第二十八話 エピローグ!? これからプロの小説家として歩む出す決意を固めた僕が、自分の原点を確認するために怪我をしたサッカー場へと足を運び、そしてサッカーへの未練と別れを告げることにした件について
時間はすでに後半のロスタイムにさしかかろうとしていた。
グラウンドに立つ選手たちは、この一番苦しい時間にもかかわらず、お互いを支えあい、そして励まし合う。
彼らのそんな姿を目にしたからこそ、僕は思わず涙を流しそうになった。
「昴……本当にここに来ていたんだな」
突然背後から掛けられた声。
それを耳にして、僕は目元を拭いすぐに振り返った。
「優弥……」
そう、そこには僕と同様に、二度とこの場所へと足を運ばなくなっていた青年の姿が存在した。
「おばさんに聞いたんだ。おまえがここに来てるってな」
「そっか……珍しいね、君がここに来るなんて」
家庭の事情でサッカー部を離れて以来、彼は頑なにサッカーとの縁を断っていた。
だからこそ、まさかサッカー場で彼に声をかけられるなんて、夢にも思っていなかった。
しかしどうやら、それは彼も同じ思いだったらしい。
優弥は軽く苦笑を浮かべると、僕に向かって言葉を放つ。
「それはむしろ俺のセリフだろ。おばさん、本当に驚いてたぜ。おまえがサッカー部の応援に向かったからさ。一体どういう風の吹き回しだ?」
「純粋に応援したいと思っただけだよ。かつての仲間たちのね」
「仲間たち……か」
そう口にすると、優也も視線をグラウンドへと向ける。
彼が在籍していた頃のメンバーで、今グラウンド上にいるのは六人。
誰もが優弥の離脱を悲しんだし、そして事情を知るだけに快く送り出したことを僕は覚えている。
なぜならばその時は、僕もその一員だったから。
「本当はもっと早く来ようと思っていたんだ。でも、どうしても足を向けることが出来なかった。行けばきっと、僕は自分を呪うことしかできないとわかっていたからね。不用意に怪我をして、仲間を置き去りにした自分を」
「別にお前のせいじゃないだろ。おまえが望んで怪我したわけじゃないんだからさ」
「そうかもしれない。でも……」
僕はそれ以上言葉を口にすることができなくなった。
すると、目の前の灰色の青年は、頭を掻きながら思わぬことを口にする。
「はぁ、繰り返させるなよ。お前のせいじゃない。むしろ原因があるとすれば、それは俺のせいだ」
「優弥?」
「俺がチームを抜けてから、どれだけの負担がお前に掛かったかは知っている。元々、攻撃のメイクを主にやっていたおまえが、守備にまで奔走しなければならなくなったってな。あの時も、そんな負担がなければ、お前は怪我しなかったかもしれない。俺はずっとそう思っていた」
全く考えてもいなかった、優也の告白。
一瞬僕は、どう言っていいのかわからなかった。
でも確実にわかることが一つだけある。
だからそれを僕は優弥へとぶつけた。
「君のせいじゃないよ、優弥。君が心から望んでサッカーをやめたわけじゃないこと、僕は知ってるからさ」
「そりゃそうさ。でもさあ、あいつらのあんな姿を見ると、俺ももう少しだけサッカーを続けたかったな……」
それは多分彼の本音だったのだろう。
グラウンドを駆ける選手たちを見ながら、彼は真剣な面持ちでそう口にしたのだから。
「そうだね。でも、僕と違って君は出来るんじゃない?」
「残念ながら、それは無理だな」
「どうして? 確かにすぐには昔のようには動けないだろうけど、たった一年の――」
「ちげぇよ。出来ないっていうのはそういう意味じゃない。俺にとってサッカーってのは、黒木昴と一緒にボールを蹴るスポーツの名前なんだからさ」
僕の言葉を遮る形で発せられた彼の言葉に、僕は一瞬泣きそうになった。
でも、そんな僕の内心を察してか、彼は続けて言葉を紡ぐ。
「でもさ、もういいんだ。なぜならサッカー以上に、面白えことができちまったからな。そうだろ、相棒」
「優弥……」
「昔みたいに、お前と一緒につるんで何かを出来るなんて思ってなかった。だから、サッカーはもう一度出来なかったけど、俺には十分だった。ま、ボール蹴ってるのと、小説を考えてるのは、全然違うっちゃ違うけどな」
それだけを口にすると、優弥はいつものあのニンマリとした笑みを浮かべる。
それを目にして僕は、迷うことなく右手を差し出した。
「まあね。だからさ、十分だったなんて言わずに、これからも頼むよ、優弥」
「いや、お前たちはもう目標を叶えただろ。だから、俺の役目は終わったんだ」
優弥は僕の差し出した手をその目にしながら、決して握ろうとはしなかった。
だから僕は、彼に向かって再び口を開く。
「違うよ。僕たちの夢はまだ叶っていない。少なくとも最後の一つがね」
そう、編集者になると言った優弥の夢。
それはまだ成されていなかった。
「夢……か。でも、それは無理だな。うちには大学に行く余裕なんて無いからさ」
「優弥、あの時僕たちが言ったこと、覚えていないのかい?」
そう、お互いの夢を語り合ったあの日、僕は彼に告げた。
彼の夢をかなえるために、後押しするって言ったことを。
「あの時って……おいおい、確かにあの時、お前は入学金を出すって言ってくれたけど、流石にそんなわけには――」
「いや、絶対に出すよ。既に父さんたちの許可はもらったからね」
「昴……お前……」
毅然とした僕の言葉を受けて、優弥は彼らしからぬ戸惑いを見せる。
だけど僕は、そんな彼から視線をそらすことなく、はっきりと告げる。
「お願いだよ、優弥。もちろん君の家のことは知ってる。だから、由那とも話し合って、出来る限りのことをしようって決めたんだ。だから、あとは君次第さ」
「ったく、みんなして俺にプレッシャーかけやがって。まさか大学に行けるなんて思ってなかったから、俺はろくに受験勉強してねえんだぞ」
その優弥の言葉。
それを耳にした瞬間、初めて僕は口角が緩むのを感じた。
そして思わず笑みを浮かべると、彼に向かって一つの提案を行う。
「じゃあ、夏休みは合宿だね。僕は小説を、由那は漫画を、そして君は勉強を」
「なんか俺だけつまらなそうなんだけど、ちょっとズルくねえか、それ」
唇を僅かに尖らせながら、優弥は僕に向かってそう言ってくる。
思わず僕は苦笑を浮かべ、そして懐かしい記憶を脳の片隅から引っ張りだした。
「はは、そうかも。でも、君と合宿なんて久しぶりだよね。ほんと一年ぶりか」
「サッカー部の合宿の後に、俺はやめたからな」
「うん、そうだったね。でもまた一緒に夢を目指すことが出来るようになった。そして君と一緒だから、僕はきちんとサッカーへの未練を口にすることが出来る。君同様に、いやそれ以上に面白いことに出会えたからね」
僕はそう告げると、彼に向かって笑いかけた。
途端、彼の舌打ちが僕の鼓膜を震わせる。そして同時に、差し出し続けていた右手を、彼は強引に握ってきた。
「くそ、そこまで言われたらやるしかねえじゃねえか。全く、相棒なのが俺で感謝しろよ」
「じゃあ!」
「ああ、仕方ねえな。まだ俺の力が必要だっていうんなら、手を貸してやるよ。何しろ俺は――」
「お前たちの編集長なんだから」
「その通りだ! って、俺の台詞な、それ」
いつものように自分のセリフを奪われた優弥は、軽く下唇を噛みながら一つ頷く。
そして同時に、グラウンドからは試合終了を告げるホイッスルが鳴り響いた。
同時に発生する大きな歓声。
僕らの視線の先では、かつての仲間たちが肩を抱き合い喜びを爆発させていた。
「あーあ、俺たち抜きで勝っちまったな」
「うん。サッカー部のみんなも、前に進んだってことさ。という訳で、僕たちも負けていられないね」
零れそうなほどの嬉しさと、ほんの僅かな寂しさ。
それを同時に噛み締めながら、僕は優弥に向かってそう告げる。
「だな。まあとりあえずは、そろそろ約束の時間だし、あいつの家に行くとするか」
「そうだね。あんまり待たせると怖いしさ」
優弥の言葉を受けて、僕も一つ頷く。そしてゆっくりと座席から立ち上がった。
「おう、精々あいつお手製のまずいケーキを腹いっぱい食って、あの天才の鼻を明かしてやるぜ」
「お腹いっぱい食べるくらいなら、美味しいケーキに越したことはないと思うけど」
「それもそうか。ともかく、俺達も行くとしようぜ、相棒」
グラウンドの上で、今もかつての仲間たちが抱き合う姿をその目にしながら、優弥はそう口にした。
僕はそんな彼に向かい、大きく一つ頷く。
「うん、これからもよろしくね、優弥」
「おう、相棒」
そうして、かつての仲間たちに背を向け、僕たち二人は新たなもう一人の仲間の下に向かい歩み始めた。
道は一つじゃない。
知らなければそんなことにも気づかなかった。
もちろん歩くことができなくなった道に後悔と未練はある。
でもその分も、僕はこの新たなる道を精一杯駆け抜けていこうと思う。
どこまでも広がる青空の下に、果てしなく続くこの小説家の道を。




