第四話 先生によって差し伸べられた手!? 処女作が早くも重版を二度も重ね成功しつつある津瀬先生が、一巻打ち切りという僕の追い込まれた現状を受けて、そっと助けの手を差し伸べてくれた件について
「再重版と伺いました。えっと、おめでとうございます」
僕は少し複雑な思いを抱えながら、目の前の人物に向かいそう告げる。
憂鬱な気分が僕を支配していたけど、誘い主の招きを断ることはできなかった僕は、駅前の喫茶店へと重い足を運んでいた。
底冷えする一月の冷気。
それと窓から差し込む夕日がコーヒーから立ち上る湯気を、明確に浮かび上がらせていた。
そんな白色の水蒸気とともに、コーヒーの香気を鼻で確かめた津瀬先生は、改めて僕に向かい口を開く。
「ありがとう。とりあえず、少しは肩の荷が下りたというところか」
僕の言葉を受け、津瀬先生はそう口にしながら苦笑を浮かべる。
津瀬先生ことカルロス・バイスの作品である『無職英雄戦記』は、メディアハートレーベルから発売され、発売一ヶ月にして既に二度目の重版がかかっていた。
これは耳にする範囲でも、かなり良い立ち上がりらしい。
「もう二巻の準備はされているのですか?」
「ああ。元々契約で三巻までの出版は決まっていたからね。進捗としては大体八割といったところか」
軽く肩をすくめながら、津瀬先生はそう述べる。
一方、そこに含まれていたとある単語に僕は引っかかりを覚えた。
「契約……ですか」
「そうだ、契約。詳細な内容は控えるが、私の場合は三巻までの出版を確約するという条件で、最初に先方と契約を結んでいる。もちろん同じレーベルでも作家ごとに条件は違うだろうし、他のレーベルや出版社ではバラバラだろうけどね」
「そうですね。確かに僕とは違います」
津瀬先生と自分との間に存在する契約の違い。
それには意外と驚きはなかった。
なぜならば、僕の『転生英雄放浪記』と津瀬先生の『無職英雄戦記』では、ベコノベにおける累計ポイントに大きな開きがあるからだ。
それが意味するところは、津瀬先生はデビュー前から僕より遥かに多くの読者を確保していたということであり、書籍の売上にある程度の目処が立っていたのだと考えられた。
それ故のシリーズ三巻確約。
一方、日間ランキングを駆け上がりはしたものの、累計ランキングにおいて僕はよく言っても中堅どころ。元々作品についている読者の数は、津瀬先生にとても及びはしなかった。
だからこそ、その事実を改めて思い知らされた僕は、思わず俯いてしまう。
途端、津瀬先生が僕に向かって声をかけてきた。
「ふむ……その様子だと、あまり芳しい状況ではなさそうだね」
「わかりますか」
「ああ。出会って以来初めてだよ、こんなにも疲れている君を見るのはね。しかし、そうか……」
それだけを口にすると、津瀬先生は顎に手を当てる。
僕は心配そうな素振りを見せる先生に向かい、正直に現状を告白した。
「一巻で打ち切りということになりました。先生にも色々協力していただいたのに、申し訳ありません」
「いや、私のことはいい。それよりも、それは契約条件的にも間違いないのだね?」
「はい、もともと一巻ごとの契約でしたので」
そう、僕が結んだのは一冊ごとの契約であり、売上推移を見て続刊を決定する事となっていた。
もちろん契約内容に不満はない。
なぜならば、出版社は著者に対する慈善事業をしているわけではないからだ。
だから赤字が出るとわかりながら続刊をすることは、企業としてありえない。
ただしそんな事情を理解していても、自らに突きつけられた現実を受け入れられるかは別であった。
たとえ僕の作品のせいで、出版社に赤字を出させているとしても。
「今日ここに来たときから少し様子がおかしかったが、そういうわけか。なるほどな」
「でも、だいぶ心の整理はつきました。と言っても、まだ小説は一文字も書けないままですが」
「書けない……か」
津瀬先生はそう口にすると、小さく息を吐きだす。
そんな先生に対し、僕は自分の内心を包み隠さず吐露した。
「書かなければいけないことはわかっているんです。でも書籍を打ち切られた上で今のベコノベの作品をどうすれば良いのかとか、本を買って続きを楽しみにしていた読者さんにどうすべきなのかとか、これからも僕は本を出すことができるのかとか、そんなことがぐるぐると頭の中を巡って……」
「気持ちがわかるとは言わない。気休めを言えば何かが好転する状況でも無いだろうし、お互いの置かれている状況がかなり異なるからな。でも手伝えることがあれば協力しよう」
目の前の人は突き放すわけでもなく、建前のような同情を口にするわけでもなかった。
つまりこれはたぶん津瀬先生の本心からの申し出なのだろう。
だけど……
「ありがとう……ございます。そう言ってくださることは嬉しいのですが……」
「今どうすべきか、わからないというところか。ならば逆に聞こう。差し迫ってなさねばならないことはないかな?」
その津瀬先生の言葉。
それを耳にして、僕は一つのことが脳裏をよぎった。
「そうですね、受験は指定校推薦で決まってますので問題はありません。ただ……由那の漫画の原作がちょっと」
「月刊クラリスの連載か……」
まさにその通り。
由那の原作に関しては、すでにだいぶ待っていてもらっている状況である。
にもかかわらず、僕の脳裏にはアイデアの欠片も存在していない。ましてや、原作として文章に出力することなどとても不可能な状況であった。
一方、深刻な顔で僕の話を聞いてくれていた先生は、僅かに顔をあげると思いもしない話を口にしだす。
「昔、とある予備校に二人の受験生がいた。彼らは志望学部は違えど同じ大学を目指し、日夜勉強に精を出していた。しかし彼ら二人の成績は大きく異なっていた。一人はあらゆる模試で全国上位の成績を出し、志望校も余裕のA判定。一方、もう一人の男は、努力こそ劣らぬものの模試ではD判定までがいいところだった」
津瀬先生はそこまで語ると、一度コーヒーカップを口元へと運ぶ。
そして再び僕の目を見ながら、ゆっくりとその口を開いた。
「二人は同じ大学を目指す同志で親友だった。しかしいざ受験が始まると、ある男は念のために受けた私立大学も全て合格。一方、もう一人の男はその全てに不合格となった。本命の受験を前にして、彼は思った。精一杯努力してきたつもりなのに、自分はどうすればいいのかと」
普段はあまり感情を露わにしない津瀬先生の表情が僅かに曇った。
だから僕にもわかった。
今の先生からは想像できないけど、おそらく学生の一人は……
「それで、その人達はどうなったんですか?」
「一人は本命の大学に合格し、そしてもう一名は落第した。但し、それは皆の予想と逆だったがね」
「逆……ですか。ってことは!?」
先生の言葉が意味するところ、それは明白だった。
そして僕の想像を肯定するかのように、津瀬先生は首を縦に振る。
「ああ。成績の劣る男は、戸惑いを捨て前だけ見て愚直に走り続けたからこそ、目指す場所にたどり着くことができた。まあただの馬鹿だったからかもしれないがね」
「戸惑わず前だけを見て走り続ける……」
「ああ。そして今、君が進むべき前を見ることができないのなら、一つ参考になる場所に案内する。迷惑でなければね」
「迷惑とか、そんなことはありません!」
出会ったあの日から今まで、この人が僕へとしてくれたことを迷惑なんて思ったことはなかった。だからこそ、僕は先生の言葉を強く否定する。
すると先生は一つ頷き、そしてそのまま確認の問いを口にした。
「そうか。では次の火曜日、夕方から時間をあけることはできるかな?」
「火曜日……ですか。はい、大丈夫です」
もちろん本来ならば、少しでも原稿を進めなければならない状況ではある。
しかし前の見えぬ今の状況で、足を踏み出す事ができると僕には思えなかった。
「ならば、行くとしようか。場所は現地集合でいいかな」
先生はそう口にすると、ポケットから名刺を取り出して、目的地の住所と時間を記載し僕に渡してくる。
「は、はい。でも、ここは一体?」
住所だけの記載ではその場所がどこであるのか僕にはわからなかった。
けれど先生は、それ以上何も説明することなく、ただいつものように不敵な笑みを浮かべる。
僕は不安と期待を抱えつつ、先生を信じてその名刺を大切にポケットへとしまった。




