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5.紡ぎあげられた邂逅ー4

「……! 大丈夫か!」


 ルイフォンが駆け寄り、抱き起こそうとホンシュアの肩に触れた。その瞬間、彼は「(あつ)っ」と思わず手を引っ込めた。


 凄い熱だった。


 先ほどの比ではない。


 羽は元の長さにまで戻り、光は淡く揺らめく程度にまで光量を落としている。だが、その熱量は収まることなく、まるで炎のそばにいるかのように、ちりちりと肌を()く。


「ホンシュアァ!」


 調理台の影から、ファンルゥが飛び出してきた。〈(ムスカ)〉がいる間、怯えて隠れていたのだ。


「ホンシュア、熱いの? 痛いの!? ホンシュア、ホンシュアァ!」


 泣きながらホンシュアにすがりつこうとするファンルゥを、ルイフォンは抱き止めた。触ったら火傷してしまう気がしたのだ。


「ファン、ルゥ……。平気、よ……」


 辛うじて顔だけを上げ、ホンシュアはファンルゥに笑いかける。しかし、その顔はすぐに苦痛に歪み、床に伏してしまった。


「ルイ、フォン……。その、瓶を……」


 ホンシュアの指先が何かを求めるように、(くう)をさまよう。


「あ、お薬!」


 ファンルゥが大声を出して、調理台の上を指差した。


 その小さな指を追いかけるように、ルイフォンは冷たく光を反射している小瓶に目をやる。〈(ムスカ)〉は、それを冷却剤と言っていた。


 あの男を信用してよいのだろうか。


 ためらうルイフォンに、リュイセンが「毒かもしれないぞ」と追い打ちを掛ける。


「大丈、夫。……あの男、……私の、力……必要……から」


「分かった」


 ルイフォンは小瓶を取り、ホンシュアの前で膝を折る。彼女は、ありがとう、という顔で受け取った。


 横になったまま中身を飲み干そうとするホンシュアを、ルイフォンはそっと抱え起こした。羽は触れるのに危険を感じるような熱さだが、体そのものは熱いと承知して構えていれば我慢できないほどではない。


 ホンシュアは目元で感謝を告げると、小瓶に口をつけた。こくりと喉が動き、液体を飲み込む。


「ホンシュア、お薬、苦くない?」


 タオロン譲りの太い眉を寄せ、ファンルゥの瞳がホンシュアを覗き込んだ。あどけない顔で真剣に心配している。


 ふうぅっと、ホンシュアがゆっくりと息を吐いた。まるで呼気と共に、熱を放出しているよう――。事実、彼女の体を支えているルイフォンには、熱がさあっと引いていったのが感じられた。熱気を振りまいていた羽も、人の体温程度にまで熱が下がり、淡い光を放ちながら優雅に波打っている。


 ホンシュアの顔が穏やかになり、白い手がファンルゥの頭に伸びた。


「ちょっと苦かったけど、大丈夫!」


 くしゃり、とファンルゥの髪が撫でられ、ホンシュアがにっこり笑った。


「ホンシュアァ……!」


 笑顔が伝染したかのように、ファンルゥが満面の笑顔になる。大きく開けた口に、跳ねた癖毛が入っても気にしない。


「心配かけてごめんね。もう、元気になったわ」


「ホンシュアァ……。よかった、よかったぁ……」


 まるで母親に甘えるように、ファンルゥがホンシュアに抱きついた。


「ファンルゥは優しい子ね……」


 ホンシュアは無邪気なファンルゥに、目を細める。その眼差しは限りなく穏やかで、優しかった。


「やっぱり、ホンシュア、綺麗だなぁ……」


 そんなことを言いながら、ファンルゥはホンシュアの羽を興味深げに、じっと見る。だが、魅入られたようにきらきらしていた瞳が、だんだん、とろんとしてきた。


「ファンルゥ、眠くなっちゃった」


 大きなあくびをしながらファンルゥは目をこすり、その場に座り込む。


 子供はとっくに寝ている時間だった。チョコ探しと、素敵な天使のホンシュアのお手伝いで、頑張って起きていた彼女も限界だった。


 ホンシュアは、ファンルゥの頭を再び優しく撫でると、不意に立ち上がった。横たえられたコウレンのもとへ行き、ひざまずく。


「この貴族(シャトーア)、あの子のお父さんなのね」


「あ? ああ……?」


 急にどうしたのだろうと、ルイフォンが疑問に思う視線の先で、彼女はそっとコウレンの手を取り、頭を下げた。


「巻き込んでしまって……。ごめんなさい」


 ホンシュアの背で光の羽が輝き、コウレンを包み込むように、ふわりと広がった。


 それはまるで、天使の祈り。天使の懺悔――。


「なっ……?」


 ホンシュアとコウレンは、光の糸で作られた、輝く繭に包まれた。


「お、おい? いったい、何を!?」


 光の糸は、一本一本が独立した意思を持つかのように、それぞれに明暗を変えていく。そのさまは、まるで激しく脈打つ、ひとつの生命のよう……。


 ――やがて光が静まると、先ほどと変わらぬ姿で、ホンシュアがコウレンの手を握っていた。


 憂いの天使は顔を上げる。


 光の糸は、するすると彼女の背中に吸い込まれていき、光の羽は消えた。


 そして厨房は、元の薄暗い闇に落ちる。


「行きなさい」


 唐突に、優しくも鋭い、ホンシュアの声が響いた。


「誰かに見つかる前に、早く脱出して」


「お、おい!?」


 ルイフォンは戸惑う。結局のところ、ホンシュアの意図と、自分の身に起きた激痛の理由は謎のままだ。


 ためらうルイフォンの肩を、リュイセンが叩いた。


「行くぞ」


 そのままリュイセンは(きびす)を返す。背中が、今やるべきことを考えろ、と言っていた。


 ホンシュアが手を振る。


「あの子を大切にしてあげてね……」


 そう言って、微笑んだ。






 ルイフォンとリュイセンを送り出すと、厨房は静寂に包まれた。


 窓からの欠けた月が、物悲しげに調理台を照らしている。綺麗に並べられた調味料の瓶が、少しずつ違う色の光を作り、幻想的な模様を描き出していた。


 ファンルゥは壁に背を預けて眠ってしまった。すうすうと気持ちよさそうな寝息に併せ、胸が上下し、癖毛が揺れる。


 こんなところで寝かせてしまったら、風邪を引いてしまうだろう。


 抱き上げようと屈んだとき、くらりと目眩がしてホンシュアはよろけた。また熱が上がってきたようだった。


 いくら子供とはいえ、抱えて部屋まで連れて行くのは厳しそうだ。ルイフォンたちが完全に遠くまで行ったころを見計らって、人を呼ぶしかないだろう。


 ホンシュアは座り込み、ファンルゥの頭をそっと膝に載せた。




 ――ごめんね、ファンルゥ。眠いのにありがとう。


 私は、あなたを利用したの。小さな記憶をひとつだけ書き加えた。


『お野菜を全部食べたらチョコをくれるって、パパが約束してくれた』


 小さなあなたが、夜中に厨房に行く理由。これが一番、あなたの他の記憶に影響が出ないと考えたの。


 あとは、あなたの好奇心と優しさで補えると計算した。


 ごめんね、利用して。


 あなたは立派に役目を果たしてくれた。ありがとう。ゆっくり休んでね。


 感謝するわ。


 私をライシェンに逢わせてくれて――。






 夜風が桜の大樹を吹き抜け、弾かれた薄紅の花びらが、ちらちらと白く闇を照らす。それは、あたかも天から星々が舞い降りてきたかのよう。


 頭上を覆うは、紺碧の空。欠けた月が天頂を登りきり、そろそろ落ち始めようとしていた。


 ルイフォンからの救出成功の報を聞き、メイシアは真っ先に外に飛び出した。


 長い石畳の道を駆け抜け、高い煉瓦造りの外壁まで走っていく。ひやりと冷たい鉄門の格子を握りしめ、肩で息をする彼女に、外で番をしていた門衛たちが何事かと近づいてきた。


「ル、ルイフォンが、無事にっ……! 今、連絡が……!」


 涙混じりの声で叫ぶメイシアを、太い歓声が包み込んだ。拳を振り上げ、小山のような大男たちが全身で喜びを表していた。


「おおぅ! ルイフォン様がやったか!」


「嬢ちゃん、よかったな!」


 聞き覚えのある声に、メイシアは、はっとして顔を上げる。その門衛は、彼女が初めて鷹刀一族の屋敷を訪れたときに応対した人物だった。刀を抜いて彼女を脅し、追い返そうとした男。凶賊(ダリジィン)にしばしば見られる、刀傷を持ついかつい顔が、とても優しげに笑っていた。


「はい! ありがとうございます!」


 あのときは、門の外から中に入る許可を貰う立場だった。それが今、こうして外から帰ってくる人を迎えようとしている。不思議な気持ちに、メイシアの胸がいっぱいになった。


「姉様! そんな薄着で……!」


 ハオリュウが上着を持って追ってきた。いくら連絡があったとはいえ、到着までまだまだ時間が掛かるはずだ、と。


 彼は、異母姉が門衛たちと親しげにしているのを見て、表情を固くした。貴族(シャトーア)の彼からすれば信じられない光景で……。


「坊主! 父ちゃん、無事だってな! よかったなぁ」


 鉄門を挟んだこちら側と向こう側に隔たれていなければ、団扇のような手でばんばんと背中を叩かれていたに違いない。そんな大声で、門衛がハオリュウに向かって叫んだ。どう見ても悪人面だが、嘘のない顔だった。


「あ……、ありがとうございます」


 勢いに気圧されるように、ハオリュウは腰を折って頭を下げる。門衛たちは、年端もいかぬ子供のかしこまった仕草に面食らいつつ、更なる笑みを広げた。


 これが一族の温かみというものなのか。イーレオの作り上げた帝国の絆に、ハオリュウは羨望と憧憬を覚える。もうすぐ彼の手から外されることになる当主の指輪を、彼はそっと指先で撫でた。


 厨房からは良い匂いが漂っていた。


 どっしりとした外見とは裏腹に、細かいところに気の回る料理長のことだ。労いの宴の準備をしているのだろう。ルイフォンからの連絡のあと、陽動に出ていたエルファンの部隊に撤退命令が出されたので、そろそろ大軍が戻ってくる頃合いだ。


 今まで忍んでいた屋敷が、にわかに活気を帯びてきていた。






「……ああ、詳しいことは帰ってから報告する。それじゃ」


 屋敷にいるイーレオとの通信を切り、ルイフォンは大きな溜め息をつきながらリアシートに体を預けた。傍受が怖いため、普段なら暗号化されたメッセージでやり取りするところだが、さすがに今は疲労が激しい。音声通話で最低限のことだけを伝えるに留めた。


 斑目一族の別荘を脱出したあと、手はず通りに迎えの車に乗った。あと三十分もすれば屋敷に到着するだろう。


 潜入時に協力してくれた、キンタンたち遊び仲間の少年たちは無事だろうか。エルファンの部隊は心配ないだろうが、あとで改めて礼を言っておこう。斑目一族への経済制裁の首尾も確認しておかねばならない。


 それから、ミンウェイはどうなっただろうか。〈(ムスカ)〉とそっくりな口を利く、捕虜たちの自白を任されていたはずだ。彼女には、〈(ムスカ)〉の顔を見たことを報告せねばなるまい。――気は進まないが。


 他にも、何やらわけありのタオロンの様子や、天使の姿をしたホンシュアのことも重要な情報だ。救出したメイシアの父、コウレンの心理状態も心配であるし、考えるべき案件は山ほどある。


 そして、メイシア――。


 ルイフォンは無意識に掌を握りしめた。


 彼が手に入れたいと願い、彼を欲しいと言ってくれた少女。


 (たお)やかで儚い外見よりも、魂こそが美しい戦乙女。


 違う世界から舞い込んできた、飛び方を覚えたばかりの優美な小鳥。


 ホンシュアは、メイシアを『選んだ』と言っていた。『仕組んだ』のだと。


 あれは、いったいどういう意味なのだろうか……?


「おい、ルイフォン。とりあえず車の中で寝ておけ」


 助手席のリュイセンが振り返って言った。


「え?」


「どうせ止めても、帰ったらすぐに報告書をまとめるつもりなんだろ? だったら今は何も考えずに寝ろ」


 まるで思考を読んだかのような物言い。


 不意を()かれたルイフォンの耳に、「いいか」と、力強く諭すようなリュイセンの低音が響いた。


「お前は、あいつらの父親を無事、救出してきたんだ」


 リュイセンが顎で示した先に、医学の心得のある部下に見守られたコウレンがいる。ぐったりして見えるが、今は薬で眠っているだけで、監禁の影響もなく健康。朝になれば目覚めるはずだと診断されていた。


「お前は、ちゃんと目的を果たした。――誇れ」


 それだけ言って、リュイセンは肩までの(つや)やかな髪をさらりと翻し、また前を向く。


 兄貴分には見抜かれているのだ。ルイフォンが手放しで喜べないでいることを。


 これで終わりではない。むしろ、やっと入り口に立ったばかりなのだと気付かされた。体は極限まで疲弊しているのに、心がざわついて居ても立ってもいられない。


 それを見越しているからこそ、リュイセンは休めと言っている。その先のやるべきことを見据えて、けれど今やるべきことを間違えるな、と。


「ありがとな」


 ルイフォンは、そう呟いて瞳を閉じた。


 そして――――。


 体が前に押し出されるような軽い衝撃を感じ、ルイフォンは薄く瞳を開けた。口を半開きにしたまま寝ていたらしい。乾燥してしまった喉が痛い。まどろみの中を漂う頭は鈍く重く、ただぼんやりと屋敷に着いたのだということだけを理解した。


 運転手が扉を開けると、半覚醒のとろりとした意識のまま、ルイフォンは外に出た。


 ひやりとした夜気に体が震え、世界が澄んだ紺碧の星空に覆われていることに気づく。


 次の瞬間、強い風が吹いた。


 夜闇に白く、桜吹雪が舞い散った。夜桜ならではの儚い美しさが視界を埋める。


 その花の嵐の中から、桜の精が現れた。闇より深い黒髪に、ひとひらの花びらを飾った少女――。


「メイシア……」


 ルイフォンの呟きに、彼女はぱっと目を見開き、泣き笑いの顔になって彼の胸に飛び込んできた。


「おかえりなさい!」


 門の前では門衛たちがにやにやと口の端を上げており、彼らの隣には苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、そっと目をそらして見ないふりをするハオリュウがいる。


 ルイフォンは、ふっと顔をほころばせ、メイシアを抱きしめた。彼女の上着が、ひやりと冷たかった。驚くと共に、彼女がずっと待っていてくれたことを知る。


 頬をすり合わせると、やはり冷え切っていた。申し訳なく思うと同時に、幻想的な夢のような彼女が、現実のものとして腕の中にいることを実感する。


「ただいま」


 抱擁の中で徐々に温まっていくメイシアの存在を感じ、ルイフォンは安らぎを覚えた。


 ホンシュアが意図的に出逢いを紡ぎあげたとしても、惹かれ合ったのは他でもない自分たち自身だ。なんの陰謀があっても構わない。


 巡り合ってから先の物語を、この手で創ればいいだけだ――。



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