〜悪役令嬢に転生したけど、気に入ったデザインの服がなかったので、自分で作ることにしました。〜
部屋と呼ぶにはあまりに広すぎる空間。
それはとある屋敷の二階に存在した。
「この服を送ってきたのはどなたですか?」
部屋を闊歩する黒髪の若い女性は、その端正な顔の眉間にしわを寄せながら、目の前のコタルディへと視線を走らせる。
コタルディ。
それは指関節のところまである長袖のドレスであり、彼女の前世風に形状を表現するなら、スカートにフレアーが入ったワンピースに近い形状といえるだろうか。
一般的にはこのコタルディの上にジャンパードレスのようなサイドレスガウンを重ねて使用することが多い。
あえて言うならば十四世紀頃に欧州で流行った服装に近く、それが今、この国の流行のファッションとして、たった一人の女性のために部屋の中に所狭しと飾られていた。
「それはその……素材も悪く、縫製も二流でありまして」
女性が丁寧に細部をチェックしている姿を目にしながら、彼の執事を務める壮年紳士たるエッフェルセンは、言葉を濁しつつそう応えた。
すると、彼の主人である若きこの屋敷の主人は、やわらかな笑みを浮かべつつも、全く引く様子を見せず重ねてエッフェルセンに向かって問いを放つ。
「いえ、縫製なんてどうでもいいんです。実に素敵なことに、縫製が上手い人はこの国には本当にたくさんいらっしゃいますから。そしていい素材もまた、幸運な事に無数に存在します。でもこのデザインに変わるものは、残念ながらありません」
彼女が企画した首都フェイレンツェルでのデザインコンテスト。
それはこの共和国でも有数の豪商である父の遺産を受け継いだ彼女が、最初に行った大規模な投資でもあった。
そして同時に、生前一流のデザイナーを目指しながら、夢半ばにして人生に別れを告げることになった彼女が、唯一の願いを叶えるためのものでもある。
「ほ、本当によろしいのですか? その……各ギルドに頭を下げて、この国の高名な仕立て職人は全て集めました。にも関わらず、一般枠で公募に応じてきたギルド外のものを選ばれるとなると、後で遺恨を残す可能性が……」
「かまいません。むしろ変にギルドの文化に染まっていないことが良かったのだと思います。見てください、このシンプルで直線的なライン。コタルディの袖もややタイトに絞ってあって、女性の体のライン自体を作品の一部とする意図が透けて見えます。他の作品にこのような造形を行ったものがありますか?」
黒髪の女性は、目の前の作品に夢中になりながら、興奮を抑えきれないといった口調でそう問いかける。
だが彼女のそんな問いかけに対し、執事は困惑した表情を浮かべる他なかった。
「いえ、私には分かりかねるところでありまして……」
「そうですね。ごめんなさい、エッフェルセン。慣れないことをさせてしまって。でも、本当にこのデザインだけが数世紀先を行って……いえ、時代を先取りしているような機能性を感じるんです」
艶やかな黒髪の持ち主である若き女性は、誤解を生まぬよう言葉を選び直しそう説明する。
それに対し、エッフェルセンの反応は、些か戸惑いに満ちたものであった。
「そう……ですか。私などはこちらの絹の一品のほうが、丁寧に縫製されており、遥かに優美に見えますが」
「確かに素材も縫製技術も、そちらの方が遥かに優れています。おそらく、個人個人に合わせた服を作ることにかけては、この白いコタルディを作り上げてきた者よりも遥かに高みにいることでしょうね」
そう、そのことは彼女でなくても明白なことであった。
正直言って、黒髪の女性が夢中となっている作品は、端々の作りが荒い。そして素材自体の質も、他の作品からは一回りも二回りも劣るものであった。
「それでもなお、その作品が良いとおっしゃるわけですね」
「その通りです。わたしが求めているのは、上手く服を仕立てられる人ではなく、服から未来を紡ぎ出せる人。つまりはデザイナーなのですから」
「デザイナー……ですか」
聞き慣れぬ言葉を耳にして、エッフェルセンは眉間にしわを寄せる。
だが彼女の主人は、そんな彼の疑念に気づくこと無く、改めて賞賛の言葉を口にした。
「そう、デザイナーです。いずれレディメイド……いえ、プレタポルテを始めるにあたり、この製作者の才能は決して無視できるものではありません。ですから、この作品を仕立てた者で決まりとします」
「ですがその……そちらのコタルディを仕上げたものには、問題がございまして」
「問題? まさかここに来られていないとか?」
このコンテストを開くにあたり、応募者の制限を彼女は設けていなかった。それどころか応募者に対し、一律に支度金まで用意する大盤振る舞いである。
更にコンテストの受賞者には黒髪の女性、つまりこの国で指折りの資産家となったエミナ・メルチーヌのバックアップを、全面的に受けることができると触れていた。
その意味するところを理解した腕に覚えのある者達は、こぞって自信作をコンテストへと送り、そして審査発表を行うこの日、自らこそが受賞すると信じながら、屋敷の大広間にて発表を今か今かと待ち構えている。
「いえ、他の参加者同様に待機はしております。ただ、その出が少しばかり卑しく、更に問題は――」
「エッフェルセン、卑しい事は罪なのかしら? 我が国では違ったはずよ。そんなのは傲慢極まりない、お隣のシヴェア王国がやっていればいいこと。そして自由の民である私たちが彼らに対抗しえているのは、まさに自由から生まれた民衆の活力にほかならないのですから」
エッフェルセンの言葉を遮る形で、エミナははっきりと自らの意思を告げる。
それを受けてエッフェルセンは、遮られてしまったもう一つの問題を告げるべきか逡巡した。
しかしながら、これまでの経験から彼女が意見を変えることはないと理解すると、恭しく一礼する。
「……分かりました。それでは連れてまいります」
そう述べるなり、エッフェルセンはエミナの前から立ち去っていく。
そうしてその場に一人となったエミナは、改めて目の前のコタルディへと視線を走らせた。
生前は決して叶えることができなかった夢。
それは世の中の人々に、服を通して幸福をもたらせることである。
そのためにも、いつか自分のブランドをと思い昼夜を問わず働きづづけた結果、彼女は目指していたコンテストの直前に過労で倒れることとなった。
次に目を覚ました時、彼女は見知らぬこの世界に存在した。
そう、中世ヨーロッパによく似たこのフェイレンツェル共和国の豪商の娘……いや悪徳豪商の娘エミナ・メルチーヌとして。
「まずはオートクチュールの確立。そしていずれはプレタポルテを……」
それはこの地に転生した彼女の夢であった。
この世界では衣服の注文者は生地を扱うギルドで生地を買い、そして別の装飾品を扱うギルドで好みのボタンなどを購入し、最後に仕立てギルドで服を仕立ててもらう。このような複数の行程が、服一つ作るためだけに必要であった。
もちろん、これが非効率的なことは明白である。
だが古くから各ギルドが職責分担を行っており、その利権と縄張り争いの関係で、長年かわらぬ体制が維持され続けていた。
正直言って、エミナはそれを変えたいと思っていた。
その為に必要な物は、ただ単純に美しい衣服というだけではなく、着るものの生活をも変えうるような、一流のデザイナーである。
もちろん彼女自身も、転生前の記憶を用いればそれなりの水準のデザイナーとして、働きうるとは思っていた。ただしそれではダメなのだ。
先ず第一に、転生前の世界とこの世界は違う。
だから生活を変えると言っても、そのまま向こうの世界のファッションを持ち込めば良いというものではなかった。
そしてそれ以上に重要なこと。
それは社会を、そしてこの国のファッションを変えるには、デザイナーだけではダメだということである。
そう、優れたデザインを市場に遍く広げる役割、つまり優れた経営者の存在が、絶対に求められていた。
だからこそ彼女は決断する。
優れた感性を持つデザイナーを発掘し、その人物に彼女のデザインに関する知識を全て伝えて、この世界にあったファッションを創造してもらう。
それこそが現在の彼女の夢であった。
そして今、彼女は確信している。
この白いコタルディを仕立てた者ならば、充分にその職責に耐えうる可能性を持っていると。
そんな目指すべき未来に思考を奪われていたエミナは、部屋の扉をノックする音に気づかなかった。
だからこそ、突然開けられたドアの音で、ようやく彼女はハッと我に返る。
「誰かしら? エッフェルセン?」
「あの……すいません。ノックはしたんですけど、お返事がなかったもので」
ドアへと視線を向けたエミナは、そこに小柄な銀髪の少年の姿を目にする。
歳はまだ十代前半といったところだろうか。
美少年とは呼べても、美青年と呼ぶには無理がある幼さが彼の顔からは滲んでいた。
「失礼、それは気づきませんでしたわ。それで、ボクはどうしたのかな? お父さんか誰かについてきたのかな?」
エミナは少年の見た目から、今日のコンペ参加者の息子であると判断していた。それ故に、監督不行届な困った参加者がいると考えながら、彼を控室へ案内する算段を付け始める。
しかしそんな目の前の少年の口から、突然思わぬ言葉が発せられた。
「お姉さんがエミナ様ですか? 僕、ここに来るよう言われたんですが」
「ここに?」
不安そうな少年の頭を撫でながら、エミナは屈みこんで彼と視線を併せると、意識して柔らかい声でそう問いかける。
「はい。エッフェルセンさんから」
「エッフェルセンが? 何かの間違いじゃないかしら。だってここには……え、もしかして、貴方!?」
エミナはそこで初めて気づく。
不安そうな眼差しをした目の前の幼い少年。
後にフェイレンツェルにローラン・パッソありと言われる彼こそが、彼女の望み続けていた時代を変え得るデザイナーであると。




