〜悪役令嬢に転生したけど、仮面の貴公子始めました。〜
「エレーナ様、どうしますか、この醜い庶民の姿。まったく破廉恥な」
「ほんと、こんなのと同じ校舎で学ぶなんて、私達の品位まで落ちてしまいますわ。それとも、何か言い訳でもあるのですか」
「いえ……その……」
私の眼前で繰り広げられているもの。
それは少しキツ目の少女達が、他の少女たちと違い上着を羽織らずに登校してきた、一人の可愛らしい少女を取り囲む光景であった。
私はそんな状況を目の当たりにして、思わず額に軽く手を当てる。
すると、その私の反応を目にして、周囲が息を呑むのがはっきりと分かった。
ああ……絶対誤解されてる。
違う、違うのよ。
彼女の処断を考えているわけじゃないの。
だって私だけは知っているんだから。
彼女がなぜ、こんな姿で登校してきたのかを。
なぜならば、私はこのシチュエーションを何度もゲームでプレイしたのだから。
王立エクセグラム学園。
それは『雨色ラバーズ』と呼ばれる乙女ゲーの舞台である。いや、より正しく言うならば舞台であった。
庶民でありながら、学園理事長の特別な推薦により入学が許可された主人公のアンナ。今現在、目の前でうつむいている少女でもあるのだが、そんな彼女を操って、美男子貴族揃いの学園の中で、恋愛と青春をめいいっぱい楽しむのがあの作品のコンセプトだった。
もちろん学園生活は一筋縄ではいかない。
なぜならば、主人公であるアンナはこの学園で唯一の庶民階級であり、彼女を馬鹿にしたり排除しようとする者たちが、作中でこれでもかこれでもかというほど登場する。
その代表的なものが、私の取り巻きとも言うべき周りに立つ風紀委員達であり、そして最大の敵役であるこの私、風紀委員長にしてロマン大公家の息女エレーナであった。
「皆さん、おろかな庶民のすることなど、私達の想像外。ルールを知らぬという知性がないのなら、それを付けさせるのも高貴な者の役目でしょう」
「さすが、エレーナ様。下等な庶民にさえ、なんと慈悲深きお言葉」
私の言葉に、すぐ取り巻きの一人がおべんちゃらを口にしてくる。
ああ、お貴族様ってなんてめんどくさいのだろう。
そう、あの日ゲームをプレイしていたはずの私は、何故か今ゲームの悪役令嬢になってしまっていた。
それも家名を守りつつ、宮廷内で微妙な立場にある父の手助けをするため、私は学園内で今の悪名を守らなければならない。
ああ、やりたくないのに意地悪するなんて、ほんと胃が痛い。
それに目の前の少女は、私が散々プレイしてきた思い入れのある子。
だから、皆の顔色をうかがいつつ、私はそっと落とし所を提案した。
「ですから、明日はきちんと上着を着て登校なさい。それで特別に許してさしあげましょう。このエレーナの慈悲の心でね」
「で、でも……上着は、その……」
「もうこれ以上話すことはありませんわ。皆さん、行きますわよ」
もちろん私は知っている。彼女が何故泣きそうな顔をしているのかを。そしてこのままでは絶対、彼女は明日登校できないという事実を。
「以上の事が判明し、お嬢様が予想されておられたとおり、犯人はフェンリアット国務大臣だと思われます」
「結構。ご苦労様、爺」
自宅に帰った私は、予め頼んでいた調査報告を執事のアナキンスから受け取った。
「いえ、お気遣いは結構です。ですが、お嬢様。いつまでこのようなお遊びを?」
「決まっているわ。この国を支配するその日までよ。その為に、邪魔者には消えてもらう必要があるの
建前ここに極まれりである。
そう、我がロマン大公家は、他の貴族とともに国家転覆を図っている最中。
その家の唯一の息女として生まれてきた私には、当然求められる振る舞いがある。だからこそ、表立って庶民の少女のためだなどとは、気心知れた爺にも言えるわけがなかった。
「素直ではない御方ですなぁ」
「何を言っているのかわからないわ。それよりも、例の準備はできているの?」
爺の意味ありげな笑みを一蹴すると、私はそう問いただす。
すると爺は、深々と頭を下げた。
「ええ。いつもの通り、シワ一つない状態で、お嬢様のお部屋に用意致しております」
「ふん、あの小娘め、せっかく人が目をかけてやったというのに」
フェンリアットは手にしていたワイングラスを床に叩きつけると、その怒りを吐き出す。
その荒れた主人の様相を目の当たりにしながら、側に控えていた部下のセードルフは、恐る恐る確認を口にした。
「……いかが致しましょう。明日もう一度、あの小娘を攫いに行かれますか?」
「そうだな。せっかくこのわしの眼鏡に叶ったと言うのに、掴んだ服を脱ぎ捨てて逃げるなどとはな」
フェンリアットはそう口にするなり、拳をテーブルの上に叩きつける。
そう、新たな妾を物色するため、市中に出たのが今朝の事だった。
偶々目にしたエクセグラムに向う一人の小柄で可憐な少女。それを目にした瞬間、彼はなぜか無性に、彼女をその手にしなければならないという黒い欲望をその身に抱いた。
そして自らの馬車に連れ込もうとしたその時、少女は彼が掴んでいた上着を一瞬で脱ぎ去り、そのまま逃げ去ってしまったのである。
「おい……奪った上着には、あの小娘の出を示すものは何かなかったかのか?」
「はい、それなのですが……実は奇妙なことが……」
フェンリアットの問いかけを受けて、セードルフは申し訳無さそうに言葉を濁す。
「なんだ一体?」
「あのエクセグラム学園の上着には、必ず各家の家紋が縫い付けられる決まりと聞きます。ですが、今朝のあの女の上着には、どの部分にも家紋が見当たらぬのです」
「家紋が入っていないだと。ならば、あの小娘を探すのに苦労するではないか」
「その心配はご無用ですよ。今後、貴方がたがその心配をなされる必要はありませんから」
突然部屋の入口の方向から発せられた声に、フェンリアットは眉間にシワを寄せる。
そして彼は奇妙な人物をその目にした。
「何者だ、貴様」
「ローズナイト」
いつの間にか部屋の中に入り込んでいた銀髪の仮面の少年。
彼はやや高い声で、それだけを口にした。
すると次の瞬間、部下のセードルフが突然狼狽を見せる。
「ろ、ローズナイト……まさか、貴様が最近噂になっている薔薇の騎士か!」
「セードルフ、何だそれは」
「最近、幾つかの貴族家が被害にあっているのです。些か非合法な行いをした者ばかりなのですが、何故かことごとく薔薇の騎士を名乗るものによって見せしめのように叩きのめされていると」
「ふふ、そして今回は君の番だよ。フェンリアット国務大臣。少女誘拐未遂の罪、バラの精に代わってこの私が裁かせてもらう」
仮面の少年はそれだけを口にすると、胸元のポケットに指していた一輪の薔薇を手に取り、そして香りを嗅いだ後にフェンリアットに向けて放り投げた。
「ええい、キザなことを。誰かおらぬか。賊だ、賊がここに侵入しておる。すぐ排除しに参れ!」
「ふふ、残念ながら誰も来ることはありませんよ」
軽い笑い声を上げながら、仮面の少年はそう断言する。
「な、何だと。どういうことだ!」
「それは簡単です。こうして彼と同じように、すでに屋敷中の者には眠ってもらっただけですから」
その言葉が少年の口から発せられた瞬間、フェンリアットの目には信じられない光景が写った。
目の前にいた少年が、一瞬で彼の部下の側に駆け寄ると、その首筋に手刀を叩き込んで、一瞬で昏倒させてみせたためである。
「せ、セードルフ!。 く、くそ、なにが望みだ。金か、宝石か?」
「どちらも不要ですね。欲しいものは、そいつと、ただ貴方に罪を償ってもらうことだけですから」
少年の言葉が周囲に響き当たった瞬間、彼の意識は完全に刈り取られていた。
「イベント進行上、大臣が持っているとわかっていたとはいえ、実際にゲームで目にできない部分は不安なものですね」
大臣の部下が手にしていた一枚の衣服をその目にしたところで、私は小さくそう呟く。
そして、そこで初めてうっとおしく感じていた髪のセットを解き、ゆっくりと仮面を外した。
「胸に巻いた晒し代わりの包帯は、帰ってから外すとしますか。なんか締め付けられているのが苦しいのですけど」
以前ならば、そう、ゲームの中に入る前までなら、そんな努力はする必要がなかった。それが嘆かわしいことなのか誇らしいことなのか、この世界での生活が長くなってきた私にはもう判断がつかない。
「ともかく、これは今夜のうちにアンナに返しておくと……あ……」
思わず私は頬を引き攣らせる。
そう、部下の男の手からアンナの上着を手にしようとしたその瞬間、力の加減を間違えて、すこしばかり服の袖が裂けてしまったのだ。
「この力、絶対にゲームのバグのせいよね」
私はそう呟くと、深い深い溜め息を吐き出した。
「エレーナ様、来ましたわあの汚らわしい庶民が!」
翌朝の校門前。
私の取り巻きの一人が、ゆっくりと歩み寄ってきた一人の女生徒を指差した。
その注目の対象であるアンナは、昨日と異なって皆と同じ上着を羽織り、私たちに向かって丁寧にお辞儀をしてみせる。
「おはようございます、皆様」
「ほう、今日はきちんと上着を着てきたのですね」
僅かに苦笑を浮かべながら、私は彼女に向かてそう問いかける。
「はい。朝起きたらいつの間にか部屋の前に……いえ、なんでもありません」
朝起きたら、昨日貴族に奪われた上着が綺麗にたたまれて置かれていました。
おそらくそう言いかけたのだろうけど、それをそのまま口にしたら、流石にまずいと思ったのだろう。だから彼女は、あえて途中で言葉を濁した。
一方、そんな彼女を見つめていた風紀委員の一人は、突然ニヤニヤした笑みを浮かべると、その右袖を指差す。
「あら、貴方の上着。袖のところが少しおかしくないかしら?」
昨日裂けてしまった右袖の部分。
その部分は、とってつけたかのような荒い刺繍による縫い付けが行われており、私の取り巻きの一人はそれを小馬鹿にしたように笑う。
「ほんと。なにこれ。下手な手芸をなさったものね。まったく、繕うなんて発想自体下々の行うことな上に、そんな……イタっ」
「ごめんなさい。ちょっと蚊が貴方の後頭部に止まったおりましたから」
基本的に多少良識を逸脱したことを行っても、私は取り巻きの子たちに手を上げることはない。
少し窘めたり、偶々体に付いてしまっていた虫を、今のように払ってあげることはあるけど。
「ともかく、きちんと私の言いつけを守ったようですから、今日のところは大目に見ましょう。次はありませんけどね」
「ありがとうございます」
私の言葉を受け、ようやく安心したのか、アンナは胸をなでおろす素振りを見せる。
一方、そんな彼女に向かい、私は彼女にだけ聞こえる程度の小さな声で、もっとも重要なことをそっと告げた。
「ただ一つだけ。その袖は見苦しいから、自分できちんと縫い直しておきなさいね」
私はそう口にすると、彼女からすぐに視線を外す。
私の名前はエレーナ・ロマン。
たまにローズナイトと名乗ることがある、刺繍がすこしばかり苦手なこの世界の外の住人よ。
(音原由那 『悪役令嬢に転生したけど、仮面の貴公子始めました。』)




