第35話「火竜ドライダ」
私は戦争孤児だった。それまでは裕福な家に暮らしていた気もする。だがそんなものはもうほとんど覚えていない。
各地を転々としていた。街に入っても大人にさらわれ奴隷にされるのが目に見えているからな。持っていたのは誰かもわからぬ死体から取ったナイフだけだった。
森に入って魔獣を狩り、血抜きし、解体し、食べる。私の1日はほとんどそれだけだった。父から狩りの技術は習っていた。母からは魔法を教えられていた。下級の魔獣程度であればさほど難しいことではなかった。
だがその日は少し欲に目が眩み、大物を取りたくなったんだ。他の魔獣が近づかない洞窟があった。そこは周辺の魔力が濃く、強い魔獣がいるのはわかりきっていた。私が8歳の頃だ。
刃渡り20センチ程のナイフを持つ私と対峙したのは、10メールは超えるのではないかという真紅の竜だった。当然だが、一目で勝てないことは悟ったよ。でも私は目の前の物が何かはわからなかった。
『大トカゲ…?』
『…竜だ。馬鹿者が…小娘、居ね。ここは人間の来るところじゃない』
『………やだ!ここに住む!!ここ雨こないし!独り占めずるい!子供みたい!』
『………貴様…数いる竜の中でも最強といわれる我に子供だと…いっそ焼き殺してやろうか…』
『すぐそうやって暴力に頼るのも子供みたい!』
『うっ…貴様………』
で、雨風凌げるその洞窟に一緒に住むことになったわけだ。面白いだろ?
『して小娘、名はなんという?』
『ハムリン!』
『ハムリン?可愛い名だな。だがそんな名では最強たる我と共に住む者としては、いささか迫力にかけるな』
『…名前に迫力いるの?』
『必須だ。…そうだな…ハンニバル、などはどうだ?こう、なんか語呂がいいだろ』
『…なんかって……火竜さん…割と馬鹿…?』
『馬鹿とはなんだ馬鹿とは!この神に勝る最強の火竜ドライダに向かって!』
『火竜さんの名前は割りと普通なんだね』
一緒に居るうちに口調も移ってしまってな。あとは…食事を楽しむために上手い生物の解体方法も覚えていったよ。
『そんなもの焼けばみな同じではないか』
『ここの部位は旨いんだ。貴様は丸呑みしてるからそれがわからんのだろう…ふと思ったんだが、竜って喰うと旨いのか?』
『…自分で自分を食う馬鹿がいるか馬鹿者。まあ食う機会があったら感想でも聞かせてもらおうか』
『馬鹿とはなんだ馬鹿とは!貴様だって丸呑み馬鹿ではないか!』
『竜に向かって馬鹿とはなんだ馬鹿とは!』
『竜だろうがなんだろうが馬鹿は馬鹿だ!』
7年経って私も15歳になり、王都と洞窟を行き来し暮らしていた。金は冒険者ギルドの依頼で稼いだ。元々討伐なんていつも飯を食うためにやっていたんだ。そう難しいことではなかった。
そんなある日だ。ギルドマスターのガルディアが、私に告げた。
『ハムリン。火竜と縁を切れ」
『いきなりなんだ。私は火竜と契約なんてしていないぞ』
『違う。そのままの意味だ。もう火竜の元に行くんじゃない』
『…何故だ?理由を聞かせてもらおうか』
『火竜は昔、人間と敵対していた。今は関係ないのかもしれないが、巡り巡ってお前が魔族の内通者なんて馬鹿な考えをしている奴もいる。そうでなくとも火竜はSランク以上だが討伐対称だ。冒険者ギルドに所属する者として、討伐対象と仲良く家族ごっこするなんてやめてくれ』
『ごっこじゃない!家族だ!ドライダは私の兄であり父だ!ふざけるな!』
『ハムリン!待て!…っち…』
『…ガルディアの気持ちもわかるわ。…でも、さっきの言葉はないと思うわよ。ハムリンちゃんにとってドライダさんは、家族ごっこでも家族同然でもなくて…もう家族なのよ。わかるでしょ?』
『ミリタ…ならミリタもわかるだろ。あの子が人と暮らす上で、火竜と暮らすなんていう馬鹿げたことはやめさせるべきなんだ。…俺達の養子にできるならしたいと、お前も言っていただろう…?』
『…わたしはハムリンちゃんの幸せを奪ってまで養子にしたいなんて、言ってないわ』
『そういうことじゃない、わかるだろミリタ…』
『…………』
そんな話を盗み聞いたところで私の心は変わりはしなかった。ガルディアとその伴侶のミリタ。2人は王都で何のツテのない私にも優しくしてくれていた。だけど、それを理由にドライダと離れることなんてできない。家族だからな。
そのまま柄にもなく意気消沈気味に洞窟に帰ろうとしたんだが、洞窟には入れなかったんだ。
岩石で形作られていた筈の洞窟は炎と溶岩に塗れ、解けて赤く流れるそれらはドライダの表皮を流れていた。炎や溶岩に魔力を込めていたのか、ドライダの身体は見る見るうちに溶けていっていたよ。
綺麗だ、とも思った。夕闇の中一際輝く奴の姿は星空なんて比じゃないくらい綺麗だったよ。でも、それは奴の体を蝕んでいた。やめさせないと、と思った。だが奴の目は穏やかだった。もう決意を済ませているのだろう。なら私にできることは、何故そう考えるに至ったかを聞くのみだった。
『何をやっているドライダ。焼け死ぬぞ』
『焼け死のうとしているんだ、当然だろう』
『…………話を聞いていたのか?』
『…………なんのことかわからんな。小娘、貴様は人間と暮らせ。我といると迫害を受けるのだろう?なら我が居なくなってやる。ありがたく思え』
『ふざけるな。私がそんなことを望んでいると思うのか?貴様はそれほどまでに馬鹿だったのか?』
『………ああ、馬鹿だった。自分を神にも勝る最強の竜と自負していた。だがなに、人間の小娘と暮らせば如何に我が矮小かと気付かされた。どのような血沸き肉踊る戦いよりも、貴様と過ごす日々を望むようになった。…500年も生きてきて今更気付いたんだ、馬鹿と言う他あるまいな』
『………随分と正直に話すじゃないか。悪いもので喰ったか?』
『抜かせ小娘。我は少し休むだけだ。なに、またいずれ転生する。竜族の命は巡るからな』
『…転生するまで何年だ』
『…100年ほどだったか。それまで生きていたら、また会おう』
『無茶を言うな…だがいいだろう。貴様が生まれ変わる時には私の名声は世界に広がっている筈だろうからな。貴様がどこに生まれ変わろうと聞かせてやる。偉大なる"ハンニバル"の名をな!』
爆炎が舞い上がる。それは今際の際だというのに、熱く高く、大声と共に燃え上がっていった。
『ハハ!楽しみにしているぞ!ハンニバル!!』
『ああ!楽しみにしていろ!ドライダ!!』
残ったのは竜核と焼け焦げた肉のみだった。あんなに硬く頑丈だった鱗はどこにもありはしない。目も、角も、爪も、そこにはなかった。私は自分の姿など気にせずに目の前の食料に噛み付いた。貪った。ひたすらに喉に通した。背中が焼けるように熱くなっていたがそんなものは気にしてはいられなかった。
『…………焦げて苦いだけだ。馬鹿者が』
『火竜は死んだぞ」
『お前…真っ黒じゃないか…どうしたんだ…?』
『ハムリンちゃん…口元についてるのは…血…?』
『ドライダは死んだ。それを喰った。もう切る縁もない。満足か、ガルディア』
そうして私達の家族ごっこは、幕を閉じたんだ。