果としてあのお二人とともに、ランキングに揺蕩っていたドナウ同盟の重しを払い除けることができた。
もちろん、これが一時だけのことでは意味がない。
でも僕たちの軌跡をみて、後に続こうとしてくれる人たちがきっと居るはずだ。
何しろベコノベという名の公園では、これまでもユーザーたちが様々な遊び方を提案し続けてきたのだから。
新しき潮流がいつもベコノベには生まれる。
それはベコノベが常にユーザーライクにあり続けてくれたからだ。
今、僕たちの生み出す潮流に、そして流れに多くの人たちが興味を持ってくれている。
今まで小説を書いたことがないけど、自分もシャンゼリゼワールドの小説を書いてみたい。
そんな感想欄の書き込みを見るたびに、僕は思わず泣きそうになる。
届いたんだ、と。
ただし同時にほんの僅かな悔しさもあった。
あのお二人の小説からシャンゼリゼワールドを知り、そしてすでに投稿を始めた人がいるらしい。
大事なことは誰が始めたかだけではない。
誰がどれだけ読者の心に響かせたか。そしてどれが面白いのか。
あくまでそれこそが、ベコノベにおける唯一絶対の基準。
その意味で僕の作品は、シェアードを広げることに意識が行くあまり、作品として説明過剰に陥っていたきらいがある。
自分に課せられた役割の差こそあれ、そのあたりはまだまだあのお二人に比べると、劣るところがあるのだと実感せずにはいられなかった。
でも、それでもベコノベと言う舞台で負けたくはなかった。
だからこそ、僕は二つの切り札を切る。
一つはこれまでに一度だけ使ったことのある手。
完結ブースト。
そう、まさに今日『転生英雄放浪記』は、作品としてのエンドマークを打った。
初めて日間ランキングの上位まで上がることができ、そして書籍化をし、商業では敗北を経験した。
でも、僕の中では処女作である『転生ダンジョン奮闘記』や、由那の漫画原作として書いた作品たちとともに、掛け替えのない我が子でもある。
胸に込み上げてくるものがあった。
作品を閉じるのはこれで二回目だとしても、それは変わらない。
だが同時に、この作品はエンドマークを越えて生きつづけることになる。
なぜならばそれこそが、僕にとっての二枚目の切り札だからだ。
この時のために、僕はシャンゼリゼワールドの土台に、自分のこれまでの作品を用いた。
そしてメディアハートの皆見さんにも断りを入れる形となった。
原作コンテストの際に、優弥が提案したアイデア。
クロスオーバー。
あの時は使うことができなかったけど、今ならば使える。
なぜならば、同じシースター社からシャンゼリゼワールド作品を書き下ろすから。
だから僕はクロスオーバーという二枚目の切り札を切った。
同時に『転生英雄放浪記』は『異世界国家再興記』とある意味、陸続きとなる。
その効果は、まさに想像以上だった。
一日における獲得ポイントが八千。そして跳ね上がるアクセス数。
それは三作品の中で最大のポイント伸び率を示していた神楽先生の作品よりも、そして同じく『無職英雄戦記』の完結ブーストを使用した津瀬先生の作品よりも遥かに多い数字。
ランキングのポイントの左上に刻まれた文字は一位。
そう、僕はその夜、初めて手に掛けることができた。
ベコノベのランキングにおいて、一位という名の頂きに。




