第九話 少女漫画とベコノベの親和性は高い!? 夏休みの登校日で暑さにまいりながら優弥とだべっていると、ベコノベと女性向け漫画は遠いように見えて、意外と共通点が存在することに気づいた件について
夏休みもまっただ中の月曜日。
今や帰宅部となった僕は、学校の中庭のベンチに腰掛けながら、天を仰いでいた。
「なあ、なんで登校日なんてのがあるんだ。このクソ暑い中、あんな蒸し風呂みたいな部屋にいれるわけねえのによ」
隣の席に腰掛けながら、パタパタと手で顔を扇ぐ優弥は、不満溢れる口調でそう漏らす。
そんな彼に向かい、何気なしに僕はちょっとした豆知識を披露した。
「昔はさ、先生の給料日に合わせてたらしいよ」
「は? じゃあ、俺たちは教師が給料を受け取りに来るおまけってわけ?」
優弥は頬をピクリと引きつらせ、暑さのせいか僅かに声を荒げる。
僕はそんな彼に対し、苦笑を浮かべながら軽く肩をすくめてみせた。
「さあ、どうだろうね。でも給料が手渡しだった頃の話らしいし、今は関係ないみたいだけど」
「お前さ、そんな知識何処で知ったわけ……いや、だいたいわかるけどさ」
優弥のその口ぶりから、僕はネタ元がバレていることを理解する。だからこそ、隠す必要を感じず、そのまま口にした。
「うん。昨日は予備校に行ってたからね」
「やっぱりあの人か。ほんとなんでも知ってる人だよな」
純粋なる感心とほんの少しの皮肉。
それが優弥の言葉の中から透けて見えた。
やはり編集を名乗り、ベコノベを分析しながら作戦を立てている彼にとって、津瀬先生は気になる存在なのだろう。
「実際何を聞いてもさ、わからないなんて言われたことほとんど無いからね」
「かぁ、凄げぇよな。俺もあの人くらい頭が良かったら、受験勉強でこんな苦労しなくて良かっただろうに。いっそ代わりに試験を受けてくれねえかな」
こぼれだした優弥の憂鬱。
それを耳にした僕は、苦笑交じりに彼をたしなめた。
「今時、替え玉受験なんて流行らないよ」
「替え玉がダメなら、人海戦術をするか? 受験の教室を全て身内で固めたら――」
「あのさ、なんでまっとうに受験するって選択肢がないわけ?」
ルール違反かつ実現不可能な作戦を口にする優弥に対し、僕は彼の言葉を遮る形で軽くそう問いただす。
すると、優弥は軽く方をすくめながら、小さく首を左右に振った。
「仕方ないだろう。俺が受験決めたのはこの夏休みからだぜ。既に他の連中とは一周差くらい付いてるわけ。なのに強引に受験させようとするどこかの誰かさんがいるからさ、俺も苦労してんだよ」
「そりゃあ、どこかの誰かさんのために、頑張るしかないね」
誰よりもどこかの誰かさんをよく知る僕は、優弥に向かってあっさりとそう宣告した。
一方、優弥は苦い表情を浮かべながら、僕に向かって僅かな反撃を試みようとする。
「そうなんだよな。本気でうちの親にまで根回ししやがったし」
そう、書籍化が決まり最低限の条件を出版社から提示された時点で、僕は彼の母親に大学の話を行った。
最初は戸惑いと丁重な断りの返事を頂くこととなったが、僕の根気と弟さん達の説得により、前向きに検討するとの回答を引き出すことができている。
「どこかの誰かさんは、本当に良い人だね」
「俺に言わせれば、そんな暇があるなら、もっとまじめに小説かけって言いたいところだけどさ……おまえもそう思わねえか?」
優弥のその問いかけに、僕は薄く笑ってごまかすと、逆に彼に向かい一つの問いを口にした。
「さてさて、どうだろうね。ともかくさ、結局どこの大学受けるつもりなわけ?」
「……戸山文化大学」
その回答を耳にした瞬間、僕は驚きのあまり思わず口をポカンと開けた。
戸山文化大学。
それは同じ東京に存在する三田義塾大学と並び、日本を代表する名門私学の一つである。
少なくとも慌てて受験勉強を始める男が、普通ならば口にするような大学の名前ではなかった。
「えっと……本気なんだよね?」
「まあな。というか、仕方ねえだろ。大学に行くこと自体が目標じゃねえんだから」
そう口にした優弥は、プイッとよそを向く。
その言葉を聞いて、彼が大学の先を見通しているからこそ、その選択肢を選んだことを僕は理解した。
そう、かの戸山文化大学は古くから名門としての歴史がある故に、昔からからマスコミやメディア関係に卒業生を多数排出していることで知られる。
だからこそ、受験に際して求められる水準は高いながらも、編集者を目指す優弥がその名を口にすることは極めて妥当であり、そこからも彼の強い決意の程が伺えた。
「僕との約束を守るために……か。ごめんね」
「お前が謝るなよ。第一、お前らにばかり良いカッコさせられないしな」
優弥はそう口にしたところで、ようやくいつもの笑みを浮かべる。
「でも、だとしたら本気で頑張らないと行けないよね」
「ああ、そうなんだよな。息抜きを兼ねてるとはいえ、ホントはこんなの読んでる場合じゃねえんだよ」
優弥はそう言いながら、かばんの中から一冊のコミックを取り出す。
その表紙には、可愛らしい少女が多数のイケメンに男性に囲まれるイラストが描かれていた。
「こんなのって言ってるのがバレたら、由那がまた怒るよ」
「大丈夫、あいつ今日の登校日サボってるから」
そう言うなり、優弥は軽く鼻で笑う。
確かに先ほど出席したホームルームに、彼女の姿はなかった。
「ああ、それでいなかったんだ」
「別に出席は義務じゃねえし、欠席扱いにもならねえらしいからな。その辺も、あいつらしいといえばあいつらしいけど」
「でも、何してるんだろう。漫画のトレーニングかな」
由那の欠席理由が思いつかなかった僕は、最も考えうること上げてみる。
だがそれは、優弥によってあっさりと否定された。
「いや、時期が時期だけに多分違うだろうな」
「時期? どういうこと」
「お祭りがあるんだよ。あいつ好みのお祭りが。だから多分、新しい衣装でも作ってる頃じゃねえかな」
夏真っ盛りのこの時期である。
考えられるものは、夜店が並ぶような夏祭りであるが、だとしたら由那は浴衣を自作しているのだろうか。
正直言って僕には、由那が浴衣を作っている姿が想像できなかった。
一方、そんな僕の悩む様子を見て、優弥は薄く笑いながら説明を続ける。
「あいつがローズムーン好きなのは知ってるだろ? だから、その自作の服を着る祭りがあるんだよ。薄い本がたくさん売られている、ちょっとした祭りがな」
「へぇ、世の中には色んな祭りがあるんだね」
薄い本の意味がよくわからなかったけど、とりあえず何らかのお祭りだと納得して、僕は一度頷く。
「ああ、昴の知らない祭りさ。ともかく、こんなのとは言ったものの、面白かったのは事実だぜ。正直女性向けの漫画をなめていたよ」
「やっぱり優弥もか。僕も色々と目からうろこでさ。もちろん最初はちょっと抵抗があったけど、ちゃんと読むとミステリーや本格ファンタジーなんかもあって、イメージとは全然違うんだよね」
「そうなんだよな。その意味では、これまで色眼鏡で見てたって俺も反省してる」
僕の言葉にまったく同意見だったようで、優弥も大きく頷いてくれる。
それを目にしたところで、僕が女性向け漫画を読んでいる中で気づいた、一つの欠かすことの出来ぬ要素を彼へと告げた。
「ただ、やっぱり基本恋愛は外せねえよね。その意味では、前の応募作はそこに問題があったかも知れないって思ったよ」
「どういうことだ?」
「あれって悪役令嬢が、ヒロインを助ける話だったよね。つまり男性が出てこないから、恋愛要素がなかった」
「最近じゃあ、女性と女性の恋愛もあるみたいだけど」
軽く笑いながら、優弥は思わぬ反例を口にする。
その意味するところを理解し、僕は一つ頷きながら、軽く鼻の頭を掻いた。
「一般的にはね。でも、さすがにあの原作を書いた時は、そこまで考えてなかったよ」
「だろうな。ともあれ、勉強時間は奪われたが、俺にとっても今回はいい経験だったよ。男性マンガに比べて、女性向けの漫画は等身大の女の子が主人公のことが多いってことにも気づけたしな」
「それは僕も思った。普通の女の子ってことがよく強調されているよね」
確かにそれは僕も初めて女性向け漫画を読んでいて、すぐに気づいたことだった。全てではないにしろ、比較的多くの作品で主人公はごく普通の女の子であり、その恋愛相手となる男性が、結構ハイスペックのイケメン男性だったりする。
「ああ。で、改めていくつか男性ラブコメを見なおしてみたわけだが、恋愛物は男性漫画でも結構普通の少年が主人公なんだよな。バトル物なんかは天才主人公も結構多いけど」
僕は顎に手を当てながら、頭のなかで幾つかの漫画をパラパラとめくっていく。
すると確かに優弥の言うとおり、ラブコメものはちょっと情けないくらいの主人公が多いということに気づいた。
「つまり恋愛ものを書く場合は、男女問わず読者目線を意識した作品が大事ってことかな」
「たぶんそうなんだろうな。その意味で今度のコンテストは、やっぱりベコノベとは結構相性が良い気がしたぜ」
ニヤリとした笑みを見せながら、優弥は僕に向かってそう告げる。
その意味するところ、それを僕は確認するように口にした。
「ベコノベとの相性か……それってつまり、異世界転性との相性ってことだよね」
「そうそう。異世界転生する前、つまり現代にいる時の主人公は、普通かちょっと残念な感じの設定が多いだろ。たまにとんでもない超人が混じってたりするけどさ」
優弥の言う例外はすぐに何作品か思い浮かんだけど、基本的には普通の青年やおじさんが異世界転生するケースのほうが多い。
つまりその意味では、ベコノベと女性向け漫画との親和性は比較的悪くないように思われた。
「それはそうかも。その意味では、読者目線に寄り添った作品と言えるわけだね」
「あとベコノベの異世界転生は、現代の用語を全て使えるからな。その意味でも、読者目線に沿った設定なんだと思う」
「現代の用語が使える……か」
「そうだ。例えば、現地ものって言われる転生のないファンタジーと、異世界転生を比べてみるとだ、後者のほうが恐ろしく表現の幅が広いんだよ。飛行機とか車に何かを例えたり、極端に言えば東京タワーなんかまで高さの比喩に使えるんだぜ」
異世界ファンタジーで現地人を主人公に据えた場合、僕たちが日常的に使っているものや対象を、その例えに使うことはできなくなる。
それは当然、その世界に存在しないからだ。
だが異世界転生した主人公なら、魔法のほうきで空を飛んでいる魔女を見ても、飛行機のように飛んでいるなどといった比喩が使えるし、貨幣は全て現代の通貨に例えて千円や十万円くらいの価値などと表現することができる。
これはおそらく読む側にとって、その異世界を理解するための大きな助けになると思われた。
「もっともファンタジーの世界で、東京タワー並みの建築物が出てきたら、なんか崩れそうで怖いけどね。ともあれ、優弥の言いたいことはわかったよ」
「ああ。というわけでだ、女性向け漫画を読んで、やっぱりそのあたりはしっかりと押さえておきたいと俺は思った。つまり間口は広くだな」
「そして奥行きのある物語。それが理想だね」
物語を読んでもらう為の心理的ハードルはできるだけ低くしながら、それでいて骨太と感じさせられるような作品。
今すぐ書けるとは言えないけど、やはり目指すべきはそこなんだろうと僕は改めて思う。
「で、どうするかってところだが……思ったよりもスタートも締め切りも近いからな。そろそろプロットを仕上げないとまずいよな」
「もっとも、今回はコンテスト期間が短いから、たぶん指定の文字数も少なめなんだろうけどさ」
同時に開催される小説コンテストは最低文字数が十万字以上となっている、漫画原作部門の最大五万字までとは大きな差が存在した。
その理由は先日考えたように既存作品の応募抑制もあるとは思われる。しかしそれ以上に、コンテストの告知がぎりぎりになったことがその原因ではないかと考えられた。
一方、優弥は更にそれ以外の可能性を、僕に向かって指摘してくる。
「それ以外に、漫画原作ってことも大きいと思うぜ。五万字でもコミック一冊分の原作としては十分以上な気もするしな」
「そっか、小説じゃないもんね」
「そういうことだ。だがいずれにせよ、猶予はあまりない。他の連中より優位に立つためにも、今回のコンテストに適した戦略を考えないとな」
僕が彼の発言に納得している間にも、優弥はさらに一歩前を進み、今回のコンテストの作戦を考え始める。
それを受けて、僕も自らの見解をその口にした。
「つまり、ポイントを稼ぐための投稿戦略も重要になるってわけだね。となると、早めに投稿を開始したほうがやっぱり有利かな」
「まあ基本的にはな」
早く作品を投稿し、ポイントが貰える体制を整えたほうが有利。
そう考えていた僕にとって、優弥の物言いはやや引っかかるものであった。
「基本的には? 何か例外があるってこと?」
「ベコノベの場合、投稿期間ではなく、投稿間隔や投稿タイミングの方が重要な事が多い。それはお前も知っているだろ? だから投稿を焦るだけじゃなく、きちんとスケジュールを組まなきゃいけねえってわけだ」
「投稿スケジュールか……今の放浪記の連載を落とすわけにもいかないしね」
そう、それはあくまで大前提である。
今回の件と放浪記は何の関わりもない。
だからこそ、放浪記を待っている読者さんと、僕の作品を評価してくださったシースター社さんに迷惑をかけることだけは出来なかった。
「だな。まあそれを言い出せば、神楽の奴にも商業の仕事がある。決して一方的に不利なわけじゃないし、とにかく頑張るしかないさ」
「そうだね。でも問題は、他のベコノベ作家までそうとは限らないところかも」
「確かにな。敵はあいつだけじゃないってことだ」
僕の言葉を受け、優弥は僅かにその表情を引き締める。
そんな彼に向かい、僕は一つ頷くとともに、改めて言葉を続けた。
「もちろん本命だろうし、警戒は怠るべきじゃないと思う。でも、神楽先生ばかりを見ていて、足元を掬われる訳にはいかないしね」
「スルーパスの送り先を探していて、後ろから来た敵によくボールをさらわれてたからな、お前は」
優弥からの思わぬ指摘。
それを受け、僕は思わず苦笑を浮かべる。
「はは……そんなこともあったね。ともかく、先ず大前提は一番を取ること。それだけを考えよう」
「ああ。しかもベコノベらしく、更に由那の作風にあった原作でな。となるとやはりだ」
優弥がそう口にしたところで、僕たちはお互いの顔を見合わせる。
そしてほぼ同時に、僕たちは同じ結論を導き出した。
「悪役令嬢ものだね」
「悪役令嬢ものだな」
二人の言葉がハモるように発せられたところで、僕たちの口からは再び重なるように笑い声がこぼれだした。
「ジャンルは決まったし、ちょっと図書館で使えそうな資料を調べてくるよ。前に書いたのは、読み切り用だったから細かいところは詰めれてなかったし」
前回、由那の新人賞のために書いた原作は、三十二ページの短編だったために、世界観の詳細までは決めていなかった。
しかし今回は短編ではない。
だからこそ、僕はかつて先生に言われたとおり、悪役令嬢の世界に奥行きを出すため、しっかりと下調べをしようと心に誓っていた。
「そうだな。今度は連載が前提なんだ。世界観からしっかり詰めとくのが正解だろう」
「うん、僕もそう思う。という訳で、僕はそろそろ行くよ。優弥は今日バイトだよね? 暑い中、無理しない程度に頑張ってね」
僕がそう口にすると、優弥は途端に苦い表情を浮かべる。
優弥が行っているバイトはホームショップの園芸部門。
つまりこの雲一つない快晴の下で働く必要があるわけで、彼は憎々しげに真夏の空を見上げると、深い溜め息を虚空に吐き出した。




