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9.泡沫の出逢いの先で

 やがて、リュイセンの運転する車は、目的の庭園に到着した。


 園内の目立たないところに建てられた小屋が、神殿の『天空の間』へと繋がる地下通路の入り口であるらしい。


 駐車場で車を停め、アイリーは黒装束姿に戻った。だから、今は白金の髪はフードで覆われ、青灰色の瞳はサングラスの奥に隠されている。


 眩しさを感じやすい瞳の彼女が、夕暮れどきにサングラスを掛けたら、どのように見えるのかは分からない。けれど、なんとなく、足元がおぼつかなくなるような気がして、リュイセンは、そっと彼女の手を取った。


 長身の彼と、小柄な彼女と。


 高さの違う指先が、ぎくしゃくと繋がれ、黄昏色の世界を並んで歩く。






「リュイセン、今日はありがとう」


 遠くに小屋が見えてくると、アイリーが静かに口を開いた。


 もうすぐ、別れのときだ。


 どちらからともなく立ち止まり、互いに向き合う。


 夕闇を帯びた風が、ふたりの間を吹き抜ける。アイリーは、フードが脱げてしまわないように気をつけながら、ゆっくりとリュイセンを見上げた。


「初めてのドライブ、凄く楽しかったわ」


「俺も楽しかった。ありがとう」


 こんな決まり文句のような台詞ではなく、もっと彼女の心に響く言葉を残したい。けれど、口下手なリュイセンの頭には、まるで何も浮かばなかった。


 ……それで正しいのだと、自分に言い聞かせた。


 彼女は『女王陛下』なのだ。


 たとえ、『最後の王』となり、のちに自由を得たとしても、現時点の彼女は『女王』。


 今は、余計なことを考えてはいけない。それは、彼女のためにならないし、彼のためにもならない。


 別に、彼女とは、今日だけで終わる縁ではない。だから、このまま黙って手を振ればいい――。


 そのとき、アイリーが硬い声で叫んだ。


「ね、ねぇ、リュイセン……!」


 慌てたような早口は、リュイセンの挨拶(さよなら)を遮るため。勿論、彼は、そんなことを知る(よし)もない。


 彼はただ、『陽が陰っているから大丈夫』と言って、フェイスカバーを外したままにした彼女の白い頬が、黄昏に染められて赤みを帯びていると思っただけ。――断じて、自分を見つめているからではない。その証拠に、彼女の視線(サングラス)は無機質ではないか、と。


「あ、あのね、『最後の総帥』と『最後の王』って、運命的な組み合わせだと思わない?」


 胸が踊るような、心地の良い響きだった。


 はにかむような仕草が、論理的(ストイック)な思考を努めていたリュイセンの心に(さざなみ)を立てる。


 ……彼女の声は、『恋する乙女』のそれだった。


「アイリー……」


 リュイセンの心臓が、早鐘を打ち始める。


『最後の総帥』と『最後の王』――共に、久遠に続くと思われた、創世神話からの流れに、終止符を打つ者。確かに彼女の言う通り、運命めいた響きをしている。


 だが、初めに『最後の総帥』と『最後の王』という言葉を持ち出してきたのは、他ならぬリュイセンなのだ。


 自分が『最後の総帥』なら、アイリーは『最後の王』になればいい。何故なら、鷹刀と王族(フェイラ)は、共に(かび)の生えた悪しき因習に縛られた一族なのだから。――そんな思いで、『最後の王』と口にした。


 それだけの安易な発想。


 運命などではなくて……――リュイセンが強く、望んだものだ。


 彫像のように押し黙ってしまったリュイセンを前に、アイリーが鋭く息を呑んだ。


「なんでもないわ。――そ、それじゃ、またね!」


 くるりと(きびす)を返し、黒づくめの背中が、ひとりで小屋へと向かう。


「あ、おい。待て!」


 小走りに去ろうとする肩を、リュイセンは神速で掴んだ。


「きゃぁっ」


「すまん!」


 謝りつつも、素早く前に回り込み、彼女の行く手に立ちふさがる。


 小柄な彼女は、彼よりも頭ふたつ分は小さい。


 暴力にも等しい体格差で引き止めるのは、卑劣な行為だ。そんなことは分かっている。けれど、このまま彼女を見送ることなど、できるはずもなかった。


「アイリー」


 彼の呼びかけに、彼女の体が、びくりと動く。


 自分の低音が、時に必要以上の威圧を与えることを理解しているリュイセンは、『しまった』と思いつつ、ここで引くわけにはいかなかった。


 今日のドライブは、彼女の小さな願いを叶えるための泡沫(うたかた)の夢だ。


 陽炎が見せる、幻影と同じ。


 仮初めにも恋人のように振る舞えば、免疫のない彼女が錯覚を起こすことは予測できた。ましてや、運命めいた関係なんぞを匂わされたら、すっかり、その気になってしまうのも無理はない。


 けれど、彼女が見ているものは、あくまでも幻の恋人なのだ。虚像(そんなもの)で、彼女の心を縛りたくはない――。


「お前は俺に、夢と理想を見ているだけなんだよ」


「…………」


 先ほど、乱暴に肩を掴まれたからだろう。アイリーのサングラスは、ずり落ち、その隙間から、まっすぐな瞳が覗いていた。黄昏を浴びた虹彩は、黒でもなければ、青灰色でもない。


 不思議な色合いにリュイセンが戸惑っていると、(つぶ)らであるはずの(まなこ)が、にわかに(とが)っていった。


「見くびらないで!」


 長身の彼に向かって、彼女が、ぐっと顎を突き出せば、目深(まぶか)(かぶ)っていたフードが吹き飛ぶ。外気に晒された白金の髪が、黄昏色に染まる。


 輝く白金の髪と、澄んだ青灰色の瞳を持った〈神の御子〉が、外見(すがた)を変えた。


「アイリー……?」


 目の前にいるのは、間違いなく彼女であるはずで。


 けれど、今までの彼女とは、どこか印象が異なっていて。


 ()(かれ)時とは、よくぞ言ったものだ――などと、場違いな感想を(いだ)きながら、リュイセンは彼女に魅入られる。


 彼女は大きく息を吸い込み、(とが)らせていた目を、ぎゅっと(つぶ)った。それから、意を決したように、リュイセンに抱きついてきた。


「!?」


「わ、私は……、ちょっと優しくされたからって、誰にでもついていくような……、その……、……こ、子供じゃないんだから!」


 華奢な肩を震わせ、彼女は腕の力を強める。ぴたりと触れた体から、早鐘の鼓動が伝わってくる。


 ……その純情(不慣れ)な心こそが、危ういんだ。


 リュイセンは黄金比の美貌を歪め、渋面となった。


 なまじ、自分のほうこそ彼女に惹かれている自覚があるだけに、リュイセンにしてみれば、たちが悪い。


 どう言えば理解してもらえるだろうかと、頭を悩ませていると、背中に回された彼女の手が、すっと動いた。


 脇腹に近い、低い位置から斜め上に。


 肩先に向かって、爪先(つまさき)立ちになりながら……袈裟懸(けさが)けに。


「――!」


「分かっているわよ。リュイセンから見れば、私なんか、ずっと年下の子供で、危なっかしくて仕方ないんでしょう!? でも、私は、ちゃんと現実のリュイセンという人を見ているつもりよ」


 ぷうっと頬を膨らませながら、彼女は()ねたように唇を(とが)らせる。けれども、シャツ越しに感じる指先は、どこまでも優しく、彼の背中の刀痕をなぞる。


 彼女はこの傷跡を『勲章』と呼んで、彼の生き方を認めてくれたのだ。


 リュイセンの心に、横っ面を(はた)かれたような衝撃が走った。


「……アイリー、俺は……」


 思わず口を開いたものの、その先の言葉が続かない。


 彼女は、彼の背中を撫でていた手を自分の腰へと移した。そして、明らかに虚勢と分かる、強気の笑顔を振りまく。


「思ったんだけど、リュイセンって過保護だわ」


「!?」


「それから、責任感が強すぎるの。自分がしっかりしなきゃって、ひとりで頑張り過ぎちゃうのよ」


 口では毅然としながらも、サングラスの下の瞳は、ちらちらと不安げに、リュイセンの様子を窺っている。ただでさえ鼻眼鏡となっている上に、身長差があるため、目線が丸見えなのだ。


「だって、リュイセンは律儀で、生真面目で、融通が利かなくて、不器用で、要領が悪くて、損ばかりしていて、劣等感(コンプレックス)まみれで……」


 彼へと向かって、彼女が指先を伸ばす。


 懸命な爪先(つまさき)立ちで近づいてくる掌に、彼は無意識に惹き寄せられ、腰を(かが)める。すると、小さな両手が首の後ろに、するりと回された。


「――凄く、優しいの」


 彼の耳には、かすれた囁きを。


 彼の唇には、ぎこちない口づけを。


 精いっぱいの背伸びで、彼女は想いを紡ぐ。




 ――――!




 次の瞬間、彼女の体が崩れ落ちた。


「アイリー!」


 リュイセンは神速で、彼女を支える。


 筋肉(からだ)に触れていたから、分かる。


 倒れた原因は、無理な姿勢でバランスを崩したため。――そして、極度の緊張のため。


「無茶をするな。いくらなんでも、突っ走り過ぎだろう!?」


 腕の中のアイリーに、リュイセンは苛立ち混じりの低音を落とす。


 今までミンウェイひと筋だった彼は、特定の恋人を作ったことはない。しかし、それは女性と無縁だった、という意味ではないのだ。


 鷹刀の美麗な容姿を持つ上に、一族の後継者という立場がくれば、敬遠されることもあるものの、近づいてくる女だって、あとを絶たない。結果として、いったいどういう星回りなのか、修羅場(トラブル)の場数だけは踏んでいる。


 故に、いくらリュイセンが鈍くても、直感で分かる。


 アイリーの好意は本物でも、積極的な行為は無茶の証明(あかし)。――無茶の裏には、必ず理由(わけ)がある。


「……酷いわ、リュイセン。私は無茶なんて……」


 ぷうっと(むく)れようとして、彼女は失敗した。瞳から涙が(こぼ)れ、頬の空気が抜けてしまったのだ。


 リュイセンは、わずかに逡巡し、それから、アイリーの肩を抱き寄せた。禁じ手として封じていたことだが、ここで胸を貸さないのは人道に(もと)ると、自分を説き伏せた。


 小さな頭が、ことんと胸に寄りかかる。華奢な体は、彼の両腕の中に、すっぽりと収まった。


「……私ね、恋というものをしてみたかったの」


「――へ?」


 唐突な発言に、思わず(ほう)けた声が出た。


 しまったと、慌てて非礼を詫びようとしたら、あまりにも正直な反応だったためか、リュイセンが口を開くよりも先に、彼女がぷっと吹き出す。


「リュイセン、忘れちゃったの? 今のままだったら、私は血の繋がったヤンイェンお異母兄(にい)様と結婚させられちゃうのよ?」


「あ……」


 そういえば、ハオリュウを手駒にしたかった摂政は、『女王()が、異母兄との結婚なんて嫌。好きな人と恋愛をしたい、と言って泣いている』と説明して、女王の婚約者にならないかという話を持ちかけたのだった。


 てっきり摂政の作り話だと思っていたのだが、『女王()の涙』の部分に脚色を感じるものの、まったくの嘘でもなかったらしい。


 リュイセンは、どんな顔をしたらよいのか分からなかった。


「国民に対して、既に婚約の発表は()されているわ。ただ、『ライシェン』のこととか、カイウォルお兄様の思惑とか、いろいろ、ごちゃごちゃしていて、まだ正式な婚約の儀が済んでいない、というだけ」


「……」


 その状況は、リュイセンだって把握している。何故なら、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』と密接に関係する事柄なのだから。


 ただ、今までは、『女王』が赤の他人であったため、我不関焉(知ったことじゃねぇ)と思っていただけだ。


「私ね、小さいころ、相手がヤンイェンお異母兄(にい)様なら、恋愛はできないけど別にいいかなって、思っていたの。……ほら、話したでしょう? お異母兄(にい)様のお母様――私の伯母様に当たる方は、降嫁した婚家で〈神の御子〉を産むように強要され続けた、って。……お異母兄(にい)様となら、そんなことにはならないから」


 ぽつり、ぽつりと声を落とし、最後の台詞で、アイリーは複雑な笑みを浮かべた。見覚えのある諦観の表情(かお)に、リュイセンの心が痛む。


「でもね、お異母兄(にい)様がセレイエと出逢って、恋に落ちて。私は、恋というものに憧れたわ。ふたりの関係は、綺麗なだけじゃない、共犯者のような恋だったけど――でも、羨ましかったの。……だからね」


 不意に、彼女は強気の口調を取り戻す。


「リュイセンの『共犯者』になって、近衛隊を追い返したのは楽しかったわ」


「それで、あのとき、いきなり『共犯者』なんて言い出したのか」


 得心するリュイセンに、アイリーは「うん!」と、子供のように声を弾ませる。


「今日一日、リュイセンと一緒にいて、凄く楽しかったわ。夢だったドライブにも連れていってもらったし、女王様じゃない『私』と、リュイセンは、たくさん話をしてくれたの。――ううん、それだけじゃないわ」


 アイリーは顔を上げ、まっすぐにリュイセンを見つめる。


「リュイセンと出逢って、私は自分の未来を決めたの。――今まで、周りに流されるままに女王様になった私だけど、これから自分の意志で、『最後の王』になる、って」


 ぽん、と。


 黄昏の中に、白蓮の花が咲く。


 あり得ないはずの、景色が広がる。


「これだけのことがあって、私がリュイセンに寄せる想いが、どうして恋じゃないと言えるの?」


「…………っ」


 今日一日、リュイセンは彼女と一緒にいた。


 だから、知っている。


 彼女は、無邪気に夢見る少女ではない。


 真実を――現実を求める者だ。それ(ゆえ)に、鷹刀一族の屋敷を訪れたのだから。


 あどけなさのために見落とされがちだが、進むべき道を見誤らないようにと必死に足掻(あが)く、不器用で懸命な、立派なひとりの人間(ひと)だ。


「アイリー」


 リュイセンは名を呼び、彼女の肩を抱き寄せる。身の丈に合わない重責を負った、双肩を。


「俺にも、お前にも、背負っているものがある」


 彼の言葉に、緊張の面持ちの彼女が、こくりと頷いた。


「俺は『最後の総帥』への道を、自ら望んで引き受けた。その責を果たすことは、俺の誇りだ。……そして、お前は、俺よりもずっと大変な『最後の王』を選ぶという」


「わ、私も、誇りを持って責任を果たすわ」


 声を震わせながらも、強気の口調で応える彼女に、リュイセンは口元をほころばせる。


「俺たちは、決して自分の立場から逃げることはできないし、逃げる気もない」


 貴族(シャトーア)を捨ててルイフォンのもとに飛び込んでいったメイシアと、一族を抜けて『鷹刀の対等な協力者』となったルイフォンのように。


 あるいは、自由民(スーイラ)となったシュアンと、彼と共に()ることを決めたミンウェイのように。


 身ひとつで動き回れる、自由な恋人たちにはなれない。




 だからこそ築くことのできる、特別な絆だってあるはずだ。




「アイリー、俺たちは『共犯者』になろう」


「……え、う、うん! ……でも、どんな『共犯』なの?」


「自分の運命を、自分で決める共犯者だ」


 そう言って、リュイセンは、目線のまるで違うアイリーをふわりと抱き上げる。


 そして、きょとんとしている彼女から、先ほど奪われた唇を奪い返した。






 黄昏色の世界を、ふたりで並んで歩く。


 長身の彼と、小柄な彼女と。


 高さの違う指先が、互いに互いを求め合う。その足元からは、長く伸びた影が重なり合い、ふたりの行く手で寄り添っていた。






~ 第四章 了 ~





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