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8.久遠の黄昏-2

 いくら夏の日が長くとも、永遠に陽が沈まないわけではない。


 物悲しい気持ちを抱えつつリュイセンは帰路へと車を走らせていた。


 目的地は、神殿の隣にある庭園。そこに、神殿の『天空の間』へと繋がる、秘密の通路の入り口があるのだと、先ほどアイリーが教えてくれた。


 彼女の脱走(お忍び)は既にばれているので、直接、王宮に向かうことも考えた。しかし、摂政と鉢合わせの可能性があるため、予定通り、こっそり神殿に戻ることにしたのだ。


「ねぇ、リュイセン。私が最後の王になるのは決定だとしても、国民に対して、いい加減なことはできないわ。そもそも、『国』って、なんなのか――女王様のくせに、私はちゃんと分かっていないと思うの。まずは、そこから勉強しないと」


 助手席のアイリーが、興奮気味に口を開く。


「私が賢くなるまでは、お兄様たちに『最後の王』のことは秘密だわ。カイウォルお兄様には一笑に()されるだけでしょうし、ヤンイェンお異母兄(にい)様だって、やんわり(たしな)めると思うの」


「俺も、次期総帥の位に就いてから、本当に知らないことだらけだと思ったよ。ずっと勉強の毎日だ」


「リュイセンもなの!?」


 彼女は「お互い、大変ね」などと言いながらも、実に楽しそうに笑った。


 ほんの数十分前に思いついた、『最後の王』計画は、現状では、ただの夢物語だ。けれど、何ごとも望まなければ叶わない。


 リュイセンは、ほのかに胸を弾ませつつ、この時間の終わりを惜しんでいた。今度、逢えるのはいつだろうかと思いを巡らせながら、彼女の横顔を瞳に灼きつける。


 そして――。


 異変は、神殿の尖塔が見え始めたころに起きた。


「――っ」


 リュイセンは、本能的な恐怖を覚えた。悪寒が走り、全身から冷や汗が吹き出す。


 彼は周囲に視線を走らせた。だが、車窓からの眺めは極めて普通の街並みで、バックミラーに映る風景にも、なんら異常は見当たらない。


 ――どこにいる?


 目視では、まだ確認できていない。


 けれど、自身の生命を(おびや)かす存在を、確かに感じた。


「リュイセン? どうしたの?」


 彼の様子がおかしいことに気づいたのだろう。アイリーが、シートベルトをいっぱいに伸ばして顔を覗き込んできた。だが、すぐに、何者かの襲撃の可能性に思い至ったらしい。彼女は表情を固くして、さっと身を低くする。


「……すまん。嫌な気配を感じるんだが、位置を掴めない」


 空調を効かせた車内とはいえ、背筋が凍りつくような感覚は尋常ではない。それでいて、相手の場所が分からないとは、初めての経験だった。


 ――こっちは車で移動しているんだぞ? 何故、ずっと同じように気配を感じる?


 事態を把握できず、リュイセンは焦燥に駆られる。


 敵も車に乗っていて、追いかけてきているのだろうか? ――彼はそう思い、アクセルを踏み込む。だのに、気配を振り切るどころか、むしろ近づいたような気がした。


 ――どういうことだ……?


 もうすぐ、目的地に着く。


 しかし、謎の敵に狙われているのであれば、迂闊にアイリーを車から降ろすわけにはいかない。


「リュイセン、顔色が悪いわ……」


 かがんだ姿勢のまま、アイリーが心配そうに呟く。その彼女だって青ざめている。一騎当千の猛者であるリュイセンが、脂汗を(にじ)ませているのだ。不安になって当然だろう。


 彼女を安心させようと、彼は、更に加速しようとして……。


 ――――!


 直感が警鐘を鳴らした。


 正面だ!


 リュイセンは秀眉を逆立て、漆黒の(まなこ)を見開く。


 その視界に映るものは――。


「神……殿……!」


 天空神フェイレンを(まつ)った、この国の信仰の象徴。王宮とはまた違った意味で、国の中枢を担う場所である。


 黄昏の光を浴び、白亜の建造物は神々しいばかりに黄金色に輝く。大華王国が誇る、優美な神の宮に向かって――。




 リュイセンは総毛立てた。




 この不快な感覚の正体が分かったのだ。


 彼は、慌てて急ブレーキをかけた。落ち着かなければと、路肩に車を停める。


「神殿が、どうしたの?」


 緊張の面持ちで、アイリーが尋ねた。『神殿』と呟いたあと、不可解な挙動をしたリュイセンに困惑しているのだ。


 無理もない。


 神殿は、神の代理人たる王の、第二の居城。アイリーにとっては、王宮での政務に掛かり切りの、口うるさい摂政()の目を(のが)れることのできる、居心地のよい別荘だ。


 リュイセンは、どことなく申し訳ない気持ちになりながら、乾いた声で告げる。


「神殿に『いる』んだ」


「え? 何が『いる』の?」


「〈冥王(プルート)〉が。……鷹刀(俺たち)を喰い続けた、化け物が」


 この感覚は『殺気』というよりも、リュイセンの内側から生じる、純粋な『恐怖』に近い。


 たとえ千の敵を前にしても動じることのないリュイセンであるが、地震や大嵐といった、人の力では抗うことのできない自然の脅威を前にしたら、さすがに足がすくむ。――そういう類の感情だ。


冥王(プルート)〉は、鷹刀一族の遺伝子に刻み込まれた鬼門。


 少し前、一族とは縁を切ったはずの兄レイウェンが、祖父イーレオに相談を持ちかけてきた。自ら鷹刀の名を捨てた兄が祖父を頼ったのは、一族を抜けて以来、初めてだったように思う。


 なんでも、兄の娘――すなわちリュイセンの姪であるクーティエが、女王の婚約の儀の舞姫に選ばれたらしい。その関係で、儀式を司る神殿に行ったら、彼女は得も言われぬ恐ろしさを味わったのだという。


 この原因について、心当たりはないかと、レイウェンはイーレオに問うたのだ。


「祖父上は『〈冥王(プルート)〉は、今もなお、鷹刀の血を引く者を喰らおうとしているのだ』と、言っていた」


 両親が血族婚ではないクーティエは、生粋の鷹刀ではないが、それでも戦慄が止まらなかったという。半分だけ血族のクーティエでこうなのだから、生粋の血を持つリュイセンなら言わずもがなだろう。


「そんな……」


 アイリーは顔色を変え、それから、すぐにリュイセンへと身を乗り出した。


「リュイセン、大丈夫? 私は、どうすればいい?」


「別に危険はないんだ。祖父上によれば、『そういうもの』だと慣れてしまえば、そのうち気にならなくなるらしい」


「そうなの?」


 腑に落ちない表情(かお)で小首をかしげるアイリーに、リュイセンは「大丈夫だ」と重ねる。


「近づかなければ、喰われることはないと聞いている」


「でも……」


「ええと、祖父上は『自然災害の映像を見ているようなもの』だと言っていた。()(すべ)もない脅威に畏怖を覚えるけれど、現実の俺の身に害が及ぶわけじゃない」


 全身が粟立つような感覚を封じ込め、リュイセンは、自分に言い聞かせるように口角を上げる。


 もうすぐ、アイリーとの別れの時間だ。見送りの際には、心から笑って手を振りたい。だから、こんなつまらぬことで、顔を曇らせていてはいけないのだ。


「分かったわ」


 アイリーが、きゅっと口元を引き締めた。きらきらと輝く青灰色の瞳は、何かを思いついた証拠だ。


「今すぐは無理だけど、いずれ〈冥王(プルート)〉を破壊しましょう。ルイフォンに、そう伝えて」


「なっ!?」


「だって、リュイセンの気分が悪くなるのは嫌だもの。それに、〈冥王(プルート)〉の破壊は、セレイエとルイフォンのお母様の願いだったはずよ。そのために、〈ケルベロス〉という手段まで用意してくれたんでしょう?」


「それは、そうなんだが……」


 鷹刀一族にとって、()むべき存在の〈冥王(プルート)〉だが、王族(フェイラ)のアイリーにとっては、先祖から受け継いできた大切な遺産のはずだ。


 戸惑うリュイセンに、アイリーが強硬に告げる。


「〈冥王(プルート)〉は、役目を終えたのよ。だから、天空(そら)に還すの。――最後の王になる私が、そう決めたの」




冥王(プルート)〉は、他人から『情報を読み取る』能力を持った、王族(フェイラ)のために作られたもの。彼らの脳に掛かる負荷を肩代わりして、彼らの命を守るために。


 けれど、もう、そんな悲しい能力を持った子は生まれない、生まれてはいけない……。




 強気に微笑む横顔からは、そんな祈りが聞こえた。


「そうだな。俺も、〈冥王(プルート)〉は破壊するのがいいと思う」


「ありがとう!」


 リュイセンの相槌に、アイリーが、ぐっと間合いを詰めてきた。鼻先をかすめる白金の前髪に、どきりと心臓が跳ねる。


 それでも、無邪気に近づいてくる肩を抱き寄せてはならないのだ。


 それは、(スジ)の通らぬことであるから――。



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