第七話 賭けの対象は由那!? 神楽先生と知り合いであっただけでも驚いたのに、更にベコノベで開催されるコンテストで僕に勝った場合、由那と付き合いたいなどと神楽先生が言い出した件について
予備校近くに存在するチェーンのコーヒーショップ。
その入口近くの一角に僕はいた。
一人のチューターと同級生とともに。
「つまりベコノベで漫画原作のコンテストを行うと、そういうわけだね」
「はい。こちらがその要項です」
昨日ベコノベのトップページにアップされたばかりの募集要項。
僕はスマホでそれを表示し、そのまま津瀬先生に手渡す。
「ふむ……さすが士洋社というべきかな。動きが早いな」
「元々、小説のコンテスト自体は告知され準備されていたようですからね。そこに新たな部門として、漫画原作賞も追加した形ですので」
ネット小説新人賞の募集要項自体は、夏休みのはじめ頃から既にベコノベのトップページに掲示されてあった。昨日、それに急遽漫画原作部門が追加された形となっている。
そんな要項に目を通した津瀬先生は、納得したように一つ頷くと、軽く右の口角を吊り上げた。
「なるほどな。流石にそうでなければ、これほど早く要項がアップされることはないか。しかし音原くんのイラストは初めて見るが、聞いていた通りだね」
そう口にした津瀬先生の視線の先には、由那の書いたモデルキャラクターが存在した。
この追加された漫画原作賞。
それはあくまで、由那の漫画の原作権を競うためのものである。
だからこそ、彼女のイラストに合う原作を必要とするが故に、募集要項にはふんだんに彼女のイラストが使用されていた。
一方、津瀬先生の言葉が気になったのか、由那は僅かに口元をピクリと動かすと、すぐさま確認の問いを口にする。
「聞いていた通りとはどういうことですか?」
「なに、別に他意はないさ。以前から彼が、君の漫画を称賛していたものでね。純粋に上手いという事を確認したというだけの話だよ」
津瀬先生はメタルフレームの眼鏡を右の人差し指でずり上げながら、苦笑を浮かべつつそう述べる。
それを受けて、由那は先程までの硬い表情を破顔させると、締まらない顔のまま、謙遜の言葉を口にした。
「そ、そうですか。いや、それほどでもないんですよ。ほんとに」
「ふふ、いやいやなかなか立派なものだよ。これならば君のためだけに賞が新設されたのもわかるというものだ。で、実際のところだが、昴くん。この賞レースにおいて君に優位性はないというわけだね?」
津瀬先生は由那から僕へと視線を移すと、改めて僕に与えられた条件を確認してくる。
そしてその問いかけに対し、僕は迷うこと無く首を縦に振った。
「はい。出来レースにはしない。あくまで審査は公平に行うとのことです。もちろん一部例外はありますが」
「ふむ、それは神楽くんのことだね」
右の人差し指を突き立て、津瀬先生はあっさりとした口調で内幕を看破してみせる。
相変わらずのその洞察力に、僕は思わず苦笑を浮かべるしか無かった。
「その通りです。神楽先生にはベコノベの連載に際して原稿料が支払われ、万が一今回のコンテストに落ちた場合も、別の漫画家を付けて連載は行うとの約束のようです。プロを引っ張ってきておきながら、タダでコンペに出てもらうわけにはいかなかったようですから」
「至れり尽くせりだな。プロでも企画書を跳ねられて、ベコノベで人気を取って来いと編集者から宣告される者までいると聞くが」
そう口にすると、津瀬先生は手元のアイスコーヒーを一口飲む。
一方、僕はサラリと告げられた先生の言葉に、背中から冷たい汗が滴り落ちるのを自覚していた。
「ベコノベで人気をですか。噂には伺ったことがありますが……いずれにせよ、コンテストはポイントを最優先して行われるようです。なので、僕にも神楽先生にも、そして他のベコノベ作者にとっても、全て条件は同じとなっています」
「スケジュールに余裕があれば、私も参加してみたいところだが……そんな顔をするな音原くん。ただの冗談だ」
隣に腰掛けた由那の形相が変わったのを受け、津瀬先生は軽く肩をすくめてみせる。
僕は僅かに雰囲気の悪くなった二人の間に入る形で、冗談めかして言葉を挟んだ。
「先生まで参戦したら、さすがに試合を投げたくなりますよ。もっとも先生なしでは、このコンテストと言う形にまで持っていくことはできなかったでしょうが」
「ふふ、プレゼンの練習を行っていったかいがあったというものだ」
そう、今回士洋社に向かうに辺り、予め津瀬先生と僕の企画を押し込めるよう、事前にプレゼンの練習まで行っていた。
もちろん、普段からなれないこと故に、先生の見せてくれた手本に比べれば多分に拙いものではあったと思う。しかし事前に、対策と練習を行っていなければ、まともに話さえ聞いてもらうこともできなかっただろう。
そしてその上、あの資料である。
「それももちろんですが、あの資料。やはりアレがなければ――」
「おや、こんなところにいらっしゃいましたか。津瀬先生」
僕の説明を遮る形で、突然発せられた透き通った声。
店の入口の方から放たれたその声は、つい先日会ったばかりの男性によるものであった。
「神楽……先生」
まるでモデルのようにスマートであり、そして津瀬先生と同類と感じさせるような、ある種の知性を伴う整った顔。
お会いしたのはたった一回だけであったが、その人物を僕は見間違う気がしなかった。
「へぇ、確か黒木くんだったか。あと音原先生も一緒とはね。もしやと思ったけど、これは好都合といったところかな」
そう口にすると、神楽先生はニヤリと右の口角を吊り上げ、嬉しそうに笑う。
そんな彼に向かって、目の前の青年は眉間にしわを寄せながら、サラリとした声を発した。
「……久しぶりだな、蓮」
「ええ、お久しぶりです先生」
その二人のやり取り。
それを耳にした僕は、この二人の間に以前から何らかの関係性が存在したことを察した。
「あの……お知り合いなんですか?」
「昔の生徒だよ。予備校のな」
僕の問いかけに対し、津瀬先生はまったく淀むこと無くそう回答する。
それに対し、神楽先生はニコリと微笑むと、軽く両腕を左右に広げてみせた。
「なるほど、確かにそういう言い方もできますか。まあ、今となっては関係のないことですが」
「それで、どうしてここに来たのかな」
「もちろん貴方を探してですよ。予備校に行ったら、既に退社された後と伺いましてね。昔から、この店を使っておられるのを覚えていたので、もしやと思って覗かせて貰ったわけです」
「……そうか。なるほどな」
津瀬先生は納得したように小さく一つ頷く。
一方、僕は目の前で会話を行う二人の間に、はっきりとした一つの確信を覚えていた。
そう、それは少なくともただの生徒と先生だけの関係性ではないと言う確信を。
だがそんな僕の予想が成される間にも、二人の間ではさらに言葉が重ねられていく。
「しかしなかなか見事でしたよ、あの統計解析は。おかげでベコノベという非常に面白いおもちゃを理解することが出来ました」
「あれは君のためのものではないのだがね」
「ほう、つまり彼のためですか。よほど気に入られているのですね」
右の眉を僅かに吊り上げ、神楽先生は興味深そうにそう問いかける。
すると、津瀬先生は淡々とした口調で一つの事実を口にした。
「ああ。私は私の恩師同様に、自分の教え子を大事にするたちなのでね」
「恩師同様に? へぇ、黒木と聞いて何か引っかかる感覚がありましたが、もしかして黒木教授の息子さんというわけですか」
そう口にすると、神楽先生は改めて僕に向かい視線を向けてくる。
それは先程までと異なり、はっきりと僕の存在に興味を持った視線であった。
「そうだ。私は受けた恩や借りは必ず返すことにしているのでね」
「氷の津瀬と言われたあなたがそう言われますか? ふふ、あの人にも聞かせてやりたいところですよ」
「ふん……」
神楽先生の発言を、津瀬先生は鼻で笑う。
そんな反応を目にして、神楽先生は軽く肩をすくめながら、まったく心のこもらぬ謝罪を口にした。
「失礼、気分を害されましたか。いや勘違いしていただきたくないのですが、今日は貴方に難癖をつけに来たわけではないのです。どちらかというと、お礼に来た次第でして」
「お礼だと?」
予想外の言葉であったためか、津瀬先生の眉がピクリと跳ね上がる。
一方、神楽先生はその反応を引き出したことに満足気な様子を見せた。
「もちろん昔のことではありません。あくまで今現在の、つまりネット小説サイトの統計データに関してです」
「……どういうことかな、話が見えないのだが」
「いえ、先程も言ったとおり、あなたが作った……もとい、彼と一緒にあなたが作ったとされるあの統計を拝見しましたので、その御礼を言いたかっただけです。繰り返すようですが、おかげで新たな知見を得ることが出来ましたので」
さすがにバレている。
そう、神楽先生の言うとおり、僕が行ったのはあくまで一部の数字を打ち込む作業だけ。つまりあの統計データはほぼ全て先生が作成したものだ。
そして全て把握されていることは津瀬先生も理解したのか、ただ単純に感想だけを漏らした。
「そうか。しかしご丁寧なことだ」
「はは、当然じゃないですか。どなたかではありませんが、かつての恩師に無礼は出来ません。しかも、本来ならば一つ言付けをお願いするつもりでしたので」
「言付け?」
予期せぬ言葉を耳にして、津瀬先生は眉間にしわを寄せる。
だがそんな言葉を口にした当人は、ニコリと微笑むと、その視線を僕たちへと向けた。
「ええ。でもその必要はなくなりました。本当に間が良いとはこういうことなんですね」
「……私たちに何か用ですか?」
神楽先生の視線が向けられた事に対し、由那は嫌悪感を隠さぬ応対を行う。
それに対し、神楽先生は苦笑を浮かべてみせると、まったく怯むこと無く指を一本突き立てた。
「一つ、君たちに宣言しておきたいことがあってね」
「宣言……ですか」
明らかに自信に満ち溢れた神楽先生の表情を目の当たりにし、僕はやや気圧され気味になりながらも、どうにかそう問いかける。
すると神楽先生は、その端正な顔に人好きのする笑みを張り付かせ、僕たちに向かって改めて口を開いた。
「ああ、宣言さ。湯島さんを通してでは、どうしても出来ない内容だったのでね。津瀬先生に伝言をお願いするつもりだったけど、君たちが……いや、音原先生がこの場に居合わせてくれて本当に良かった」
最初は僕たち二人を捉えていたその視線は、いつの間にか由那だけへと向けられていた。
当然ながらそのことに気づいた由那は、冷ややかな声でその言葉と視線の理由を問いただす。
「なぜ、私がここにいたら好都合なのですか? コンテストが終わり、万が一あなたが受賞する時まで、特に話すことはないと思いますが」
「万が一受賞するまで……か。ふふ、なるほど。でも、まあそれもいいさ。ただし音原先生、一つ君と賭けをしたい。もしコンテストでこの俺が勝てば、君に交際を申し込ませて貰いたいのだが構わないかな?」




