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大気の絆

「シャンリー、今日はお疲れ様」


 風呂上がりの髪を適当に拭きながら居間に入ると、レイウェンが手招きをしてきた。待っていたよ、と言わんばかりの笑顔を浮かべる。


 ラフな夜着姿でも、彼の魅力は損なわれない。むしろ、飾らない素朴さこそが彼を引き立てる。我が娘クーティエが『父上以上の男はいない』と言い切るのも無理はない。――まぁ、そんな可愛らしい発言は、じきに撤回されるだろうけれど。


 私がソファーに座ると、彼はふたつのグラスにボトルを傾けた。ありがたく受け取り、どちらからともなく軽く(ふち)を合わせる。


 澄んだ音が響いた。


 レイウェンが、穏やかに口元を緩める。生まれたときから隣にいるような私でも、どきりとしてしまう魅惑の微笑だ。


「ご機嫌だな、レイウェン」


「そりゃあね。シャンリーもだろう?」


「ああ、勿論だ」


 ――ユイラン様とリュイセンが和解した。


 正確には、あれを和解とは言わないのかも知れないけれど、確実にふたりの関係は変わったはずだ。


 私がグラスを空ければ、彼がまた次を注いでくれる。その彼も、既に二杯目だ。


 つまみはチーズとサラミ、ナッツ類、そして更によもぎあんパンまで、豊富に用意してある。今日は心ゆくまで呑もう、ということだろう。


「そういえば、母上が鷹刀の屋敷を出た、本当の理由をリュイセンに教えたんだって?」


「げほっ」


 思わず私が咳き込むと、レイウェンが優しく背中をさすってくれた。


 彼の目は、決して責めたりはしていない。けれど、この件は大人たちの間で秘密にしておく約束だった。


「すまん!」


 申し開きは性に合わない。私はテーブルに額をこすりつける。


「気にすることはないよ。君が言わなければ、いずれ俺が言っていただろうからね」


 相変わらずの柔らかな口調だが、レイウェンの一人称が『私』から昔の『俺』に戻っている。


 彼は、天井に憂いの目を向けた。二階にいらっしゃるユイラン様を見ているのだ。


「母上は『偽悪者』だからね。でも、それは周りも本人も不幸にするだけだ」


「そうだな。ユイラン様の優しさは誤解されやすいからな……」


 私の脳裏に当時のことが蘇った――。






 鷹刀を抜けたあと、レイウェンと私は何を生業にして生きていくか。


 幸い、私の舞い手のしての知名度はそこそこあったから、それを活かすべきだった。そして私たちは、ユイラン様への恩返しも兼ねて、服飾会社を興すことを思いついた。それまでの生活から考えれば突拍子もなく感じられるだろうが、私の剣舞の衣装はユイラン様とレイウェンの技術の結晶なのである。


 ユイラン様は、凶賊(ダリジィン)の家に生まれていなければ、間違いなく服飾の道に進んだような方だった。可愛らしいものが大好きで、特に女の子の服や小物を作るのが好き。実の子が息子だけで、娘も同然の私がこの通りなのは本当に心苦しかった。


 けれどユイラン様は、私に少女らしさを強要することはなかった。それどころか、鍛えまくった結果として、やたらと太く成長した私の腕や腿を無理なく動かせる服を作ってくださった。もしユイラン様がいらっしゃらなければ、私は一日中道着で過ごす羽目になっていたことだろう。


 そしてレイウェンもまた、私の衣装に一役買っている。舞には、どうしても衣服に負担のかかる激しい動きが入る。ユイラン様のデザインで、ある程度の余裕は確保できるのだが、美しく見せるためには、衣装に緩みをもたせすぎるわけにはいかない。体にフィットしている必要がある。


 だから彼は「君を束縛する生地のほうがいけないんだよ」と伸びのよい新素材繊維を作ってしまった。鬼神のように強い彼だけど、本当は研究者肌なのだ。


 そんなわけで私たちは、機能的なファッションをコンセプトに、少し変わった服飾会社を立ち上げた。独立するのにユイラン様のデザインに頼るのはおかしな気もしたが、そこはきっちり『雇用』という形をとることで許してもらった。ユイラン様は嬉しそうに笑ってらしたから、たぶん間違った判断ではなかったろう。


 私たちは当然、ふたりきりで鷹刀を出るつもりだった。ユイラン様には屋敷から通っていただこうと思っていた。






「シャンリー」


 ふと、レイウェンが私の名を呼び、私は現実に引き戻される。


「参考までに聞きたいだけだけど、リュイセンにはなんて言ったんだい?」


「……言わなきゃ駄目?」


「駄目」


 ばつの悪そうな私の上目遣いを、どこまでも甘やかで魅惑的な声が、容赦なくばっさりと斬り捨てる。


「もっと優しい言い方もあったはずだと、自分を責めているんだろう?」


「なんで分かる!?」


「君のことだからね。――こういうときはね、俺に言ったほうが気が楽だよ?」


 優しく穏やかに。綺麗な顔でレイウェンは笑う。


 イーレオ様やエルファン様とは、まったく雰囲気が違うけれど、彼もまた、有無を言わせぬ魅了の力を持った鷹刀の直系なのだ。逆らうことなど、できるわけがない。


「……レイウェンが鷹刀を抜けることが決まったとき、皆が一番心配したのは、代わりに後継者となるリュイセンのことだった、と言ってしまったんだ」


「ああ、それは事実だから、君が気にすることはないよ。リュイセンにはショックだったかもしれないけど、その程度のことは軽く跳ねのけられなければ、上に立つ資格はないよ」


「けど……!」


 レイウェンは、厳しい。けれど、その裏にあるのはリュイセンへの信頼だ。


 私以外、誰も知らないことだが、レイウェンはずっと、後継者の座をリュイセンに譲ろうと考えていた。それは、セレイエを鷹刀から遠ざけた、あの事件に起因している。


 レイウェンと私は、セレイエを守ってやれなかった。だから、キリファさんとセレイエは鷹刀を去り、リュイセンという生まれるはずのなかった弟が望まれた。


 そんな誕生は不幸すぎる。それが理解できるくらいに私たちが大人になったとき、レイウェンは後継者であることを捨てて鷹刀を出ていくことを決め、私も協力すると誓った。私たちはリュイセンから、兄の影に沈む運命を取り払うことにしたのだ。


 私が外の世界で活躍できるようにと、レイウェンが鷹刀を抜けたのは真実だ。ただ、結果としてリュイセンが後継者になったのではなく、リュイセンを後継者にするための手段として、私は凶賊(ダリジィン)であることが惜しまれるほどの舞い手となり、レイウェンが親父殿に勝って一族を黙らせたのだ。


「ユイラン様が私たちと一緒に鷹刀を出たとき、リュイセンはまだ、今のクーティエとたいして変わらない歳の子供だった。リュイセンは酷い母親だと感じただろうが、ユイラン様のほうは身を裂かれるようなお気持ちだったと思うよ……」


「でも、母上から言い出したんだから仕方ないよ」


 後継者となるリュイセンのために、何をしてやれるか。


 ユイラン様の提案に、皆が唖然とした。


『ルイフォンに、リュイセンの片腕になってもらいましょう』


 このふたりがいつの間にか仲良くなっていたことを、ユイラン様はご存知だった。


 そして、更にこうおっしゃったのだ。


『私がいると、ルイフォンは屋敷に来にくいでしょうから、私はレイウェンたちと一緒に出ていくわ』


 ユイラン様は、自分よりもルイフォンのほうが、リュイセンに必要な人間だと言って譲らなかった。そのくせ、リュイセンが自分でルイフォンを迎えに行くまで、他の者は何もすべきではないと主張した。


『お仕着せの片腕なんて、意味がないわ。リュイセンが自分で選び、ルイフォンに応えてもらわないとね。だから私がするのは、いつでもリュイセンがルイフォンを呼べる準備、よ』


 まさか、キリファさんが亡くなったことが、リュイセンが動き出すきっかけになるとは思わなかったが、母親を失って廃人となっていたルイフォンを、リュイセンは自らの意思で屋敷に招いた。


「ユイラン様のご判断は、本当に正しかったな。ルイフォンも、奴が選んだメイシアも、なかなかやってくれる」


「俺としては、義父上に申し訳なかったんだけどな……」


「親父殿に?」


 何故、ここで親父殿が出てくるのだろう?


 私が首を傾げると、レイウェンはほんの少しだけいたずらな子供のような顔をした。普段なら見せない表情だ。


「義父上は――チャオラウは、ずっと昔から、母上のことが好きなんだよ」


「え!? だって、主君の、エルファン様の妻だろう?」


「それでもだよ。……だから、未だに独身なんだ。それに、父上と母上は仕方なく夫婦になっただけだ。互いに尊敬はあっても、愛はないよ」


 ほろ酔い気分が、一気に冷めた。まさかと思う。


「母上が鷹刀の屋敷を出るということは、チャオラウから母上を引き離す、ということだった。申し訳なかったな……」


「……」


 親父殿は叔父であるが、実の両親の記憶がまったくない私にとっては、実の父親と同じだ。――親の想いなど、考えたこともなかった。


「シャンリー」


 レイウェンが静かに、けれど力強く言葉を紡ぐ。


「俺は、何もかもがこれからだと思っているよ。母上とチャオラウの仲も、リュイセンの行く道も、セレイエのことも……」


「……ああ」


「俺はね、君と一緒だから、なんでもできる」


 優しい夜闇の瞳が、私を惹き込む。甘やかな声が、私の心に溶けていく。


「最愛の君が居るから、俺は無敵だ。――これからも頼むよ」


 穏やかな微笑みが、空気を変えていく。


 レイウェンは大気だ。気づけばいつだって、彼に包み込まれている。


「勿論だ」


 目も見えぬ赤子のころから、私たちは共に居た。言葉も知らぬときから、肌で語り合っていた。


 ――だから私も、彼と共に大気になるのだ。






 私たちは鷹刀を離れた。


 それは、決して一族を捨てたのではない。シャオリエ様と同じ。外から守るためだ。


 鷹刀の屋敷を出るとき、レイウェンは私に言った。


 心が繋がっていれば、いつだって俺たちは一族だ、と。



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