3.庭園迷路の囚人-3
『『ライシェン』を取り戻したとしても、その『中身』が無垢な赤子である保証は、どこにもございません』
『もしも、『ライシェン』の肉体に、〈蝿〉の記憶が書き込まれれば、いずれ〈蝿〉が、この国の王として君臨することになります』
ハオリュウの言葉に、カイウォルの美貌は凍りつく。
しかし、次の瞬間には、少なくとも表面上は平静を取り戻した。香の匂いを撒き散らしながら、雅やかに首を振る。
「『ライシェン』の中身が、〈蝿〉になって戻ってくる――ですか? それは、あり得ませんね」
「どうして、そう言い切れるのですか?」
当然のように問い返してきたハオリュウに、カイウォルは渋面を作る。
「『ライシェン』は、鷹刀セレイエの『殺された息子』の肉体です。息子を蘇らせるために作った、大切な肉体に、〈蝿〉の記憶が書き込まれることを、彼女が許すはずがないでしょう」
自分の台詞を脳内で繰り返し、正しい理論であることを確認すると、カイウォルは緩やかに口の端を上げた。
〈七つの大罪〉絡みの話は、どうにも得体が知れず、つい身構えてしまっていけない。ハオリュウは、異母姉を王宮に呼ばずに済むよう、詭弁を弄しているだけだ。
カイウォルは、己にそう言い聞かせた。
そのとき――。
「た、鷹刀……セレイエ……!?」
ひゅっと、息を呑むような声が響いた。
「その名前は、ルイフォンが必死に探している、行方不明の姉君の名前です! いったい、どうして……」
「!」
そこで初めて、カイウォルは自分の失言に気づいた。
鷹刀一族と懇意にしているハオリュウであれば、当然、『ライシェン』は、『鷹刀セレイエの息子』と知っているものと思いこんでいた。しかし、この口ぶりからすると初耳だったらしい。
余計なことを言ってしまった。自分らしくもなく迂闊だった。
焦りに動転したカイウォルは、ハオリュウが『知らないふり』をしているだけ、という可能性に至らない。そんな心の隙を突くかのように、深刻そのもののハオリュウの声が、追い打ちを掛ける。
「……待ってください。〈神の御子〉である『ライシェン』が、過去の王のクローンではなく、平民の姉君の子――のクローン。尊き〈神の御子〉が『殺された』のは、禁忌のお生まれだったから、という理由で……。それは、つまり……」
人当たりのよい善人顔が青ざめ、カイウォルを凝視する。
その目つきに、カイウォルは、はっと顔色を変えた。以前、事情聴取として呼び出した鷹刀エルファンと、似たようなやり取りがあったことを思い出したのだ。
あのときと同じ『実に、不名誉な憶測』を口にされては不愉快と、カイウォルは制止を掛けようとした。しかし、無情にも、ハオリュウが一瞬早く、言を継ぐ。
「『ライシェン』は、カイウォル殿下の御子なのですね」
「違います!」
カイウォルは眉を吊り上げ、怒声を放った。
普段とは別人のような荒々しい語気に押されたのか、ハオリュウが目を丸くする。口元は、わずかに開かれたまま、半端なところで動きを止めていた。
しかし、すぐに「失礼いたしました」と引き下がり、深々と頭を垂れる。聡明な少年当主は、無用な詮索はすべきでないと弁えているのだ。
臣下として模範的な、礼儀正しい態度であるが、それ故、本当に誤解が解けたのか、カイウォルは不安になった。されど、ハオリュウが、さらりと流したことを、こちらから蒸し返すわけにもいかない。
カイウォルは苛立ちを呑み込み、押し黙るしかなかった。
――さすが、カイウォル殿下。苦虫を噛み潰したような顔ですら、絵になる美貌とは。
正面に座する貴人に対し、ハオリュウは胸中で、意地の悪い賛辞を呈する。
この一幕は、単なる余興――異母姉を巻き込もうとするカイウォルへの、ささやかな意趣返しである。
そして、ここからが本題となる。
「『ライシェン』がカイウォル殿下の御子でないと聞き、安心いたしました」
利発そうな澄んだ声に、無邪気な少年の笑顔を浮かべ、ハオリュウは切り出す。
「――と申しますのは、〈蝿〉の手に落ちた『ライシェン』など捨て置き、新たなる〈神の御子〉を迎えればよいと、ご提案しようと考えておりましたもので」
わずかに身を低くして、恭しげに振る舞う。そして、そのまま、カイウォルに口を挟む余地を与えず、立て板に水を流すように続けた。
「王家に〈神の御子〉が生まれない場合は、王族直属の研究組織である〈七つの大罪〉が、過去の王のクローンを作る――それが決まりでございましょう? ですから、新たなる〈神の御子〉を作ればよいのです。――ただし」
そこで一段、声を落とす。
ハオリュウの背後に、闇が広がる。
「女王陛下の御子ではなく、カイウォル殿下の御子として、今すぐに誕生させるのです。――あとから、〈蝿〉が『ライシェン』を連れてきたところで、手遅れとなるように」
「――!?」
カイウォルは息を呑んだ。
もしも、カイウォルのもとに〈神の御子〉の男子が生まれれば、その子は誕生の瞬間に、現女王から、王冠を譲り受ける。女王――すなわち女子は、あくまでも『仮初めの王』だからだ。
それが、この国の金科玉条。
このとき、赤子の王の摂政には、誰もが、間違いなく『国王の父』であるカイウォルを推すことだろう。
役職的には現在と変わらぬが、王が成人を迎えるまでの時間は、現女王のそれとは比ぶべくもなく長くなる。その間に、カイウォルは不動の地位を築くことができる。
つまり、ハオリュウは、カイウォルに『事実上の玉座を手に入れませんか』と、囁いたのだ。『あとから、〈蝿〉が『ライシェン』を連れてきたところで……』というのは、詭弁にすぎない。
「ハオリュウ君……?」
蠱惑の旋律が歪み、音程を外した。まだ少年であるはずのハオリュウが口にするには、あまりにも老獪な弁だと、たじろいだのだ。
肚を探るような視線の中、沈黙が訪れる。
――我ながら、とんだ小悪党だな。
ハオリュウは、内心で自嘲した。
それは、黒髪黒目のカイウォルが、合法的に王権を手に入れる策を提示したから――ではない。
もっともらしい口弁を垂れているが、実のところ、この陰謀は『現実には、なり得ない』。
それを『知っての上で、大真面目に茶番を演じている』からこそ、『小悪党』なのだ。
過去の王の遺伝子は、鷹刀セレイエによって、すべて廃棄されてしまっている。故に、現女王を退ける、新たなる〈神の御子〉の誕生は不可能。
このことは、カイウォルも知っているはずだ。だから、すぐにも『無理だ』と棄却する。
それでよいのだ。
この遣り取りを踏まえることによって、ハオリュウは『代案』という形で、いきなり口にすれば不自然極まりない提案を、訝しまれることなく切り出すことができる。
この『代案』こそが、ハオリュウの真の策だ。
「……君は、本当に……、賢いですね」
それまで瞬きを忘れていた瞳を伏せ、カイウォルが口を開いた。
「ですが、君が言うようなことはできないのですよ」
「どうしてですか?」
案の定の台詞に、ハオリュウは、何食わぬ顔で首をかしげる。
「鷹刀セレイエが、過去の王の遺伝子をすべて廃棄してしまったからですよ。『ライシェン』を唯一の〈神の御子〉とするためにね」
溜め息混じりのカイウォルに、ハオリュウは「そうですか……」と、あらかじめ用意しておいた落胆の声を重ねた。
ハオリュウは肩を落とし、眉間に皺を寄せる。他に何か策はないかと、思案する顔だ。
本当は、すぐにも『代案』を切り出したいところなのだが、あくまでも『仕方なく』という体で話を進めるべきで。そのためには、適切な間が必要だった。
一方、唇を噛むハオリュウに、カイウォルは何を思ったのか……。
ふっと口元を緩め、静かに語りかけてきた。
「それにね、ハオリュウ君。私に、妻はおりません。だから、私に子が生まれたら、可笑しいですよ」
「え……?」
意図の読めない、発言だった。
とっさに、なんと返せばよいのか分からない。――と同時に、『代案』を出すタイミングを逃したと、ハオリュウは焦る。
「妻がいなくとも、婚外子だと説明すれば問題ないと、君は考えていたのでしょう? ええ、確かに、それで筋は通りますね」
ハオリュウの困惑はお見通しとばかりに、カイウォルは畳み掛ける。
状況からして、高圧的に嗜められたとしても、おかしくはなかった。けれど、不思議と、険しさのようなものは感じられない口調だった。
いつもの雅やかさを残しつつ、そこはかとない哀愁を帯びたような……。
「殿……下……?」
「君は、根本から勘違いをしていますよ。――私は、権力など求めていないのです」
「!?」
鼓膜を震わせた音が、どんな意味を持つ言葉なのか、ハオリュウの脳が理解を拒んだ。
その様子に、カイウォルが苦笑する。
「君の目には、私は黒髪黒目でありながら、虎視眈々と権力の座を狙う、野心家のように映っているのでしょう? 確かに、そう見えるような振る舞いもしてきましたから、君に誤解されるのは仕方がありませんね」
上品に口元を隠して破顔する王族に、ハオリュウは、はっと我に返った。
これは、相手を惑わす駆け引きだ。
呑まれてはならない。
ハオリュウが自らに警鐘を鳴らしたとき、カイウォルが困ったように眉をしかめた。
「どうやら私は、まったく信用されていないようですね。ならば、賢い君には、こう言い換えれば納得してもらえるでしょうか」
演技めいた嘆息を落とし、すっと身を乗り出す。
「我が国で権力を得たければ、〈神の御子〉として生まれるか、〈神の御子〉を手駒にするかの、どちらかしかありません。これは、この国の仕組みを、まともに読み解ける者であれば、自明の理です」
黒髪黒目のカイウォルは、穏やかな物言いで、……薄く嗤う。
「私の場合であれば、『〈神の御子〉の父』を目指すことが一番、近道でしょう。君に言われたように――ね」
「……」
「そして、子を生すためには、妻が必要です。なのに、私はこの歳まで独り身なのですよ。権力を欲するのであれば、〈神の御子〉を産むための女性が、不可欠でありますのに」
「!」
カイウォルの言う通りだった。
もうすぐ三十路を迎えようという年齢であるにも関わらず、彼は未婚だった。
だからといって、独身を謳歌し、浮き名を馳せているという話も聞かない。上流階級の令嬢たちから、熱い視線を送られているにも関わらず、むしろ堅物で通っている。
権力を望むのであれば、妻を娶るべきだろう。黒髪黒目のカイウォルの子が、〈神の御子〉として生まれる確率は高くはないが、決して零ではないのだから。彼の父である先王のように、数多の愛人を囲ったところで、なんら可笑しなことはない。
「疑り深い君も、これで納得せざるを得ないでしょう? ――私は、権力を望んでいない、と」
奈落の瞳が、ハオリュウを捕らえた。
引きずり込まれるような重力に、必死に抗う。
「まだ、納得できない――という顔ですね」
喉が張り付き、声が出なかった。ハオリュウは、ただ、こくりと唾を飲み込む。
「困りましたね。……では君に、私の思いを率直に語りましょうか」
微笑を浮かべる顔貌は、輝く太陽のような華やぎに満ちていて。だのに、陰影を宿した月の如くに、憂いを帯びている。
耳を傾けるべきではないと、本能が告げた。しかし、臣下であるハオリュウに、逆らう方法はない。
カイウォルの声が、静かに響く――。
「私が妻を娶れば、その女性が――その親族が、〈神の御子〉の誕生を期待します。そして、身も心も、ぼろぼろになるまで、〈神の御子〉を求め続けることでしょう。……私の母のように」
「殿下の……母君……?」
「君が生まれるよりも前に亡くなった方ですから、君は噂程度にしか知らないでしょう」
「はい……」
カイウォルの母といえば、先王の正妃だ。若くして――まだ十代の少女のうちに、先王に嫁ぎ、カイウォルをはじめとする多くの子を生した。
裏を返せば、なかなか〈神の御子〉に恵まれず、苦労した女性ということだ。先王の愛妾の人数もまた、それを物語っている。
〈神の御子〉である現女王、末娘アイリーを産んだあと、力尽きたように天へと旅立ったという。立派に妃の務めを果たしたのであるが、『真の王』である男子を産んだわけではないために、彼女に贈られる称賛は、どこか乾いたものだった。
「血統だけで王妃に選ばれ、好きでもない相手の子を産まされ続けた母は、アイリーを身籠ったころには、すっかり心が壊れていました。そんな母に、私ができたのは『これから生まれてくる〈神の御子〉の弟妹を、兄として立派に支える』と約束し、学に励むことくらいでした」
カイウォルは黒髪の頭を振り、黒目を伏せる。
「父が、頑なに『過去の王のクローン』を拒まなければ、母が、あれほど苦しむことはありませんでした」
「……」
いくら、カイウォルの言動には裏がある、と疑っていたとしても、先王の正妃の運命は事実だ。ハオリュウとて人の子であり、いたわしく思う気持ちはある。
さて、どんな受け答えをしたものかと悩んでいると、それまでとは、ほんの少し、音調の違う蠱惑の旋律が響いた。
「ハオリュウ君。君は、『王妃は、最後に〈神の御子〉を産み、安らかな眠りについた』――という話を信じていますか?」
「……え?」
不可思議な笑みを浮かべる貴人を、ハオリュウは、きょとんと見つめる。
次の瞬間、カイウォルの顔が禍々しく歪んだ。
「人の命が、おとぎ話のように儚く消えていくことなど、あるわけがないでしょう?」
「殿下……?」
「母は、自室の窓から飛び降りたんですよ」




