第70話「リア充」
魔法学校。確かに凄い。まず外観に圧倒された。王都の中央にそびえる王城は豪華絢爛、贅の限りを尽くしたそれは、一般人の俺からしたらただの当てつけにしか見えない。あんなところは頼まれたって入ってたまるか。だがこのハンミット魔法学校は違う。なんというか、伝統、という文字が見え隠れしている。
時計塔を中心に広がるキャンパスは一面を鬱蒼とした森に囲まれている。入り口の全体俯瞰図と、行き先に何があるかを表している立て札がなければ、初見で目的の場所にたどり着くことはまず不可能だろう。そしてその木の一本一本が太いというレベルではない。なにせ、その幹が校舎になっているのだ。直径に50メートルは軽くある大木が乱立している。
リティナの話ではその大木は根から大地の魔力を吸収しているらしい。自然に存在する魔力を得ながら電灯(魔力灯とでも言うべきなのだろうか)などの設備に魔力を応用し、ライフラインを整備しているとのことだ。電気、ガス、水道、それぞれは魔法で制御されているらしい。流石王国一の魔法学校、技術力が半端ない。召喚術についても何かしら学べるのかもな。
だが、そんなことは既にどうだっていい。だって目の前には、アラハンを出てから約1カ月振りのご馳走があるのだから。……うん、すげえ嬉しい。これ以上ないくらい嬉しい筈なのに、憂いしか感じていないのは何故だろうか。
「リッカ。これ、全部食べるのかい」
「……勿論。食べないと大きくなれないからな」
俺達が今いるところは魔法学校の入り口近くの第一食堂。周囲は全面木製だ。木の中にいるのだから当然といえば当然なのだけど。天井を見上げるとどういう原理で光っているかよくわからない石達が、窓の少ないこの食堂をおぼろげに照らしていた。
テーブルも椅子も勿論木造りだ。丸太を割ったようなシンプルなものだが、ちゃんと加工されているのか光沢を持っている。そしてこれまた木で出来た大皿の上に山積みされたサンドイッチ。10個。一つ一つが辞書を斜めに切ったようなサイズと厚みだ。なんでこんなサイズで作るんだ。この世界の学生はサンドイッチを三角定規代わりにでも使っているのだろうか。
「……あんたの会話術の才能、本当に商人に向いてるんじゃない? これはもうサービスじゃなくて詐欺みたいなものじゃない」
「人聞きの悪いことを言うな。ただ、こんな美味しそうなサンドイッチ初めて見た! 田舎のお母さんに自慢しよう!って言っただけじゃないか」
「リッカの田舎のお母さんは王都に来てるけどね……ココちゃんも、それ、食べれるのかい?」
「カレーは別腹だよ!」
主食を最初から別腹に入れるのか。こいつはカレー専用の胃でも持ってるんだろうか。人並み以下に小食なのに"大海盛り"なるグレードのカレーを頼んでいたココの正面には、両手を広げたくらいの大きさの皿が湯気と香りを撒き散らしながら鎮座していた。周りの学生もこちらをくすくすと笑いながら見ている。
「ココ、ワタシも手伝ってあげるわ……」
「うん! 一緒に食べよう!」
「……ラーク」
「うん……一緒に食べようか……」
……旨い。確かに旨い。この大きさのサンドイッチを開きさせないためなのか、一口噛む度に若干ながら味が違うのだ。学食にしては趣向を凝らし過ぎている。リティナが絶品と評したのも頷ける。笑顔が止まらない。……と思っていたのは最初のほうだけで、胃の中の内容物が満腹中枢を高橋名人の連打並に刺激し始めてからは、舌は味わうことすら拒否し始めた。
既に苦行と化している。でも食堂のおばちゃん達の好意を無駄にするわけにはいかない。あと、食事は残さない主義だ。
「……リッカ。食べながら資料を見るのは行儀が悪いよ……」
「……偶然テーブルの上に広げてしまっていた編入学試験の資料に目を通しているだけだ。さっき大学の入り口で折角貰ってきたからな。今のうちに読んでおきたい」
「……何か良い情報はあった? ……う、もう、限界よ……」
「……学長特別試験、特別推薦、校友子女、卒業生推薦。通常の編入学以外にもこれだけあるみたいだな……あー……アラハンの皆に分けてあげたい……皆畑仕事頑張ってくれてるんだろうなあ……」
今は町長に管理してもらっているということになっているが、実際は町奴隷の皆にうちの畑を管理してもらっている。既にうちの専属みたいになっていた子が5人程いた。皆元気だろうか。俺は泣きそうだ。……自業自得か。
「リッカ君! カレーが美味しいから仕方ないとは思うけど、サンドイッチに全然手をつけてないね?」
サンドイッチはいつでも食えるから目の前のカレーを処理することに決めただけだ。どうせまた俺が食うことになる。ここで三角形の頂点と辺を減らす作業にシフトしたらその先はもう地獄しか見えない。
「サンドイッチは夜食にするよ……ほら、皆で同じ皿の飯を食うって楽しいだろ?」
「うん! リティナちゃん連れてきてくれてありがとう!」
「……礼には及ばないわ……あ、ワタシそろそろ授業だった! ……………………ラーク? 放して? まだ授業だったとしか言ってないわよ」
「……違うよリティナ。ほら、お弁当だよ。勉強頑張ってね」
なるほど、ラークがおばちゃんから何か貰っていたとのは気づいていたけど、食べきれないことを予測して紙袋を貰っておいてくれたのか。カレーは無理だがサンドイッチは押し付けることができるな。ラーク、ナイスだ。カレーを手伝っていたからサンドイッチはまだ8個も余っている。3個くらいあげたれ。
「……気持ちすら貰いたくないのだけど」
「ココ曰くカレーは別腹だから。サンドイッチは大丈夫だろ。頑張れリティナ」
「そうだよリティナちゃん! カレーは別腹だよ!」
こいつはまだ元気そうだな。後々ばてることはわかりきっているからこそ、この笑顔がなんとも憎らしい。
「生憎ワタシの胃袋は一つしかないの……リッカ、ラーク。後は任せたわ」
「胃袋は沢山なくても、紙袋は沢山ある。リティナ、俺からの一生のお願いだ」
「あんたの一生のお願いなんていくつ聞いたかわからないわよ……!」
「一生のお願いが一つだけなんてルールはない! ほら、ラークも使っとけ!」
「リッカ。ジェイさんのサンドイッチと、ここのサンドイッチ。どっちが好みだい?」
「あ? ……うーん……ジェイさんのはいつ食べても旨いけど、ここのサンドイッチはたまに凄く食いたくなる系の味だよな」
「……いただくわ」
リティナは苦虫をつぶすような顔をしてラークを睨みつけながら、パンパンになった(3つだからパンパンパンってか、やかましいわ)紙袋を持って去っていった。今の会話にどういう無言のせめぎ合いがあったのだろうか。少し難しい問題なので後回しにしておこう。
「リティナちゃんまたね! 2人とも! 早く食べないとカレー固まっちゃうよ!」
2人の男には絶望しかなかった。だって目の前の茶色の海には、まだ半分以上白い砂浜が残っているんだから。先にルーをこんなに消費しやがって……米だけで食えというのか……福神漬けが恋しい……
「ごめんなさい……」
「おう」
「うん」
サンドイッチは5個から減っていないが、それ以外は全て胃袋の中に収めることが出来た。ミッションコンプリートと言っても差し支えないほどの戦果だろう。何せあのカレー、多分余裕で6人前くらいあった。
「えっと……コ、コーヒーでも貰ってこようか……?」
「吐く」
「ごめん、僕も遠慮するよ」
流石のラークもバテ気味だ。足元がふらついている。いつもニコニコしてる彼の眼は、今何処を見ているのだろうか。ずっと正面を見ている筈なのに、その先には何もないし誰もいない。
結局3分の2は俺とラークで食った気がする。もうしばらく米はいいな。サンドイッチが残ったのは謀らず
「ごめんなさい……」
……相変わらず反省する時はちゃんと反省しているから対処に困る。いつも本当に反省はしているんだ。それが次に生かせないだけで。カレーと聞くと狂喜乱舞するだけで。
「ココ。次からは気をつけような。最終的に食えたんだから問題ない。な、ラーク」
「……リッカ、サンドイッチは残ってるってことを忘れてーー」
「ーー折角だから図書館寄って帰るわ! 制服は後で返しにいくよ。時間かかるかもしれないから先に帰っててくれ!」
俺は脱兎の如く逃げ出した。
「なんとか撒いたようだな」
ふふ。残っていたのがココとラークで良かった。最初にキャンパスマップを確認した時に図書館の位置は抑えていた。あいつらは図書館の位置などわかるまい。仮に入り口で地図を確認したとしても、これだけ広い図書館の中で俺を見つけ出すことは不可能な筈だ。
ていうかどんだけ広いんだ。なんで図書館の中に滝が流れてるんだ。これ木の中なんだろ。湿気とか虫食いとか大丈夫なのか。エレベーターがあるわけでもないから、この螺旋状に何列も連なる本棚を一つ一つ確認するなんてことになれば発狂するに違いない。
でも折角王国一の魔法学校に堂々と入れるんだ。召喚術に関する本か、あるとは思えないがこの魔法学校の入学試験対策などの本を見つけたい。職員か誰かに相談した方が良さそうだな。
「職員さん……もしくは司書さん……あ、いたいた。すみません」
「はい。どういったご用件ですか?」
螺旋状に上に渦を巻いていく図書館の中央部分。上がとんでもなく高く開かれた空間であるその場所には、円形の受付があった。10人程の職員さんが椅子に座りながら本の貸し出しなどを行っている。
で、話しかけたのは花屋さんと同じエルフの女性。あの人は森ガール的な感じでふわふわパーマだったけど、この人は金髪のショートカットで可愛らしい人だ。背も低いから随分若く見えるけど魔法学校の図書館員をやっているってことはそれなりの年齢なんだろうな。俗に言うロリババアってやつかもしれない。
ネームプレートをつけているけど流石に年齢は書いてないな。……ミリタ、という名前には一つ心当たりがあるが。
「召喚術と、あとこの学校の入学試験に関する本ってどこかにありますか?」
「召喚術に関する書籍は12階です。本学の入学試験に関する書籍はありませんが、過去の試験問題をまとめた資料が5階にあります。詳しくは各階の図書館員にお聞きください。昇降機の使い方は……2年生だからわかりますよね?」
昇降機、エレベーターかエスカレーター的なものがあるのか。ぱっと見見当たらないがそれは良かった。あとこれ2年生の制服だったんだな。2年生らしく振舞わなければ。
「すみません、中々図書館には来ないもので。まずどこにあるかから教えてもらうと幸いです」
「……よく一年次のレポート課題をクリアできましたね……図書館の入り口の近くに魔法石が床に埋め込んであります。魔法石には各階の数字が書いてありますので、希望の階の魔法石の上で魔力を流してください。そうすると転移魔法が発動してご希望の階に昇ることができます。転移魔法の魔力自体は図書館から供給されているので心配いりませんよ」
良かった。転移魔法の魔力を自分で流せだなんて言われたら心が折れて即効で帰っていたかもしれない。
「ありがとうございます。……あ、あともう一つ」
「なんでしょう?」
「ハムリンが会いたいって言ってましたよ」
ミリタ。確かハムリンの昔の話で聞いた女性の名前だ。そしてガルディアの妻だった人の筈だ。度々ハムリンの口からは"この料理はミリタさんに習った"とか"ガルディアが馬鹿をしたせいであの人は急に居なくなってしまったんだ"とか聞いてたから一応伝えておこう。
「……ハムリンちゃんのお友達なのね。……あの子のこと、よろしくね。わたしはほとんどここにいるから、会いにきてくれると嬉しいって伝えてもらえるかしら」
「もちろん。……と言いたいところですけど学生以外もここに入れるんですか?」
「ここは一般の方にも解放しているわ。むしろ一般の方から書籍の提供もしていただいてるから共存の関係なの」
「なるほど。研究者ギルドに篭るって言ってたけど、ここなら足を運びそうだし今度連れてきますね」
何の研究をしているかわからないけど、ここにはそれなりの資料があるだろう。
「ありがとう。……ふふっあの子のことを名前で呼べるなんてどんな仲なのかしら。おばさん気になっちゃうわ?」
……そうだった。癖になっていたが、あいつはハムリンと呼ばれるとキレるという生態の生物だった。ガルディアのおっさんがハンニバルと呼んでいるのに、この人はまだハムリンと呼んでいることから信頼し合っている仲だという事が伺える。そんな人の前でこの話の流れは、今後ここに通おうと思っている俺からするとたまったもんじゃない。ハムリンが来た時にそんな話で女子会されても困るし。
変に勘ぐられるのも嫌だからここは適当に受け流しておこう。
「強いて言えば……上下関係ですかね……」
「あらあら! お尻にしかれちゃってるのかしら?」
そう取るか。いや、その方がいいな。奴隷うんぬんを知られたらお母さん的立ち位置のこの人に何をされるかわかったもんじゃない。優しげに見えるが、あのハムリンが信頼して名前を呼ばせる程の人物だぞ。警戒するに越したことはないだろう。
「まあ……そんな感じです……」
「楽しそうで何よりだわ! ねえねえ! ハムリンちゃんのどこに惚れたの?」
え? 惚れた? 人間としては尊敬しているけど女性として見た事は……まぁ、一糸纏わぬあの姿を見ている以上はないとは言えないのだけど。
「……むしろそのハムリンちゃんは俺のどこに惚れたんすかね」
「あの子から!? 気になる、気になるわ! あの子、人間に興味ないかと思ってたのに! でもそうよね~あの子から好きにならないと仲良くなんてなれないわよね~若いっていいわ~……うちの別居してる旦那も若い頃は浮気なんてしなかったのに……君、名前は?」
まだ結婚はしてるんだ。でもガルディアのおっさんが浮気して別居してるんだ。今度茶化してやろう。
「リッカっす」
「リッカ君。いい? 浮気は絶対駄目よ? 天が許してもおばさんが許さないわ。あの子のこと幸せにしなかったら、君を男性たらしめるシンボルの行く末は保証しないわよ?」
なんてことだ。俺の息子が天に旅立ってしまう。家族を人質に取るとは卑怯なやつめ。ガルディアのおっさんのご子息がご健在かどうか気になるところだ。
「あはは。そんなことするわけないじゃないですか」
「あ、リッカ君! いたいた!」
俺は後ろを振り向かずに頭の中で今日の反省を始めた。もうこの先、俺は長くないかもしれない。だからこそ、ちゃんと自分の過ちを振り返ろう。この広大な図書館の中で、一番目立つ位置に居座ってしまっていたことを……




