表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

359/359

黄昏の言伝

 一生に一度の、恋をしよう――。






 そのとき私は、たった五つの子供だった。


 そんな子供の将来を、伯母様は真剣に憂えていた。




「〈神の御子〉は、今なお、神への『供物』なのよ。――特に、女は悲惨……」


 私と同じく『〈神の御子〉の女性』だった伯母様は、降嫁した婚家で、〈神の御子〉を産むよう強要されたという。伯母様が〈神の御子〉を産めば、その子は王位継承権を持ち、婚家は外戚として権勢を誇れるからだ。


「アイリー。あなたには、あんな辛い思いをしてほしくないの」


 伯母様は私を抱きしめ、涙ぐむ。


 窓から差し込む黄昏の光で、白を基調とした神殿の部屋が、真っ赤に染まっていた。色を持たない私たちの肌も、呪われた王家の血を象徴するかのように、赤と交わる。


 自分とそっくりな容姿を持つ伯母様のことを、私は子供のころ、お母様だと信じていた。


 何故なら、この国の民は、ほとんどが黒髪黒目で、お父様と伯母様、そして私だけが異色だったのだから。幼い私が、このふたりを両親だと思い込むのは自然なことだろう。


 伯母様もまた、私を実の娘のように可愛がり、同時に案じていた。


 それは、私が伯母様と同じような目に遭っては可哀想だ、という思いから……というのは表向きで、本当は、ヤンイェンお異母兄(にい)様を〈神の御子〉として産むことができなかったことに対する罪悪感――なのだと、なんとなく気づいてしまった。


 私がいずれ、女王として立つのは、伯母様のせいではないのに。


 体の弱かった伯母様は、ご自分の余命が短いことを知っていたのだろう。


 だから、私がまだ小さいころから、私とヤンイェンお異母兄(にい)様との婚約を成立させようと、躍起になっていた。事情を理解しているお異母兄(にい)様なら、決して、私を不幸にすまいと考えたのだ。


 そもそも、伯母様が働きかけなくとも、私が生まれたときから、ヤンイェンお異母兄(にい)様は、私の婚約者に内定していたようなものだ。歳が離れすぎていることを理由に反対する勢力はあるものの、血統的には、お異母兄(にい)様がもっとも『女王の夫』にふさわしいからだ。


「……ごめんね」


 伯母様の涙が、黄昏色に染まる。


「あなたは、恋を知らずに生きることになるわ」


 そう呟いた伯母様は、果たして、恋というものを知っていたのだろうか。






 伯母様の優しさは、歪んでいたと思う。


 悪意のない、純粋な気持ちであったことに間違いはない。元王女として、『〈神の御子〉』に振り回される王族(フェイラ)たちが少しでも幸せになれるよう、心の底から願い、奔走していたことは紛れもない事実だ。


 けれど、ヤンイェンお異母兄(にい)様が、私を守るためだけに存在するような、空っぽの人になってしまったのは、やはり伯母様のせいだと言わざるを得ない。


 私も、お異母兄(にい)様も、一生、恋とは縁がないだろう。


 そう思っていた。


 セレイエと出会うまでは。






「アイリー、脱走(お忍び)するわよ!」


 ある日、『神に祈りを捧げる』という『公務』で、神殿に行くと、黒髪の(ウィッグ)と、黒目のカラーコンタクトを手にしたセレイエが、意気揚々と現れた。


「ヤンイェンから聞いたわ。あなた、まともに外を歩いたことがないんですってね。そんなの、もったいないわ」


 私は、そのとき、七歳になっていたと思う。世間知らずの箱入り娘ではあったが、それでも、上流階級の令息、令嬢たちが、身分を隠して、こっそり街中で遊んでいることくらい知っていた。


『社会勉強』と称して、親が外に出してくれることもあるようだけど、たいていは内緒の冒険だ。だからこそ、面白い――らしい、とも。


 けれど、私は〈神の御子〉だ。この外見(すがた)では、ひと目で素性がばれてしまう。だから、お忍びなんて考えたこともなかった。


 ……ああ、でも。


 セレイエが変装の道具を用意してくれている……。


 駄目、と思っても、私の瞳はセレイエの手元に釘付けだった。心臓が、どきどきと高鳴り、飛び出してしまいそうになる。


「私に任せて! 凄く可愛くしてあげるから!」


 (ウィッグ)の黒髪をさらりと撫で、セレイエは自信たっぷりに口角を上げた。そして、強引に、私を化粧台(ドレッサー)の前へと連れて行く。


「ま、待って!」


 誘惑を振り切らなくちゃと、私は声を張り上げた。


「セレイエの気持ちは嬉しいけど、私は世継ぎの王女なの。私に何かがあったら……。ううん、お忍びがばれてしまうだけでも、セレイエは、ただでは済まないわ」


 いくら私が子供でも、王宮で時々、耳にする『ただでは済まない』が『死』を意味することくらい理解していた。


 ……なのに。


 セレイエは、脅える私をふふん、と鼻で笑った。


「何を言っているの? 私は無敵よ」


 (つや)めく美声と共に、セレイエは背中から白金の光を放つ。幾つもの光の糸が絡み合い、繋がり合い、優美に波打つ白金の羽を紡ぎ出す。


「――――っ」


〈天使〉のセレイエ。


 何度見ても、溜め息が出るほど綺麗だ。


 もともと、目を奪われるような美人のセレイエだけど、〈天使〉の姿になると、神々しいまでの美しさになる。私の〈神の御子〉の容姿なんかより、ずっとずっと神聖を帯びていて……。


「どんな屈強な猛者でも、私の組み上げる命令(コード)には抗えないわ。王女だって気づかれたところで、記憶を消せばいいだけよ」


 荒唐無稽に聞こえるけれど、セレイエの言うことは真実だ。


 何故なら、〈天使〉とは、人間の脳という記憶装置に侵入(クラッキング)する、クラッカーなのだから。


 セレイエに見惚(みと)れていた私は、そこで、はっと我に返る。


「で、でも……!」


 羽を使うと、体に負担が掛かるって、ヤンイェンお異母兄(にい)様がおっしゃっていたのだ。だから、〈天使〉の力を護衛代わりにしたら駄目だ。セレイエが熱暴走を起こしてしまうなんて、考えたくもない。


 私は白金の眉を下げ、困りきった顔で、セレイエを見つめる。


 嬉しいけれど、駄目。どう言えば、私の気持ちを分かってもらえるだろうか。


 思いを伝える言葉を探している間に、セレイエは、私を無理やり化粧椅子(ドレッサーチェア)に座らせた。


「セ、セレイエ! 私は今、公務中で……」


「細かいことは気にしないの! だいたい、あなたみたいな子供が『公務』なんて、笑っちゃうわ!」


 その台詞の通り、セレイエは覇気に(あふ)れた高笑いを上げながら、ぴしゃりと言い捨てる。


「私がアイリーと出掛けたいから、準備をしているの。邪魔をしないで」


「…………」


 セレイエは強引で、自信家で、我儘で、破天荒。――そして、優しい。


 今まで、私の周りには、こんなふうに接してくれる人は、ひとりもいなかった。


 私は、未来の女王なのだ。――誰もが、そういう目で見る。それが普通だ。


 けれど、お異母兄(にい)様と恋仲になったセレイエは、『ヤンイェンの異母妹(いもうと)なら、私の義妹(いもうと)ってことでしょう?』と言って、私を『妹』として扱う。


 私には、たくさんの兄と姉と、異母兄と異母姉がいるけれど、皆、〈神の御子〉である私は『()』ではなくて、異質な『もの』だと思っている。玉座に座るためだけに存在する、異色のお人形だと――異母姉のひとりに、面と向かって、そう言われたこともある。


 例外はカイウォルお兄様とヤンイェンお異母兄(にい)様だけだ。だから、兄弟姉妹(きょうだい)なんて、そんなものだと思っていた。


 けど、セレイエによると、兄弟姉妹(きょうだい)とは、もっと仲の良いものらしい。


 実際、セレイエの口から語られる兄弟の話は、宝物のようにきらきらしていた。私は夢中になって聞き、もっともっとと、彼らの逸話をせがんだ。


 その中でも、私は異母弟(おとうと)の『リュイセン』の話が好きだった。どこか私と似た境遇の彼が、卑屈になることなく、真面目に、こつこつと努力を続ける姿を格好いいと思った。


 ――それは、さておき。


 私は、こうして、義姉(あね)セレイエに脱走(お忍び)を教えてもらった。






 セレイエと『姉妹』として過ごしていくうちに、私の世界は、どんどん広がっていった。


 私は、ヤンイェンお異母兄(にい)様のことを空っぽだと思っていたけれど、自分もまた、空っぽだったのだと気づかされた。


 だから、私はセレイエの義妹(いもうと)にふさわしく、ちょっとだけ図々しく、大胆になった。






『未来の女王の事実上の婚約者である、王族(フェイラ)の血統の神官長』と、『凶賊(ダリジィン)の血を引く、平民(バイスア)の神官』の恋は、世間的には『身分違いの禁断の恋』だ。


 当然、ふたりの関係は、公にはできなかった。


 ――罪、だからだ。


「それでいいの?」


 私は白金の眉を寄せ、セレイエに尋ねた。


「そうね、私とヤンイェンは『共犯者』みたいなものかしら?」


 セレイエは、とても綺麗な笑顔で、はぐらかした。


 お異母兄(にい)様からの贈り物のペンダントに、そっと手を触れながら……。






 そして、ライシェンが生まれた。






『身分違いの禁断の恋』から生まれたライシェンは、国を挙げて誕生を祝福されるべき〈神の御子〉であったにも関わらず、ひとまず存在を隠された。


 事情を知る者は、王宮の中でも、ごく一部の人間のみ。国の中枢に位置する彼らは、口を(そろ)えて、セレイエを『神官長を(たぶら)かした悪女』と罵った。


 けれど、国王(お父様)が、鶴の一声でセレイエとライシェンを守った。


『ライシェンこそが、私の次の王となるべき者である』――と。


 神殿で生まれたライシェンを迎えに行き、王宮に連れてきたのは、他ならぬ、お父様だった。平民(バイスア)を生母に持つ〈神の御子〉は風当たりが強いだろうと、拒むお異母兄(にい)様とセレイエを、国王が頭を下げて説得したのだ。


『こんなに愛されて生まれた子なら、きっと良い王になるだろう』と、言って。


『親』から愛されなかった、『過去の王のクローン』である、お父様は、ライシェンのことを尊いものだと褒め称え、セレイエに感謝を述べた。


 ライシェンが、ただの〈神の御子〉ではなく、〈天使〉の力も受け継いでいるらしいことは、早いうちから、セレイエが感づいていた。だから、お父様は『まるで、私たちのもとに神が降りてきてくれたみたいだ』と驚き、『来神(ライシェン)』という名前を贈ったのだ。


 ライシェンは、希望だった。


 彼の誕生は、私の『恋も知らずに、女王となる』運命をも変える。


 恋を知らない私のために、恋を知ったお異母兄(にい)様と、恋を教えてくれたセレイエの間に、ライシェンは生まれてきてくれたのだ。


 国を挙げての祝福はなくとも、ライシェンの周りには、確かな祝福があった。






 それが――。


 いったい、どこで、運命の歯車が狂ったのだろう。






 ライシェンが、羽も出さずに、〈天使〉の力で、人を殺した。


〈天使〉を知らない人々には、何が起きたのか分からなかっただろう。けれど、ライシェンが犯人であることは、状況から明らかだった。


 神聖なる王族(フェイラ)の血に、穢れた平民(バイスア)の血が混ざったから化け物が生まれたのだと、声高に叫ばれた。


 国王(お父様)は、その言葉を否定した。


 けれど、被害は広まるばかり。そして、すっかり恐怖に支配されてしまったライシェンは、ますます、自分の身を守ることに固執した。


 だから……。


 国王(お父様)が、ライシェンを殺した。


 他人の脳から『情報を読み取る』能力を持ったライシェンは、殺意を持った人間を決して見逃さないから。


 例外は、同じ能力を持ち、互いの能力を打ち消し合う、国王(お父様)だけだったから……。






 ライシェンを亡くした、お異母兄(にい)様とセレイエは、『〈七つの大罪〉の禁忌』に魅入られた。


 死者の蘇生だ。


 そんなのはおかしいと、私は、きっぱり言うことはできなかった。……ふたりの思いが辛すぎて、言えなかった。


 そして、狂った歯車は、止まることなく廻り続ける。






 ヤンイェンお異母兄(にい)様が、国王(お父様)を殺した。


 その瞬間、私は女王になった。






 それから、四年の月日が過ぎた。


 私は、もうすぐ十五歳になる。


 年齢的に頃合いだろうと、ヤンイェンお異母兄(にい)様との婚約が、正式に発表されることになり、準備が始まった。――お異母兄(にい)様は、病気療養という名の幽閉状態であるというのに。


 何かが、おかしかった。


 罪人(つみびと)となった、お異母兄(にい)様は、一生、幽閉されたまま。二度と、表に出られないはずだったのだから。






 私の中に、私の知らない記憶がある。


 それは、四年前、私が女王になって少し経った日の、黄昏の神殿。


 窓から差し込む光で、白を基調とした部屋が、真っ赤に染まっていた。色を持たない私の肌が、呪われた王家の血を象徴するかのように、赤と交わる。


「アイリー。私とヤンイェンは『共犯者』なの」


 唐突に聞こえた声に、私は驚いて後ろを振り返った。


 そこに、行方不明になっていたセレイエがいた。目鼻立ちのはっきりとした顔は、逆光の中でも美しく、けれど、だいぶ痩せたみたいな気がした。


「共犯者とは、罪を分かち合う者。ヤンイェンの罪は、私の罪よ」


 お異母兄(にい)様からの贈り物のペンダントを握りしめ、彼女は、静かに微笑む。


「セレイエ……! 今まで、どこにいたの!?」


 駆け寄る私に、彼女は何も答えなかった。ただ、歌うように続ける。


「犯した罪の裏側には、何を犠牲にしてでも叶えたい、強い願いがあるの」


 穏やかなのに、力強い声だった。


 覇気に(あふ)れた眼差しは相変わらずで、我儘な自信家の表情(かお)だ。


「私は後悔してないわ。ヤンイェンと出逢ったことも、ヤンイェンを愛したことも」


「セレイエ!?」


 私は、(すが)るように彼女の名を叫んだ。何故だか分からないけれど、とても不吉な予感がしたのだ。


「アイリー。誰かと出逢って、恋に落ちる。それは、とても素敵なことよ。……あなたを女王にしてしまった罪人(私たち)には、言う資格はないかもしれないけれど――」


 セレイエの手が、すっと私へと伸びた。白金の髪に触れ、くしゃりと撫でる。




「どうか、あなたに。運命の恋人が現れますように」




 慈愛に満ちた祈りが、私を包む。


 刹那。


 セレイエの背中から、光が噴き出した。


 無数の細い光の糸が、白金に輝きながら勢いよく(あふ)れ出る。互いに絡み合い、繋がり合い、網の目のように広がっていく。


〈天使〉の羽だ。


 煌めく光をまとったセレイエは、溜め息が出るほどに、綺麗――。


 ゆらり、ゆらりと。


 白金の羽が、優美に波打つ。緩やかに伸びてきた光の糸が、そっと私に触れる。


 そして、糸の内部を、ひときわ強い光が駆け抜けた。


「私の義妹(いもうと)に、(さち)あれ……」


 小さな呟きを残し、セレイエは〈冥王(プルート)〉の収められた『光明の間』へと姿を消した。






 これは、おそらく、封じられた記憶。


 セレイエが〈天使〉の力で、私の中の深いところに沈めたもの。


 彼女は、ライシェンの記憶を集めに〈冥王(プルート)〉へと向かう直前、私に会いに来てくれたのだ。


 一生に一度の、お異母兄(にい)様との恋に後悔はなかったと、私に告げるために。


 そして。


 私に伝えるために。




 あなたにも、恋をしてほしい――と。



―――― お知らせ ――――


ここまでお読みくださり、どうもありがとうございます。

この長い物語にお付き合いくださり、本当に感謝しております。


第三部 第四章+幕間 が完結いたしました。

第五章は執筆済みなのですが、リアルの都合により、来年4月までお休みをいただきます。

申し訳ございません。


第五章では、再び、ルイフォン&メイシアが主役となります。

準主役は、ハオリュウ。摂政カイウォルが動き出します。


〈投稿予定〉

2026年4月 第三部 第五章 金科玉条の紅を(全20話)

未定    第三部 第六章 金烏玉兎の暁へ(全18話+幕間4話)

未定    第三部 第七章 深層の追憶より(6話目まで執筆済み)


これからも、どうか、この物語をよろしくお願いいたします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ