第75話「侠気と狂気」
急に何を言い出すんだこいつは……本当にどこまでが本気で、どこからが策略なのかわからない。
「……するわけないだろ。そんなことして何の意味があるんだ」
「ありゃりゃ? 先輩に選択肢なんてないんすよ? あー、うち先輩が転生者だって言いたくなってきたっす! だって"記憶持ち"の転生者なんてそうそういないっすからね!」
……"記憶持ちの転生者"。面白いことを言う。記憶なしの転生者が普通だとでもいうような。ハムリンのように前世の一般常識くらいは持ち合わせているが、自分がどういう人生を歩んだかは覚えていない者。この世界での転生者というのはそっちのほうが一般的なのだろうか。
そしてそこで、どこで断定したかはわからないが俺のことを"記憶持ち"と言ったこと。ブラフか? ここで引っかかってやる必要もないな。
「俺が前世の記憶を持っていようがいまいが……本当に何が目的なんだお前は。奴隷契約でお前を縛り付けたとして、お前に何のメリットがある。何を考えているんだ、ユリシス」
"リッカが記憶持ちの転生者だということを口外しない"や"リッカの命令に逆らえない"という内容の奴隷紋を書いたとして目の前の少女はそれをどう有効活用する気なんだ。正直思いつかない。自分の身の自由が損なわれるだけだ。
「恋は盲目! うちは自分の好きな人と眼で見える繋がりを持てるだけで大満足っすよ? そのまま正妻にしていただければ言う事もなしっすけど!」
…………わからん。本当にこの前髪の中でどんな目をしながらこちらを見ているんだ。俺に何をするつもりなんだ。
「……やられたな愛する人。ノッペラ娘が本当に口外する気があるにせよ無いにせよ、今ここでは奴隷契約を断ることにはこちら側のメリットがない」
わかってる。わかってるさ。……でもこれ以上奴隷を増やす気なんて微塵もない。だからこそこの逆境を乗り越える術を全力で考えとるんだ。どうしよう、逆に俺を奴隷にしてくださいとか言ってなんやかんや暴れまわってうやむやにしてやろうかな。
「じゃあ奴隷契約するということでいいっすね! ああ、これでやっと憧れの人と繋がることができるっす! まだ奴隷紋は入れてないっすけど、これはもう確定事項ということでよろしいっすよね?」
不意をつかれすぐ目の前に髪の毛のお化けが……もとい前髪垂れ流し文学三つ網少女が現れる。しまった、ついこれから起こりうる酒も飲んでいないのに酔っ払っているとしか思えない喜劇と悲劇の平行世界にトリップしてしまっていた。
「待て、俺はまだ良いとは言っていない!」
とりあえず手についている指輪をはずしてプロポーズの真似ごとをしながら一生専業主夫宣言でもしてみるか? そうすればハムリンがこの場を物理的にもなかったことにしてくれる気がしてきた。
「ありゃりゃ? でもまあ、乙女の柔肌を見せるにはまだ早いしお邪魔虫さんもいらっしゃるんで……少し眠っていてもらえるっすか?」
「……は?」
首筋に本の少し傷みを感じた後。俺の意識は霧散していった。
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「……敵意はないと見える。魔力の流れも穏やかだ。だがしかしこれはどういうことだ? この実験室に私達を閉じ込めるのが目的か? 正直に言え。次貴様が戯言を言ったら、私は容赦なく貴様を殺す」
倒れそうになった愛する人を抱えようとしていた目の前の女から、少し強引に奪い取り身体を支える。肩を貸す形になってしまい戦況としては不利だが致し方ない。
右肩側を見つめればただ寝ているようにしか見えない。だが毒の可能性もある。愛する人の状況の確認はできた。あとはこの女を処理して出来る限り迅速にこの場を後にする。既に交渉の意味はない。この女は愛する人を攻撃した。その事実に代わりはない。
「見ての通りただの睡眠薬っすよ? これでも恋する乙女。一目惚れっすからその一目見てわかっちゃったっす。……先輩は、"何日寝ていないんですか"?」
少し怒気を孕んだ声で話しかけてくる女。その手には注射器のようなものが握られている。科学の進歩の問題なのかはわからないが、随分と太い針だな。
「……3日、といったところだろうな」
この女、医学にも精通しているのだろうか。見た目的にもそれほどいつもと代わりのない、初対面の男を見て睡眠不足かどうかを判断できるとは。……まさか、本気で心配して無理矢理寝させたのか?
「何故それをわかっていて何もしないんすか? 少し見る限りは……慢性的なものっすよね?」
鋭いな。確かに愛する人は極端に睡眠時間が短い。アラハンにいた時に薬師から作り方を習ったという特殊な覚醒薬を使い夜間にも行動している。……あのカレー好きな小娘は恐らく気付いてないだろうが。
「それがどうした?」
「どうした? 自分の愛している人がここまで無理をしているというのに、何故止めないんすか!」
……本気で怒っているようだな。初対面でここまで親身になれるものか? 一目惚れというのを信じそうになった矢先にまた別の可能性が頭に浮かぶ。出来るなら確率視点を使いたいが……腰のナイフから手を離すわけにもいかないな。
「貴様に全てを話すつもりはないが、これだけは言ってやろう。あまり世話を焼きすぎる女は、男から嫌がられるだけだと思うが。……男が意地を張っているんだ、簡単に邪魔をしていいものではない」
貴様は知らないだろう。夜に1人、誰にも気付かれないように戦闘と召喚術の練習をしている彼を。誰もいないスラムの奥の寂れた瓦礫の中で、大岩を砕く彼を。魔法の域の技を、魔法なしでなしえようとする彼の努力を。
「……愛する人愛する人呼んでるっすけど、貴女にとっての愛ってなんなんすか? 無理をしている人をそのまま放置するのが愛なんすか? そんなものは愛ではなくて盲信とでも表現すればいいっす。ここまで身体を酷使している人に対してそれを傍観するだけなんすか? 愛ってそんなに非情で無関心なものなんすか?」
どうして、目の前の女はそこまで憤りを感じることができるんだ。先ほどまではまだ腹の中で何を考えているかわからないような喋り口調だったというのに、今のこいつは思い切り感情を吐露させている。本当に何も知らずにここまで感情移入しているとしたら狂気の領域だが、それもどこか違うように見える。
確かに彼女の言葉の節々からは、愛する人に対しての愛情を感じた。……面白い。ならば貴様は2つの意味で私の敵だ。感情に流されるような柔な思考はしていないぞ、私は。
「これくらいで倒れるならそれまでの奴だったということだ。愛する人は無理はするが、その加減は間違えていない。私もまだ会って日が浅いが、少なくとも貴様よりは彼を理解しているつもりだ。彼は自分の身体の限界を知っている。知っていてなお、その限界の一歩手前までひたすらに突き進む。そんな男に無理をするななどと言うほど私は愚かではない。……まぁ、この寝顔を見て安心してしまっているということは、私もやはりそれなりに心配をしていたんだろうがな。……ところで」
睡眠時間を削ってまで己を高めようとする愛する人に対して、私は何もいう事はできない。というより私も出来る限り時間は調整している。流石に3日に1度寝るなんていう無茶はしていないが。
だがそんな彼に私は少しでも近づきたいと思っている。隣にいて支えになりたい。だからこそ私も常に前に進むことが出来る。隣に強敵とも言える彼がいるから。
その進路の障害になるというのなら、私は喜んで、自らを泥で汚しながら、その立ちはだかる物を取り除こう。
「貴様は"リッカ"の何を知り得ている?」
確率視点。上目遣いで女を見やり、確率視点のスキルを発動させる。"目の前の女が、今日出会う前から愛する人を知っていた可能性"という言葉を頭の中に浮かべる。
どこに数値が見えるわけでもない。ただなんとなく頭の中に思い浮かぶ数。
"90%"
「……何の話っすか?」
「一目惚れでここまで感情的になれる奴がいるものか。どこで何を知った。もう一度伝えておこう、次に戯言を言ったら、私は貴様を殺す」
「……うちが言うのもなんですが……答える前に教えて欲しいっす。貴女こそ、なんで知り合って間もない彼をそこまで愛せるんすか」
なんで、か。なんでというのであれば、それはその問題についてちゃんと考えたからに他ならない。
「貴様みたいに盲目でも盲信でもないからだ。最初は勢いだったかもしれないが、今は考え尽くして、省みて、それでもここに居たいと思ったからここにいる。それはもう1人の愛する人の奴隷も同じだ」
だが小娘と私とでは決定的に違うところがある。それはただの生き方の、生死感の違いだとも言えるかもしれない。
「愛する人のためなら、人も殺す。そう、覚悟した」




