第十三話 高級マンションの皮を被った魔窟!? クラスメイトのタワーマンションの部屋があまりにアレな空間な上、彼女の正体が漫画オタクのコスプレ好きという数え役満だった件について
六月の最終週の日曜日。
僕たちはこの街のほぼ中心地にある駅の正面口に立っていた。
「おい、昴。音原はまだなのか?」
「まだなのかって言われても、そんなこと知らないよ」
優弥の問いかけに対し、僕は溜め息を吐き出しながらそう応える。
今日を指定したのは僕だ。
うん、それは良い。
しかしこの時間を、そしてこの場所を指定したのは由那である。にも関わらず、一向に彼女が姿を現す気配は見えなかった。
「なあ、電話して聞いてくれよ」
「誰に?」
「音原に決まってるだろうが」
呆れた表情を浮かべた優弥の言葉に、僕は首を傾げる。
「決まっているって言われても、番号知らないしさ」
「は? なに、お前らてっきり――」
「てっきり、何かしら?」
その声は真正面から発せられた。
僕らの視線の先、そこには金髪の髪をポニーテールに束ね、そしてメガネを掛けた素朴な美少女の姿があった。
「え……由那!?」
「もう、そんな驚かないでよ」
少し恥ずかしそうな彼女の声を聞いて、僕はようやく目の前の少女が由那であると確信する。
一方、隣に立っている灰色の男は、興味深そうに彼女の姿を眺めやっていた。
「へぇ、そんなカッコもするわけね」
「なんか少しキモいんだけど。あんまりジロジロ見ないでくれる」
「いやいや、そんなナチュラルな姿も、なかなかに栄えると思ってな。そう思わないか、昴?」
意味ありげな笑みを浮かべながら、優弥は突然僕に向かい話を振ってくる。
僕はその笑みの意味が理解できなかったが、率直な感想を口にした。
「そりゃあ由那は元が美人だし、どんなカッコでも似合うとは思うよ」
学校でみる彼女は髪もきっちりとセットされ、メイクもギャルと呼んで差し支えないほどパッチリしたものであった。
しかし今の彼女は、いわゆるナチュラルメイクと呼ばれるような程度のもので、赤いセルフレームのメガネに、薄手のパーカー姿である。正直言って、無理にメイクとかしなくても良いんじゃないかと思うほどに、今の姿からは彼女の素の可愛さが感じられた。
「え……昴、本当に言ってる?」
「うん。眼鏡も似合ってると思うし……ってどうしたの?」
両手で口元を押さえながら、突然挙動不審となった由那を目の当たりにして、僕は思わず首を傾げる。
すると、隣に立っていた優弥が、突然僕の肩をポンと叩いた。
「お前ってさ、たまにパサーじゃなくてストライカーじゃないかって思う時あるよな」
「ストライカー? 僕はフォワードなんてしたことないけど」
「いや、そんな意味じゃないんだが、まあ、お前らしくていいや。ともかく音原、ここで突っ立ってるのも疲れたし、とっとと案内してくれねえか?」
目の前で未だ落ち着きない様相を見せる由那に向かい、優弥は苦笑を浮かべながらそう告げる。
「あ……うん、ごめん。じゃあ、目の前のとこだからすぐ行きましょう」
「目の前? えっと……どこに行くの?」
「だから目の前のあそこよ」
僕の言葉を受けて由那が指差したのは、駅の真向かいに存在する、この街で最も高いタワー型マンションであった。
「え……どういうこと?」
「どういうことって言われても、ともかく黙ってついてきなさい」
由那はそれだけを口にすると、金髪のポニーテールを揺らしながら、さっそうと歩き出す。
そんな彼女を目にして、優弥は僕に向かって声を掛けてきた。
「どうする?」
「どうするって言われても、先に行っちゃったし……」
「ま、とりあえずついていくか」
優弥のその声を合図として、僕たち二人は彼女の背中を追いかける。
そして由那の先導でタワーマンションのロビーへと足を踏み入れると、優弥が僕に向かって小声で話しかけてきた。
「なあ、これってやっぱりパパの持ちもんなんじゃねえの?」
「そうよ、よくわかったわね」
前方から発せられたその言葉に、優弥の表情は歪む。
それはまさか聞かれているとは思っていなかった驚きと、そして予想外の肯定によるものであった。
「え……ええ、マジかよ!?」
「マジかよって……もしかしてあんた、父親ではない意味のパパのつもりで言ってないでしょうね?」
「い、いや、そんなことはないぜ」
「ほんとかしら? ……でも、まあいいわ。とりあえず、うちは最上階だからさっさとエレベーターに乗りなさい」
彼女は僕たちにそう告げると、足早にエレベーターへと乗り込む。
そして彼女の後を追った僕たちごと、四角い巨大な箱はすぐに上へ上へと動き始めた。
「あのさ、勝手に行って大丈夫なの?」
エレベーターの稼働音だけの状況に耐えられなく成った僕は、由那に向かってそう問いかける。
すると、彼女はなんでもないことのように思わぬ回答を口にした。
「構わないわ。私しかいないし」
「私しかって……待ってくれ、じゃあここは別荘なのかよ?」
由那の言葉を耳にした優弥は、何やら思うところがあったのか、眉間にしわを寄せながらそう問いかける。
「別荘……うん、当たらずとも遠からずってところかな。ここはね、牢獄なの」
「牢獄?」
予期せぬ単語が彼女の口から発せられたが故、僕はすぐに問い返す。
「ええ、牢獄。自分の娘を管理し、親としての建前を守るための牢獄。ま、あんたたちにはどうでもいい話よ」
由那はそれだけを口にすると、もうこの話は終わりだとばかりに口を閉じる。
ちょうどそのタイミングで、エレベーターは最上階へとたどり着いた。
「じゃあ、ここだから」
由那はそう告げるなり、エレベーターの眼前に存在する扉に向かうと、鍵を開けてなかへとその身を移した。
そうして残された僕たちは、お互いの顔を見合わせながら慌ててその後を追う。
「お邪魔します……って、ピ、ピンク!」
玄関の扉をくぐった僕が目にしたもの。
それは部屋一面をピンク色に覆い尽くされ、中世の王女様が住んでいそうな姫部屋ともいうべき空間であった。
「……音原さあ、これはちょっとやり過ぎじゃね?」
マジマジと部屋の中を見回した優弥は、僅かに頬を引きつらせながらそう口にする。
「好きなんだから良いでしょ。これが一番落ち着くし。それに普段は誰も来ないんだから、構わないじゃない」
「そうかもしれないけどさ、このどこが牢獄だよ。というか、ピンクの牢獄……あ、いや、別になにも考えたりはしていないぜ」
余計なっことを考えたと気づかれた優弥は、由那の絶対零度の視線を浴びせられると、慌てて手をぶんぶん振りながら否定しようとする。
そんな彼に対し、由那は呆れた様に溜め息を吐き出すと、僕らを部屋の中に置いてそのままキッチンの方に向かい歩き出した。
「ともかく、ちょっとそこで待ってなさい。アイスコーヒーを入れてくるから」
「あ、俺って氷嫌いだから、入れないでくれな」
「意外と繊細なのね、あなた。まあ良いわ。昴は大丈夫なの?」
「僕は特に好き嫌いとか無いから」
「氷を入れるかって、好き嫌いになるのかしら……でも、わかったわ」
僕の言葉を聞くなり、由那は奥に備え付けられたキッチンの方へと向う。
そうして、急に戸棚を物色し始めた彼女から視線を外すと、優弥は部屋の片隅を見つめながら、僕に向かって声を掛けてきた。
「なあ、あれってどういうことだと思う?」
「どういうことって?」
彼の言葉の意味がわからず、僕は眉間にしわを寄せながら、そのまま問いなおす。
すると、部屋の隅に飾られたレースやフリルが多用された服を、彼は頬を引きつらせながら指差した。
「アレだよアレ。多分、あいつのだよな……」
「一人で暮らしているみたいだからそうじゃない? それがどうしたの」
「どうしたのじゃねえよ。というか、どこぞのお姫様かあいつは」
「お姫さまってことはないと思うけど……もしかして、優弥知らないの? ああいうのは、ロリータファッションって言うんだよ」
先日、テレビで目にしたファッション解説。そこで変わった服装として取り上げられていたことを思い出した僕は、やや自慢気にそう告げる。
しかし優弥は、そんな僕の気遣いに対して、逆に呆れたような表情を見せてきた。
「知ってるよ、そんくらいは。わかってて言ってるんだって。でもな、姫って言いたいのはわかるだろ。こんな広いタワーマンションの最上階で一人暮らし。しかも一面ピンク色だぜ。っていうか、このリビングだけで、うちのアパート全部くらいの広さがあるんじゃねえか、こんちくしょう」
悔しそうに優弥はそう叫ぶ。
ただ僕にはわかる。それは彼の本音ではない。
もちろん彼の家がそれほど裕福ではないことは事実である。
優弥の母親は若くに父親をなくし、そして女手一つで男三名、女一名という四人の子供たちを養ってきた。
ただ、次男が高校進学を控えることとなった昨年、彼は母親の制止を跳ね除けて、サッカー部を辞めた。週に二回でも三回でもアルバイトに入ることで、家計を助ければと口にして。
だから僕は、彼のバイトのシフトをほぼ完璧に把握している。
僕の誘いを断ることで、彼が気をもむ必要が無いように。
見た目はチャラくて、年中女性の事と遊びのことばかり口にしているけど、それは彼の本音ではない。そして先程のような僻むような発言も彼の本心ではない。
それを知るからこそ、僕は全て理解した上で今日も彼を窘める。
「優弥、妬みは良くないよ」
「妬みじゃねえ。これはプロレタリアートによる正当な怒りだ」
優弥は拳を握り締めながら、意味のよくわからぬ言葉を自信満々に口にする。
しかしそのタイミングで、彼の背後から、呆れたような声が発せられた。
「誰がプロレタリアートよ。それより、人の服をジロジロ見るのやめてくれない?」
「というか、あんなところに飾ってるのはお前だろ」
「ええ、だって可愛いでしょ」
由那は当たりまえだと言わんばかりの口調で、優也に向かいそう告げる。
すると、優弥はすぐに負けじと噛み付いた。
「しかしまさか音原が、普段はあんな服を着てるとはな」
「着ないわよ。こっちが普段着だし」
由那はそう口にすると、軽く肩をすくめてみせた。
そんな彼女の仕草を目にして、僕は彼女が手にしているアイスコーヒーがこぼれなかったことを安堵する。
一方、僕と異なり優弥は、アイスコーヒーなどには目もくれず、再度彼女に向かって問いを放つ。
「いや、家の中での普段着はそうだろうけどさ、普段はあのフリフリの服を着てるのかって聞いてるんだよ」
「あのね、普段は学校に行ってるのに、あの服を着て行けるわけないじゃない。あなたバカじゃないの?」
由那は軽く口元を歪めながら小馬鹿にした笑みを浮かべる。
そんな二人のやり取りを聞きながら、僕も思わず窘めるように口を開いた。
「優弥、もしかして由那が制服で学校に来てること、気づいてなかったの?」
「気づいている、気づいてるに決まってるだろ。というか、ちょっと待て。お前らの普通の解釈がおかしい。なんでこの状況で俺に常識が無いみたいな流れになっているんだよ」
「常識が無いからじゃない」
狼狽する優弥に対し、由那はあっさりとそう言い切る。
途端、優弥はガクリとうなだれてしまった。
「ひでぇ、ひでぇよ……お前ら」
「貴方がバカなことを言い出すからでしょ」
「確かに。いくら可愛い服だからって、TPOがあるからね」
軽く首を傾げながら、僕はなんとなく思ったことを呟く。
スラリとした由那の体型ならば、どちらかと言うと薄幸のお姫様っぽいとも思ったが、流石にそれは口にすることはなかった。
そんな僕の言葉を耳にした由那は、突然顔を赤らめる。
「か、可愛い服……ほんとにそう思う?」
「うん。なんていうか、ベコノベの異世界にもありそうな感じで、すごく良いよね!」
そう、まさにそれはアリオンズライフの姫君が着ていそうなドレスである。むしろ、今度登場させるキャラクターの衣装にしてみようかさえ僕は思った。
だがそんな僕の発言に、由那はなぜか苦笑する。
「ベコノベかぁ、ちょっと違うんだけどな。でも、ありがとう……って、優弥、なにその顔? 期待しても、学校には着て行かないわよ。というか、この格好で学校にきて欲しがるなんて、あなた変態ね」
「俺はなにも言ってねえよ。とにかく、俺がおかしいみたいな前提はやめろって」
弱ったような表情を浮かべた優弥は、降参とばかりに由那に向かって両手を揚げる。
すると、由那はようやく手にしていたトレーを、手近なガラス製のローテーブルの上に降ろす。そして上に乗せていたアイスコーヒーを僕たちにそれぞれ手渡してくれた。
「おかしいやつなのは事実でしょ。とりあえずこれでも飲んで、少し頭を冷やしなさい」
「……ありがとうよ。で、氷は入れなかっただろうな?」
何か言い返さなければ気が収まらなかったのか、優弥は弱々しい口調ながらも、由那に向かいそう確認する。
一方、そんな彼に対して、由那は深い溜め息を吐き出した。
「子供じゃあるまいし、そんな地味な嫌がらせをする意味ないでしょ」
彼女はそう口にすると、ソファーに腰掛けた僕たちの向かいの椅子に自分も腰掛ける。
そんな彼女を目で追いながら、僕は改めて彼女に向かって話しかけた。
「でもさ、ほんとすごい家だよね。というか、漫画も図書館が開けそうなほど置いてあるし」
「漫画は昔から大好きだから」
僕が漫画のことを口にした瞬間、言葉はややそっけなかったものの、由那はそれまでの表情とは一変して満面の笑みを浮かべる。
すると、僕の隣に腰掛けていた優弥がふらふらと立ち上がり、ずらりと並べられた本棚へと歩み寄っていった。
「しかし、確かにこれはすげえな……っていうか、なんでローズムーンのシリーズは同じものが横の棚にも置かれてるんだよ」
ローズムーンといえば、美少女の高校生たちが、ロリータドレス姿に変身して悪と戦う物語であり、僕でもその名を知っているほど有名な少女漫画である。それが別々の棚に置かれていたことに疑問を持った優弥は、その一冊を手に取ろうとした。
途端、由那の口からこれまで聞いたことのない動揺した声が発せられる。
「ちょ、ちょっと、そこのは勝手に触らないで!」
彼女は慌てて立ち上がると、優弥と本棚の間に体を滑り込ませる。
「いや……ちょっと見ようとしただけだから」
「見るのは別にいいの。でも、手に取るのは隣の棚のにして。こっちは保存用。そっちが読書用だから」
「保存……用……え、マジで?」
本気な由那の表情とその言葉を耳にして、優弥は僅かに後ずさりする。
そこで僕は初めて、一つのことに気がついた。
「もしかして、あそこに飾っているドレスって、ローズムーンの?」
「……そうよ。頑張って作ったんだから」
ほんの少し視線を外すと、恥ずかしそうな口調で由那はそう告白にする。
すると、優也は目を見開いて、驚きの表情を浮かべた。
「作った!? え、じゃあまさか自作のコスプレ……」
「なにか悪い?」
「いや……悪くはないけどさ、なあ昴」
優弥は硬い表情を浮かべたまま、僕に話を振ってくる。
しかし、僕は目の前にあるローズムーンの自作ドレスに興味津々であった。
「すごく良く出来てるよね。確かにローズムーンって、こんな服着てたよ」
「そうでしょ。さすが昴は誰かと違って、ファッションのことがわかるわね」
「ちょっと待て、そこのファッション誌さえ読まない男に対する評価がおかしいだろ。というか、コスプレの服で見る目を評価するのってどうなんだ」
「そう言うけどさ、優弥。僕はこの服を着たくなる気持ちはわかるよ。ほら、代表のレプリカユニフォーム着て練習すると、いつもよりやる気出るだろ。同じじゃん」
部活の練習の時のことを思い出し、僕は二人に向かってそう告げる。
「いや、それはどうだろうなあ」
「うん、私もそれは違うと思う」
些か不可解なことだけど、何故か二人はそれって首を横に振った。
レプリカユニフォームと、同じだと思うんだけどなぁ……