第一話 ネット小説ってもしかしてめちゃくちゃ面白い!? 怪我でサッカーの夢を断たれてしまった僕が、これまでの人生観が変わるほど半端ない小説投稿サイトに出会ってしまった件について
灰色の空、灰色の髪の毛、そして灰色の未来。
それが、今の僕が目にしている全てだ。
ほんの二ヶ月前までは、空はもっと青かった。そして未来も明るいと思っていた。
だからただがむしゃらに、前に向かって走り続けていた。
やるからには中途半端はしない。いつも全力で結果を求める。
あの人に教わった決意を胸に秘めながら、僕は照りつける太陽の下で、体が動かなくなるまで走り続けていた。多くの仲間達とともに、ただボールだけを追いかけて。
だが今は違う。
僕はそれを、ただ遠くから見つめる側となった。
つまりは観客であり、ただの傍観者に過ぎない。
未来は濁り灰色に染まった。
そんな僕にとってあの頃と変わらないものは、隣で薄ら笑いを浮かべる友人の灰色の髪の毛くらいだった。
「なんだ、またグラウンドを見てんのか?」
「違うよ、優弥。空を見ていたのさ。雨が降ってきそうだなって」
週末を前にした金曜日の放課後。
教室の窓際の壁にもたれ掛かりながら、僕はわざとらしく空を見上げる。
「まあ梅雨だからしかたねえじゃん。で、それより昨日貸した本は読んだのかよ?」
見え透いた僕の行動に苦笑しつつ、優弥はそう問いかけてきた。
夏目優弥。
僕の最も長い付き合いの友人であり、相棒……いや、正確に言うと元相棒というのが正しいか。
平均より少し身長は低く、元々スポーツをしていたとは思えぬほど、華奢な体つきをしている。
アッシュに染めた髪へのこだわりと女好きのチャラい振る舞いから、風紀を事さらに重要視する教師からは受けが悪い。だがスポーツ万能で多趣味故に、クラスのムードメーカーであるというのが、一般的な夏目に対する評価だった。
「えっと……何か借りたっけ?」
「部屋に置いていったじゃん。面白いから読めって言いながらさあ……というか、その様子だと絶対読んでないよな」
「置いていった? ああ、そういえば帰り際になんか置いてたな。食い物ではなさそうだったから、気にしていなかったけど」
「おいおい、あれって発売されたばかりで、まだほんと手に入らねえんだぜ。せっかく話題のプレミア物を貸してやったというのにさあ」
優弥は大きく首を左右に振ると、呆れたように軽く両腕を左右に広げる。
「プレミアねぇ……所詮漫画だろ?」
「漫画じゃねえよ。小説だ、小説」
僕と同じように壁にもたれかかっていた優弥は、こちらへと向き直ると、少し強い口調で訂正して来る。
しかしながら僕には、いまいちピンとこないというのが正直なところであった。
もちろん僕も小説や漫画を読んだことはある。むしろ同年代で全く無い奴の方が圧倒的に少数だろう。
だけど、正直言ってどちらもただの娯楽。そんな時間があればボールを……いや、それはもうどうでもいい話だ。
苦い記憶が脳裏を過りかけたところで、僕は慌てて自らの思考を停止させる。
「漫画でも小説でもどっちでも良いけどさ、どうせ似たようなもんじゃないの。というか、今時小説よりさ、どうせなら漫画を貸してくれよ」
思考を途中で放り投げた僕は、興味が無いことを一切隠さず、優弥に向かってそう告げる。
すると、彼は珍しくムスッとした表情を浮かべた。
「漫画なんてすぐ読み終わるだろ。バイト漬けの苦学生には辛えんだよ。それに比べりゃさ、小説は同じ値段でも長く楽しめるじゃん。違うか?」
「途中で飽きて読まなくなったら、どっちも変わらないよ。というか、投げ出すことを考えると、かえってコスパが悪い気がするけど」
「だからさあ、投げ出すことを前提に話すんなよ。ともかくだ、あの小説はな、そうアリオンズライフは本当に人気あるんだぜ」
アリオンズライフ。
確かに言われてみれば、昨日テーブルの上に置かれたままだった本の表紙には、そのようなタイトルが書かれていた気がする。たぶん、ドラゴンと耳の長い美少女を連れた日本人のような青年が、その表紙に描かれていたはずだ。
「アリオンズライフ……ねぇ。本当に面白いの?」
「そりゃあ、あの山川修司の作品だからな。というかさあ……お前もしかして、本当にアリオンズライフ知んねぇのかよ?」
驚くというよりも呆れたという優弥の表情。
それが無性に癇に障ったけど、知らないものは知らない。
「知らないよ。漫画なんてめったに読まないし」
「だから漫画じゃねえって。お前さあ、インターネットかテレビくらい見ないのか? 少なくとも現代に生きてんなら、ここ最近にアリオンズライフの名前を聞かずに生きている奴の方が少ないと思うぜ」
「じゃあ、僕はその希少な人類だったというわけだ」
何故か小馬鹿にされている感があったので、逆に僕は優弥に向かってどうどうと胸を張ってみせる。
途端、目の前の灰色野郎は、残念な者を見る眼差しとなった。
「……だから、何で自慢気なんだよ。というか、昨年亡くなったあの山川修司いるだろ。ハリウッド化した作品まであるあの山川修司。これまで書籍化をされていなかった処女作がさ、ようやく出版されたんだぜ。あれだけ話題になってるのに、なんで知らないかなぁ」
そんな風に言われても、僕にはただ肩をすくめることしか出来なかった。
そんな僕に向かい、優弥は呆れた様子で、再びその口を開く。
「……お前ってさあ、本当に禅僧みたいな生き方をしてるのな。一緒にサッカーをやってた頃から、二十四時間サッカーのことばかり……って、すまん」
そこまで口にしたところで、優弥はハッとした表情を浮かべると、慌てて口をつぐむ。
ああ、また同じ繰り返しか。
この二ヶ月の間、優弥に限らず何人が同じ反応を見せただろう。
もちろん最初は、そんな彼らの反応を見て行き場のない苛立ちを覚えたこともあった。だけど、既にそんな感情はすり減り、すべて僕の中から消え去っている。
そう、今の僕はただの空虚な入れ物なのだから。
「……別にいいよ、もう終わった話だからさ」
僕はそう口にすると、視界の向こうに映るグラウンドの光景から視線をそらした。多少は言うことを聞くようになった左足を踏ん張り、そして教室の扉に向かってゆっくりと歩き始める。
「昴、帰んのか?」
「ああ。別にここにいても、家に帰っても変わりはないけどね。じゃあ、また来週」
軽く手を上げて、僕は帰路へとつく。
敢えて表のグラウンドの側を通らないように、学校の裏門から遠回りをする形で。
三ヶ月前、僕はかけがえのないものを失った。
あの日はインターハイへ向けた春合宿の最終日。そして僕はいつもの様にピッチの中央にいた。
味方チームの誰もが相手からボールを奪うと、必ず最初に僕を探す。そして僕に多少のマークがついていたとしても、迷うことなく必ずボールを預けようとしてくれた。
僕は受け取ったボールを、敵のゴールまで運ぶその道筋を作るのが仕事。敵味方の配置と動き出しのタイミング、そして彼らの足の速さとその技量。それらを全て頭の中に叩きこみ、敵のゴールに向かって最短かつ最良のルートを選択する。
それがイタリア語で演出家を指すレジスタと呼ばれていた僕に課せられた、中盤の底でゲームメイクをするという役割だった。
一列前の味方と敵との隙間を抜いて、敵の足が届かず、味方だけがぎりぎり受け取ることができる地点へと僕はパスを送る。
あの日も既に二度、三度と理想に近いパスを供給し、その度に味方のスコアボードには新たな数字が刻まれていた。
もちろん相手は、決して弱いチームではなかった。
確かに結果だけを見れば後半も半ばを過ぎて、三点の得点差がつけている。だが、彼ら一人一人の目は死んでいなかったし、まったく諦める気配も見受けられなかった。
こういうチームは夏の本大会までに化けてくることがある。だからこそ、ここで僕たちには勝てないのだと、その脳裏に刻みこませる必要があった。
そんなことを考えているうちに、味方のディフェンダーから新たなパスが僕の足元へと送られる。
途端、これまでの僕のプレーが脳裏にこびりついていたのか、敵はスルーパスを警戒して一瞬で引き気味となった。
「勝負どころ……だねっ!」
僕はそう呟くと、そのままボールを蹴りだすこと無く、前へとドリブルを開始する。
一歩、二歩、三歩。
何度も何度も裏山の坂を駆け上がり、鍛え続けてきたこの両足。それは後半のこの苦しい時間になっても、まったくその勢いを衰えない。
あっという間に敵陣へと入り込み、そして僕は自らの足元にあるボールから視線をあげて周囲を探る。
その瞬間、前線の味方がオフサイドにならずボールを受けることができるよう、円を描くような形で走りだしている姿が視界の隅に写った。
一方敵は、これまで低い位置でパスをさばくことに専念していた僕が前に出てきたことに明らかな動揺をみせている。そしてその動揺を象徴するかのように、敵の一人が慌てて僕目掛けて突っ込んできた。
まっすぐ迫り来る毬栗頭のディフェンダーに対し、僕は薄い笑みを浮かべる。彼が僕に向かってくるも、他のディフェンダーは連動して動くことができていない。つまりそれは、味方のマークが完全に手薄となったことを意味していた。
この試合でも、すでに何度か彼とは対峙している。
彼はたぶん、まだスタメンになって間もないのだろう。ゾーンディフェンスの概念を十分に理解できていない印象があった。
だが献身的と言っていいその運動量には見るべきものがあった。もっとも、それももう限界に来てはいたが。
彼が本来なすべきはディレイディフェンス。つまり僕のプレイを遅らせることである。
だからこそ、まっすぐに僕へと向かってくるのは、決して正しい判断ではありえなかった。
おそらく普段ならば、彼も気づいたことだろう。ただおそらく積み重なった疲労が、彼の判断を鈍らせていたのだと思う。
僕は敢えてギリギリまで彼を引き付けた。そして彼の足が眼前のボールへと伸ばされた瞬間、僕はそのボールを最前線の空白地帯に向かって送り出す。
そう、目の前の毬栗の青年が、先程まで守っていた空白地帯へと。
ボールは青年の脇を抜けて、勢い良く転がっていく。
僕の脳裏には、はっきりとゴールまでのボールの軌跡が浮かび上がっていた。
自然と吊り上がる口角。
しかしそんな僕の表情は、瞬時に苦痛によって歪められる。
架空のボールの軌道ばかりを見ようとしていた僕の視界の端には、先ほどの毬栗の青年がいつの間にか大きく写っていた。
目標としたボールが消え去っても、疲れきった彼には、既に自分の勢いを止めることが出来なかった。少なくとも、僕の軸足である左足へとぶつかる以外には。
そして僕が次に見たものは、真っ白な天井だった。
病院へと運ばれる間のことは覚えていない。
激しい痛みの記憶さえ、既に曖昧となっていた。
おぼろげに思い出せるのは、あの真っ白の天井と、ベッドの側にぶら下げられた点滴のボトル、そしていつの間にか金属を埋め込まれ動かすことが出来ないよう固定されてしまった僕の左足と物言わぬ父親の姿。
だがたった一つだけ、はっきりと覚えていることがある。
担当医師の口から告げられたサッカーを続けることは困難だという宣告。
それは小学校の頃から思い描いていたプロになるという夢が、この左足とともに失われたことを意味していた。
いや、もちろん左足だけは残っている。ただし冷たい金属混じりの別物ではあったが。
そうして未来を失った僕も、既に完全な別物となっていた。
夢という中身を失った、ただの抜け殻。
それが今の僕、黒木昴だ。
「ただいま」
重い足を僅かに引きずりながら辿り着いた自宅。
まだ家族は誰も帰宅していなかったのか、言葉だけが虚しく空間を漂う。
こんな早い時間に帰宅するようになってからは、しばしば経験することだ。だから、僕は特に気にはしない。そしていつものように、まっすぐ二階にある自分の部屋へと向かい出す。
先月、上手く左足を動かすことが出来ず、一度階段から転げ落ちた苦い思い出がフラッシュバックした。だから僕は、慎重に足を運びながらゆっくりと二階へと登っていく。
そしてすぐ右手にある自分の部屋に足を踏み入れ、かばんを床へと投げ捨てると、テーブルの上に置き去りにされていた本を何気なく手に取った。
「アリオンズライフ……か。正直、小説なんてタルいんだけどな」
この場にはいない友人に向かってそう口にすると、そのまま本を片手にベッドへと寝転がる。
あらすじやキャラ紹介をパラパラとめくり、プロローグと題された本文に目を向けた。
「トラックに轢かれて異世界に転生ねぇ……」
たった二ページ目で、おもわず僕は突っ込みを口にする。
いや、別にここではないどこかへと転生したり転移したりという作品、それ自体は星の数ほど存在する。
もちろん優弥のようにたくさん見たり読んだりしているわけじゃないけど、そんな僕でも幾つかのゲームや漫画の名前は簡単に上げることが出来た。
そしてこの作品も例に漏れず、現実に挫折した青年が、不幸にもトラックに轢かれて現世と別れを告げる。
うん、それ自体は別に良い。
ただ何故かこの作品からは、トラックに轢かれることがまるで予定調和であるかのような感覚を覚えた。そう、それがどうにも引っかかる。
「……まあ、良いや。人間にぶつかって人生を終わらせる奴もいるくらいだしね」
思わず自嘲気味に呟くと、僕は気を取り直してもう一度ページを捲り始める。
そうして、前世の記憶を持ったまま転生した主人公が成長していく姿を、僕は追っていくこととなった。
あれ……なんだろう、これ。
なぜかこの物語には軽いデジャブ感を覚える。
もちろん当然のことながら、僕がまったく同じ経験をしたことはない。今時中二病にかかっていたとしても、僕の前世は異世界人などと言い出す奴は見たことがなかった。
だけど、本当にどこかで体験したことがあるかのような錯覚を覚えるほどに、何故かスッとこの物語の中に入り込むことができた。
そしてつまらなかったら放り投げるなんて考えていたことも忘れ、僕はまるで自分が主人公であるかのように彼の冒険を追いかけていく。
ああ、そうだよな。
もし僕が異世界転生させられたら、彼と同じように現代の知識を使って、生き抜くことを考えるだろう。
もし僕が異世界転生させられたら、彼と同じように現実で挫折したからこそ、二度目の人生でやり直そうとするだろう。
もし僕が……
「優弥、今いいかな?」
「なんだ、珍しいじゃねえか。昴から電話をかけてくるなんてさあ。で、一体――」
「アレさ、続きないの?」
優弥の言葉を聞き終えるより早く、興奮冷めやらぬ僕は早口でそう問いかける。
途端、優弥の怪訝そうな声が僕の鼓膜を打った。
「アレ? 一体、何の話だよ」
「だからアレだよアレ。アリオンズライフだよ」
余計な会話をするのももどかしいと感じながら、僕は一気にまくし立てる。
すると、電話の向こうで優弥がニンマリと笑みを浮かべたのを僕は感じ取った。
「おお! 読んだか、読んだのか。で、どうだったよ?」
「どうもこうもないよ。とにかく続き、続きは無いの?」
「いや、続きって言われてもな……本はないぜ。まだ発売されたばかりだって言っただろ」
「じゃあ、なんであんな中途半端なところで終わってるんだよ。おかしいだろ!」
理不尽な読者であると自覚しつつも、僕は苛立ち混じりにそう叫ぶ。
そう、明らかに普通の小説の終わり方じゃない。
というのも、一巻を読み終えたにも関わらず、全然物語がまとまっていないのである。
あえて言うならば、まだまだ続く広大な物語が、その途中でぷつんとぶった切られてる感覚。
それがアリオンズライフ一巻の終わり方であった。
「まあまあ、昴。ちょっと落ち着けって。確かに本としての続きは無いと言ったさあ、続きが読めないわけじゃなぜ。それどころか、読もうと思えばタダで読める」
「へ、タダ? 何を言っているの?」
からかわれていると感じた僕は、やや険のある声で問い返す。
だってタダで読めるのなら、わざわざ本なんて出るわけがないのだから。
しかし優弥は、少し誇らしげな口調で、僕に向かってはっきりと告げた。
「いや、本当にタダだぜ。無料であの話はまだまだ読めるんだ。ベコノベならな」
「ベコ……ノベ?」
聞いたことのない名前だった。
というか、すごく気が抜けたような、言うなれば、まるでガスの抜けた炭酸水のようなマヌケな語感の名前。
だけど、それは冗談では無いとばかりに、優弥は説明を続ける。
「ああ、Become the Novelist。通称ベコノベ。インターネットで一番有名な小説投稿サイトさ」
「ネット? ネットで続きが読めるの?」
「ああ、アリオンズライフで検索してみろよ。たぶんベコノベってサイトに続きがあるからさ。と言っても、それも途中で……って、おい、もしもし。昴?」
続きが読めると知った僕は、携帯から手を話すと、慌ててパソコンの電源を付ける。
そして画面が立ち上がるのをもどかしい気持ちで睨みつけながら、迷うことなくインターネットにアクセスした。
「あった。これかベコノベ!」
検索サイトに優弥の言った文字を打ち込んだ僕は、無我夢中で画面をクリックする。
Become the Novelist。
そこには僕が足を踏み入れたことのない、完全に未知なる世界が果てしなく広がっていた。
「昴……前からお前にはそういうところあると知ってはいたけどさあ、さすがにハマり過ぎじゃね?」
月曜日の昼休み。午前の授業をほとんど居眠りして過ごした僕は、真正面から優弥にそう断言された。
「……そうかな?」
「洗面所に言って自分の顔を見てみろよ。くまどころか、死相が出ているから」
優弥はそう口にすると、呆れたかのように大きな溜め息を吐き出す。
「だってしょうがないだろ。あんな凄いものが無料で公開されてるんだ。途中でやめられるわけないさ」
「なんというか、昴って思い込んだらそれしか見えなくなるよな……そりゃあ、勢いは認めるけどさあ。でもベコノベの上位作品を、一睡もせずに週末読み続けたって、一体どうよ」
「仕方ないだろ。アリオンズライフが、あのサイトの中で八位なんておかしいと思うじゃないか。なら、アレより順位が上の作品はどんなものだって、気になるのが普通だろ」
そう、ベコノベには作品ごとに読んだ読者からポイントが付けられ、その多寡を競うランキングシステムというものが存在する。
むしろそのわかりやすい人気ランキングが好評で、他のネット小説投稿サイトよりも多くの読者を掴んだサイトらしい。
そしてベコノベの全作品中、あのアリオンズライフは第八位という順位であった。
それに気づいた瞬間、正直いって僕はありえないと思った。
だって、あんなに面白い作品よりもさらに凄いものがまだ七つも、しかも無料で存在するということにである。
だからこそ、山川修司先生の一ファンとして、敵を知らねばならぬと僕が思ったのも、それは已む無きことだろう。
「まあ多少はわかるけどな、でも小学生じゃあるまいし……まあ良いや、お前らしいといえばお前らしいしな。で、どうだったベコノベ?」
苦笑を浮かべた優弥は、両手を軽く広げながら、僕に向かってそう問いかけてくる。
「うん。面白い、それも凄く。だけど……」
「だけど?」
「うん……ちょっと気になることがあってさ」
ベコノベにどっぷりと浸かって、僕は次から次へと作品を読んでいった。
どれもこれも寝食を忘れるほどに面白い。
ただその過程で、一つだけ気になることがあった。そう、あのサイトの作品に共通する奇妙な一致に。
「気になることって、もしかして異世界転生のことか?」
「え、なんで分かったの?」
そう、ランキング上位の作品は偶然などとは呼べない確率で、ほぼ全て主人公が異世界へと転生か転移をしている。
そうではない少なからぬ作品も、その舞台は現代日本ではなく、ほとんどが中世ヨーロッパをモデルにしたような異世界を、尽くその舞台としていた。
「はは、そりゃあ最初に誰もが思うことだしな。ま、五年前からあのサイトに入り浸っている俺には、その程度のことはお見通しさ」
「五年? ……じゃあ、もしかして」
「ああ。山川修司がまだベコノベで現役だった頃。処女作のアリオンズライフが初めて投稿されたその日も、俺はあのサイトにいたんだぜ」
「え、そうなの? というかさ、あんな面白いサイトがあるなら、もっと早く教えてくれたら良かったのに」
思わず薄情者と言い出しそうになった僕は、サイトを教えてくれた優弥への感謝の気持ちを思い出し、敢えて拗ねたような言い回しに切り替える。
しかしそんな僕に対し、目の前の灰色の青年はわずかに視線を反らすと、寂しそうにその口を開いた。
「うん、まあほら、あの頃のお前には他に熱中するものがあったからな」
「熱中するもの……ああ、なるほどね」
優弥のその表情と言葉に、僕は左膝がズキリと痛む感覚を覚えた。
僅かに訪れる二人の間の沈黙。
しかし僕はすぐに気を取り直すと、再び優弥に向かって疑問をぶつけた。
「まあそれはともかく、上位の作品、いや他のもそうかもしれないけど、なんであんなに似たような話が多いの?」
「似たようなと言うより、むしろ世界観が近いといったほうが正しいかな。もっとも読み慣れてくると、その中での違いも楽しめるんだが……でもまあ言ってしまえば、それこそが味噌ってやつだ」
「味噌?」
優弥の言葉の意味がわからず、僕は首を傾げる。
すると、優弥は頭を掻きながら、自らの意図するところを解説し始めた。
「ああ。特徴というか、強みと言い換えてしまっても良いかもな。あのサイトの全てってわけじゃないが、中世ヨーロッパをモデルにした世界観で作られ、そして現実の俺達のような日本人が転生した物語が紡がれるのが、あそこの作品の王道だ。もちろん個々の作者は言わねえけど、各作品ごとに作り上げられた異世界のイメージは、実は読者の頭の中で他の作品と軽く共有されてる。まあその御蔭で、どの作品も簡単に没入できるってわけだ」
「……なるほどね。つまりその御蔭で、あそこの小説を読めば読むほど、他の作品も読みやすく感じたってのは、それが理由なわけだ」
「ああ、そう言うのをハイコンテキストとか言うらしいけどな。まあいずれにせよ、ベコノベ作品のふんわりとした共通世界観を、お前はアリオンズライフを通して受け入れた。さらに他の上位作品をのきなみ読むことで、それが頭に馴染んでいったってわけさ」
右の口角を吊り上げながら、優弥は何故か得意気にそう断言する。
でも、その説明はわかりやすかったし、受け入れやすくもあった。ただベコノベに関しては、一つだけ納得出来ないことが存在したが。
「そういうことか。でもさ、やっぱり引っかかるのはアリオンズライフが一番面白かったのに八位だってことだよ。他のも面白いんだけど、どうにも主人公の行動が僕には納得出来ないことがあって」
「そりゃあ、お前のためだけに書かれた物語じゃないからな。逆に言えば、恐ろしいくらいアリオンズライフの主人公とお前の考え方が一致してたってことだろ」
「うん、そうかも。でも、あれも途中で止まっているんだよね……」
「エタっている……か。まあそれは仕方ないさ。山川先生はもういないだからな」
エタる。それはエターナルの略語であり、永遠に話が中断することの意味だと、僕はベコノベに触れる中で知った。
そしてアリオンズライフに関しては、その理由が作者の死であることも。
「……それはわかってる。ともかくさ、アレと同じくらいハマる作品が、他にもあのサイトの中にはあるのかな」
「そりゃあ、探してみないとわかんねえな。あそこで書いている連中は、基本的には自分の書きたいように作品を作ってるだけだし。まあ、もしお前の理想があそこにないって言うなら、いっそ自分で作っちまえば良いんじゃねえか?」
「作る? 何を?」
僕は目を白黒させながら、目の前の灰色の男を見つめる。
すると彼はニヤリと笑い、そしてとんでもないことを口にした。
「小説をさ」
「小説……」
「ああ、あのサイトは、become the Novelist。言葉通り小説家になろうっていう目的のサイトさ。だから、投稿者の殆どはアマチュアで、あそこで初めて小説を書きだしたって奴も少なくない。それも老若男女問わずな」
その優弥の言葉に、僕は思わず目を見開く。
「あんなすごい作品がいっぱいあるのに?」
「そうさ。第一あの山川修司だって、あのサイトからプロになったんだぜ」
山川というその名前を、そして彼がベコノベで書き始めたのだと耳にした瞬間、僕は自らの胸の鼓動が高鳴ったのをはっきりと感じ取った。
「あ、アリオンズライフの山川先生も……本当に?」
「山川先生……ね。ともかく、あの山川修司も自分の病気をきっかけに、小説を書こうと決意して初めてペンを取ったらしいぜ。その処女作があのアリオンズライフ。まあ何作か同時に書いていて、他のが先に書籍化して売れっ子になったわけだけどな」
「じゃあ、他の作品のほうが面白かったってこと?」
「いや……まあ好みはそれぞれだろうけど、処女作のアリオンズライフへの思い入れは特別だったみたいでな、完結まで書き終わるか自分が病に倒れた時に、初めて書籍化するって約束だったらしい」
そう口にすると、優弥はほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべる。
多少強引に押し付ける形で、僕に読むことを進めてきた優弥。そこまでして布教したいと思うくらい、こいつも山川先生のことが好きなんだ。僕はここで初めて、その事実を理解した。
一方、優弥は小さく息を吐き出し、再びその口を開く。
「ともかくさ、お前の理想とする小説を作る。そんなこともできるわけだ。あのベコノベならな」
「僕の理想の小説を作る……か。それ、面白いね」
「はは、たった三日でマジでベコノベに嵌ったんだな。まあ第二の山川修司にはなれなくとも、なんかの間違いで人気が出て、お前みたいなのがプロ作家になったらおもしれぇな」
プロ……その言葉は僕にとって、あのスポーツの前にしか付かないものであった。野球ではなく、ラグビーでもないあのスポーツの。
だからこそ、わずかに震える声で僕は繰り返すように問いかける。
「プロ作家になる?」
「おいおい、本当にちゃんと上位作品を読んだのか。あそこのランキング上位のものは、どれもこれも本屋で売ってるぜ」
「全部無料なのに……いや、そういえば何か雑誌で読んだ気がする。ネット小説が次々と書籍化されているとかなんとか」
スポーツ記事を見るために、何気なくコンビニで立ち読みした雑誌。
その紙面の片隅に、ネット発の小説が次々と人気になって書店で発売されていると、確かそんな記事が乗っていた。
もちろん、あの時は特に気にもしなかった。
でも今思うと、アレはベコノベのことだったんじゃないか!
「そう、まさにそれだ。人気が出て面白ければ、誰にでもプロになれるチャンスが与えられる。例え初めて文章を書いた中学生だろうが、還暦を過ぎた大の大人だろうが、あそこに投稿した人間は皆平等にな」
「……まるで小説やゲームの中の世界みたいだね」
「ベコノベらしく、異世界って言えよ」
薄く笑いながら優弥はそう口にする。
異世界。
ああ、なるほど。確かにベコノベは、これまで僕とは縁とゆかりもなかった世界だ。
「だとしたら、全く違う世界にいた僕は、あの日ベコノベの世界へと転生したのかもね」
これまで僕がいた世界と、小説やベコノベを取り巻く世界はまったく違う世界。
だとしたら、アリオンズライフを通して、僕はベコノベのある世界に転生したとも言える。そして転生したというのなら、当然……
「おいおい、昴。どうした? 異世界とは言ったけど、マジで頭の中があっちに行っちゃてるんじゃないだろうな」
「ああ、ごめんごめん。ちょっと自分の状況がさ、異世界転生する人間と似ているように思えてね」
「はぁ……さっきみたいにぼうっとして、帰りにトラックに轢かれるなよ」
「気をつけるよ。トラック転生は痛そうだからね。でも、うん、サッカーを絶たれた僕が、ベコノベという異世界に出会って、そこの住人になる。やっぱりこれってさ、十分に異世界転生だよ。そう思わない?」
「お、おい、昴……お前」
僕が口にしたある単語を耳にするなり、優弥は驚いたように目を見開く。
そう、あの事故以来、僕は初めて“サッカー”と言う単語を直接口にした。
そして一度封を切った僕の口は、もはや何ものにも遮られることはなかった。
「ああ。僕はもうサッカーをすることが出来ない。でもさ、夢を追いかける権利までを失ったわけじゃないんだ。僕はベコノベで、新しい夢を追いかけてみようと思う。そう、あの山川修司先生のようにね」
「はぁ……思い込んだら、お前はまっすぐにしか進めねえからな。確認するけど、本気なんだな?」
「ああ、やるからには中途半端なことはしない。いつも全力で結果を求める」
「サッカー部時代のお前の口癖か。だとしたら、仕方ねえな。どうせやるなら、ベコノベ先住民のこの俺が色々とサイトのことを教えてやるよ」
「ああ。頼むよ、優弥」
そうして僕らは固い握手を交わした。
それはちょうど一年前、優弥がサッカー部を去り、僕が残った際に交わした時以来の握手だった。
本作品に関しましては、ネットサイトから小説家を目指すための小説ということで、執筆・制作にあたり多くの先生方の様々なご協力を頂きました。(以下なろうのユーザID順)
蝉川夏哉先生 (異世界居酒屋のぶ)
丸山くがね先生 (オーバーロード)
みかみてれん先生 (勇者イサギの魔王譚)
長月達平先生 (Re:ゼロから始める異世界生活)
藍藤遊先生 (グリモワール・リバース)
カルロ・ゼン先生 (幼女戦記)
理不尽な孫の手先生 (無職転生)
暁なつめ先生 (この素晴らしい世界に祝福を)
快くご協力頂きました上記先生方に、この場をお借り致しまして改めて深く御礼申し上げます。
それではしばしの間ですが、お付き合いの程をどうぞよろしくお願いいたします。
津田彷徨