第二十七話 ベコノベは異世界だった!? 年齢も立場もそしてお互いの歩みもまったく異なる僕と津瀬先生。だけどたったひとつの接点から、ベコノベという異世界に惹かれた者同士だったという件について
空に広がる無数の星々。
そして建物の屋上に一つだけ灯る赤い火。
この空間に上がってきた僕は、煙を吐き出すその人の姿を目にして、迷わず声を掛けた。
「こんばんは、先生」
「君か……先生から聞いたよ。おめでとう」
津瀬先生は口からタバコを外すと、僕に向かって微笑んでくれた。
そんな目の前の先生に向かい、僕は深々と頭を下げる。
「いえ、津瀬先生のお陰だと思っています。本当にありがとうございました」
「ふふ、私は別に外野からあれこれと言っただけさ。それにこの前は、君を惑わす結果になったみたいだしな」
先日の説教後、僕のランキングが降下していったことを気に病んでいたのか、津瀬先生は彼らしくもなく肩を落としながらそう口にする。
「いえ、僕の考えの甘さが全ての原因です。それに結局、先生のおかげで作品をより正しい形に直すことが出来たんです。もし話別解析のことを知らなければ、どこに手を付けて良いのかもわからなかったはずですから」
「……そうか。そう言ってくれるとありがたい。まあいずれにせよ、これからは商業の舞台でスタートラインに着くことになるんだ。ここで満足せず、更に精進を重ねるんだね。と言っても、私もまだスタートラインには立ってはいないのだが」
先生は軽く肩をすくめながら、自嘲気味に笑う。
そんな彼の姿を前にして、僕は小さく首を振り、そして確信を持って口を開いた。
「そんなことはありませんよ。僕は今も先生の背中を……そう、無職英雄戦記の背中を追っているつもりなんですから」
予備校の屋上に拡散していった僕の言葉。
それを耳にした瞬間、津瀬先生はマジマジと僕の顔を見ると、メタルフレームの眼鏡をゆっくりとずり上げた。
「……どうして気づいたのかな。君には作品名を言ってなかったと思うが」
「書籍化が決まっているだけでまだ本が出ていない。ということは、最近の作品の可能性が高いと思ってました」
「ふむ……それはそうかもしれない。だけど昔からあった作品に、初めて出版の声が掛けられたのかもしれないよ」
「そうですね。でも、僕の主人公と真逆の英雄像の作品はそんなに多くないと思います」
そう、無職英雄戦記と転生英雄放浪記の主人公はコインの表と裏。
無職英雄戦記のような清濁併せ呑みながら超然として前に進む主人公像と、まさに真逆なものを求めて作り上げたのが、僕の転生英雄放浪記の主人公である。
英雄として崇められ、そして全てを失い、それでも前に向かって歩き出す。
それが僕の求める主人公の形であり、サッカーでの未来を失って、ベコノベと出会うことが出来た自分の感動を物語へと落とし込んだものでもあった。
だからこそ、先生は作品自体に手を付けるような指導を避けたのだろう。
お互いの作風が真逆であるがゆえに。
「なるほど、主人公が真逆という話を、彼が君に喋ったわけか。内緒だと言っておいたのにね。まったく近頃の高校生は少しおしゃべりすぎるな」
「ただ他にも理由があります。ベコノベのブログである作家日記。あれはたぶん僕のために書いてくださっていたんですよね」
「どうしてそうだと思ったのかな?」
「改めて日付を確認したのですが、ちょうど存在Aの執筆講座が始まったのが、先生と初めてあった日でした。更に決定的だったのは、ちょうど僕が感想に悩んでいたタイミングで、執筆講座の内容が感想の取り扱いに差し替わったこと。最初はなんて偶然だと思いましたが、冷静に考えるとあまりにタイミングが良すぎましたよね」
僕も最初は、偶々関係する内容の作家日記を優弥が見つけてきただけだと思っていた。
でも冷静に考えてみると、津瀬先生には他の作者の日記を見たり、書いたりすることを何度か勧められていた。
それはつまり、最初に交わした約束以外の時間でも、僕に彼の知識を伝えるためではなかったか。それに気づいた瞬間、僕は思わずモニターの前で、作家日記を綴る津瀬先生に向かい深々と頭を下げずに入られなかった。
一方、そんな日記を書いた当人はわずかに苦笑すると、ごまかすこと無く自らであることを認める。
「まああの講座に関しては、少しおせっかいがすぎるかとも思っていたのだがね。ただ君の感想欄を見て、ちょっと一言言いたくなったのは事実だよ」
「先生……先生はどうしてここまでしてくれたんですか?」
「君にかつての自分を重ね合わせた。それじゃあダメかな」
「先生が僕に……ですか」
僕は少しばかり驚きを覚えながら、確認するようにそう口にする。
そう、その津瀬先生の言葉は、正直言って僕にとってあまりに意外なものであった。
僕と津瀬先生の作品がまったく異なるように、サッカー一筋で走りながらも挫折した僕と、研究者として学びの道をまっすぐに歩む先生とは、真逆と呼んでも良い人生と言える。
だからこそ、そんな僕に自らを重ねるというのが、正直言ってピンとこなかった。
しかし津瀬先生は、そんな僕の懸念が間違いだとばかりに、更に言葉を紡ぐ。
「勉学に励み知識を得ることは、世界を広げることにほかならない。ベコノベに触れた君ならわかるだろう?」
「ということは……もしかして先生も同じことを思っていたんですか。ベコノベは異世界だと」
「ああ、君と同じように、私にとってもベコノベは異世界だった。学びの道という決められたレールの上を走るだけだった私は、あの世界に触れたことで、自らの視野狭窄に初めて気づいたよ。世界には無数の選択肢が存在するということにもね」
先生も同じだったんだ。
僕はようやくそこで、そのことを理解した。
つまり先生も、ベコノベという異世界に降り立った瞬間、転生したのだ。
これまでの自分が見てきたものとは違う、新たな世界に。
ただそれでもなお、一つだけどうしても引っかかっていることが僕に存在した。
だからこそ、決意を秘めて、僕は先生へと問いかける。
「わかります。まさに僕もそうでしたから。だからこそ……もう前を向いて歩き始めたからこそ教えてください。先生が僕を指導しようとした理由は、津瀬剛斗くんのことが理由ですか?」
津瀬明人ではなく、津瀬剛斗という人名。
それが誰のことを意味しているのか、当然のことながら先生はすぐに理解した。
そして同時に小さく嘆息する。
「……黒木先生に聞いたのかね?」
「いえ、父はそこまでは。ただ気になって、あの日の対戦相手の名前を調べてみたんです。すると、僕と対峙していたディフェンダーの選手の名が津瀬剛斗となっていました。だからたぶんそうではないかと」
そう、あの春の日の練習試合で僕がマッチアップした毬栗頭のディフェンダー。
豊富な運動量と、決して折れない強い心を持った対戦相手。
スターティングメンバーに名を連ねていたその彼の苗字は津瀬であると、あの日の試合記録に記されたいた。
「そうか……弟は後悔していたよ。高校サッカー界のレジスタを相手に、大変なことをしてしまったとね。ただ勘違いしないでくれ。あいつを許してやってくれと言うつもりはない。ただ、私にできることを何かしたいと思ったそれだけなんだ」
「先生にできること……ですか」
「ああ。私はあいにく不器用な人間でね。これまで自分のことにしか興味がなかった。ただあの試合以降、ボールと向き合えなくなったあいつに、気分転換のためとして買い与えたのがアリオンズライフという小説だ。もっとも、弟以上に、私が嵌まることになるとは思わなかったがね」
先生の口から紡がれたその事実と、あの作品の名。
それを耳にした瞬間、僕は思わず声を上ずらせた。
「じゃ、じゃあ、先生もアリオンズライフからベコノベに!」
「ああ、まったくもって君と同じさ。そしてこれまで学問にしか興味のなかった私が、物語を紡いでみたいと思った。そうやって書き始めたのが、あの無職英雄戦記。罪を背負いながらも、英雄が強く生きていく姿を描きたくてな」
僕がベコノベに出会えた喜びを物語にしたように、先生は弟へのメッセージを作品へと込めた。
つまりそれがあの無職英雄戦記なのだ。
その事実を前にして、僕は思わず言葉を失う。
すると、そんな僕に向かって、先生は更に言葉を続けた。
「昴くん。許してやってくれとは言わない。ただいつかアイツに会って、謝罪だけは受けてくれないか。勉強しかやってこなかった頭でっかちの兄貴の願い、どうか叶えて欲しい」
そう口にし終えるや否や、津瀬先生は僕に向かって深々と頭を下げた。
途端、僕は一瞬どうして良いのかわからなくなり、慌てて頭を上げるよう逆にお願いする。
「や、止めてください。僕はもう気にしていません。もちろん残念だとは思っていますけど、でもその御蔭でベコノベを、新たな世界を知ることが出来ました。だから剛斗くんにも前を向いて歩いて欲しいと思います。そのために必要なら、いつでも会いに行きますから」
「そうか……ありがとう。あまりに身勝手なことだが勝手に肩の荷が下りたよ」
津瀬先生はそれだけを口にすると、いつものような冷静な笑みをその表情に浮かべ直した。
僕はそんな先生に向かい、胸のうちに秘めていた一つの事を告げる。
「あの……先生。その代わりというわけではないのですが、一つだけお願いを言ってもいいですか?」
「お願い……か。私に出来る事なら、なんなりと」
「これからも、僕の指導をお願いできませんか?」
そう、それは僕の心からの願いであった。
そして同時に決して譲れない願いでもあった。
「それは……だけど君はすでに私と同じ舞台にたどり着いた。ならば、もう私の指導を必要とはしないとおもうのだが」
「いえ、僕はまだまだです。それは誰よりも僕が一番わかっています。先生は一人でベコノベの上位までたどり着いた。でも僕は、先生を始めとする色んな方の後押しのおかげでここまで来ることが出来ただけです。だから、本当に胸を張って先生と肩を並べたと言えるその日まで、どうかよろしくお願いします」
それだけ言い切ると、今度は僕が深々と頭を下げる。
そんな僕の行動に、先生が苦笑を浮かべるのがわかった。そしてすぐに、僕の肩へと先生の手が軽く乗せられる。
「仕方がないな。もう少しだけ、一緒に授業を続けるとしようか」
「先生!」
「ふふ、まあベコノベでよくある、ギルドの先輩冒険者ってところだ。もちろんこれからは、商業という舞台で戦っていくライバルでもあるがな」
先生が口にしたその事実。
それを僕は、オウム返しのようにゆっくりと繰り返した。
「商業で戦う……ですか」
「ああ。というわけでだ、改めておめでとう昴くん。そしてようこそ、ベコノベの先にある新たな世界へ」
次話となる第一章最終話は9月10日21時更新とさせて頂きます。
どうぞよろしくお願いいたします。




