第十九話 父の口から語られた津瀬先生の真実!? 津瀬、神楽、湯島……三人の人物によって起こった一つの悲劇を機に、彼らに関係した者たちがその人生の歩みを大きく狂わすことになった件について
「昴か……珍しいな」
自宅のリビングに入るなり、僕の姿を見つけた父さんはそう口にする。
そんな父さんに向かい、僕も同じ言葉を返した。
「父さんこそ、珍しいね。こんな時間に家に帰ってくるなんて」
「センター試験の監督だったのでな。仕事にならなくて帰ってきたところだ」
小さく息を吐き出しながら、父さんは僕に向かいそう告げる。
「そうなんだ。母さんは恵美と一緒に買い物に行ってるよ」
「そうか。で、二人がいないにもかかわらずここにお前がいる……か。その顔を見るに、何か聞きたいことがありそうだな」
「すごいね、わかるんだ」
「これでも父親だからな」
僕の言葉に、父さんは苦笑を浮かべそう口にする。そしてそのまま冷蔵庫からビールを一本取り出すと、僕の向かいの椅子へと腰掛けた。
僕はそのタイミングを見計らって、一つの問いをぶつける。
「父さん……津瀬先生はなぜ父さんのゼミに入ったの?」
その言葉を発した瞬間、ビールを口元へ運ぼうとした動きを止める。
そして何故か納得したように小さく頷くと、逆に僕に向かって疑問を返した。
「なるほど、そのことを聞いてくるということは、彼に何かあったんだな?」
「……うん。というか、信じられないんだ。あの人が他人を追い詰めたなんて」
僕の脳裏を埋め尽くしているのは、津瀬先生が親友を自殺に追い込んだという神楽先生の言葉であった。
一方、僕のそんな問いかけを受けた父さんは、一瞬戸惑いを見せるも、すぐに真剣な表情となり僕へと答える。
「追い詰めた? ああ、そういうことか。しかし、それは違う……いや、違いはしないが、誤解があるというべきか」
「どういうこと?」
「お前が言っているのは、神楽光一くんとのことで間違いないな?」
確認のように発せられたその言葉に、僕はあの日の屋上での出来事を思い出す。
そう、津瀬先生が神楽先生に向かい、僕の知らない人の名を口にした時のことを。
「光一さん……たぶん、そうだと思う。津瀬先生の同級生だったって聞いたんだ。そして今はいないとも」
「ならば間違いないな。津瀬くんの元同級生にして後輩。親友にしてライバル。あの二人は非常に複雑な関係にあった」
父さんはそう口にすると、一度手にしたビールへと口をつけた。
そんな父さんに向かい、僕は引っかかった点をすぐに尋ねる。
「親友にしてライバルってのは、何となくわかる気もする。でも、同級生で後輩ってどういうこと?」
「大学入試に一度落ちたんだよ。神楽光一くんはね。それで学科は違えど、現役で合格した津瀬くんが先輩の立ち位置となった。そこからだ、あの二人の間にボタンの掛け違いが起こったのは」
「ボタンの掛け違い……か」
「ああ。神楽光一くんが大学で何をしていたのかは知っているか?」
僕は神楽先生の言葉を思い出し、そのまま父へと告げる。
「確か新都大学の医学部だったとは聞いているけど」
「そうだ。新都大学理科三類に合格し、医学部の三年生となった時、一つの事件があった。新聞や週刊誌に取り上げられるほどの事件がね」
その父さんがそう口にした瞬間、神楽先生の言っていた一つの単語が脳裏をよぎる。
「自殺……したんだよね。その神楽光一さんが」
「……それは事実だ。だけど問題の本質はそこではなかった。彼はねルールを破ったんだ」
「ルールを破った?」
まったく予期せぬその言葉故に、僕は戸惑いを覚える。
すると父は、無関係に思える一つの問いを僕へと向けた。
「未承認薬と言う言葉は知っているか?」
「テレビで聞いたことだけは……」
「未承認薬というのは、海外の医薬品でまだ日本では認められていないものを言う。そして彼は学生の身でありながら自ら主導する形で、海外でもまだ不十分な検証しかされていない抗がん剤を使ったんだ……自分の彼女にね」
あまりに突飛に思えるその内容。
それ故に僕は、父の発言が何かの間違いではないかとそう思った。
「え……で、でも、光一さんは学生だったんだよね」
「彼の実家は国内でも有数の病院グループを経営している。そこで勤務している医師の名義を借りて、その女の子……湯島明菜くんに薬剤を使用した。だがそんな彼を真正面から止めようとした者がいた」
「まさか……」
話の流れから、僕はそこに関わる二人の人物が誰なのか感づいた。
そしてそのうちの一方の予想を肯定するように、父はあの人の名を口にする。
「そう、津瀬くんだよ。彼は親友のその行為が犯罪に類するものだとして、激しく非難した。いや、正確に言えば、津瀬くんなりに神楽くんのことを思い止めようとしたんだろう。だがそれは逆効果だった」
「ど、どうして。二人は親友だったんだよね?」
「大学受験の日まではな。結局、津瀬くんに対し屈折した感情を抱いていた神楽くんは、薬剤投与を強行した。少なくともその時点で、他に有効な抗がん剤が見つかっていなかったからだ」
僕の想像を超えた事実。
それが父の口から語られた。
一瞬、ここで話を止めてもらおうかと考えた。その先は知らずにおきたいと。
でも、僕は既に最終的な結果だけを知ってしまっていた。だからこそ、覚悟を決めて父に先を促す。
「……それでどうなったの?」
「副作用により一人の女性の命が失われ、精神的に衰弱した投与者は、健康体である自らに致死量の未承認薬を注入した。結果として二人の命が失われ、その行為に関連した病院グループは社会的にかなりの制裁を受ける形となった」
作り話ならばどれだけ良かっただろう。
小説であるならば、それもベコノベで流行っているような小説ならば、そこから素敵な異世界転生が行われるのかもしれない。
だが父さんは作り話をするような人間ではなかった。
現実は、あまりに無情だった。
「なんでそんなことに……」
「わからない。女性に対する後悔からだったのか、それとも自らの体で副作用がないことを証明しようとしたのか、それとも……いずれにせよ、彼のその時の感情を知る者はいない。亡くなった彼自身を除いてはな」
疲れたように肩を落としながら、父はこれで終わりとばかりにその口を閉じる。
しかしその瞬間、あの時の神楽先生の言葉の意味がわかった。
そう、なぜ理科二類から薬学部へと進み、そのまま研究所勤務となるはずだった津瀬先生が、父の教室に在籍しているのかを。
「もしかして、それで先生は父さんの講座に……ってこと?」
「……そうだ。最初は断った。内定を出たものが院試を受けるのは、先方に対して失礼だとね。でも既にその時、彼は内定辞退を申し出ていた後だった。そして津瀬くんの熱意に負けた私は、彼をゼミに迎えて白血病の臨床研究に従事してもらっている。おそらくはあのときの出来事がきっかけだと思うがね」
すべての線が一本で繋がったのを僕は感じた。
津瀬、神楽、そして湯島。
そして起こったボタンの掛け違い。
一人の男は内定を辞退して薬学部の院へと進み、医学部へ進んだ男は兄の出来事を経て政治変革を目指し、そしてもう一人の男は……
「父さんはどう思っているの?」
「津瀬くんのことか? 一般論で言うなら優秀極まりない。だが人間としては実に不器用な男だ。この私が言い切れるくらいにな」
それだけを口にすると、父さんは自嘲気味に僅かに笑う。
寂しい、そう、本当に寂しい笑いだった。
「ありがとう父さん。そしてごめん。嫌なことを話させて」
「構わないさ。確かに色んなことがあった。でも、彼は私の大事な教え子だ。そして同時に、私の息子の教師でもある。だから、余計な誤解をもってもらいたくない」
「分かってる。最初からあの人が不器用な優しい人だって言うことはね。だから僕は、正面からまっすぐに向かい合ってみるよ。あの人たちとね」
そう口にすると、僕は椅子から立ち上がる。
それを目にして、父がすぐに声をかけてきた。
「そうか……いずれにせよ、自分に恥じないように頑張れ」
「うん。やるからには中途半端なことはしない。そして全力で結果を求める。色んな思いを背負っているあの人達と、対峙するのに恥ずかしくないようにね」




