第十四話 まさかの漫画原作に挑戦!? 絶望的なまでにストーリーを書けないクラスメイトの女子のために、新作の小説と平行する形で、悪役令嬢ものの漫画原作を書くことになってしまった件について
「もう満足したかしら?」
やや呆れた表情のまま、由那から告げられた言葉。
それを受けて、部屋の中をアレコレと見て回っていた僕たちは、お互いの顔を見合わせた苦笑を浮かべた。
「う、うん。いやぁ、ほんとにすごいよね。この部屋」
「あ、ああ。置かれてるものや色はともかく、マジでこんなスゲェ部屋に住んでみてえよ」
口々に紡がれたこの部屋に関する絶賛。
それは決して、由那を放置して部屋を物色した後ろめたさからではなく、僕の正直な本心だった。
しかし、当の住人である由那は、僕たちと異なり否定的言葉を口にした。
「そうかしら。でも、広いばかりで空っぽなただの冷たい家よ」
「冷たい? 床暖房もついてそうだし、そんなこと――」
「そんな意味じゃないの。単純にここは、一人で住むには広すぎるの」
僕の言葉を遮ると、彼女はやや悲しげな眼差しを浮かべながらとそう告げる。
そうして僕が押し黙ったところで、いつの間にかソファーに腰掛け直した灰色の男が、彼女の向かって端的に疑問をぶつけた。
「家族は?」
「さあ? どこか女のところじゃない? 母と別れてから……いや、別れる前から、あの人はとっかえひっかえだから」
「由那……」
少し遠くを見るような彼女の視線とその言葉に、僕は思わず言葉を詰まらせる。
そうしてわずかばかり、場は沈黙によって支配された。
だが、そんな空気を一変させたのも、当の本人である由那であった。
「って、こんな話をするために集まったんじゃないの。それよりも、私の作品よ」
「というか、僕の新作もなんだけどね」
「そうね。ともかく、先ず私のから。というわけで、ちょっとこれを見なさい」
そうして彼女が持ってきたのは、十数枚の紙の束であった。
「これは?」
「新作のイメージキャラと設定」
「ほう……」
優弥は興味深そうな声を上げると、早速ラフイラストの書かれた用紙に目を通していく。そして全てに目を通し終わったところで、彼は開口一番に最大の疑問点を口にした。
「あのさ、ストーリーは?」
「無いわ」
それはあまりにも自信満々に、そして堂々とした宣言だった。
だから優弥だけでなく、僕までも一瞬あっけにとられる。
「え……でも、考えてくるって」
「ええ、一杯考えたわ。だから、キャラと設定は作ってきたでしょ」
由那は一切後ろめたい様子を見せること無く、はっきりとそう言い切る。
「つまり彼らがストーリーの代わりと、そういうことかな?」
「そのとおり。こんな子たちのことを描けたら良いなって、そう思って描いたから」
「なるほど、そりゃあストーリーがダメダメなわけだ」
由那のその言葉を耳にした途端、優弥は呆れたようにそう呟いた。
「ダメダメなんて……いや、でもダメダメよね」
由那は少し唇を尖らせるも、自覚はあったのか、うつむき加減に同意を示す。
一方、優弥は顎に手を当てながら少し考え込むと、突然由那に向かって一つの確認を口にした。
「いや、キャラを優先して作って、そこからシナリオを練るのはありだと思うぜ。でもさ、新人賞に出すんだろ?」
「そうよ」
「ならさ、まずしっかりと枠に収まった話を作ることを優先しろよ。こないだのやつなんか、最後完全に尻切れトンボで終わってただろ」
そう、前にファーストフード店で目にした彼女の原稿は、正直言って未完成と呼ぶべき白物であった。
もちろん、それで新人賞に応募したというのだから、彼女にとっては一本の作品であることは事実である。
だがやたら細かい設定を大量に盛り込み、そして伏線を張り巡らしてあった彼女の作品は、そのほとんどの要素を投げ出す形で無理やり話を閉じていた。
だからこそ、最初に目を通した時の作品への印象らしきものは、やけに絵が上手いことと、終わりがあまりに唐突なことだけだった。
「いや……だってアレ、たった三十二枚じゃ描ききれなかったし」
「描ききれなかったじゃねえよ。新人賞の応募要項にあるページ数は決まりなんだ。その上で作者はどう見せるか考えるわけ。お前の場合、描きたいシーンだけ描いてるのがあからさまで、シーン毎の繋ぎがさっぱりなんだよ」
渋る由那に対し、優弥は真正面からそう告げる。
途端、深い溜め息が場に放たれた。
「うん……自分でも多少は自覚してる」
「……一歩成長したということだな。とはいえ、なんで勉強はできるのに、こういうことはダメなんだよ」
優弥は首を左右に振りながら、由那に向かってそう漏らす。
一方、彼らがそんなやり取りを行う傍らで、僕は目の前に置かれたラフイラストを見ながら、ある発想が脳裏をよぎった。
「由那……中世ヨーロッパって描ける?」
気の強そうなライバル役の女性イラストをその手にしながら、僕は由那に向かってそう問いかけた。
「中世ヨーロッパ? もしかしてベコノベみたいなやつ?」
僕の問いかけの意図が見えなかった為か、由那は僅かに戸惑いを見せる。
だがそんな彼女の疑問に対し、僕は迷うこと無く大きく頷いた。
「そう。このライバルの子って、かなり勝ち気っぽくてさ、いい感じにふてぶてしそうだからイケるかなと思って」
「まあ、まるで音原みたいな雰囲気だからな。イタッ」
余計なことを口にした優弥は、その手を由那によってつねられる。
「優弥はちょっと黙ってて。ともかく、ふてぶてしく見えたら何なの。貴方まで、私みたいだって言うつもり?」
「違うよ。そうじゃなくてさ、このライバル役の子が来ている現代風の服をさ、ドレスに変えてしまえば悪役令嬢になると思ったからさ」
僕が口にしたその言葉。
それを耳にした瞬間、つねられた手をさすっていた優弥は、一瞬でその顔を上げた。
「なるほど、悪役令嬢か。その手があったな」
「うん。この高飛車なふてぶてしい表情があれば、イケる気がするんだ」
「え、なに。何なの?」
僕と優弥の意味ありげな笑みを目にして、一人だけ話の流れを理解できなかった由那は、戸惑いの表情を浮かべる。
だがそんな彼女を置き去りにしたまま、優弥は僕に向かって話を更に進めた。
「つまり、ライバル役だった女の子を主役にするわけだ。で、元々の主人公予定だったイラストは、前世での主人公にしてしまえばいい。これで配役の要点は決まったな」
「うん。不幸にも中世風の異世界に飛ばされてしまった主人公は、生前にプレイしていた乙女ゲーの世界で目を覚ます。よりにもよって、最悪の悪役キャラとして」
「そうそう、まさに王道だよな」
優弥のそんな言葉に、僕は笑いながら何度も頷く。
だがしびれを切らした由那は、いよいよとばかりに会話に割り込んできた。
「ちょ、ちょっと待って。それの何処が王道なの? 主人公は悪役なんでしょ?」
「王道と言っても、ベコノベの悪役令嬢ものの王道ってことだよ」
「ベコノベの悪役令嬢ものの王道?」
僕の説明に対し、由那はピンと来なかったのか首を傾げる。
するとそんな彼女に向かい、僕は悪役令嬢もののテンプレを説明した。
「うん。えっと、オーソドックスなパターンとしては、主人公は不幸にもゲーム世界におけるヒロインのライバル役に転生してしまう。しかもその立ち位置は中世ヨーロッパにおける悪役令嬢がお約束なんだ。何らかの事故か、神様のいたずらのせいなんだけどね」
「混乱してきたわ。えっと、つまり主人公だけど、悪役になるってこと?」
「うん。ただ厳密に言えば、本来だったら悪役になるはずだった子になってしまうだけなんだ。本来ならその世界のヒロインをいじめるはずだったキャラと言えば、少しわかりやすいかな。そして本来のゲームの中では、最後にヒロインに負ける役割を担う子」
悪役令嬢ものの典型的な様式を、僕は由那へと告げる。
しかし彼女は、困惑した表情を崩さなかった。
「え……全然ダメじゃない」
「うん、全然ダメな役回りだね。そしてだからこそギャップが生まれる。つまり、そんな悪役になるはずの彼女が、中身が別人と成って本来と異なる行動を取り始めたらどうなるのかっていうね」
「しかしさあ、昴。この現代ラブコメ風のイラストを見て、まさか悪役令嬢ものを思いつくとは思わなかったぜ。お前もだいぶベコノベ脳になってきたな」
「優弥、それ褒められてる気がしないんだけど」
苦笑を浮かべながら、僕はそう言い返す。
すると、優弥はなぜか嬉しそうにニヤリと笑った。
「ま、いずれにせよだ。所謂ベコノベの悪役令嬢ものの設定を、漫画のネームに落とし込もうってわけだな」
「うん。でももちろんそのままじゃダメだと思う。テンプレをそのまま使って、転生シーンだけで終わってしまう訳にはいかないし」
「となると、既に転生済みの主人公の一シーンを切り取る形がいいかもな」
確かに優弥の言うとおりだ。
新人賞は短編の読み切りじゃないといけない。
となれば、一々転生過程を全て書いている訳にはいかなかった。
それでは悪役令嬢転生ならではの面白みに、決してたどりつけないだろうから。
「やっぱり、この現代のラフを使おう。せっかく描いたんだしさ、回想シーンで簡単に現代にいた頃の自分を思い出させれば、意図と狙いが通じる気がする」
「そうだな。限られたページ数なら、俺もそれが良いと思う」
「というわけで、悪役令嬢の転生もの……どうかな、由那」
新人賞に送る前提で、僕たちが考えたストーリーの骨格。
それを受けて、由那は彼女らしからぬ小さな声を発した。
「……あんた達すごいわ」
「別にそうでもないさ。ここまでの部分は、ある意味ジャンル選びってだけの話だしな」
「そうだね。ジャンルの基本に沿って描くだけじゃ、他の作品よりも目を引けない気がする。あとは何処でオリジナリティを出すかだけど……そうだ、これと組み合わせられないかな?」
僕はそう口にすると、持ってきたトートバックからレポート用紙の束を取り出す。そしてその内の一枚を、彼らの目の前へと置いた。
「転生……義賊録?」
一番上に描かれたタイトルを、由那はそのまま読み上げた。
「うん、僕が考えたプロットの一つなんだけどね。異世界で普通の町民をやりながら、夜だけは異世界人だけが持つ能力を使って世直しをするって話さ」
「要するに、時代劇でよくある世直し日常ものを、敢えて異世界でやるってわけだな」
一通り目を通した優弥は、その全貌を把握したのか端的にそう口にする。
すぐに意図が通じた嬉しさを覚えながら、僕は迷わずうなずいた。
「その通り。ただ、長編にすると飽きが来るかなって思って、二人に見せるか迷ってたんだ。でも、これと悪役令嬢を掛けあわせたら面白いかもしれない」
「掛け合わせるとなると、つまりこうか。主人公は異世界転生して悪役令嬢に生まれた。彼女は周りから求められて、しぶしぶ悪事をしなければいけない。でも良心の呵責があって困っていた。そこで夜だけ義賊になって、自分の悪事を正すってわけだな」
「うん。でもそれだけだと、マッチポンプな感じもするよね。だから、最初に行う悪事も、本当の悪党をあぶり出す為のものだと良いかもしれない」
そう、自分で悪さをして自分で解決するだけなら、何もしなければいいじゃないかという意見が出る気がする。
だから解決する事柄は、最初に自分が行った悪以上のものでなければいけない。それが最低条件であると僕は考えていた。
「要するに、本当の巨悪を倒すために、悪役令嬢の顔と正義の顔を使い分けるってわけだ。おもしれえ、イケる気がする」
「僕もそう思う。あとは悪役令嬢として周囲から見られてる時とのギャップ感を、どれだけ上手く出せるかだね。あとはきっちりと三十二枚に内容を詰め込むのが課題というところかな」
優弥のやや興奮気味の声を聞いて、提案した僕までが思わず嬉しくなる。
だが、そんな盛り上がりを見せる男二人の側で、肝心の人物は申し訳無さそうにしながら僕の顔色をうかがって来た。
「あのさ……昴。その話って、本当に私が使っていいの?」
「え、なんで?」
「だって、あなたが自分の小説のために考えていたんでしょ?」
「全然いいよ。さっきも言った通り、二人に見せるか迷っていたものだからね」
不安げな彼女に向かい、僕は心配無用とばかりに、笑いながらそう答えた。
すると、すぐに横合いから灰色の男の声が向けられる。
「その表情だと、本命は別にあるって感じだな」
「うん。まあもう少し煮詰めないといけないけどね」
優弥の勘の良さに苦笑しつつ、僕はそう応える。
「へぇ。で、目標は? 累計一位か?」
「累計一位って……そりゃあもちろん、藤間先生を目指しては見たいよね」
ベコノベの帝王として、ランキングの頂点に君臨する藤間璃音。
ポイント制を十分に知らなかった頃、たった三千四百倍なんて馬鹿げたことを僕は口にしたことがある。正直言って、それがどれだけ大言壮語であったか、今となっては理解しているつもりだ。
それでもなお、届かない頂きは存在しないと、僕は信じていた。
「はは。なんていうか、お前らしいよ。やっぱり否定しないのな」
「うん。でもさしあたっての目標といえば、無職英雄戦記……かな」
「ほう、さしあたってという割には、大きく出たな」
僕の言葉を受けて、優弥は面白そうに身を乗り出す。
僕はそんな彼に向かい、はっきりと自分の思いを口にした。
「まあね。正直言って、作品のプロットを組む上で、一番参考にしたんだ」
「でもさ、あれってお前の好きそうな書き方の真逆じゃね? ガチガチにプロットが汲んであって、遊びがないっていうかさ」
まさに優弥の言うとおりである。
現在、ベコノベの月間ランキング一位である無職英雄戦記は、良い意味でベコノベのテンプレを崩している作品だけど、どこか自由のなさを僕は感じていた。
それは現代サッカーにおける十番を背負った選手のような、攻撃だけでなく守りにおいても多大なるタスクを課せられた機械的なエースの姿のようだった。
そしてそれは、僕の目指すサッカー像、いや作品像ではない。
もっとキャラクターたちに自由を持たせてあげたい。だから……
「そう、だからその反対を行こうと思うんだ。主人公のキャラクターも含めてさ」
「無職英雄戦記の反対か。ともあれ、見せてみろよ。そのプロットを」
「うん。これなんだ」
僕はそう口にすると、二人の前に書き上げてきたプロットの束を提示する。
そうして場には沈黙が訪れた。
優弥と由那が、僕の書き上げてきたレポート用紙をめくる音だけが響く。
そうして、十数枚に渡るプロットを二人は読み終えると、優弥が最初に口火を切った。
「前作同様に転生要素は使うわけか。そして……無職英雄戦記が目標って言う意味がわかったぜ」
「ああ。どうかな?」
僕なりには自信があった。
プロを目指すための作品。
それ故に、前回のように中途半端なプロットで書き出してはダメだと思っていた。だから、遊びの要素は残しつつも、それだけで作品自体が伝わるよう書いたつもりである。
でも、それは僕の思い上がりではないかという気もしていた。
僕の感性がズレていて、他人が読んだら全然つまらないのではないかという恐怖。それがプロット作りの最中、常に脳の片隅に存在した。
だからこそ、由那の次の一言に僕は心を救われる。
「なんかちょっとゆるい主人公ね。でも、その方が昴らしい気もする。私はこれ、嫌いじゃないかな」
「ありがとう、由那」
勢いだけで書き始めた時にはなかった、不安が溶けていくような感覚。
それを僕は彼女の言葉から感じた。そして優弥の言葉が、今度は僕を前へと向かせてくれる。
「俺も良いと思うぜ。音原の言うとおり、お前らしいといえばお前らしい主人公だし。それに話自体も、読者を引っ張るようにボスやイベントが配置されてるから、前のよりも物語が動いていく感じがあるしな」
「そこはかなり意識して作ってみたんだ。でも書き始める前に、もう少し中盤のプロットを詰めておいた方が良いと思ってる」
そう、このプロットは前のレポート用紙一枚出始めたスカスカのものと異なり、既にきっちり仕上げてはいるつもりではある。だけど絶対に同じ失敗は繰り返さないために、僕はまだ手を加えるべき箇所は残っていると考えていた。
「なるほどな。お前の本気がわかったよ。マジで書籍化を目指すんだな」
「うん、僕はプロになりたい。だから……協力してくれないかな、二人共」
幾ばくかの期待と不安。
それらが胸の内でせめぎ合うのを感じながら、僕は二人に向かって迷うことなく助力を願った。
すると、優弥と由那は間髪入れず言葉を返してくる。
「わざわざ聞くなよ相棒。内容に比べて、ちょっとタイトルが硬い気もするが、俺はいけると思う。どうせなら、あの作品とは真逆の英雄像を作ってやろうぜ」
「はぁ……仕方ないわね。私のも手伝ってもらうんだから、別に良いわよ」
それぞれ異なる言い回しながらも、二人とも僕に向かって微笑みかけてきた。
だからこそ、僕ははっきりと二人に決意を告げる。
「じゃあ、これで行くよ。この『転生英雄放浪記』で、僕は一位を目指す!」