第十四話 ライバルがもう一人!? 神楽先生の新作が順当にポイントを加算していく中、複数アカウントという許しがたい手段でランキングを駆け上がり、コンテストを征しようとする悪徳作家が出現した件について
お盆を過ぎ、ようやく連日の快晴に疲れきったかのような曇り空。
その直射日光が遮られた空の下で、僕はタバコを咥える青年へと声をかけた。
「屋上は少しだけ涼しいですね、先生」
「クーラーの効いている講義室ほどじゃないさ。だいたい、雲で日差しが隠れている時くらいしか、ここに上がってくる気はしないしな」
虚空へと煙を吐き出した先生は、苦笑を浮かべながらそう告げる。
「はは、確かにそうですね。僕もこの天気でなかったら、たぶん下で待ってるところでした」
昔は日差しなど全く気にすることなく、一心不乱にボールを追いかけていた。
しかし当時を振り返る度に、正直そんなことは幻だったのではないかと思うほど、僕の体は真夏の日差しに弱くなっていた。
「で、どうかね。先週から始まったコンテストで、君の投稿をまだ見受けてはいないわけだが」
「大方プロットを作り終わったので、今は細部を詰めているところです」
「ふむ。ならば、もう少し掛かりそうだね」
「はい。ちょっと資料を集めるのに手こずっていまして。一応、由那に本を借りたり、ネットで調べたり、市立図書館にも通ってはいるんですが……」
そう、土台となる資料は、如月さんの次に図書館から借り受けることができた。しかし、細部に関してはまだツメが甘い状況であった。
「音原くんの本やネットはともかく、市立図書館で調べたわけか……あそこもそれなりの規模ではあるが、専門的な書籍を探すには些か不向きと言えるな。ふむ、だったら新都大学の図書館を使ってみてはどうだね?」
「新都大学……先生の大学ですね」
「ああ、そして君の父親の大学でもある」
もちろんそのとおりである。
そしてだからこそ、多少気後れをする場所でもあった。
「あの……部外者の高校生でも使えるんですか?」
「学生証を持って行って、きちんと申請すれば大丈夫だよ」
「ありがとうございます。そうですね、一度訪ねてみることにします」
まだ多少の迷いは存在したものの、作品のことがやはり優先だと僕は判断した。
そんな僕に向かい、津瀬先生は意味ありげに笑う。
「はは、まあ目的とする資料があれば良いね。いずれにせよ、多少は余裕を持つべきだし、その意味では急いだほうが良い。例え後の先を取るつもりだとしてもな」
「流石……ですね。それもあって他の応募作家さん達より、時間配分を出来る限りプロットと作品作りに割くつもりだったのですが」
津瀬先生の意味ありげな笑みを目にして、僕たちの戦略が見透かされていることを理解する。
そしてそれを裏付けるように、津瀬先生はその口を開いた。
「原作部門は文字数の上限と下限があるからな。となればだ、先行逃げ切りが有効かというと一概にはそう言えない。むしろ……ふふ、大胆だが悪くない考えだと思うよ。但しそのためには、それなりのクオリティの作品が必須ではあるがね」
それはいつも先生が口を酸っぱくして言っている事。
まずは作品ありき。
その上で、作品を少しでも多くの方に届ける努力をすることが、作者に求められているのだと、僕は理解していた。
「はい。作って半分、届けて半分ともいいますしね。いずれにせよ、物語の質でも負けるつもりはありません」
「ふむ、結構。良い返事だ。あいつは初日から走りだしているようだが、これならば期待できそうだな」
「あいつ……ですか。やはりお知り合いなんですね」
津瀬先生の口にした『あいつ』。
もはやそれが誰を指すのかは自明の理であった。
そう、僕たちのライバルである神楽蓮その人であると。
「蓮は君たちと同じく、昔の教え子だよ。そして付け加えるならば、私の親友の弟でもある」
「親友の弟……ですか」
もちろん、先日のカフェでの接触で、二人の間には予備校講師と生徒以上の何かがあるのを感じ取ってはいた。
しかしながら、思いもかけぬ二人の関係を耳にして、僕は多少驚きを覚える。
「そうだ。だからまだ小さかった頃から、彼のことは知っている。ただそれだけの話さ」
「子供の頃からですか。でも、まさか神楽先生が父のことまで知っているとは思いませんでした」
そう、僕が父さんの息子だと認識した瞬間、明らかにそれまでと神楽先生の視線が変わった。その意味するところはわからなかったが、少なくとも彼が父のことを知っていることだけは充分に理解できた。
「黒木先生のこと……か。ふふ、知らないのは身内ばかりというやつだな」
「どういうことですか?」
「君の父親は新都大学でも、それなりに名が通っている。そう認識しておいて間違いはないということさ」
苦笑を浮かべながら、津瀬先生は僕に向かってそう告げる。
だが説明を受けても、正直僕にはピンとくるものがなかった。
「そうだったんですか……いえ、父は自宅ではあまり大学の話をしませんので」
「ふむ。まあ、そういうものかもしれないな。ともあれ、それで君のことを認識しなおしたといったところだろう。だからあいつの油断を突くのは諦めたほうがいい」
「油断を突くつもりなんてありませんよ。それに作品を読む限り、神楽先生は油断をしてくれるようなタイプには見えませんから」
作品の構成と世界観。
神楽先生のどの作品を呼んでも、それは完璧に整った作品作りがなされている。それはつまり、油断などする性格とは程遠いことが、はっきりとにじみ出ていた。
「どうやら、きちんと彼の研究を済ませたかいはあったようだね」
「はい、もちろんです。知っているものは選ぶことができます。そしてだからこそ、神楽先生より自作の有意な点をプレゼンすることができたわけですから」
先日の士洋社で行ったプレゼンテーション。
その際に、神楽先生と自分との違いを説明する上で、先生の作品の分析は必須の要素であった。そしてそれを行っていたからこそ、少なくとも僕はチャンスを得ることが出来たのだと思っている。
「ふふ、そうだったな。ともあれ、知っている者と言う意味でも彼は強敵だ。投稿された先品は読んだかい?」
「確か『女医令嬢の残念な恋』でしたか。正直、驚きました。ベコノベで主流の悪役令嬢ものを神楽先生が書いてくるとは思わなくて」
神楽先生のベコノベ投稿作。
それはワーカーホリックで婚期を逃したちょっと残念な女医が、異世界に転生して悪役令嬢となる物語であった。
「君が彼の作品を調べたのと同様に、彼もベコノベのことをきちんと学んだというわけだ。それも思った以上の形でな」
「思った以上の形……ですか」
津瀬先生の言葉を受け、僕は先を促すようにそう口にする。
「私がベコノベ作品の分析を行っていることは知っているな?」
「はい。その御蔭で、こうやってコンテストの戦いにまで持ち込めましたから」
津瀬先生と作成し、編集部へ持ち込んだ統計データ。
あれがなければ、既に由那の漫画原作は神楽先生になっていたことは疑いようもな勝った。
「そうだな。だがあれはベコノベ内のデータと市場の売上との相関関係を表したもので、あくまでおまけだ。私が統計処理を行っている本命はこれだよ」
そう口にすると、津瀬先生は手にしていた大型のスマートフォンを僕へと手渡してくる。
その画面に記載されていたタイトルを目にして、僕はそのまま読み上げた。
「ベコノベにおけるキーワードとタグの分析……ですか」
「ああ。以前からベコノベの流行を掴むために、タグの時系列傾向分析は行っていたのだがね、これはその解析範囲を広げた最新のものだよ」
ほんの少しだけ誇らしげな様子で、津瀬先生は僕にそう告げる。
一方、そんな彼の表情を目にした僕は、断りを入れた上でスマホを操作してその内容へと目を通していった。
「ベコノベの全作品のあらすじ内に含まれるキーワードとタグ。それと獲得したポイントとの相関関係……さらに使用するキーワードごとの予測期待値なんてデータまであるのですか!」
僕が目にしたもの。
それはベコノベでよく語られる流行の実態を、まさに数値という形で白日のもとに晒したシロモノであった。
「まあな。ただしそれはあくまで中間解析だ。データ自体はまだ日々蓄積している最中なのでね。結局のところ、真に流行と推移を掴むためには、断面をいくら眺めても何もわかりはしないものだからな」
「確かに先生は、前にも存在Aのブログで統計解析の有効性を語られていましたけど……でも、まさかこんなものがあるなんて」
「私の本職はあくまで研究者だからね。もちろん小説を書くことも多少は得意だと自負しているが、物事を分析することに関してはそれよりも得意だからな」
津瀬先生はそう言い終えるなり、ニコリと微笑む。そしてすぐに真顔へと戻ると、再びその口を開いた。
「まあその上でだ、今回の彼の作品を見てみたまえ。そこに記されている期待値の高いキーワードがあらすじに散りばめてある。しかも自分の得意な医療と政治をプロットに落とし込んだ上でな」
「さすが……ですね」
それが僕の本音だった。
正直言って作品のタイトルを見た時点から、神楽先生の作品はかなりベコノベナイズドされていると感じていた。
しかしこの期待値表と、神楽先生の作品を見比べてみると、それはまさに一目瞭然といえる。つまり彼は本気で、このコンテストに勝つためにベコノベに乗り込んできたのだ。
その事実を理解して、思わず神楽先生の姿勢に気圧されそうになる。
だが、津瀬先生はそれだけではないとばかりに、さらにもう一つの事実を僕へと告げてきた。
「ちなみに付け加えるとだ、彼の称賛されるべき点はベコノベの分析だけではない。投稿戦略という点においても、彼は最適のタイミングをセレクトしている。まさにベコノベのコンテストを自分の庭にするためにな」
「それはつまり、神楽先生にとっては初日から投稿を開始することがベストだったと、そういうことですか?」
「ああ、そのとおりだ。ゲストとして彼の投稿が公表され、話題がピークとなったタイミングでの投稿開始。前もって公示のタイミングを知っていたのかはわからんが、場の空気をキチンと掴んでいたことは疑いようもないな」
完全に津瀬先生の言うとおりであった。
僕が神楽先生の立場であれば、間違いなく同じ選択を行うであろうから。
「確かに仰るとおりですね……だからこそベコノベ初投稿である神楽先生が、いきなり日間ランキングを駆け上がったわけですからね」
「もちろん彼が既にプロとしてある程度の知名度を有しているが故、外からファンの方を連れてこられたのも大きい。しかしだ、やはり最大の勝因はきちんとしたベコノベに対する研究と、完璧なタイミングでの投稿だっただろうな」
プロが原作コンテストにゲスト参加するという話題がベコノベを駆け巡り、そして間髪入れずに参入する。
おそらくこれがあと一週間遅れていれば、如何に作品の質が高くても日間ランキングを駆け上がるのは、やはりそれなりに高いハードルだったのではないだろうか。
何しろ、彼には外から連れてくることができるファンがいるとはいえ、そんな彼らはベコノベの住人でない者も多く、未登録であればポイントにつながらないからだ。
だからその点を理解していた神楽先生は、よりポイントに直結する可能性の高いベコノベ住民を、コンテストの話題に乗じる形で見事に自作へと誘導してみせた。
「昴くん、ただ勘違いしてほしくないのだが、彼は紛れも無く現役のプロだ。当然のことながら、作品も掛け値無しによく出来ていた。正直に言う、強敵だぞ」
「……わかっています。でも、やるからには中途半端はしません、全力で結果を求めるつもりです」
「結果……か。つまり彼女の原作権を取る事以外は考えていないというわけだね」
年を押すような口調で、津瀬先生は僕へとそう問いかけてくる。
それに対する回答は一つしか無かった。
「もちろんです」
「そうか……ならばやはり、君にもあの人物のことも言っておいたほうが良さそうだな……」
「あの人物……ですか?」
急に険しい表情となった津瀬先生は、そう口にするなりタバコを再び口へと咥える。そして一度煙を吐き出したところで、改めて僕へと向き直った。
「黒木くん、実は神楽くん以外に、もう一人警戒をしておいたほうがよい作者がいる。もっとも、彼とは少し違う意味でだが」
「違う意味……ですか」
「ああ、週間ランキングを見る限り、神楽くんは元々のファンと新しく獲得したベコノベの読者を合わせて、確かに順調に推移している。しかしだ、そんな彼に急速に追いつきつつある作者がいるんだ。鴉と名乗る作者がな」
聞いたことのない作者名。
それ故に、僕は確認するように問い返す。
「鴉……ですか」
「今日の日間一位だ、見て見給え」
先生に促され、僕はポケットに入れていたスマホを操作する。そしてベコノベのランキングを表示したところで、まさにその作者は存在した。
「投稿二日目で日間一位。しかも七千ポイント……ですか。初投稿作品なのにこれは凄いですね」
そう、完全なる新規の作者にも関わらず、一日に七千ポイントも獲得するということ。
その脅威的な数値を目の当たりにして、思わず僕は震えてしまった。
なぜならば、あの神楽先生でさえ、話題に乗っても二日目で五千ポイントまでしかたどりつけなかったからである。
「驚くのも無理は無い。一見すれば驚異的な数字だからな」
「一見すれば?」
先生の言葉に引っかかりを覚え、僕はそう問いかける。
すると、先生はすぐに一つ頷いた。
「内容を見ればすぐに違和感を覚えるよ。ベコノベの流行を無視し、文章力も並、そしてネット小説用の書き方などもしていない」
「それでも一位ってことは、中身がすごく面白いってことですか?」
それしか僕には考えられなかった。
ベコノベには、ある程度ベコノベのお約束や流儀がある。
もちろん、新たな潮流やブームを作るような作品も時折出てくる事があり、この作品がそれに当たるのかと僕は不安を感じたのである。
しかしそんな僕の危惧に対し、先生の首が縦に振られることはなかった。
「人によってはそうかもしれないが、私には設定以外に見るべき点を見いだせなかった……いや、一箇所だけ注目すべき点あったか」
「注目すべき点……ですか」
先生の口ぶりから、僕は何故か無性に嫌な予感を覚えた。
そう、何らかの悪意や良くないものがそこに存在するかのような予感が。
そしてそんな僕の予想は、残念ながら外れることはなかった。
「私たちのようなベコノベに適応するためのテクニックはなく、ベコノベの欠点を突く為の方法。つまり複数アカウントを使っている点だよ」




