第一話 ベコノベ作家は悪貨!? 由那の新人賞授賞式に同伴して参加したら、彼女の担当編集者を名乗る男から、理不尽で容赦のない罵声を散々浴びせられ、非常に悔しい思いをする羽目になった件について
「残念ながら、あの作品は売りものにならないな」
薄ら笑いを浮かべながら、目の前の男は冷たく乾いた声色でそう口にした。
湯島明也。
それが目の前の由那の担当を名乗るという男の名であった。
「どういう……ことですか……」
「言葉のままさ。前任者はあの未熟なシナリオでも評価していたようだが、あいつには本当に見る目がない。あのままだと、漫画というよりただのイラスト集だ。別にそれが悪いとは言わないが、彼女の才能を無駄遣いさせることが恥ずかしくて、この僕にはそんな判断はできないな」
皮肉げに右の口角を吊り上げながら、湯島は畳み掛けるように僕に向かってそう告げた。
受賞記念パーティの一角。
きらびやかな人たちが、思い思いの食事や飲み物を手にして談笑を交わしているその会場の片隅で、僕は目の前の男の言葉をただ受け止め続ける。
先程までは別人であった。
一人までの同伴者が認められるこの式典に、僕は由那の友人であり原作協力者として足を踏み入れ、彼を紹介されたその時までは。
彼と最初の言葉を交わした時、至って普通の男だという第一印象を僕は覚えた。
由那の新人賞受賞作を褒め、そして次の原稿への期待を口にする。
隣でその言葉を耳にしていた僕は、賞賛される彼女を目の当たりにして、友人としてただ誇らしい気分を抱いていた。
そして彼女が受賞者として、表彰式に参列されるため席を外したところで、突然眼前の男は牙を向く。
そう、同伴者であり、彼女の漫画原作を書いたこの僕に向かって。
「貴方は、僕にどうしろというのですか、湯島さん」
「勘違いしないでほしいな。君ごときに何かをしろとは言わないさ……いや、それも違うか。訂正しよう、何もしないでくれたまえ。最高の素材を、実力の無き者によって汚されるのは耐え難い侮辱だからね」
男の表情にいやらしい笑みが浮かび、ほんのわずかにアルコールの混じった息が吐き出された。
僕は眼前の男の悪意のようなものに対し、どう対処すればいいのかわからず、ただただ戸惑いだけを覚える。
「……僕に言われましても、正直困ります。彼女の原作を手伝うと、僕から持ちかけたわけではありませんから」
「ふぅん……そうか。ならば、なおさら好都合だ。君は何もせず、そのままおとなしくしておいてくれ。彼女にふさわしいパートナーは、この私が責任持って用意するのでね」
「……彼女の意見を聞くことなく、貴方だけでそれを決めるつもりですか?」
向けられ続ける理由のわからぬ悪意。
それを受け止め続ける中で、僕の胸のうちに芽生えたある種の感情を、目の前の男に向かい投げかける。
途端、男の顔にははっきりとした侮蔑が浮かび上がった。
「これだから友達ごっこで作品を作っているアマチュアは……何か勘違いしているようだから、はっきり言っておこう。君ごときが商業はやっていけないよ。たった三十二ページの作品さえ、満足にシナリオ構成ができていないのだからね」
「構成……ですか」
「ああ、構成さ。ベコノベとかいうアマチュア共のままごとサイトで、少しばかり人気を持っているから勘違いしたんだろう。しかしまあ、あそこは本当にひどいものだ。自らの実力不足を知ることなく、勘違いした人間を次々生み出しているわけだからな。そんな君が一端の作家気取り? はっ、反吐が出るな」
男はそう言い切ると、完全に見下す視線を向けてくる。
僕は悔しさのあまり、無意識に自らの拳が握りしめた。
「僕には貴方を満足させられる力がないかもしれません。でも、それだけでベコノベをわかったつもりになるのは、ちょっと待ってもらえませんか」
「おやおや、僕の意見がご不満だったかい? でもね、正直少なくないんだよ。君たちのようなアマチュアが、プロの土俵を荒らすから迷惑している人間はね」
「それはダメなことなんですか?」
「ダメに決まっているさ。君たちの低レベルな作品が市場に蔓延することで、僕たちプロが作る作品までもが同じレベルだと思われかねない。君たちが内輪で勝手に遊んでいるうちはどうでも良かったが、今やベコノベのせいで業界全体が迷惑している。つまり悪貨はそれ自体が罪なのだよ」
それはおそらく、目の前の男の本心なのだろう。
湯島と言う名の男は、薄ら笑いを浮かべたまま、全く躊躇することなく僕にそう告げた。
途端、僕は堪えきれず反論を口に仕掛ける。
「ですが、アリオンズライフのような――」
「君さ、恥ずかしくないのかい? 他人の作品で言い訳をすることにさ。しかもよりにもよって山川修司か。死んだ人間は業界になんの益ももたらせてくれない。まあその意味では、これ以上僕らの邪魔をしないから無害とも言えるけどね」
僕の言葉を遮る形で、湯島は侮蔑混じりの言葉を口にする。
僕はもう限界だった。これ以上この空気に耐えることに。
だからやむを得ずこの場から立ち去ろう考えた瞬間、突然背後から野太い声がこちらへと向けられる。
「おや、湯島くんじゃないか」
「……東編集長。ご無沙汰しております」
先程までとは一変し、湯島は苦虫を噛み潰したような表情を見せながら、軽く頭を下げる。
一方、東と呼ばれた恰幅の良い壮年は、軽く首を傾げながら、目の前の男に向かって疑問を口にした。
「一体、こんなところでどうしたのかね。たしか前任の山辺君から引き継いだ新人作家が、今から表彰されるところだと思うが」
「いえ、その担当作家のご友人に、ちょっと挨拶をしていただけですよ」
表向きは極めて丁寧に応対しながらも、不快感が湯島の表情には表れていた。
一方、そんな彼を目の当たりにしながら、恰幅の良い壮年男性は特に気にした素振りを見せず、その視線を僕へと向けてきた。
「ほう、そうかね。失礼、コミックレーン編集部の東と言います。彼は先日までうちの部署で働いてましてね」
東さんはそう口にすると、胸ポケットから一枚の名刺を取り出す。
それを目の当たりにして、僕は津瀬先生に勧められて慌てて用意してきた名刺を取り出す。そしてややもたつきながらも、東編集長と名刺交換を行った。
「どうも、黒木昴と言います」
「黒木君ですか……ああ、ベコノベ。確か最近流行っているネット小説投稿サイトだね。次々と有望な新人が出て勢いがあり、あそこから出版された作品はよく売れていると聞いているよ」
僕の名刺に記した肩書はベコノベ作家。
それを眼にした東さんは、ニコリと笑いながら全く含むところのない声でそう口にする。
正直言って、僕は始めて足を踏み入れるこのパーティ会場と、そして真正面から悪意をぶつけてくる男によって、ずっと体をこわばらせ続けていた。
しかしながら、目の前のふくよかな男性の全く悪意のない言葉と笑みを前にして、僕は初めて弛緩した息を吐き出す。
だが、僕と東さんの間で産み出された空気を、嫌悪する者が直ぐ側に存在した。
「東編集長。受賞作家の下へ向かいますので、私はこれで」
軽く頭を下げた後に、その場から立ち去ろうとした彼は、僕の側を通りかかった時にそっと耳元で呟く。
「一つだけ言っておく。君たちみたいなWEB作家は、所詮一山いくらの捨て駒だ。代わりなんて、腐るほどいるんだよ。間違っても勘違いはしないように」




