第73話「読み飛ばし可能部分がございます」
「なあ」
「なんすか?」
本棚の影に隠れながら、俺たちは図書館の上の階へと歩を進めていた。時折、転移魔法が込められた魔法石を使って下の階層に戻ったりしてハムリンを撒きながら。別にやましいことをしているつもりはないが、見つかると色々と面倒くさそうだ。さっき浮気どうこうの話があったばかりなのに、もう一度それに悩まされるのはごめん被る。
「何処に向かってるんだ?」
それはそうと、何故俺たちは上に向かっているのだろうか。
「図書館の一番上まで行くっす! 立ち入り禁止エリアの中にうちの実験室があるっす。勿論ちゃんと許可は得てるっすからそこは心配無用っすよ」
「実験室?」
図書館の一番上に? こんなクソ高いところにわざわざそんなものを創る必要があるのか? この世界の建築家が考えることはよくわからんな。
「そうっす! 誰も使っていないとのことで学長からお借りしてるっす!」
「随分と優遇されてるみたいじゃないか。特待生か何かなのか?」
「特待生なのもあるっすけど、今やっていることは学長から直接依頼されたことっすからね」
「ほう。凄いじゃないか。教員を差し置いて学長から直々に依頼されるなんて。どんな依頼か聞いても大丈夫か?」
本棚の角から辺りを見回す。よし、つけられてはいないようだな。
「勿論だいじょうぶっすよダーリン! 新しい兵器の開発っす。魔法が使えない人でも簡単に扱うことができて、でも過剰な戦力にはならない。自己防衛が目的のものっすね」
「そんなものを作ってどうするんだ。魔法学校なのに」
魔法学校での研究なのに魔法を必要としない兵器の開発? 意味わからんな。しかも学長からとは。
「ほら、魔法格差を埋めるためらしいっすよ?」
「……なるほど。中々の人格者なんだな。ここの学長は」
魔法格差。読んで字のとおりだ。この世界はライフラインを初めとして、様々なものが魔法で運用され始めている。そして体力、知力などと同じくらいに優れた魔力量が個々人のアドバンテージとなりうる。むしろ同等以上か。体力は身体能力向上の魔法で補うことができるし、知力も禁忌魔法の一つらしいが無理矢理頭に知識を埋め込むものもある。
そこまで応用性があると、必然的に魔力が無い者は冷遇されやすくなる。それが魔法格差。魔法の才能がない者は迫害されやすい。元々亜人や半亜人が迫害され始めた理由もこの大陸の先住民ということも大きいと思うが、魔力量が総じてただの人間より低めだということも一因だ。故に劣等種などと言われ差別の対象になっている。
そんな社会だからこそ、魔法の使えない者のために新しい兵器の研究開発を進めるなどというのは人格的と言えるだろう。……この娘には自己防衛と言っておいて、実際のところは戦争に駆り出すための施策の一つということも考えられるが。でもそんなことを本格的に考えているなら学生1人に頼んだりはしないだろう。
「集会とかでのお話を聞く限りはそう思うっすね。……って、なんで他人事なんすか? うちより先輩のほうが学長のお話とか聞いてるっすよね?」
「ああ、俺この学校の生徒じゃないからな。学食食いたくて制服借りて浸入してるだけだから」
別にもう隠す必要もないだろ。というよりこのユリシスという女の子とは出来る限り接点をもたないほうがいいと心の中の俺が叫んでいる。学校関係者じゃないということで興味の対象から外してくれ。
「そうだったんすね! まあうちとしてはその召喚石として使っている宝石のことを聞ければ特に問題はないっすけど!」
……油断ならんな。ちゃんと見てたか。
「それ目的か」
「それ目的っす! 他意も存分にあるっすけど!」
「どんなタイだ。魚の鯛とかか?」
「付き合いタイ! 結婚しタイ! 子供を産みタイ! 今現在のうちの欲望の三タイ要素っす!」
読めん。この娘が召喚術目的で俺に近づいたのか、それともこの頓知の利いた恋愛脳からの行動なのか。彼女の目も前髪で隠れていて見えないから表情もあまりわからない。
「そのネタもいい加減飽きてきたんだが。突っ込みづらいし」
「ありゃりゃ? 茶化してはいたっすけどネタなわけではないっすよ? うちは先輩に一目ぼれしたんすから!」
「…………どこに一目ぼれする要素があったんだよ」
「いやいやそれは当然と言えば当然というものっすよ? だってうちは先輩に命を救われたんすから! 先輩はそんなことない、ただ通りすがっただけだなんて最高にクールでかっこいいイカす台詞を心に思い浮かべているかもしれませんが、うちみたいな田舎娘のソバカス女にはあの出会い方は衝撃的過ぎたっす! 今まで男の人に下着を見られるなんて父ちゃん以外にはなかったすけど、むしろこうやって見られてしまったということはもうこの出会いは運命ということっすよね? これはもう結婚を前提にお付き合いするしか選択肢は残されていないっす! いやむしろ2人で同じお墓に入ることを前提に結婚するしかないっす! お墓はどんなのがいいっすかねえ……あえて土葬ではなく火葬? いやいやそれは先輩の艶かしい肢体がこの世から消え去ってしまうっすね……そうだ、水葬! 2人で大海原の中心で眠るっす! その身体は数々の生物の命の糧となり、骨は深海でいつまでもいつまでも寄り添う……ああ! なんてロマンチックなんすかね! でもでも結果の前に経過も大事っすよね! その細身ながらがっしりとした大胸筋と上腕二等筋に包まれながら生命としてあるべき慣わしを行い、2人だけだった家族は3人に。はたまた4人か5人、バスケットで対戦させるなら子供は10人は欲しいっすかね? 庭の芝生上にある、先輩が日曜大工で作ったバスケットゴールを使って5対5。ん? 女の子も生まれることを考えると12人くらいいたほうがいいっすかね? いやでも別に女の子だからといってスポーツをやらないことはないっすよね? じゃあ10人でもいいっすかね~審判とかはうち達でやればいいっすし。"ママぁ! 今のはファールだよねぇ?"なんて聞かれて、うちはよく見えてなくて先輩に聞いたら"ごめん、俺もママばかり見ていたよ"なーんてなーんて! 子供達からブーイングを受けながらも2人の愛はトラベリング! ルールなんかに縛られない夫婦の夜のスポーツマンシップはブザービートしっぱなしっす! 待ってパパ、そんなランアンドガン! 激しすぎるっす! そんなにドリブルされたらもう……! ママ、あと少しでセンターラインからエンドラインまでいけそうだよ……俺は絶対3ポイントなんて打たないよ、いつまでも2Pのままさ……でも相変わらずベットの上だと、俺のワンサイドゲームだな? ……っだっはあああ!!! たまらないっすね! 流石先輩!!!! あ~やっぱり子供が11人になっちゃーー」
「ーーごめん、ちょっと用事思い出したから帰るわ」
駄目だ。もう心の内が読めるとか読めないとかどうでもいいわ。この娘は危険だわ。近づくべきじゃないわ。ヤンデレだわ。
「冗談っすよ~嫌だな~本気にしたっすか~? 先輩のえっち~」
本気にしか聞こえねえよ。あんな長台詞をテンション最高潮で一度も噛まずに言い切っておきながら、なんで息も荒げず澄ました顔に戻れるんだよ。女優になれるよあんた。
「着いたっす! ここっす!」
馬鹿なやり取りをしていたら割とあっという間に最上階、立ち入り禁止エリアにたどり着いた。立ち入り禁止エリアにあるのは2つの扉。一つは外に通じていそうだな。……こんな高さから外に出れるのかよ。100メートルくらい高さあるんじゃないか? 死者がでるぞ。……だからこその立ち入り禁止エリアか。
もう一つの扉は……
「…………"特設会議室"?」
こんな上階に? 何の会議をするんだよ。集まるの大変過ぎるだろ。
「先輩。召喚術にお詳しいんすよね?」
扉の鍵を開けながらユリシスがこちらを見上げてくる。あのフロアにいればそう思われるのも当然か。
「人並みで月並みってところかな」
「そうっすか? 王都では召喚術を人並みに習得している人は、月並みに召喚紋が描かれた召喚石をそんなに大量に持ち歩いてるものなんすね! いやー王都はやっぱり違うっすね!」
やーっぱ油断ならんなこの娘は。
「よく見ていらっしゃるな」
「好きな人をガン見するのは当然じゃないっすか!」
「……本当にお前はどこまで本気で言っているんだ?」
「ご想像にお任せするっす!」
…………やばい。こいつ苦手だ。情報を小出しにして交渉を有利に持っていくタイプだ。ハムリンが正々堂々正面突破する特攻型だとしたら、こいつは敵陣営の穴を探しつつ必要最低限の行動で敵を索敵していく偵察型ってところだな。
むっつり変態ココ。がっつり変態ハムリン。じっくり変態ユリシス。思春期なだけで変態ではないリティナがいるのが救いだな。
「まあいいや。しばらくここに匿ってもらってから帰るか」
「え? 帰るんすか? 泊まっても全然大丈夫っすよ? 湯浴みは運動場の方にいけばできるっすよ?」
「……ほら、俺学生じゃないし」
「でも夫っすよね?」
「誰の?」
「うちのっす」
「冗談だよな?」
「2割程度はそうっすね」
「あと8割本気なのかよ。で、お前が依頼されたっていうのはこれか?」
部屋の中は意外と広く、そして部屋の隅は誇りにまみれていた。ユリシスの活動範囲は中央にあるこの広めのテーブル付近なのだろう。それ以外にもなにか釜のような火を轟々と焚いているものや、冷蔵庫みたいな箱が置いてあったりと、とても会議室には見えない。どちらかと言えば実験室だな。
そしてその大きなテーブルの上。置いてあるのは、"ライフル銃のようなもの"だ。
「そうっす。ほとんど魔法に頼らずに攻撃ができる兵器。学長から大まかな構想とラフの図面は頂いているので、それを元に実用性のあるレベルまでもっていくのがうちの仕事っすね!」
テーブルにばら撒かれている資料に目を通す。……随分とイラストチックなものだがリボルバー式の拳銃か。この世界で俺はまだ銃というものを見たことがない。物を飛ばすくらい魔法でことが足りる世界だ。わざわざ銃に特化して研究するよりは魔法を研究して銃のような魔法を編み出したほうが効率がいい。
なのに、ラフ画とはいえ単発式の銃すらないこの世界で、リボルバー式の拳銃。学長は転生者なのか?
……いや、転生者だとしたらラフにしても大雑把過ぎる。銃の形、弾の形を描いてるだけで薬莢や火薬については何も書かれていない。このまま作ったら、撃鉄で鉄を叩くだけのくず鉄が出来上がるだけだ。
そう考えると、なんらかの手段で転生者から話を聞いてそれを元にこの設計図を書いたというほうが可能性が高いか。転生者溢れすぎだろ。……にしても、こんな落書きを元に銃作れとか無茶過ぎるだろ。
「……話が戻るが、お前には学長から直接お願いされるくらいの技量があるのか?」
「自分で言うのもあれっすけど……うちは一年っすけど、魔法工学部機械工学科主席っす! でも男の人ばかりで馴染めずにいたところが教員から学長に伝わってこんな状態になったみたいっすねー。試行錯誤するのは好きなんで問題ないっすよ!」
本人がこういうなら、まあいいか。道のりは長そうだが頑張ってくれ。…………………いや、これはチャンスか?
「なんだ、ぼっちなのか?」
「突っ込むとこそこっすか? まあぼっちっすけどねえ……ただでさえ魔法工学部は男子しかいないっていうのに……ほら、男の子って凄い目で見てくるっすから。あの中に溶け込む勇気はないっす」
「はは。俺だってそんな凄い目で見てくる野獣の1人だということを忘れていないか? 俺だって男だ。目の前にそれがあれば見てしまうのは必然だ」
とりあえずガン見してみる。多分ココよりでかい。そしてシャツ一枚の薄着だ。これはユリシスにも原因があるんじゃないか? 思春期の男子に見るなというほうが無理な話だ。……俺が田舎のお父さんだったら過保護になる気がする。ちゃんと服くらい着てくれ。
「先輩なら勿論大歓迎っすよ? 因みにGっす!」
「………………G!??」
ココは確かFだった気が……なんということだ。あれがエベレストだと思っていたが、俺の常識というのはまだ地球規模だったらしい。井の中の蛙大海を知らず。エベレストを超えたそれはもう火星にあるオリンポス山と言っても過言ではない。神の住まう霊峰。ありがたや。
「確かめてみるっすか?」
「そうだな、確かめさせてもらおうか」
ライフル銃を手に取る。照準も付いていないし、やはりまだ弾を飛ばす仕組みも出来ていない。というより機械工学科で火薬の研究や勉強なんてしないんじゃないか? とりあえず形だけ作ってみたという感じだな。
「焦らしプレイとはいじらしいっすね」
「すまんな。召喚術で火薬と弾を補充するつもりだったのか? それよりまず発射機構周りの構想から手をつけた方がいい気がするな。全体のディティールに拘るのはいいが、正直使えないものを作ったって意味がない。トライ&エラーの回数が多くなるだけだ。……ま、走り出しだからとりあえず動いてみてるっていうところなんだと思うけど」
この世界に魔法と召喚術がある以上、前世と同じ銃をつくる必要なんてない。リロードするためのマガジンも召喚石があれば事が足りる。その発想までは良い。
だけどまずは簡単な仕組みを作って弾を飛ばす実験から始めた方がいいだろう。魔法石を使えばそこまで魔力を消費せずに、火炎属性の魔法を使って火薬の代わりにすることが出来るかもしれない。何より相手が魔法による障壁を展開している可能性を考えると、単純物理攻撃の鉛玉では自己防衛にもなりはしない。相手の魔法障壁すらも看破する仕組みを考えなくてはいけないんじゃないか?
なんにせよ、まだ形を作る段階じゃないな。……というようなことを伝えておいた。
「なるほど……そういう考え方もあるっすね。……パパは何者っすか?」
「パパ言うな。そこで提案だ」
「はい?」
「暫く俺がこれについて召喚術とかの知識を使ってアドバイスをする。その代わりにーー」
「ーーあ、脱がす方が好きっすか? それともそのままの方がお好みっすか?」
シャツの4つ目のボタンを取ろうとしている手を押さえながら話を続ける。
「話を聞いてくれる女性が好みだ。その代わりに俺がこの学校の入学試験に受かるように勉強を教えてくれないか?」
「なんすと! 当然オッケーに決まってるじゃないっすか! うちはこれの研究を進められる、先輩は入学試験に受かる、そして2人の恋を阻むものはなくなりめくりめくキャンパスライフをエンジョイできる未来が約束されるっていうことっすね! 泊まり込みでやるっすよね! 先に湯浴みしてくるっす!」
「じゃあ俺一旦帰るわ。……ということだハムリン。お前も興味があるなら入ってきたらどうだ?」
やれやれ、という声と共にピンク髪の女が扉を開けて入ってくる。魔力の流れを追える力っていうのは思った以上に使える力なのかもな。さっきからユリシスが変な発言をする度に気温が上がったような気がしていた。
「気付いていたか愛する人。……全く、まさか本当に浮気しているとはな。ミリタの目も侮れん」
「話聞いてた? 浮気要素ありました?」
「冗談だがそう言いたくもなる。そこの茶髪娘。生憎この人は私の物だ。貴様などにはやらん」
「お前のものにもなった覚えはないけどな」
恋愛要素があると勉強も研究も進まない。ならいっそハムリンに介入してもらってそういう空気をなくしてもらおう。あと別に疚しいことをしているわけじゃないからキチンと認可してもらおう。あ、リティナを忘れていたな。勉強を教えてくれるっていう話もあった。……まあ、仕方ない。この好機を逃すわけにもいかない。
「元カノさん? 初めまして! うちはユリシスっす! 親しい人からはユリシーとかユーリとかって言われてるっす! 今日から先輩はうちの物っすけど以後お見知りおきをお願いするっす!」
「そうかそうか夢見がちなアン・シャーリー。私はハンニバルだ。親しい者が呼ぶ名は覚えなくて良い。妄想癖故の脳内お花畑も大概にしておけ。あまりふざけたことを言っているとプリンス・エドワード島に島流しにするぞ」
赤毛のアンか。ぶっとび妄想するところは確かに似ているのかもな。こんなにポジティブだったかは知らんけど。
「何のお話っすか?」
「気にするな。……なるほど、銃か。面白いものを研究しているのだな。それも単発装填式の銃でさえ開発されていないというのに、シリンダー式の設計図か。学長からの依頼と言っていたが……愛する人はどう見る?」
そういう意見を期待していた。助かるよハムリン。
「トランプといいチェスといい将棋といい、もうあまり驚きはないな。……だがハムリンの言うとおり学長からの依頼というところが気にかかる。アンドリューの討伐依頼、あれも表向きには軍上層部ということだったがその実、魔法学校からの依頼だとガルディアのおっさんが言っていた。前世の武器、不自然な討伐依頼。情報を得られるかはわからない。だがこのハンミット魔法学校……やっぱりちゃんと調べてみる必要がありそうだな」




