第54話「勇者シュワルツ」
「よくここまで辿りついたね勇者シュワルツ。君達の長い旅も、あと少しで終わりを迎えそうだね」
立ちはだかるは、まだ少年にしか見えない魔族。5メートルはあるかと見受けられる長槍を携えるその悪魔は、不敵な笑みを浮かべオレ達の行く手を塞いでいた。顎を上げ、にらみつける。
「……用があるのは魔王だ。そこをどけアレクサンダー。貴様の手の内はわかっている」
「あれが本気だと思っているのかい?まだ僕は実力の半分も出していないのだけど」
魔王の住まう城、入り口を抜けた先の広間。中央に位置する階段の上。奴は俺達を見下している。下から攻めるとなると、少し不利だな。
「シュワルツ、ここは俺に任せてくれないか?」
「……イナミ、判断を誤るな。1人で挑む必要はない。オレ達は仲間だ。お前が感じているその想いも、全て皆で共有しているつもりだ」
隣にいる腰に6本の剣を持つ男。こいつの故郷は奴に焼き尽くされている。その話は何度聞いても気持ちの良いものではない。悲しみも、憎しみも、怒りも。俺たちは全てわかり合った上でここに来ているつもりだ。
「だが……!」
「私達は何の為にここにきているの、イナミ。この先にいる魔王。そいつを倒すことこそが私達の目的の筈よ。貴方の気持ちはわかるけど……だからこそ、貴方みたいな人をこれ以上増やさないためにも。ここは皆で戦わなければいけないの」
緑のローブを着たエルフ。薬師タリカ。彼女の言うとおりだ。俺達の目的は魔王を倒すこと。こいつを倒すことはその目的のための通過点に過ぎない。
「慢心は油断とも言える。よく考えるんだイナミ。……苦しみは、1人で抱えなくていい」
「そうだ。あたしも今日はまだ戦い足りないからな。お前だけに任せるなんて、そんな勿体無いことできるか」
スカーフを翻し魔法書を構えるアーヴィ、レイピアを前に向けるロゼ。そうだ。俺達は5人で1つ。1人では無理でも、5人なら。魔王すら圧倒できる力を持っている。
「青臭いお友達ごっこはそれくらいにしてくれないかな?あと、あまり僕を侮っていると痛い目を見るよ?イナミだっけ?お前の幼馴染はいい女だったねえ!死に際の悲鳴すらまるでオルゴールの旋律のように。ほら、眼を閉じると思い出すだろう?炎巻き上がる村の中で、必死に声を上げて子供を逃がす彼女!同じ孤児院で育ったとか言ってたっけ?彼女は歌が好きだったんだねえ!!鎮魂歌も自分で歌っちゃうくらいなんだからさ!!!あははは!!!」
腹を抱えうずくまる金の髪をした悪魔。狂っている。こいつは人の形をしているだけの異物だ。その光景を知らないオレでさえ、両手の爪が掌に突き刺さりそうなほど、拳に力が入ってしまう。
「………………お前さえいなければ……あいつは!!!」
「イナミ!駄目だ!!!」
「……シュワルツ、すまん!でもあいつだけは……あいつだけは!!!!」
1人駆け出すイナミ。その眼は怒りに包まれ、いつもの無邪気な顔は想像すらできない。前だけを見つめ、ただひたすらに。感情を剣に込めぶつけようとしている。
イナミは強い。剣術だけでもオレと渡り合う程に。だが、感情に左右されていては正常な判断は下せない。
「……皆、イナミを援護するぞ!オレも打って出る!」
「あの馬鹿!」
「過ぎたことは仕方ない。ロゼ、君も前線へ。後ろは僕達に任せてくれ」
「ああ!イナミ、突っ込み過ぎだ!頭を冷やせ!!!」
「安い挑発に乗るなよ屑が。……まあ、僕のせいか。ごめんね?お礼に少しだけ、本気を見せてあげるよ。"水丿渇望"。枯れていきなよ、カスみたいに」
「な……!?なん、だ……これ、は……ぁ!!!」
「!?」
イナミの身体が……細くなっていく!?いやあれは、干からびた……?
奴の言葉、オーケアノスーーその言葉を聞いた瞬間にイナミの身体が、骨と皮だけのミイラの中身のように。イナミは自身の重さに耐え切ることができず、膝から崩れ落ちていった。階段を転がり落ち、腕も足も曲がってはいけない方向に折れてしまってる。
「……イナミ!!」
「残念だったね。その剣士も、魔法使いも、薬師も、騎士も。水竜と契約した君以外は、もうただのゴミ屑だ」
「……なんだと!?」
後ろを振り向く。後ろにいた3人は動いていなかったからかその場に立ってはいるが、自分の身体を支えるのが精一杯みたいだ。皆、息も絶え絶えになんとか前を見据えているが、その身体に覇気はない。まるで1日中戦い尽くしたかのような、眼には絶望すら孕んでいるように見える。
……こんな、こんなことが!こんな魔法は聞いたことがない!対象の身体を干からびさせる魔法なんて!
「……シュワ、ル……逃げ……」
「……う……ぁ……くそ……ワルツ……きみ、だけでも……」
「シュワル、ツ……!逃げ、ろ!!」
「……くっ!!!貴様、何をした!!!」
「何をした?……ああ、魔法か何かだと思ってるの?これも僕の才能、スキルの一つだよ。侮ると痛い目を見るって言ったじゃないか」
「……っ貴様はいくつスキルを持ってるんだ……!」
「言うわけないだろ。馬鹿かい君は」
奴は階段の一番上に腰掛け、また笑みを浮かべ直してこちらを見下している。
「さぁて。君はどうするんだい?何その顔?勇者として仲間がこんなことになった責任でも感じちゃってるのかな?ばっかじゃないの!力もないのに勝手に騒いでたのがいけないのさ!!屑はあとで他の奴らに掃除させるからさ、ちょっと2人で遊ぼうか?」
あまり調子に乗るなよ、悪魔。水が原因であるなら、水が必要であるならば。オレならこの状況を覆すことができる。
「……舐めるなよ。ギデオン、行けるか?」
「(ーーこれくらい楽勝だぜ?)」
「なら来い!召喚!!!」
オレが契約した、鮫の頭を持った蒼色の竜。水竜ギデオン。そいつはその膨大な魔力を水に変換することができる。オレが居る限り、アレクサンダーの思い通りにはさせない!!!
広間の中心部に水の魔法で召喚陣を描く。質量の大きい魔獣を召喚するにはそれを召喚するだけの魔力と、距離を無視した転移魔法を構築する為の魔法陣を描かなければならない。契約した魔獣ごとに形が異なるそれを、俺は召喚陣と呼んでいる。
「ーーおらおらおらおら!!ギデオン様のお出ましだ!!!随分調子に乗ってるみたいじゃねえか!!!!俺様が来たからにはてめえの命はねえぞ小僧!!!」
召喚陣の中央から、広場の天井を壊すほどの大きさの竜が現れる。その鋭利で細かい歯を剥き出しにしながら、悪魔の少年を見下す。……相変わらず100は軽く越えるであろう年齢の筈なのに好戦的な奴だな。すぐ目の前まで迫るその無数の刃すらも気にせず、悪魔はつまらなそうに息を吐き出した。
「……本当に馬鹿だなぁ君達は。僕がこの力を使った後に、君が水竜を召喚するなんて誰でも予想できるじゃないか。本当に、馬鹿みたいに素直だなあ、君達は」
「ああ?何言ってやが……る……!?」
「!?ギデオン!!!」
ーーギデオンすらも、見る見るうちにその身体は萎んでいく。声を出すことすらままならないのか、顎を上下させるのみで声にもならない息を吐き出そうとしている。苦しそうに悶える巨体。だがそれも、先ほどまでの猛々しさはなく、ただその鱗と骨だけになった細い腕で喉を抑えうずくまってしまってる。
「……僕の水丿渇望は指定した空間一帯の水分を消滅させる。いくら水を作ろうと無駄さ。だってこの力は水を奪う力じゃない。水を無くす力なんだから。お前は自分の魔力と水を合成してるみたいだから僕の力が及ぶ領域ではないんだけど……魔力を水に変換する力と、水自体をそのまま自由に操れる水竜には相性が悪かったみたいだね」
「謀ったな、貴様……」
「謀る?この程度を謀略とでも言うのかい?……お前も屑だな。他のはもっと使えない屑だけど。木屑かな?ああ、ちゃんと燃えるだけ木屑の方がマシだね。ここまで乾燥していれば燃えやすそうだけど。さてさて、やっぱり2人になってしまったね。何をして遊ぼうか?」
「…………くっ!」
……何故こうなった。俺達は全力を尽くしていた筈だ。ここまでの道のりも決して楽なものではなかった。何故こうなってしまったんだ。実力が足りなかったのか。歴代最強と言われたこのオレが、オレ達が、弱かったというのか!!!
「…………なんだよその顔は……ガキじゃねえんだからさ、後悔なんてしてんなよ。お前達はここまで頑張ってきたと思うよ。だけど努力って言うのは結果を出さなければ何の意味もないんだぜ?お前は油断したよな?僕を一幹部だと思って、5人で挑めば必ず勝てると。そんな風に考えてるような余裕綽々な憎たらしい表情だったぜ?そこに何か戦術はあったのかい?僕に勝つための努力を、今、ここで、この瞬間に、全力でしていたのかい?」
「……っ!」
悔しいが、こいつの言うとおりだ。オレ達の目的は魔王の討伐。その目的達成のための過程と思い、こいつの強さを見誤っていた。慢心は油断、そう言ったのは自分だ。だがオレが一番油断していた。皆が居れば勝てると思ってしまっていた。……殺し合いというのは、そんなに甘いものではないことを、これまでの旅で十二分にわかっていた筈なのに。
「…………確かに、貴様の言うとおりだ。アレクサンダー」
顔を上げ、敵を見据える。こうなった以上、オレ1人でどうにかするしかない。
「だが、お前の思い通りにはさせない」
「……へえ?」
4人。流石にギデオンは無理だが、あいつらを魔族のいない場所に転移させよう。ギデオン、流石にお前がいなくては戦うのは無理だ。お前はオレが助ける。だから、一緒に戦おう。
「……"ジャンプ"」
「転移魔法か。近くの水場にでも移すつもりかい?ゴミを片付けてくれて助かるよ」
4人の足元が光り始める。……こいつらを逃がす時間くらいは与えてくれるみたいだな。
「ぃ……く、そ……!!」
「シュワ……ルツ!」
「ぉまぇ……も!」
「……シュワル、ツ!……て、めぇ!あたし、も!!!」
「……アラハンだ。俺達が出会った、始まりの街。そこで待っててくれ」
転移が始まる。あいつに位置を感づかれる可能性がある。魔力は惜しいが出来る限り遠くまで飛ばそう。あと回復魔法も重ね掛けしないとな。……皆、オレのせいで、すまない。
「……シュワルツ!……嫌だ!!……ふざけ、んな!!!……あた、しは!お前がーー」
「ロゼ、聖剣も一緒に転移させておく。もしオレに何かあったら、次の勇者に渡してやって欲しい。……まだ、涙を流せるほどの水が残っていたんだな」
「……シュワルツ!嫌だ!!嫌だよ!!!」
後ろから声が聞こえる。まともに喋ることができるほど、身体にも口にも水分が残っている筈がない。なのに、オレの服を掴みながら、必死で叫ぶ声がする。もう一度振り向いてしまったら、彼女の涙を見たら、俺は多分進めなくなる。
「……必ず戻るから」
「シュワルツ!!!!」
ロゼが何を言おうとしていたかはわからない。ーーいや、わからない、ということにしておく。でないと後悔してしまいそうだから。オレも逃げれば良かったのではないかと。だが俺は勇者として、ここから逃げ出すわけにはいかない。……例え、二度と会うことができずとも。
「……一服させてくれないか?」
「……いいよ。思う存分肺を汚してよ。それが最後になるかもしれないんだしさ」
いつもの葉巻を噛み千切り、マッチで火をつける。この味とも、もうおさらばなのかもしれないな。
「……シュワルツわりぃ、助かった。ーーあいつを殺るぞ」
「焦るなギデオン。ちゃんと本調子に戻るまで、しっかり身体を癒せ」
縁で魔力を渡しつつ、ギデオンが纏う水にも魔力を流す。これならもう、俺達がさきほどのスキルをまともに受けることはない。ギデオンも本来の姿を取り戻せるだろう。
「待ってもらって悪いな。吸い終わったら死ぬほど遊んでやるよ。アレクサンダー」
「うん。僕も死ぬまで遊んであげるね。勇者シュワルツ」




