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ネット小説家になろうクロニクル  作者: 津田彷徨
第一章 立志篇
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第八話 担当のチューターは書籍化作家!? 予備校で一番人気の担当チューターが書籍化予定のネット小説家だと判明し、勉強だけではなく、小説に関してもアドバイスを頂くことになった件について

「……なるほど、面談予定だったから部屋の前にいたと、つまりそういうわけか」

 先ほど叱責してきた眼鏡の青年は、僕たちを一度中へと通すと、確認するようにそう問いかけてきた。


「は、はい」

 いきなり初対面で怒られたこともあり、僕は恐る恐るといった体で首を縦に振る。

 すると、眼鏡の青年は表情一つ変えることなく、由那に向かって視線を移した。


「えっと、それで君は?」

「音原由那です。津瀬先生には、二度ほど御指導頂いたことが」

「ああ、知っている。だがそうではなくて、なぜ君がここにいるのかな?」

「いえ、音原さんにはここまで案内してもらったんです」

 青年の問いかけに対し、案内の恩を多少感じていた僕は、慌てて言葉を差し挟む。

 だが、そんな僕の回答に不快感を示したのは、何故か隣の席に座る女性だった。

 僕は袖を強く引いてくる彼女に視線を向けながら、率直に尋ねる。


「あの……何かおかしかった?」

「由那」

 どうやら、呼び方がまずかったようだ。


「先生に説明するときくらいいいじゃないか」

 しかし彼女は引く様子はなく、寧ろ更に睨んでくる。僕は半ば投げやり気味に呼び方を修正した。


「……由那に連れて来てもらいました」

「そうそう」

 僕が言い直した途端、彼女はあからさまに笑顔を見せた。

 いや……なんなんだろう、一体。


「なんというか、別に青春がダメだとは言わないがね。でもここは、そのための施設じゃない。その続きがしたいなら、申し訳ないけど別の場所でやってくれるかな」

 僕らのやり取りを聞いて、目の前の青年は深い溜め息を吐き出すともに、呆れたな眼差しを向けてくる。

 途端、僕は先ほど怒られたばかりであることを思い出し、慌てて頭を下げた。


「いえ……すいません」

「まあいい。とりあえず君とは予定されていた面談を行うとしよう。というわけでだ、音原くんは講義に戻り給え」

「いえ、私はこの時間の講義をとっていませんので」

 先ほど叱責されたばかりにも関わらず、由那は全く動じた様子を見せることなく、堂々とそう言ってのける。

 どうやら由那は、どうあっても僕と一緒に面談を受ける気らしい。どういうつもりかはわからないけれど。


 一方、目の前の青年はそんな彼女の思惑に気づいたのか、すぐに彼女が退室せざるを得ない理由を持ちかけてきた。


「じゃあ、とりあえずは自習室に行くことだね」

 たぶん正論なんだろう。


 予備校は義務教育ではない。講義もなく、帰りもしない生徒は自習するのが本来のあり方なのだと思う。

 そんな彼の言い分が正しいことは由那も理解したようで、彼女はしぶしぶといった様相でゆっくりと席を立つ。


「……分かりました。昴、また学校で」

 これ以上口論しようがないと判断したのか、由那はそこで引き下がると、そう言い残して部屋から退室していった。

 そうして面談室には僕と青年の二人だけが残される。


「君達は付き合っているのかい?」

「いえ、ほとんど初対面に近いんですが……」

「うろたえない、か。どうやら本当ようだ。しかしあの真面目ちゃんを、ああも崩させるとはね。私としては、なかなかに誇ってもいいところだと思うな」

 目の前の青年はそう口にすると、胸ポケットから一本の紙タバコを取り出してくる。そして迷うことなく、手持ちのオイルライターで火をつけた。


「あの、先生?」

「ああ、気にしないでくれ。こっちが地でね。看板チューターという仮面をかぶるのも楽じゃないんだ」

 そう言ってのけると、青年は足を組みながら、ゆっくりと煙を虚空に吐き出す。

 そしてそのまま、二度、三度と同じ行為を繰り返した。


「あの、この部屋ってタバコ吸ってもいいんですか?」

「どうだろ。基本的に私以外は吸ってないだろうな」

 タバコから口を放した青年は、そう口にすると軽く右の口角を吊り上げる。


「先生だけ、特別ですか?」

「んなわけないさ。残念ながら、ただのチューターにそんな権限はなくてね。決まっていないルールに従っていないという、ただそれだけのことさ」

「決まっていないルール?」

 青年の言葉の意味がわからず、僕は軽く首を傾げる。

 すると、彼は薄く笑いながら、なんでもないことのようにその説明を口にした。


「ああ。この部屋は禁煙だなんて、そんなルールは決まっていない。そのことを私は知っている」

「ルールが決まっていないことを知っている……ですか」

「ああ、そうだ。知っているか知らないか、この差は大きい。知っている者は、知っているなりに振る舞える。逆に裏をかくことも、必要とあれば知らないふりをすることもだ。しかし、知らない者にはそんな選択肢は存在しない」

「サッカーと同じですね」

「サッカーと?」

 僕が何気なく口にした言葉に、青年は興味を示した。


「はい。例えば一つの真っ直ぐなパスコースしか見えていない者には、敵に捕られるリスクがわかっていても、そこにしかボールを蹴ることが出来ません。でも、予めいろんなパスコースに気づいていれば、相手の裏をかくことも、また裏の裏を書いて真っ直ぐなパスを出すことも出来ます」

「ふむ、なるほど。確かに同じだ。適切な例えと言えるだろうね」

「ありがとうございます」

 お世辞ではなさそうな青年の褒め言葉を受け、僕はほんの少しだけ嬉しそうに笑う。

 一方、青年は一つ頷きながら、再びその口を開いた。


「まあ全てがそれだけとは言わないが、勉学、そして知識とは可能性を得るための道具だ。そしてそれを君たちに教えるために私は雇われている。改めて自己紹介をしよう。私は君の担当チューターとなった津瀬明人だ」

「受付でお名前は伺っていました。あと初めまして、黒木昴といいます」

「ああ、知ってる」

 僕の自己紹介を受けて、津瀬先生はニコリと微笑んで見せる。

 僕はその言葉と笑みの理由がわからず、訝しげな表情を浮かべながら首を傾げた。


「どうして僕の名前を?」

「ふふ、どうしてだと思う?」

 僕の問いかけに対し、津瀬先生は笑いながら、逆に問い直してくる。


「そうですね……あ、わかりました! 由那から僕のことを聞いたんですね」

「いやいや。君と彼女はほぼ初対面じゃなかったかな? だとすれば、君がここに来ることを彼女が予め知っている可能性は極めて少ない。さらに言えば、それをわざわざ私に言いに来る理由も彼女にはない。まあ普通なら、この予備校の事務から情報を得ていたと考えるのが本筋だろうね」

「あ、なるほど」

 言われてみればその通りだ。


 僕が受付の事務の方から聞いたように、津瀬先生も先に面談に来る生徒のことを聞いていても不思議ではない。むしろ当然と言えよう。

 だがそんな僕の納得は、残念ながら次の瞬間にあっさりと消し飛ばされた。


「が、しかしだ、本当のところはそれだけじゃない。実は黒木先生から君のことは伺っていてね」

「……父の知り合いなのですか?」

「私は黒木先生の教え子の一人さ」

 軽く肩をすくめながら、津瀬先生はそう口にする。

 途端、僕は由那が気にしていたことの答えを理解した。


「なるほど……それで、一番人気のあなたが担当して下さるわけですか」

「ふふ、さてさて。まあいずれにせよ、正しい知識をより多くの人に伝えるのが、このバイトにおける私の使命さ。その意味では、一番人気という看板は役には立っているよ。生徒は私の話を真剣に聞いてくれるし、お世話になってる先生にも恩返しできる。更に、私のバイト代も上がる。その意味ではまさに良い事づくめではあるがね」

「先生はそのままというか、ぶっちゃけたことをおっしゃいますね」

 最初は少し……いやかなり性格が捻じ曲がった皮肉屋ではないかと僕は感じていた。


 しかし自分の利益を少しも隠さない様子を見る限り、先生からは欠片も悪意は感じられない。

 たぶん少しばかり理屈っぽくて、ちょっと素直ではない人なのだと、僕はそう思った。


「ふむ、そうかい? まあそれを見極めるのは君だから何も言わないけどね。でもまあ、誰かのお父上と同じで、本質はただの理屈屋さ。理に合わないことはなるべく言わないことにしている、基本的にね」

「理屈屋ですか。父はあまりしゃべらないので、正直な所よくわからないのですが」

 どうやら津瀬先生は、僕より父のことを知っている様子であった。父さんは、家以外では意外と口数が増えるのかもしれない。

 ただ、彼の考え方そのものは、本人も言うとおり少しだけ父と似通ったものを感じていた。その意味では、確かにあの人の教え子だというのも、納得がいく気もする。


「そうか。まあそれはいいとしてだ、本題に入ろう。一応、君の担当となるにあたって、学校での成績と、経歴書を読ませてもらった」

「はい」

「成績に関して言えば、あの藍光高校では標準的といったところかな。音原くんほどとは言いがたいが、ことさら悪いということはなさそうだ。で、その上で聞きたい。どのくらいを目標にしているのかな?」

 言葉と同時に向けられた、軽く値踏みするかのような視線。

 それを真正面から受け止めながら、僕は率直な回答を口にした。


「わかりません」

「わかりません?」

 津瀬先生は怪訝そうな表情を浮かべながら、僕の言葉を繰り返す。

 その表情を目にして、僕は一瞬だけ迷いを覚えた。でも、自分を偽りたくはないと思い、僕は包み隠さず自らの事を打ち明ける。


「今の僕の第一目標は、小説家になることです。ただし、その道を目指すための条件として、この予備校に通うことになりました」

「小説家……か。ふふ、なるほど。いや、どうやら君は実に正直者らしい。普通なら、予備校のチューターに向かって、堂々とそんなことを口にはしないものだからな」

「申し訳ありません」

「いや、別にいいさ。嘘つきよりはよっぽど好きだ」

 おそらくその言葉は、目の前の青年の本心なのだろう。

 津瀬先生は決して怒った様子を見せず、むしろ興味深そうな視線を僕へと向けてきた。


「しかし小説家志望か……先生から聞いていたとおりだね」

「え……父さんはそんなことまで……」

「ああ。そして小説家として君が生きていく上で、学問が必要だということは教えておいてくれと言われている。まあ普通なら、予備校チューターの業務範囲外の話だけどね」

「まさかそんなことを……」


 僕は驚いた。

 例え自らの教え子とはいえ、父が小説のことを、津瀬先生に言っていたという事実に。

 そしてあろうことか、”小説のために”学問が必要であることを、僕に教えろと彼に言っていたことに。


 父の性格を鑑みるに、非合理的で無駄なことを好む人ではない。

 つまりあの父が、そのような頼みをするに足るものを有しているチューター、それがこの津瀬先生なのだと、そう僕は理解した。


「勘違いしないで欲しいけど、今のは別に試したつもりはなかった。でも、昴くん。君は嘘偽りなく自分の希望を私へと告げた。そんな学生は嫌いじゃない。だから私も、その全てを引き受けてみるとしよう」

「え?」

 何かの聞き間違いではないか。

 そう思った僕は、慌てて聞き返す。


 だが、返された津瀬先生の言葉は、間違いなく同じ事を意味していた。


「聞こえなかったかな。君の担当として、全面的に協力すると言ったつもりなのだが」

「えっと……それは受験勉強をですよね?」

「全面的と言っただろ? つまりは小説の方もだ」

「……あの失礼ですが、先生は小説を書いたことが?」

 そう、最も違和感を覚えるのはそのことである。


 確かに父の教え子であり、この予備校で引っ張りだこだという先生なら、受験勉強を教えるのは上手いのだろう。

 だけどそれは、小説の書き方を教える能力とイコールではないと思った。


 だから失礼だとは思いつつ、僕の中に渦巻いていた最大の疑念を目の前の青年へとぶつける。

 すると、津瀬先生は薄く笑いながら眼鏡を軽くずり上げ、そしてゆっくりと首を縦に振ってみせた。


「ある。君が書いているのと同じベコノベでね」

「ほ、ホントですか!?」

「ああ。そして一応、書籍化も決まっている」


 書籍化が決まっている。

 その言葉に、僕は思わず胸を高鳴らせた。

 そう、その言葉が意味することは、目の前の人はベコノベの人気作者ということなのだから。


「おっと、あまり他人には言わないでくれよ。もっとも、君は私のペンネームを知らないだろうから、言いようもないだろうがね」

「も、もちろん言いませんよ。というか、だから父さんは貴方に」

 つまり父さんは知っていたのだろう。

 目の前の青年が、僕より高い次元で小説を書いているということを。


 しかし津瀬先生は、あえてその回答をはぐらかせた。


「ふふ、どうだろうね。まあいずれにせよ、これからどうするかということなんだが、一つ提案させてもらっていいかな?」

「は、はい。なんでしょうか」

「君との個人授業なんだが、毎回授業の最初に、君から小説に関する相談を一つだけ受けつけるってのはどうだろう。そしてそれが終われば、残った時間は全て受験勉強の時間に当てる。如何かな?」

「僕は構いません……いえ、それどころか、願ってもない話です」

 本当に何一つ文句はなかった。

 それどころか、是非にでもこの予備校に通いたいと、そう強く思わずにはいられなかった。


「そうか、ならこの型式で進めていくとしよう。ああ、その前に一つ断っておく」

「何でしょう?」

「受験勉強の件は、基本的に私の言うことは絶対だと思ってくれて構わない。バイトの身ではあるが、その道としては間違いなくプロのつもりだからな。だが小説に関しては違う。私の意見は、あくまで参考程度に留めておくことをおすすめするよ」

「参考程度……ですか」

 津瀬先生の言葉を受け、僕は僅かに戸惑いを覚える。

 だが津瀬先生は、そのまま大きく一度うなずいた。


「そうだ。なぜなら私は君の編集者というわけではない。そして実績溢れる小説家というわけでもない。あくまで書籍化が決まっているというだけ。言うなればセミプロのようなものだ。だから、先輩からのアドバイス程度に受け取っておくべきだと私は思う」

「大丈夫です! 先輩からのアドバイスは、サッカー部の頃から、わりとしっかり聞く方です!」

「おいおい、私は話半分に聞けといったつもりだが……まあいいか」

 そう口にしたところで、津瀬先生は少し困ったような照れたような、そんな曖昧な笑みを浮かべる。


 最初こそ、ちょっと取っつきにくそうと思った。でも、いま眼の前にある先生の表情を見て、そんな考えはいつの間にか消えてしまったことに気がつく。

 ともあれ、何れにせよ人気講師であるとともに小説家としての先輩なのだ。正直言って、これ以上にふさわしいチューターはいないだろう。


「さて、それでは最初ということで、今日の残り時間は君の作品を評価することに当てようか。まだ君の手元に、この予備校の教材が届いていないようだからね」

「はい。是非お願いします!」

 せっかく得た時間である。一秒足りとも無駄にはできない。

 僕はスマホを急いで操作すると、自分の小説のページへとアクセスするなり、ぐいっと津瀬先生に向けて差し出した。


「い、いや大丈夫だ。自分のタブレットがあるからね。そちらのほうが読みやすいし、後で履歴を追うことも出来る。だからまずは小説名を教えてくれるかな」

 津瀬先生はなぜか及び腰となると、苦笑を浮かべながら軽く右手を前へと突き出す。

 僕は先生の眼前に突き出した手を引っ込めながら、間違えないようゆっくりと自分の作品名を口にした。

「僕が書いているのは、『転生ダンジョン奮闘記』という作品です」

「『転生ダンジョン奮闘記』か。ふむ……」

 そう口にすると、取り出してきた十インチほどのタブレットに向かい、彼は文字を入力する。そして僕の作品にたどり着いたのか、津瀬先生は無言のまま黙々と読み始めた。


 ただ沈黙だけが支配する時間。

 それが終わったことを理解したのは、津瀬先生の視線がタブレットから僕へと向けられたからであった。


「なるほど、大体わかった。一つ聞くが、君は本当に最近書き始めたのかい?」

「ええ、そうですが……それが何か?」

「いや、考えていた以上に高い水準で書かれていたからね。特にベコノベのスタイルになれた書き方をしているのが、とても興味深い」

 津瀬先生の言葉に、僕はすぐ納得をする。

 確かに僕一人で書いていたならば、もっと低い場所からのスタートになっていただろう。だけど……


「それはたぶん友人のお陰です」

「友人?」

「ええ、夏目優弥っていう、僕の友人がいるんです。彼が元々ベコノベで小説を書いていたみたいで、色々と教えてくれて」

 そう、優弥がいなければ、このような反応は返ってこなかったはずだ。

 だから僕は、胸の内で親友に向かい深い感謝を捧げる。


「なるほど、それはありがたいことだね。さて、ならば基本的なベコノベスタイルの書き方を説明する必要はなさそうだな。となれば、どこから手を付けるかだが……まず一つ聞いてみたいのだが、君はこの作品を書くにあたって、どれくらい資料を読んだのかな?」

「資料……ですか」

 思いがけない問いかけに、僕は僅かに戸惑いを見せる。

 しかし津瀬先生は、もう一度言葉を繰り返してきた。


「ああ、資料だ」

「えっと、アリオンズライフとベコノベの上位作品を――」

「昴くん、それは資料じゃない。もちろん完全に違うとは言わないが、どちらかと言うと参考図書といった位置づけが正しいだろうね。ここで私が言っているのは、この転生ダンジョン奮闘記の世界観を作る上で、実際に使用した資料のことさ」

「いえ、特には……」

 津瀬先生の指摘を受け、僕は思わず顔をしかめる。

 次の瞬間、深い溜め息の音が僕の鼓膜を震わせた。


「だろうね。いや、別に責めているわけじゃない。ある程度、共通の認識や設定が出来上がっていて、それを元に作品を書き進めていける。それがベコノベのいいところだからだ。でも無数にある作品の中で、一歩前へと出るにはそれでは不十分だと、私は思っている」

「他と同じではダメだと?」

「趣味だというなら構わない。楽しく書くことが第一だからね。でも、君はプロになりたいんだろ?」

 その津瀬先生の問いかけは、何故か妙に僕の胸に刺さった。


 そう、まるで自分の甘さを見透かされているようで。

 でもここで折れる訳にはいかない。だからあえて僕は、真正面からその言葉を肯定した。


「はい。僕は小説家になりたいんです」

「良い返事だ。そしてその決意が有るのなら、もう少し背景となる物事を学ぶべきだと私は思う。知識に関して、さっき私が言ったことを覚えているかい?」

「知識とは可能性を得るための道具……ですか」

 先ほど先生が口にした言葉、それを僕はそのまま口にする。


「その通り。さてその上で、具体的に君が自分の作品をどれだけ理解しているかを考えてみるとしよう。まず君の作品のモデルとなっているのは、どんな時代のどの地域なのかな?」

「時代は中世、もちろん舞台のモデルはヨーロッパです!」

 そう、ベコノベの王道ともいうべき中世ヨーロッパをモデルにした異世界。

 作品をたった今読んだのなら、当然のことながらそのことは津瀬先生にも伝わっていると思っていた。だから正直言って、僕にはこの問いかけの意味がわからない。


 そんな僕の甘えに近い考え。

 それは津瀬先生によってあっさりと砕かれることとなった。


「ふむ、中世ヨーロッパ。たった一語で答えてくれたが、その中に含まれる時代と国はあまりに多い。まず国の話だが、ヨーロッパと一括りにしたところで、そこに含まれる国ごとに、習俗も文化もあまりに異なりすぎている。例えば、中世のイングランドと、中世のスペインで、まったく同じ生活が行われていなかった。当たり前のことだけどね」

 ああ、なるほど。

 ここで僕は、ようやく津瀬先生が何を言いたいのかを理解する。


「……そう言われると、なんとなく仰りたいことがわかります」

「結構。だが更に言うとだ、中世という単語もまた、あまりに抽象的すぎる言葉と言える。厳密に言えば、西欧における五世紀頃から十五世紀のルネサンス前までの時代。この千年もの期間が中世という概念だ。その上で、実際どれくらいの年代を想定していたのかな?」

「作品には銃が出てきませんので、銃が出てくる前くらいだと考えてました」

「なるほど。ならば銃の起源より前か、それとも戦闘行為で頻繁に用いられるようになるより前か、そのあたりが次に問題となる」


 ――レベルが違う。

 それが僕の率直な感想だった。


 正直言って、僕は自分の作品なのに全くそこまで考えていない。いや、考えるという発想さえ持っていなかった。

 でも、津瀬先生に指摘されて始めてわかる。僕が描いている世界は、あまりにふわふわしていて、そしてすごく薄っぺらい。


「これはきちんとした作品を作るのならば、当たり前のことだ。そうだな、せっかくなのでもう少し考えてみよう。例えば君が口にした銃という言葉、それが指しているものを、銃の少し発展形となる火縄銃としようか。ならば、おそらく君がイメージしている中世とは十四世紀頃となる。そこまで決まれば、後はその頃の習俗、服装、文化を調べて可能なものはそのまま作品に流用すればいい。それだけで、君が描き出す世界にははっきりとした奥行きが出来る」

 銃という一つの言葉を元に、これだけのことを目の前の人は考えている。その事実に、思わず僕は気後れしそうになった。

 だが、なんとか踏みとどまると、敢えて反論を口にする。


「仰りたいことはわかります。でも、ファンタジー世界を描くのですから、実際の物を使うのは……」

「それも正しい物の考え方だ。だが、仮にそうだとしておいても、正しい中世のヨーロッパ諸国の事実を学ぶことは決してマイナスにはならない。なぜならば――」

「知っている者は選択できるから……ですか」

 津瀬先生の言葉を先回りする形で、僕はそう口にした。


 つまり、中世ヨーロッパという漠然とした世界の中身をきちんと理解することで、それを使用することも、必要な部分だけ抜き出すことも、また敢えて無視することもできる。

 だが、中身を知らぬものには、そんな選択は決してできない。


「ああ、その通りだ。だからこそ、物事を正しく知ることは、人が生きる上で望ましい行為と言える。自分の目にできる世界を広げるためにね。そしてそれは大学受験のための勉強も同じだ」

「要するに数学も物理も、正しく知れば生きていく上で役に立つってわけですね!」

 先生の言葉を耳にした僕は、以前から勉強の時に感じていた胸の中のもやもやが晴れた事もあってか、やや興奮気味にしゃべる。

 すると、津瀬先生は小さく頷きながら、軽く笑いかけて来た。


「はは、まあ直接的ではないが、知識とは知れば知るほどに、それに付随した世界も広がるものだ。だから創作活動を行おうとする君の場合、全ての科目の知識は、作品の力となる可能性を秘めているものと言えるだろうね」

 目の前の青年の言葉は、とても力強かった。

 それ故に、僕が口にすべき言葉はたった一つだった。


「……先生。よろしくお願いします」

「なんだ、藪から棒に」

「いえ、是非貴方の下で勉強させて頂きたいと思います。これからどうぞよろしくお願いいたします」

 僕はそう口にすると、右手を前に突き出す。


 これは僕のサッカー部時代からの習性。

 武道が礼に始まり礼に終わる様に、僕はこの右手で繋がりの喜びと感謝を込める。

 一方、津瀬先生にはそのような習慣がなかったのか、僕の行為を目の当たりにして、一瞬戸惑った様子を見せる。だが、苦笑を浮かべると僕の手を軽く握った。


「ああ、よろしく」

 交わされた握手。

 津瀬先生の手は、その本人が発する怜悧な冷たい印象と異なり、暖かかった。


「おっと、そういえば一つ言い忘れていたことがあった」

 手を離してソファーに腰を落ち着け直した瞬間、津瀬先生は苦笑を浮かべるとその口を開く。


「何ですか?」

 僕は軽く首を傾げながら、目の前の青年に向かいそう問いかけた。

 途端、眼鏡の奥の切れ長の瞳が僅かに細められ、そして青年の端正な唇がゆっくりと動く。


「私がタバコを吸っているのは、誰にも内緒だ。体に悪いことを行うという、あまりに非合理的な行動。そんな行為をこの私が理由もなく行っているなどと、無駄に他人から思われたくないのでね」


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