第五話 早くも小説家の夢が断たれる!? 模試の点が良くなかったことから将来の話になったのだけど、親に小説家になりたいと言ってみたら、ガチ説教されかかった件について
「昴……来年どうするつもりなの?」
去り際にすべきだったか。
僕は僅かに苦い表情を浮かべながら、そう思考する。
夕食の際に、いつもの様に親へと手渡した校内模試の結果。
決して普段と変わらない成績ではある。そしてサッカーを辞めてから、母は僕に学校のことを口にすることはなかった。
だからこの反応は、正直言って予想の範囲外であった。
「どうするって? いつもと同じくらいの成績だったと思うけど?」
「それはわかっているわ。でも、だから聞いているの」
苦笑いでごまかそうとした僕に向かい、母はピシャリとそう告げる。
すると、隣りに座っていた妹の恵美が、ニヤニヤした表情を浮かべながら、急に会話に割り込んできた。
「お兄ちゃんさ、ほら、暇になったんでしょ。もう少し勉強しなきゃ」
「はぁ……お前には言われたくないよ……」
中学二年生で友達とカラオケに行くことと、ドラマを見ることが趣味の妹は、正直言って全然勉強が出来ない。より正しく言えば、出来ないというより、まったくやらない子であった。
だから、恵美になんと言われようと、欠片も僕の心に響くことはない。
でも、それが目の前の母さんからならば、まったく話が別だった。
「もしやることがないのなら、放課後に時間が空いたんだし、予備校に行くことなんかも考えて良いんじゃない?」
「予備校かぁ……でも、僕はちょっとやりたいことあるからさ」
「……やっぱりね。で、やりたいことって何かしら?」
僕が今目指していることを、母を含め家族に言ったことはなかった。
それ故に、母の冷静な反応に少しばかり戸惑いを覚える。
だけど、これはいい機会かもしれない。僕の決意を伝えるための。
「あのさ……僕、小説家になろうと思うんだ」
僕がその決意を口にした瞬間、食卓は一瞬で静まり返る。
そんな中、全く空気を読まぬ妹は、軽く首を傾げながら、至極当たり前の事を僕に問いかけてきた。
「えっとさ、小説家っていうと、あの小説家のこと?」
「いや、他にどんな小説家があるか知らないけど、たぶんその小説家だと思う」
妹がなにを想像して喋っているのか全くわからなかったけど、恵美の頭の中を除くことは出来ないし、見たくもなかったのであっさりと彼女の言葉を肯定する。
一方、脳天気な妹とは異なり、険しい表情を浮かべた母親は、僕の目を見ながらようやくその口を開いた。
「昴。確認するけど、趣味で書いているってことよね?」
母のその言葉から、彼女の願望が僕にも透けて見えた。それ故に、胸にチクリとした痛みを覚えながらも、僕ははっきりと首を左右に振る。
「違う。本気なんだ」
「本気……つまり本当に小説家に成るつもりってこと?」
「うん。そうじゃなきゃ、高校生にもなってこんなことは言わないよ」
念を押してくる母に向かい、僕ははっきりとそう告げる。
すると、恵美は顎に手を当てながら、一人で好き勝手に話し始めた。
「小説家かぁ……うん、カッコイイかも。でもさ、お兄ちゃんにそんなの書けるの? だってほら、お兄ちゃんてアレでしょ。なんだっけ……そう、脳筋」
「脳筋って……というか、サッカーは馬鹿には出来ないよ」
「そうかな? なんか言い訳っぽいけど」
僕の発言を疑っているのか、恵美は母ゆずりの大きな目で僕の顔を覗き込んでくる。
お前の頭の中はイケメン俳優と音符で埋め尽くされているだろと、僕は思わず口に出しそうになった。
でもそれより早く、母が彼女を窘める。
「恵美、ちょっと貴方は黙っていなさい」
「はーい」
「とにかくさ、ちょっとこれを見て欲しいんだ」
家族みんなに向かってそう口にすると、僕は手にしたスマホを彼らに見せる。
ベコノベにアップされている、僕の小説を写しだしたスマホの画面を。
「このベコノベってサイトで人気を取れば、プロの作家になれる。実際に何百人もの人がプロ作家になっているんだ」
「でもその人達は、全員が作家で生きて行けているわけじゃないのよね?」
僕の作品を覗き込みながら、母は冷静な口調でそう問いかけてくる。
「それは……でも――」
「でもはないわ。確かにあなたにやりたいことがあることは嬉しいの。あの事故の後だから余計にね……でも、これまで小説どころか、作文さえろくにしてこなかったじゃない? 小学生の時の夏休み日記、誰が書いたか覚えている?」
……それは母さんだ。
母さんが、サッカーの国内留学のために代わりに書いてくれたのを、僕は今でも覚えている。
「……あの頃の僕には、サッカーしかなかったから」
「まるで今は違うみたいな言い方ね。じゃあ、今のあなたには何があるの?」
「小説がある。僕は小説が書きたいんだ」
偽らざる本心。
それを僕は真正面から母親へとぶつけた。
「昴……」
「私は反対だ」
初めて発せられた低い声。
その場にいた皆が、その人の顔を見る。
「父さん……」
僕は思わず息を呑む。
この人は無駄なことはしゃべらない。
いつだって口を開く時は、はっきりとした自分の考えがある時だけだ。
だから、僕は一瞬自分の顔から血の気が引くのを感じ、絶望を覚えた。
しかし父さんは、再びその重い口を開く。
「だが、チャレンジしたいというのなら邪魔はしない。結果さえ出せばな」
「あなた!」
父さんの言葉に、思わず母が口を挟む。
だが父さんは、僕から視線を外すこと無く、そのまま言葉を続けた。
「昴、その代わり期限は決めさせてもらう」
「期限?」
「ああ、期限だ。一年にしよう。もともと、サッカーで大学かプロに行けなければ、一年は浪人を許すと約束していたはずだ。あの約束をそのまま続行しよう」
そう、それは父さんと交わした一つの約束。
結果を出したなら、次のステップに進むことを許可する。しかしダメならば、勉強での結果を出してもらう。
高校に入学した時点で突きつけられたその条件を、その時の僕は迷うこと無く受け入れた。
そして高校三年間の間に、僕は結果を出すつもりだった。でも……
「……父さんの予想通り、無理だったあの約束か」
「いつも言っている。過程には興味はない。結果を出せばそれでいい。そしてそのための邪魔はしない。どうだ、昴?」
父さんの鶴の一声で突きつけられた条件。
それを母も妹も、息を飲みながら見守っていた。
そして僕は、ゆっくりと首を縦に振る。
「わかった。飲むよ、その条件」
「昴、ちょっといいかしら」
「何、母さん?」
正直言って珍しい。
母さんがこの部屋に来ることがだ。
「あなたに一つ聞いておきたいことがあるの。あなたは父さんのことをどう思ってるの?」
「結果にしか興味が無い人」
自分でも、少し悪意のある言い方だと理解している。
でも、あの人の子どもと距離をおいたような態度は、正直苦手だった。
小学生の頃はそうじゃなかった。
日曜日には一緒にサッカーもしてくれたし、遊びにも連れて行ってくれた。
でも僕が中学に上がり、プロを目指してサッカーを始めた頃から、あの人は自分の研究にしか関心を持たなくなった。食卓でサッカーのことを話すのは、母さんと、ルールのよくわかっていない恵美だけだ。
だけど、そんな僕の印象を耳にした母は、思わぬことを言い出した。
「はぁ……やっぱりね。まあ、あの人も悪いんだけど」
「どういうこと?」
含みがあるような母さんの言い回しが気になり、僕は眉間にしわを寄せる。
すると母さんは、わずかに躊躇を見せた後、思いもしなかったことを口にした。
「あなた、たぶん知らないでしょうね。あなたがサッカーの夢を追いかけることを、一番応援していたのは父さんなのよ」
「え……でも」
「お前だけじゃなく、俺まで表立って応援に行ったり、家でサッカーの話ばかりしたら、きっと昴のプレッシャーになる。だから、俺はあいつの前では絶対にサッカーのことは話さない……あの人はほんと徹底していたわ、意固地と言ってもいいくらい」
そう口にすると、母さんは大きな溜め息を吐き出す。
知らなかった。
てっきり僕が何をしているのかなんて、全く興味が無いんだと思っていた。気になるのは、その結果だけだと。
それが僕の父、黒木栄一朗その人だと思い込んでいた。
「知ってる? あなたが怪我をした練習試合、実はあの人も見に行っていたのよ」
「うそ……」
「本当よ。だから病室にはあの人が一番に駆けつけた。だって、救急車をそのまま追いかけて行ったわけだからね」
僕が目を覚ました時、確かにそこには父さんがいた。
てっきり、手術の最中に来ていたものだと思い込んでいたけど、父さんはあの時、最初から来てくれていて……
「……母さん。父さんは?」
「あの人は書斎にいるわ。今週中に、学生のレポートを採点しなければならないって言っていたから」
僕はその言葉を聞くなり、部屋から飛び出す。
そして父の書斎にたどり着くと、躊躇すること無く扉をノックした。
「父さん、入るよ」
僕はそう告げると、部屋の中へと足を踏み入れる。
積み上げられた書類の山と、足の踏み場もないほど乱雑に置かれた書物の数々。
その中央に埋もれるような形で、父の丸い背中があった。
「父さん。僕、頑張るよ」
僕はただそれだけを父へと告げた。
すると、父はゆっくりと振り返り、そして僕の目を覗きこむ。
「……ゆかりの奴が喋ったんだな」
「うん」
「そうか……」
それ以上のことを、父は口にしない。
ただその代わりに一度だけ、小さく息を吐きだした。
そんな父の姿を目にして、僕は胸に込み上げてくる感情を必死に抑える。
そして僕は、父に向かい一つの願いを告げた。
「父さんたちが心配してくれているのもわかる。だから予備校には行くよ。でも、小説家になるのを諦めるつもりはない。あのさ、だから読んでくれない?」
「何をだ?」
「僕の小説が本になったら、父さんに読んで欲しいんだ」
父の目を見つめながら、僕ははっきりとそう言った。
「……一年しか無いんだぞ。本当に諦めないつもりなんだな」
「うん。やるからには中途半端はするな。いつも全力で結果を求めろ。サッカーをする時、いつもこの言葉を胸にプレイしてた。父さんが口にしていた、この言葉をね」
そう、まだ父が僕とサッカーをしてくれていた頃、口癖のように僕にそういって、励ましてくれた。
小学生に向けるにしては、少し難しすぎるその言葉。
だけど父は、その頃から成長していった先の僕に向かって、そう言っていたんだ。今ならばそのことが、僕にははっきりと分かる。
「昴……」
「この一年、精一杯頑張るよ。だから、応援してくれないかな」
「……わかった。頑張れ」
沈黙を破り、父ははっきりとそう口にした。
この五年間、僕に対してほとんど言葉らしい言葉をかけてこなかった、あの父が。
僕は敵を置き去りにしてシュートを決めた時のような、鳥肌が立つ興奮を父の言葉に覚える。
「父さん!」
「やるからには中途半端なことはするな。いつも全力で結果を求めろ。いいな?」
五年ぶりに父の口から発せられた懐かしい言葉。
僕はそれを、ただ何度も頷くばかりだった。
もちろんそれがどんな厳しいことかわかっている。
ベコノベのランキングにも名前が乗ったことがない、そしてまだ書き始めたばかりの身。
だけど、その覚悟を持って挑まなければ、前に進めないと僕は思った。
「やるよ、やってみせる。全力で挑んでみるよ!」
普通ならばとても不可能な目標。
でもやるしかない。
頑張ろう。いや、絶対に頑張るんだ。
僕は……僕はこの一年間で、小説家になる!