第六話 ハングリー精神の欠如!? ベコノベのランキング操作を行う相互評価グループに憤る僕に対し、津瀬先生たちはそんな彼らのやり方は否定しつつも、僕のハングリーさがなくなっていると指摘してきた件について
「す、蘇芳先生……ちょっと待ってください。それって規約違反のランキング操作じゃないんですか?」
新人をからかって試してみただけ。
そんなちょっとした冗談であって欲しいという思いが、僕の内にはっきりと存在した。
だからこそ、目の前の男性に向かい恐る恐るそう問いかける。
しかし眼前の男性の顔に浮かんだのは、まったく恥じる様子のないいやらしい笑みであった。
「操作っていっても、仲間の作品にポイントを入れるだけの話だ。別に他の作品の評価を下げようとしているわけではないし、何か問題でもあるのかい?」
「で、でも、普通は少しずつ読者さんを増やしていって、初めてラン――」
「新人くん、君もプロになったんだろ。何を甘いこと言ってんだ?」
僕の言葉を遮る形で、蘇芳先生はそう口にする。そして軽く肩をすくめてみせると、彼は更に言葉を続けた。
「新人くん……いや、レジスタくんだったか。君も本を出してプロになったのなら、お金を稼ぎ生活するために文字を書くということをきちんと意識した方がいい。今みたいな甘いことを言っているようなら、正直セミプロだな」
「で、でも、プロだからとか、プロじゃないからとかではなく、規約違反は規約違反です」
蘇芳先生の僕を見下す言葉が嫌なんじゃない。ベコノベをお金になる木としかみていないような彼の発言が嫌だった。
だから僕は迷いなく反論する。
でも、そんな僕の言葉も、目の前に人の胸に響くことはなかった。
「曖昧な記憶で物を言うなよ。そのあたりはちゃんと調べてるさ。規約にはこう書いてある。『ベコノベサイト内で、特定の作品に対する評価を依頼する文章を投稿する、又はメッセージで送信する行為は禁止』だとね。で、俺たちのやってることのどこに問題が?」
「それは……でも」
僕は一瞬口ごもる。
蘇芳先生がやっていることは、まさにルールの隙間をつく行為だ。
規約で制限されたベコノベサイト内での評価依頼ではなく、規約で制限されていないベコノベサイト外でグループを作り、評価を入れあっているわけなのだから。
でもベコノベ出身で、純粋にランキングで戦ってきた僕にとって、それはやはり許しがたい背信行為と思えた。
だから本当は強く反論を口にしたかった。
そう衆人環視の中にある、この新年会の場でなければ。
そんな僕たちの陰悪な雰囲気を目にして、側にいた津瀬先生は間に割って入ろうしてくれかける。
だけどそれよりも早く、まったく逆方向から見知らぬ男性の声が発せられた。
「どうしたのかな、お二人さん。新年からムスッとした顔してさ」
「……なんだ、売れっ子か。お前に用はないよ」
三十代前半といった印象のやや小柄な男性の姿を目にして、蘇芳先生は露骨に嫌そうな表情を浮かべながらそう口にする。
だが邪険に扱われたその男性は、まったく気にした素振りを見せず軽い笑い声を上げた。
「はは、相変わらず元気だねぇ、蘇芳さんはさ」
「えっと、あの貴方は?」
「赤槻といいます。蘇芳さんとは同期でしてねぇ」
僕の問いかけに対し、赤槻と名乗った男性はニコニコとした表情を浮かべたままそう答える。
そうして場の空気が一変したところで、蘇芳先生は苛立ちを隠さず言葉を吐き出す。
「ふん、お前みたいな奴に話すことはない。俺は失礼する」
それだけ口にすると、言葉通り蘇芳先生はこの場から立ち去っていく。
すると、僕たちに声をかけてきた男性は鼻の頭を掻きながら苦笑を浮かべてみせた。
「あらら、嫌われちゃってるなぁ。別にそんなツンケンしなくてもいいと思うんだけどねぇ」
「赤槻先生。すいません、お手数をおかけしました」
その声を発したのは、最初に間に入ろうとしていた津瀬先生であった。
「ああ、カルロスくんか。なんで君が謝るの?」
「こちらのレジスタくんは、私の教え子でして」
「そうなんだ、だったら君に任せておいた方がよかったかな。ともかく、あんまり気にしないで。彼は前からあんな感じだからさ」
赤槻という名の先生はそう口にすると、僕に向かい笑いかけてくる。
一方、津瀬先生はそんな赤槻先生に向かい一つの疑問をぶつけた。
「しかし、いつ来られたのですか? 姿をお見かけしなかったのですが」
「いや、ちょうどいま来たところでさぁ。編集がどうしても顔出せってうるさくて」
「それはそれは」
津瀬先生は苦笑を浮かべながら、目の前の男性の言葉を受け止める。
一方、赤槻先生は軽く肩をすくめながら、誰も求めていない理由をその口にした。
「もっとも顔を合せたら仕事言い渡されるだろうからさぁ、終わりかけのこのタイミングを狙ってきたんだけどねぇ」
「そうですか。では、食事もまだで?」
「今からせっせと食べようとして、編集に捕まったら意味ないでしょ。名前の記帳だけしに来たわけだからさぁ。そうだ、カルロス君。今から外にご飯食べに行こうよ」
周囲をこっそりと伺った上で、赤槻先生はそんな提案を口にされる。
すると、津瀬先生はわずかに弱った表情を浮かべたものの、僕に視線を向け思わぬことを口にされた。
「そうですね、彼も同席させて頂いて構わないならば……ですが」
「先生……ほんと良く飲まれますね」
「小説を書いてる時は控えめにしてるんだけどねぇ、外に出たときくらいは好きにしようと思っててさぁ」
近くのファミレスに腰を落ち着けた僕たち。
そして二十代前半の若い店員さんが注文を取りに来るなり、別メニューのワインリストを持ってきて貰った赤槻先生は、そのリストにあるワインを次々と注文していった。
「……締切でストレスでも溜まっているんですか?」
僕に続く形で、津瀬先生も赤槻先生に向かいそう問いかける。
すると、間髪入れることなく、赤槻はブンブンと首を縦に振った。
「そうなんだよ。あの鬼がまた原稿書け原稿書けってさぁ……このあいだも人に酒を飲まして、無理やり口約束されたし、ほんとズルいよねぇ」
やや引き気味の僕の反応など意にも返さず、三本目のワインを空にした赤槻先生は、拳を握りしめながらそうこぼす。
すると、すぐに津瀬先生が呆れた素振りを見せながら彼を窘めた。
「それは赤槻先生の酒癖が悪いからですよ。いつもわざと先生を飲ませてから、仕事の話を振られてると聞きます。いい加減狙われてるって理解されたほうが良いかと」
「カルロスくん、仕方ないでしょ。タダ酒を断るなんて僕のポリシーに反するしぃ。まあ飲みに行った後、いつもスケジュールがおかしなことになってるのは、あの男が悪辣だからでさぁ」
「この間もそれで外伝とドラマCDの脚本を自分で書くことになったと聞いてましたがね。こりないですね、ほんと」
津瀬先生は小さく首を左右に振りながら、目の前の男性に向かってそう告げる。
一方、そんな先生の発言を耳にした僕は、その中に聞き捨てならない単語が含まれていたことに気づいた。
「外伝……ドラマCD……えっと、蘇芳先生は赤槻先生のことを売れっ子と言われていましたが、何を書かれている先生なんですか」
「おや、知らないのかい? 『この救いがたき異世界に獣たちを』を書いている赤槻秋奈先生だよ」
その津瀬先生の説明に、僕は目を見開く。そしてそのまま、まじまじと赤槻先生の顔を見つめた。
この救いがたき異世界に獣たちを。
通称『このすく』と呼ばれるその作品名を知らないベコノベの読者は、おそらくほぼ皆無と言ってよいだろう。
まさに現在アニメの二期が放送しており、ベコノベの中でも今もっとも勢いのある作品の一つなのだから。
但し一つだけ理解できないことがあった。それは……
「で、でもあれは確か自宅警備員さんの作品だったと思うのですが」
「ああ、その件。商業でペンネームを変えてさぁ。そこのカルロスくんもその口でしょ。ベコノベ時代は存在Aって名乗ってたわけだし、別に珍しい話じゃないよねぇ」
よく尋ねられることなのか、赤槻先生は苦笑混じりにそう口にされる。
僕はつばを飲み込みながら、そんな先生に向かい直ぐに頭を下げた。
「そ、そうなんですか。知らずに失礼しました」
「ああ、そんな恐縮しないでよ。それもこれも、全部あの男に嵌められたせいだからさぁ」
「嵌められた?」
赤槻先生の発言の意味がわからなかった僕は、わずかに戸惑いながら聞き返す。
すると、隣から津瀬先生が声を挟んできた。
「それでも酔っ払って仕事を受けたんですよね? アニメスタジオ近くのマンション案件で懲りられたと思っていましたが」
「だから、今日は見事に逃げてきただろ。というか、あの男があまりに狡猾なんだ。くそ、人が逃げられないように縛りやがって」
津瀬先生の言葉を耳にするなり、赤槻先生はワイングラスを一気にあおると、アルコール臭を漂わせながらそうまくし立てる。
すると、ある意味蚊帳の外になっていた僕に向かい、津瀬先生が苦笑交じりに状況説明をしてくれた。
「えっと、全く話が見えないと思うが、うちのレーベルの編集さんに加賀山という優秀な方がいてね、非常に赤槻先生の手綱を握るのが上手いんだ」
「単純に悪辣なだけだ。くそ、あの時も酒の場でその気にさせて、気がついたらローンを組む流れにしやがって」
先生の説明に対し、赤槻先生は不服そうな表情を浮かべ、そう反論する。
だが、津瀬先生は呆れた表情のまま窘めるように口を開いた。
「貴方が小説家を辞めて、自宅警備員に戻るってすぐにいい出すからでしょう」
「自宅警備員が、自宅に篭ろうとする事のどこが悪いわけ? むしろ、今のほうが不自然だろ」
「……というわけで、本当に有能な人なのだよ。加賀山さんはね」
津瀬先生は疲れた素振りを見せながら、いつもの冷静な口調を崩すことなく、僕に向かってそう告げる。
それに対し、次のワインを一人で頼んでいた赤槻先生は、カリフォルニア産の赤を自分でグラスに注ぎ込んで軽く口にし、そのまま突然話題の矛先を変えてきた。
「まああいつの話は別にいいだろ。それより少年、君はどうして喧嘩してたわけ?」
「いや、あの……ちょっとした勧誘を蘇芳先生にされたのですが、それがどうにも引っかかって……」
赤槻先生に向けられた問い掛けを受け、僕は言葉を選びながらそれだけを口にする。
だがそんな僕に向かい、津瀬先生はその根幹をあっさりと口にした。
「蘇芳先生が人を集めて、ポイントを入れ合う相互評価グループを作ったみたいでして、それに彼が勧誘されて……というわけです」
「相互評価グループか……あの人またそういうことやってるわけねぇ」
津瀬先生の説明を受けて、赤槻先生は溜め息混じりにそう呟く。
すると、津瀬先生がさらなる詳細をその口にした。
「ええ。データと各人のIDを見る限り、去年の秋口くらいから工作をしている印象ですね。ちょうど別名義のアカウントを取り直した時期です」
「懲りないよねぇ。まあ、そこまでしてもプロとしてやっていくという熱意は逆に尊敬するけどさぁ」
赤槻先生は疲れたようにそう述べると、残っていた赤を一気に飲み干す。
一方、僕は彼らの会話の中で引っかかった言葉を、すぐに問うてみた。
「別名義のアカウントってどういうことですか?」
「昔、蘇芳先生が別のペンネームでベコノベに投稿していたという話が時期があってね、その時に使っていたアカウントは規約違反で削除されているんだよ」
僕の問いかけに対し、津瀬先生はやや苦い表情でそう説明してくれる。
「え……でも、規約違反の再登録は確か……」
「そう、禁止だ。だからあくまで噂だよ。もっとも文体や一話あたりの文字数、それに投稿間隔や投稿時間など、個人のパーソナリティは極めて酷似しているし、前にベコノベで投稿していた頃と、彼の商業作品が止まっていた時期が一致している。まあ偶然だと思いたいがね」
言葉の上では、あくまで噂なのだと津瀬先生は口にしている。
でも先生の表情は、明らかに確信に満ちたものだった。
そのことから、僕もおそらくその噂は真実ではないかと感じる。
なぜならば、津瀬先生はベコノベのデータ解析を現在も継続して行い続けていて、その解析項目は極めて多岐にわたることを僕は知っていたからだ。
「まあ前回のことは保留としても、本当によくやるよね。僕だったらさ、そんなことをする暇があるなら、原稿を投げ出してのんびりと過ごすところなのになぁ」
僕と津瀬先生の会話をそばで聞いていた赤槻先生は、薄く笑いながらひょうひょうとそう言ってのける。
それに対し津瀬先生は、苦笑を浮かべつつ自らの見解を口にした。
「まあ今回は規約の穴を突こうとした形ですね。実にあの人らしいとは思います」
「本当に卑怯で汚いやり口ですよね」
津瀬先生に続く形で、僕は自らの思いをそのまま口にする。
でもそんな僕に向かい、赤槻先生は決して全面的な賛意を示してはくれなかった。
「まあねぇ。人には勧めないし、僕は好まないけど、でも彼のプロ観にそったやり方だよねぇ」
「彼らしいプロ観……ですか。でも、プロならばもっと堂々と作品で勝負すべきで――」
「それは違うんじゃないかなぁ、少年」
「え?」
赤槻先生に急に言葉を遮られ、僕は戸惑いを覚える。
すると、新たに届けられたワインに口を付けながら、蘇芳先生は僕に向かい自らの考えを口にされた。
「いや、もちろん僕も彼のやり口はどうかと思うよぉ。真似する気にもならないし。でもねぇ、作家として食べていくためになんでもやるという彼の覚悟はさ、多少はわからないでもないかなぁ。もっとも僕は本来作家ではなくて、自宅警備員だけどねぇ」
「覚悟……ですか」
正直、赤槻先生のその言葉は意外以外の何ものでもなかった。
あの人のやり口に対し、わずかでも肯定的な見解があるということ自体がである。
しかしながら、赤槻先生はさらに僕に向かって考えもしないことを告げられた。
「いや、君が嫌うのも何となくわかるよぉ。僕もベコノベ上がりだしさぁ。でもまあ、もしかしたら君に足りないのはそのあたりじゃないのかなぁ」
「そのあたりって、あんなやり方をすべきってことですか!?」
あまりに想定外の言葉に、僕はやや詰問口調でそう発言する。
一方、赤槻先生は困ったように頭を掻きながら、改めて言葉を選んで僕に向かい語りかけた。
「いや、そんなピンポイントの話じゃなくてさ、もっと心構えみたいなことかなぁ。君はどう思う、カルロスくん」
「否定は出来ないですかね」
その津瀬先生の言葉に、僕は思わず絶句する。
すると、先生はやや迷った素振りを見せながら、改めてその口を開いた。
「昴くん。正直に言えば、私も少し感じていたところがある。あの人にあって君には無いもの……いや、君がなくしてしまったんじゃないかと思うものがね」
「僕がなくしたもの? それはなんですか」
もはや僕は恥も外聞もなく、まっすぐにその答えを津瀬先生へと求める。
それに対し津瀬先生が返してくれた言葉。
それはあるものの欠如を指摘するものであった。
そう、僕にとって最も自信を持っていたものの欠如を。
「極端に言えば、石にかじりついてでも上を目指すという気持ち……かな。いわゆるハングリーさみたいなものが君からなくなっている気がする。その意味では、良くも悪くあの人はハングリーさの塊だよ。あの人、蘇芳凪はね」




