第三話 ベコノベ読者を信じろ!? 人気原作者に挑むにあたり、まったく自信を持てずにいた僕に対して、信じるべきはベコノベで応援してくれている読者さんたちだと、親友である優弥が教えに来てくれた件について
「お兄ちゃん、お客さんだよ」
「お客さん?」
突然一階から届いてきた妹の声に、僕は首を傾げる。
今日は予備校の予定もなく、朝からお昼前となるこの時間まで、僕はずっと原稿と向き合っていた。
それはもちろん、誰かと会う約束など無かったからである。
「なんだ、優弥か」
階段を降りて玄関へと視線を向けた僕は、いつもながらのラフな格好をした恵美の背後に、見慣れた灰色の男の姿を見た。
「なんだはないだろ。今日は予備校がないって聞いてたから、わざわざ遊びに来てやったんだぜ」
「予備校がなくても、原稿が忙しいんだけど」
「まあそう言うなよ。というわけで、ちょっと上がらせてもらうぜ」
そう口にするなり、全く遠慮する様子も見せず優弥は靴を脱ぐ。そして恵美からスリッパを受け取ると、そのまま躊躇なく家の中へと上がり込んできた。
「はぁ、まったく」
手慣れた対応をする恵美と、まるで自宅に返ってきたかのような振る舞いを見せる優弥。
そんな二人にに呆れながら、僕は一つ溜め息を吐き出した。
「へへ、邪魔するぜ」
「仕方ないなぁ。じゃあ、とりあえずついてきてよ」
僕がそう口にして階段を登り始めると、優弥は後へと続いてくる。
すると、そんな僕たちの背に向かい、恵美が声を投げかけてきた。
「ねえ、お兄ちゃん、ユウ君。アイスいる?」
「恵美ちゃんは気が利くなぁ。もらうもらう」
流石に夏真っ盛りであり、ひたいに汗が滲んでいる優弥は、一切遠慮することなく返事を行う。
僕は軽く頭を掻くと、目の前の図々しい友人に呆れながら、敢えてかぶせるように口を開いた。
「いいよ、恵美。優弥相手に気を使わなくてもさ。水道水で充分だからさ」
「了解。任せといて」
そう口にした恵美は、パタパタとリビングに向かって歩き去っていく。
それを目にして、優弥は僕に向かって問いかけてきた。
「お、おい昴。恵美ちゃんはどっちの意味で了解したんだ。アイスか水道水か」
「さあ、あいつの事はいまいちわからないからなぁ……ま、あんまり気にしても無駄だよ」
僕はそれだけを告げると、そのまま部屋へと戻る。
「相変わらず、地味な部屋だなぁ」
僕の後に続く形で部屋に入ってきた優弥は、手近な座椅子に腰掛けながら、苦笑交じりにそう呟いた。
「そう? 普通だと思うけど」
「いつも思うんだけどさあ、やっぱ普通の部屋過ぎるんだよ。お前さあ、俺たち高校三年だぜ。一つくらいアイドルのポスターでも貼ってていいだろうに」
「アイドルなんてよくわからないし、そう言われてもね。一応、歴代のバロンドール選手のポスターならあるけど?」
軽く頭を掻きながら、雑誌の付録としてついていたヨーロッパ年間最優秀選手のポスターのことを、僕は優弥に向かって口にする。
すると、優弥は軽く肩をすくめ、やや呆れた素振りを見せた。
「なんというか、その辺がお前だよな。でも、なんで貼ってないわけ?」
「見てると、またサッカーがやりたくなるからね。だけど嫌いになったわけじゃないから、押し入れに仕舞ってるってとこかな」
「そっか。まあ昴ならそうだわな」
優弥は苦笑を浮かべながら、納得したように二度頷く。
そんな彼の反応を前にして、僕もつられるように苦笑を浮かべた。
「はは、まあね。で、今日は何の用なの?」
「別に理由はないっていいたいところだが、昨日の転生英雄放浪記を読んでな、だからここに来たってのが正直なところか」
「放浪記を読んだから……か」
優弥のその言葉と口調から、彼が僕の内心を見透かしていることを理解した。
そしてそれを肯定するかのように、彼は僕に向かって意味ありげに小さく首を振る。
「昴、お前が一番わかってるだろ? 昨日の転生英雄放浪記は放浪記であって放浪記じゃない。同じ人間が書いているにもかかわらず、まるで別人が書いたみたいになっちまってたぜ」
「……いつもどおり書いたつもりなんだけど、やっぱりわかっちゃうものなんだね」
僕は降参だとばかりに軽く両手を上げる。
それを目にして、優弥は軽く頷くとその理由を口にした。
「主人公であるアインのテンションが、明らかに低かったからな。元々、そんな派手に動くキャラじゃないが、なんていうか作者のメンタルを反映している感がアリアリでさ。正直読んでてキツかったよ」
「筆の進みは確かに悪かったかな……一応、自分でも読み返した時に、気づいたところは直したつもりなんだけどさ」
そう、明らかに昨日の投稿は難産だった。
いつもなら一時間に二千から三千字くらい書けるのが、昨日はその半分の速度にも満たず、結局七時間近くモニターと向き合い続けたのである。もしスランプというものがあるのなら、たぶんこんな感覚なのだろうなと僕は感じていた。
「まあそんなもんだろ。ある程度寝かしてから見なおせば別だろうけど、放浪記みたいに更新速度が早い作品だと、なかなか冷静に自分の原稿を見れるもんじゃないさ。だからこそお前には俺がついてるわけだし、こうやって遊びに来てやったんだろ」
「それは、うん……そうだね」
「で、結局何が引っかかってるんだ? と言っても、どうせ漫画原作の件だろうが、音原はお前と組んで描きたいって言ってるんだ。これ以上、お前が気にすることじゃないだろう?」
昨日の集まりで出た結論は、やはり僕の原作をもとにして、由那は漫画が書きたいというものであった。
だからこそ、もう一度彼女は湯島さんとメールで相談することになっている。
ただ先日会った時の印象から、それが素直に受け入れられるかに関しては、些か難しいのではないかと僕は思っていた。
「それはそうなんだけどね。でも僕の原作にこだわったせいでせいで由那がデビューできなかったら、どうしようかと思っててさ……編集さんがいい顔しないのはまず確実だろうしね」
「おいおい、お前の原作であいつは新人賞取れたんだろ?」
「だけどさ、由那の作品を推した人は部署異動でいなくなっちゃったみたいだし、人が変わると同じ評価がもらえないのは仕方ないよ」
そう、原作を評価してくれた編集さんは異動となり、今は編集部にいない。
その代わりとなった人物こそ、あの湯島さんその人であった。
「なんか納得できねえよな。だいたいだ、お前も書籍化が決まってるんだから、ある意味プロみたいなもんだろ。もっと胸張って自分のことを主張しろよ」
「主張って言っても、僕は所詮ベコノベ出身だし、まだ本も発売されてないしさ……」
ベコノベ出身で、まだ本の発売が正式には決まっていない宙ぶらりんのな立場。
それが現在の僕の立ち位置であり、ドラマ化が噂されるような原作者と、とても横に並べるだけの自信はなかった。
しかしそんな僕の発言を、優弥はやや不満そうにたしなめてくる。
「情けないこと言うなって。それとベコノベ出身だってこと自虐に使ってくれるなよ。自分の好きなサイトが、バカにされてるみたいでやな感じだからさ」
「そっか……それは確かにそうかも」
「だろ。というかさ、お前らしくねえよ。サッカーの試合でもさ、相手が強豪のほうが燃えるタチだったろ?」
「確かにそうだったよね。うん……なんでだろ」
たしかに優弥の言うとおりだ。
これまでの僕なら、この逆境を楽しむとは言わないまでも、挑戦者として意欲を新たにするのが普通なのである。
しかしながら、人気原作者が相手だというそれだけで尻込みするのは、本当に欠片も僕らしくない。
すると、そんな混乱する僕に向かい、優弥ははっきりとその原因を口にした。
「理由は多分アレだな。練習不足だな」
「練習不足?」
何のことを言っているのかわからず、僕はすぐさま問い返す。
「ああ。お前ってさ、サッカーの試合に挑むとき、積んできた練習を自信にするタイプだったろ。きつい合宿の後とか、逆にいきいきとプレイしてたよな。つまりはそういうことだ」
「要するに、小説家として自信になるだけの練習ができてないってことかな」
「その通り。実際さ、小説を書き始めてまだ二ヶ月足らずなわけだぜ。基本的な積み重ねが全然ないから、余計に不安に思うんだよ」
優弥のその言葉。それを聞いてなるほどと頷かざるを得なかった。
練習でできないことは試合でできない。
だからこそ、周りからファンタジックに見える様な高難度のプレーがしたいなら、それをミスなく行えるだけの練習をきちんと積み重ねておく。
それが僕の信条であり、ある意味では試合に挑むに当たっての自信の拠り所となっていた。
しかしながら小説家としての僕には、そんな自分の自信になるような土台が存在しない。
逆に言えば、自信がつくまでにどれだけの積み上げが必要になるか、そう考えると自分のことながら気が遠くなった。
「確かに優弥の言うとおりだね……でもそうなると、小説家として自信が持てるには、まだまだ頑張ってからじゃないと無理ってことかな」
「基本的にはな。だけど、練習以外を信じることができたら違うんじゃないか?」
優弥は薄く笑いながら、僕に向かってそう告げる。
その意味がわからなかった僕は、首を傾げながら改めて問いなおした。
「練習以外を信じる?」
「そうだ。さっき、ベコノベ出身だってことまるで恥ずかしいみたいに言っただろ。だけどさ、逆に考えてみろよ。ベコノベにいたから、お前はたった二ヶ月でここまでこれたんだ。そんなベコノベの環境を信じてみろってことだよ」
「ベコノベの環境か……それはランキングシステムなんかも含めての話だよね」
「ああ、その通りだ。ベコノベのシステム。その中でもランキングはコアの一つだからな。実際さ、何万、何十万って言うベコノベの投稿作と闘いながら、お前はあのランキングを駆け上がったんだぜ」
「それは、うん、確かに……」
確かに優弥の言うとおりだ。
僕はたくさんの作品がひしめくランキングを戦ってきた。
結果として書籍化という一つの形を得たことはもちろんだけど、それ以上に作品の中身と、ランキングを如何に駆け上がるかを常に考えながら走り続けたことは、僕にとって一つの誇りとなっている。
「だろ。しかも、普通の新人賞作家は、編集者や出版社以外には誰の後押しも受けることができない。でもお前には、既にお前の作品が好きな読者が付いてくれている。それがベコノベ書籍化組の強みでもあるわけだが、もし自分が信じられなくてもさ、お前を応援してくれている読者の目を信じてみろよ」
「読者さんの目か……うん、そうだね」
「商業作品と違い、ベコノベは全て無料。本を一冊買うのと違い、何処で物語を読むことをやめようが、読者は後悔したりなんてしない。もちろん時間を損したとは思うかもしれないけどな。そんな環境下で放浪記を読み続けてくれている人たちは、お前の自信にするには不十分な存在なのか?」
その優弥の問いかけ。
それに対する僕の答えは一つしか無かった。
「そんなことないよ。うん、そうだよね。ごめん優弥、僕が間違ってたよ。もう、所詮ベコノベ出身なんて言わない」
「ああ。そうしろそうしろ。むしろ人気原作者って奴に、ベコノベ出身の力を見せつけてやれ」
僕の返答を受け、優弥はニンマリと笑うと、敢えて軽い口調でそう煽ってくる。
「はは、たった二ヶ月でベコノベの代表ヅラなんてできないし、見せつけるとは言わないさ。でも僕はやってみるよ」
「へへ、いつものおまえが戻ってきたな。よし、じゃあ担当編集としての任務終了だ。というわけで、俺は帰るぜ」
満足気な笑みを浮かべた優弥は、それだけを口にすると、スクっと立ち上がる。
そしてそのまま部屋から出ていこうとする彼を目の当たりにして、僕は慌ててそのシャツの裾を掴んだ。
「ちょっと待ってよ。僕を励ますためだけにわざわざ来てくれたの?」
「さて、どうだかな。ただまあ、午後から俺はバイトだからさ」
照れ笑いを浮かべながら、優弥は僕の制止を振りきって再び部屋を立ち去ろうとする。
すると、そのタイミングで部屋の外からノックなしに、一人の女性が中へと入り込んできた。
「お兄ちゃん、それとユウくん。お待た……せ……」
そこから姿を現したのは、お盆を片手にした恵美だった。
彼女は僕と優弥の姿を目にすると、空いた右手で思わず口元を押さえる。
「……え、何、そんな関係だったの二人」
「「違う!」」
そうして恵美への弁明のため、優弥はアイスバーが溶け、コップに注がれた水道水が生ぬるくなるまでの間、うちの部屋に残ることとなる。
後日、バイトに遅れたことの苦情をぶつけられることになったが、あれを僕のせいにするのは些か理不尽ではないかと、正直思う……




