第一話 ついに果たしたプロデビュー!? 商業処女作である『転生英雄放浪記』が発売となり、文芸部のみんなと一緒に近所の書店へと足を運ぶと、僕の小説が大量入荷し高く積み上げてもらえていた件について
十二月にしては、あまりに暖かな日差しが照りつける日だった。
今日をずっと待ち望み続けていた。
そう、作家になるという夢を抱いたあの時から。
「昴、本当にどこにあるんだよ?」
その声は僕の後方から発せられた。
振り返った僕は、灰色の髪の男に向かい肩をすくめてみせる。
「どこにあるって言われても、僕が並べたわけじゃないからさ。わかるわけないよ」
僕たちは駅近くのシネマコンプレックスへと足を運んでいた。
もちろん目的は映画ではない。
あくまで用があったのは、併設されたショッピングモールの一角に存在する書店。
そこで僕の親友であり相棒の夏目優弥と、とある一冊の本を探していた。
「ったく、この後は模試なんだ。受験が終わった誰かさんとは違って、俺は忙しいんだぜ」
「一応は僕もまだ受験生だよ。来週の結果発表まではね」
疲れたような溜め息を吐き出す優弥に向かい、僕は苦笑交じりにそう告げる。
そう、つい先週、僕は受験を済ましていた。
優弥たち一般受験組とは違う指定校推薦という方法で。
一方、目の前の彼はこんな場所にいて良い人間ではない。
もう来月に迫るセンター試験を前にして、机に向かっていなければならないはずだからだ。
でも、そんな彼は今日ばかりはと僕に付き合ってくれていた。もちろんその分だけ、やっかみと愚痴をこぼし続けてはいたが。
「ちっ、けどお前はほぼ合格が決まっているわけだろ。ああ、やだやだ。なんでこんなやつに付き合わなきゃいけねえんだ」
「いや、だからさあ、別に無理に付き合わなくていいって言ったと思うけど」
「そんなわけにもいかないだろ。編集長としてはさ」
優弥はいつもの軽い笑みを浮かべながら、ダブルスタンダードな言い分をぬけぬけと言い放つ。
いつもながらにご都合主義なところは、正直言って苦笑を浮かべるしかない。
何しろ彼の方が、先程から僕以上に真剣にその一冊を探しているからだ。
僕たちが今いるのはメディブックス衣山店。
その中でも文庫コーナーではなく、最近充実しつつある四六判というやや大きな判型の書籍コーナーだ。
「しかしさあ、昴。もしかしたらまだ本が並んでいるのは東京だけで、この辺に入荷するのはもう少し先なんじゃねえの?」
「うん、まあそれはあるかもしれないけどさ……」
優弥の言葉を受け、僕は思わず小さな息を吐き出した。
書籍の流通が東京を中心とする首都圏から始まることを踏まえると、この衣山に目当ての書籍が届いているかには僅かな不安がある。
それでも、今日ばかりは店に足を運ばずにはいられなかった。
だからこそ、僕は首を左右に振って不安な気持ちを振り払うと、再び目の前の棚から目当てのタイトルを探し始める。
するとそのタイミングで、突然別の方向から僕に向かって声が掛けられた。
「何やってるの昴。私のは、ほらっ!」
そう口にしながら一冊の月刊誌を見せつけてきたのは、スタイルの整った金髪の女子高生、音原由那。
そして雑誌の表紙に描かれた『悪役令嬢に転生したけど、気に入ったデザインの服がなかったので、自分で作ることにしました。』の作画担当である漫画家YUNAその人でもあった。
「おお、流石に月刊クラリスはもう並んでるのな!」
「ですです、凄いんですよ! 由那先輩の表紙が入り口の近くにズラッと並べられていましたから!」
優弥の言葉を受けて、由那の隣に立つ黒髪の後輩が満面の笑みを浮かべながらそう口にする。
嬉しそうに、そして隣に立つ女性を誇らしそうにしながら喋る彼女こそ、僕たち文芸部の部長にして、後輩にあたる如月愛。
一方、そんな尊敬の眼差しを向けられる当人は、気恥ずかしさからか顔を僅かに赤く染めつつ謙遜らしき言葉を口にする。
「ま、まあ発売日だからね。だからまだたくさん残っていたはずだし」
「しかしすげえなぁ。ほんとに店に並んでいるんだからさ。その原作を昴が書いたと思うと、監督した俺もちょっと誇らしくなってくるぜ」
優弥は冗談めかした口調ながら、僕へと視線を向けつつ、敢えてそんな言い回しをする。
途端、恥ずかしそうにしていたはずの由那の眉間に、いつのまにかくっきりとしたシワが刻まれていた。
「ちょっと待って。昴が原作を書いたのは事実だけど、あんたはおまけ。それよりもこの私でしょ」
「あん? まあ、お前もそれなりに頑張ったんじゃねえ?」
明らかにぞんざいな口調で、優弥は由那に向かいそう告げる。
するといつものことながら、由那の口から苛立ち交じりの言葉が発せられた。
「なんで疑問形なの!」
「あのさ……本屋さんの中だよ。二人共それくらいでさ」
「そ、そうですよ。ちょっと落ち着いて下さい」
僕に続く形で、如月さんも視殺戦を行う二人の間に割って入る。
そうして場の温度が僅かに下がったところで、由那が肩を落としながら小さな溜め息を吐き出した。
「はぁ……まあいい。それよりも昴の『転生英雄放浪記』は?」
「それがまだ入荷してないみたいでさ、どの棚を見てもないんだよね」
見当たらないことを示すため、僕はぐるりと周囲の棚を見回しながらそう告げる。
だが思わぬ言葉が、黒髪の後輩の口から発せられた。
「えっ、でもそこにあるじゃないですか」
「え? ……あ!?」
如月さんが指差したその先。
そこには棚差しではなく、高く平積みにされた書籍が存在した。
そう、この僕が執筆した『転生英雄放浪記』の山が。
「すげえな、平積みじゃねえか!」
顔をほころばせながら、優弥は驚いた口調でそう評する。
それに対し、思わず叫び出しそうになる内心を必死に押し殺すと、僕は努めて冷静に言葉を返した。
「で、でもほら、発売日だから――」
「あんな奴と同じ事を言うなって。もっと胸を張れよ」
優弥はそう言うなり、僕の背中をドンと叩く。
すると間髪容れることなく、如月さんの口からも僕らに向かって励ます言葉が発せられた。
「そうですよ。先輩方はもうプロなんです。もっと自信持って下さい!」
「そ、そうかな」
「なんか……うん、変な感じだよね」
恥ずかしそうに顔を赤らめる由那同様に、僕も少し照れくさい気持ちになり思わず苦笑を浮かべつつそう口にする。
そんな僕らを目の当たりにしながら、優弥はニコリと微笑みかけてきた。
「しかし送られてきた見本自体はどっちも文芸部室で先に見たけどさ、やっぱりこんな風に店に並べられてると、本当にデビューしたんだなって思うよな」
「そうだよね……でも、ここから頑張らないと」
十冊分の見本が届き、大事に抱えながら文芸部室へと持って行ったあの日。
あの時はただただ感動だけで、それ以上の何も考えることができなかった。
でも今は少し違う。
なぜならば、僕の本の隣に並べられた作品を目にするにつけ、感動しているばかりではいけないと理解できるからだ。
「はは、そうだぜ。というわけで、記念に買っていくんだろ?」
「うん。あと横に並んでいるこれもね」
そう口にして、僕の本の隣に積み上げられた分厚い大判の書籍を手にする。
書籍の発売前に、既に献本として一冊頂いているその書籍を。
「『無職英雄戦記』……あの人の本か」
僕が手にした本を目にして、優弥はそのタイトルを読み上げる。
「うん。発売一週間で、もう緊急重版が決まったって。凄いよね」
重版出来。
それは初版発行部数ではとても印刷した書籍が足りず、本を更に発行することを表す。
この書店ではまだ在庫が残っていたものの、『無職英雄戦記』はその売れ行きから一部では品薄となっており、早々に重版が決まっていた。
「しかしまあ、津瀬先生だったらさもありなんと思っちゃうわね」
「え、この本の作者さんをご存じなんですか?」
由那の発言を耳にして、如月さんは目を見開きながらそう問いかけてくる。
それに対し僕は小さく一度頷いた。
「この作者、カルロス・バイスさんは僕の先生なんだよ。でも、もうこれからは負けないつもりで頑張らないとね」
デビューを機に、存在Aからカルロス・バイスへとペンネームを変えた先生の本を前にして、僕ははっきりとそう宣言する。
すると、そんな僕の決意を受けて、優弥はすぐに笑いながら同意を示してくれた。
「へへ、その意気だ! これからは同じプロの土俵でやるんだ。遠慮は無用だぜ」
「遠慮なんてする余裕はないよ。それにやるからには中途半端はしない。いつも全力で結果を求めるつもりだからね」
それは父から言われ続けていた言葉、そして同時に僕が最も大事にしている信念。
何かに取り組むのならば、決して手を抜かないという決意だった。
「何ていうか、処女作が発売されたばかりだけど、そのあたりが昴らしいわよね。ともかく、あまりそこの馬鹿を連れ回すのもかわいそうだし、そろそろレジに向かいましょう。駄目な結果が見えてる模試でも、受けないよりはマシかもしれないしね」
由那はそう口にすると、お先にとばかりにレジに向かって歩み出す。
一方、コケにされた優弥は、顔を膨らませながら彼女のあとを追った。
「おい、待て! 誰が無駄な努力だ。これでも前回の模試ではD判定まで――」
再び醜い争いを繰り返しながら、二人は入口近くのレジに向かって歩んで行く。
一方、そんな彼らを目にして、如月さんは間に入ろうと慌ててこの場から歩み去っていった。
そうして一人残された僕は、改めて平台に積み上げられた本の山を目にする。
『転生英雄放浪記』。
小説としては僕自身にとって二作目であり、商業の書籍としては処女作となる一冊。
それを前にして、思わず目頭が熱くなった。
僕が描いてきた世界が、そして綴ってきた文字が、こうして一冊の本となる。
そしてそれがこれほどたくさん製本され、書店に積み上げて貰えているという事実。
思わず、これまでの日々が次々と脳裏をよぎっていく。
サッカーの試合中に負った怪我。
ネット小説に触れる契機となったアリオンズライフとの出会い。
初めて書いた小説である『転生ダンジョン奮闘記』での挫折と反省。
そしてこの『転生英雄放浪記』。
もちろん小説ばかりでなく、由那の漫画原作を含め、本当にこの半年間走り続けてきたように思う。
でもさっきも宣言したとおり、こんな感傷は今日までにしよう。
もうデビューは済んだ。
これから僕は、プロとして生きていく。
だからここで一区切り。
今日からは前を向いて闘おう。
そう決意して、僕は自らの本の山に背を向けた。
こうして記念すべきデビュー日を僕は終えた。
そんな僕の元へ、担当編集である石山さんから打ち切りを告げる電話があったのは、まさにこの二週間後のことであった。




