第三話 完全に見失った夢と目標!? 文芸部のみんなの励ましもあり、どうにか日常生活を破綻することなく送れてはいたものの、小説に関してはたったの一文字も書けなくなってしまった件について
年が明けた一月の始業式。
目指す大学はバラバラであったものの、受験生が多いこのクラスは、センター試験を前にして明らかに緊張感が教室内に満ち溢れていた。
そんな中、未だ目標校に対してギリギリ未満の成績しか出せていない灰色の男は、場の空気を無視するかのように大声を突然発する。
「おいおい、マジか。二ヶ月連続で表紙なのかよ」
「夏目、声が大きい。一応、まだ内緒なんだから」
空気もそして常識も無視した優弥の声に、由那は慌てた素振りを見せると苦言を呈する。
しかしながら彼女の眼前にいる当人は、まったく気にした様子もなく、由那に向かってその口を開いた。
「でもさ、一話目の読者アンケートは一位だったんだろ?」
「それは、えっと、新作はだいたい上位に来るものみたいだし」
優弥の言葉に対し、由那は少し照れながらもまんざらではなさそうな口調でそう告げる。
まったく受験生とは思えない会話。
ホームルームを前にした僕らは、いつものようにそんな話をしていた。
いや、正確に言えば少し違う。
僕らではなく、由那と優弥が漫画の話をしているだ。
そう、黙ったままの僕を除いて。
「昴、原作者としてどうだ。お前の作品が二ヶ月連続なんだぜ」
「え……ああ、本当にびっくりだよね。なんというか、未だに信じられないかな」
気を使った優弥の振りに対し、僕は最低限の応対をどうにかこなそうと心がける。
だけどそれはやはりぎこちないものだったようで、隣の席に座っていた由那は僅かにその表情を曇らせていた。
自分の漫画が連続して表紙を飾った上に、読者からのアンケート結果も上々なのだ。普通ならば、彼女ももっとはしゃぎたいところだろう。
でも、彼女は大げさに喜ぶどころか、悲しげな表情を浮かべていた……おそらくは僕の事を気遣って。
正直申し訳ないと思う。
もちろん、これでもあの打ち切りを告げられた直後に比べれば、だいぶ普通の反応を返せるようになった。
だからたぶん自分は立ち直りつつあるんだろう。
僕はそう感じている。
もちろんこれも全ては、目の前の彼らが入れ代わり立ち代わり、クリスマスに正月にと、沈んだままの僕を連れ回してくれたからだ。
それ故に、僕はこうやって学校に来て、どうにか日常生活を破綻なく続けることができていた。
でも……でも未だあの日から、僕はまだできてはいない。
そう、文字を書くということを。
「で、今日はどうするの? 部室によっていく?」
「えっと……ごめん」
由那の誘いを前にして、少しばかり躊躇したものの、僕はどうしても頷くことができなかった。
あの日以来、僕は部室にも行くことができていない。
文字を書くことだけではなく、読むことも触れることも、どうしても忌避してしまっていた。
もちろん理由はわかっている。
言葉では理解したふりを装っているものの、たぶん未だ僕自身が受け入れられていないからだ。
自らの失敗を、自らの敗北を。
「そう……昴、焦らせるつもりはないけど、出来たら今月中に次の原作をお願いね」
心配そうな眼差しを向けながら、由那は僕へと柔らかい口調でそう言ってくれた。
思わず胸が締め付けられるような気がした。
事ここに至り、すでに自分だけの問題ではなくなっているのだ。
書かなければ、目の前の彼女が連載を落とすことになる。
そう、それも僕だけのせいで。
もちろん自覚はしている。やらなければならないこともわかっている。
だから返事だけは、どうにか前向きな言葉を取り繕う。
「頑張るよ、うん」
自分でも思う。
なんて空虚な言葉なのだと。
だって今の僕には、彼女の期待に応える自信なんて、ほんの僅かさえも存在しないのだから。
「ただいま」
結局、僕は一人で自宅へと帰った。
それぞれにやらなければならないことがある今、由那も優弥も遊びに誘うことはできなかったし、たとえどこかへ行ったところで何かが前に進むと思えなかった。
学校に行ったにしては、明らかにいつもより早い帰宅。
それに気づいた母さんは、キッチンからその顔を覗かせてきた。
「おかえり、今日は早いね」
「始業式だったからね」
それ以上のことを告げる気にならず、僕はそこまでで口を閉じる。
すると、リビングの奥からすごい勢いで、小さな足音がトテトテと近づいてきた。
「お兄ちゃんおかえり!」
「……中学生は僕より早いんだね」
暖房がついていたためか、冬にもかかわらずいつものように下着にTシャツだけというラフな格好の恵美。
たぶん見る人が見れば際どい格好だと思うのだろう。
けれど血縁のある僕にとって、彼女のその格好は怠惰な妹以上の意味を持たず、残念と言う感想しか持ち得なかった。
だがそんな僕の反応をどう解釈したのか、彼女は何故か嬉しそうにあまりない胸を張る。
「へへっ、まあ私は受験生だからね」
「いや、始業式なんだから、受験生かどうかなんて関係ないだろ」
「あ……そっか。まあ、それはどうでもいいや。それよりも、これを預かってきたんだけど」
恵美はそう口にすると、手にしていた一冊の書籍を僕へと示す。
そう、ここしばらく直視することさえ避けてきた僕の小説を。
「……どうしたの、これ?」
母親の目があることもあり、僕は僅かに目をそらせつつそれだけを問う。
だが当然のことながら、目の前の空気が読めない妹は、思いしないことを僕に向かって言い出してきた。
「サインを頼まれちゃって。へへ、お兄ちゃん、人気者だね!」
「サイン?」
「うん。友達のミヨちゃんが、お兄ちゃんがこの本書いているって聞いたみたいでさ」
その言葉を耳にして、僕は自らの顔がほてるのを感じる。
同時に、心の底から申し訳無さを感じずにはいられなかった。
それは身近なところにまで僕の作品を読んでくれている子がいることに対する恥ずかしさであり、また手に取ってくれたその子に作品の続きを提供することが出来ない申し訳無さからである。
「別にいいけど、僕が書いてるってのはお前が言ったのか?」
「ううん。ミヨちゃんのいとこのお姉ちゃんが、お兄ちゃんの部活の後輩らしくてさ、それで聞いたんだって」
部活の後輩。
その言葉を耳にした瞬間、無数の顔が脳裏をよぎる。
だが悪気はないと思われるサッカー部の後輩たちの顔を脳裏から消し去ると、僕は恵美から『転生英雄放浪記』を受け取った。
「表紙裏でいいよな。はい、レジスタ……と」
一緒に受け取ったサインペンを走らせ、僕はその場でサインを記す。
「お兄ちゃんも少しサインに慣れてきたね」
「まあ多少は練習もしたしね」
由那と一緒に作り上げたこのサイン。
最近は専門の業者さんにサインを作ってもらうケースもあるらしい。もっとも小遣い制の僕には、そんなお金は無かったのだけど。
そういう経緯もあり、由那と二人でアイデアを出し合って、最終的にはペンネームの由来となったイタリア語のRegistaの文字を軽く崩し、僕のサインとして今は使用している。
そんなことを思い出しながら日付を記したところで、僕はサインペンと一緒に恵美へと本を手渡した。
「ありがとう、お兄ちゃん。執筆頑張ってね!」
それだけを口にすると、恵美は再びリビングに向かってパタパタと走っていく。
おそらく最近流行っているネットドラマの続きを見るのだろう。
受験生として、それで良いのかと思わず言いたくなる。
でもそのあたりは、ダメそうなら流石に母親が放置しないだろう。そう考えて妹の背中を見送った僕は、そのまま自分の部屋へ上がろうと階段へ向かおうとした。
その時、母さんが堕落した妹ではなく、僕のことを未だ見つめ続けていたことに気づく。
「どうしたの、母さん?」
「昴。役に立たないかもしれないけど、何かあったらなんでも言いなさい」
「えっと……うん、何かあったらね」
母さんの言葉に、僕はそっけなくそう答える。
打ち切りの事実を告げた日から、母さんが僕を気にかけていることは理解していた。そして同時に深く心配してくれていることも。
だからこそ、一瞬だけ胸の内がズキリと痛んだ気がした。
でも……それでも今の僕は、何も告げるべき言葉がなかった。
未だに目の前の道が闇に包まれ、どこへ歩み出すべきかわからなくなってしまっているが故に。




