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4.猫の足跡を追って-3

 窓硝子の向こうで、風が流れた。


 白く幽玄な花びらが、夜闇に浮かび上がる。ちらり、ちらり、(あで)やかに踊る。


 桜の木が根を下ろしているのは、広い庭の向こう側であり、枝はここまで届きはしない。


 それでも、この庭で花びらが舞っているのは、いたずらな春風がさらってきたからである。


 そして、窓硝子のこちらでも――。


 舞い込んできた小鳥が一羽、自分の置かれた状況を理解できず、小首をかしげていた。


「お前は、誰のシナリオで踊っているんだ?」


 しなやかで鋭い、獲物を狙う猫のような瞳で、ルイフォンは尋ねた。


「え……?」


「『花嫁』のお前が凶賊(ダリジィン)の毒牙にかかろうとしているんだぜ? おかしいだろ?」


「あっ……」


 メイシアは小さく叫び、口元を抑えた。


 まさに、ルイフォンの指摘通りだった。


 厳月家がメイシアを花嫁として迎えたいのなら、彼女が凶賊(ダリジィン)の屋敷に行くなんて、言語道断だ。


「事態は厳月家のシナリオ通りに進んでいない、ってのが、分かるよな?」


「はい」


「じゃあ、どこから変更されたのか?」


 ルイフォンは両肘をテーブルに付き、組んだ両手の上に顎を載せた。端正なはずの顔は、獲物を追い込んでいく獣の顔になっている。メイシアは無意識に身を引きながら推測を口にした。


「私が、この屋敷に来たところから――、……いいえ、違う」


「ああ、違うな」


 言いかけた意見を取り消したメイシアに、ルイフォンが同意する。


「父が斑目一族のところへ行ったところから、ですね」


「おそらく」


 そう、鋭い声がメイシアに応じた。


「厳月家は、お前の父親から『お前を嫁に出す』という約束を取り付けたかったはずだ。もしくは、衣装担当家の辞退。どちらにせよ、お前の父親が家から出るなんてことは望んでいなかった」


 ルイフォンは、癖のある前髪をくしゃりと掻き上げた。


「メイシア、そろそろ、お前の知っていることを話してくれないか? 《(フェレース)》は議事録や通信記録を荒らすのは得意だが、現場のことは何ひとつ見ていないんだぜ?」


「え? 私の知っていること?」


 メイシアは目をぱちくりとさせた。


 知っていることなどなにもない、と言いたげな彼女に、ルイフォンは噛み砕くように言う。


「まず教えてくれ。お前の父はどうして斑目の屋敷に行くことになったんだ?」


「すみません。私も詳しい経緯は知らないのです。ただ、父が単身、斑目一族の屋敷に行って囚えられてしまった、とだけ、継母から……」


「ふむ」


 顎を触りながら、ルイフォンは思案する仕草を見せた。


 メイシアもまた思考を巡らせ、継母から伝えられたときのことを思い出す。


「――父がひとりで行動することはありません。警護の者がつくはずです。継母も行き先を知っていたことから考えると……斑目一族に、ひとりで来るように指示された……?」


「その可能性が高いな。ということは、今のシナリオは斑目のものだ」


 そう、ルイフォンが断定した。


 大きく遠回りをして、また振り出しに戻ったようである。結局のところ、メイシアの敵対する相手は斑目一族ということらしい。


「斑目が厳月家を裏切ったな」


 ルイフォンが吐き出すような溜め息をついた。


 彼は、くしゃくしゃと前髪を掻き上げたかと思ったら、その手で額を抑えた。そのまま音を立ててテーブルに肘をつき、頭を抱える。そんな彼の行動は、メイシアの目には奇妙に映った。


 いったいどうしたのだろう、と不審に思う彼女の顔を、彼がちらりと伺う。彼女を見る目は、どこか申し訳なさそうで、わずかに憐れみも混じっていた。


「もう一度、訊く。どうして、お前は鷹刀に来たんだ?」


 ルイフォンは体を起こし、問い質すように尋ねた。


 メイシアは、はっと顔色を変えた。あの女の出現が偶然などではない可能性に気づき……次の瞬間に可能性は確信に変わった。


「……人に、聞いたのです。『凶賊(ダリジィン)に対抗するなら、凶賊(ダリジィン)を頼るしかない』と」


 メイシアの声は震えていた。


 ルイフォンの目がすっと細まる。


「『誰に』、聞いたんだ?」


「継母のところに出入りをしている仕立て屋です。『裕福な凶賊(ダリジィン)の屋敷にも出入りしているから、彼らの性質はよく知っている』と言っていました」


「その仕立て屋の名は? お前のよく知っている奴なのか?」


「ホンシュアという名で、私は初めて会いました」


 仕立て屋らしく、体にぴったり合った上等なスーツを着こなしていた。隙のない立ち姿に、ねっとりと絡みつく蛇ような目線。綺麗に引かれた真っ赤な口紅は血の色を思わせた。


 継母の採寸に来たのだが、来客中だったため庭で時間を潰しているところだと、彼女は言っていた。


「『斑目一族に対してなら、敵対している鷹刀一族に力を借りればいい』と彼女は言いました。『凶賊(ダリジィン)は互いに潰し合いたがっているから、きっと喜んで手を貸してくれる』と」


 そこでメイシアは言葉を切った。ルイフォンが気を悪くするかと思ったのだ。


 案の定、彼は眉を寄せていた。けれど、続きを促すように目が指図する。


「『私には財産を動かす権利はない。だから雇うことはできない』と言ったら、『女なら、できるでしょう? 男たちには使えない方法が、ね? 特に鷹刀一族なら、そっちのほうが喜ばれるわ』そう教えられたのです」


「…………」


 ルイフォンは再び頭を抱えていた。


「ルイフォン……?」


「……ああ、いや……。親父の奴、嵌められたな。と、なると、エルファンとリュイセンが出掛けている隙だってのも、計算のうち……」


 ぶつぶつ言いながら、ルイフォンは頭を掻きむしっていた。


「あの……。ホンシュアは斑目一族の手先だった、ということでしょうか?」


 緊張の面持ちでメイシアは尋ねる。


 彼女とて、ホンシュアが善意で物を言っているとは思っていなかった。だが単に、対岸の火事を楽しんでいるだけの輩に見えたのである。


「確証はないが――十中八九、間違いない。お前は斑目によって、意図的に鷹刀に送り込まれたんだ」


 ルイフォンが盛大な溜め息と共に、結論を吐き出した。彼は隣りに座るメイシアに、なんとも言えない顔を見せる。


「ひょっとしたら、藤咲家は、鷹刀と斑目の抗争に巻き込まれただけかもしれない。……すまない」


「いいえ。この状況に陥ったのは藤咲家の落ち度です」


 頭を下げるルイフォンに、彼女は首を横に振った。彼女の白磁の肌は透き通るようで、黒絹の髪は濡れたように(つや)やか。まだ少女の面影を残しつつも、花開く直前の危うい美しさを秘めた彼女は、とても生身の人間には思えなかった。


 彼女は、穢れのない綺麗な――『人形』だった。


 ルイフォンは、ふと窓の外に目をやった。


 外灯が青白く照らす庭の中で、桜の花びらが、ひらひらと舞っている。今日は風が強いらしい。花の盛りも、あと数日といったところだろう。 


「――だが、どうして斑目は、厳月家を裏切ってまでメイシアを送り込んできたんだ……?」


 そう呟くルイフォンに、メイシアは答える言葉を持たなかった。




 ふたりが黙ってしまったところで、香ばしい肉の香りが漂ってきた。話の区切りがつくのを待っていたのであろう。料理長自らが湯気の立つ皿を持って現れた。給仕はもう部屋に下がっているらしい。


「おお、美味そうだな」


 揚げ焼きにした豚肉の塊に、同じく軽く揚げてある色鮮やかな野菜が添えられ、全体に甘酢あんが絡めてある。料理長はその皿をテーブルに載せると、続けてご飯とグラスを置いた。


 色の濃い、長期間熟成させた酒と思しき瓶を料理長が取り出す。それをグラスに注ごうとするのをルイフォンが遮った。彼が料理長に耳打ちすると、料理長は軽く会釈をして厨房に戻っていった。


 メイシアが疑問に思っていると料理長が再び現れた。今度は綺麗な色の瓶とワイングラスをふたつ持っている。


「酒のほうが、料理には合うんですけどね」


 そう言いながら、料理長はふたつのグラスにワインを注ぐ。


「すまないな」


「仕方ないですね」


 申し訳なさそうなルイフォンに、料理長は笑いながら応じた。


「当たり年のワインです。口当たりがいいですから、そちらのお嬢さんも、きっとお気に召しますよ」


 料理長は「ごゆっくり」と頭を下げると、腹を揺らしながら彼の持ち場へと帰っていった。


 メイシアは自分の前に置かれたグラスとルイフォンを交互に見た。


「まぁ、飲め」


 初めに料理長が持ってきた酒は相当きついものに見えた。察するにルイフォンはかなりの酒豪なのであろう。


「……ルイフォン、未成年ですよね?」


「お前、俺の酒が飲めないのか?」


 ルイフォンの目が、すっと細まる。メイシアは慌てて首を振った。


「いえ、食前酒くらいならいただきます」


 彼女は、そっとグラスを手に取った。硝子の繊細な感触が指を伝わってくる。


 ルイフォンの視線を気にしつつ、メイシアは恐る恐る口をつけた。唇に柔らかな液体を感じ、思い切ってそれを含む。癖のない、まろやかな甘さが舌を転がった。


「え? 美味しい」


 メイシアは素直にそう思った。一気に飲み干してしまう。


「だろ?」


 自分も飲みながら、ルイフォンが得意げに笑う。「では、もう一杯」と彼が手ずから、ふたつのグラスに注いだ。


 ルイフォンが食事をしている横でメイシアは二杯目を口に含む。彼が上機嫌なのは料理が美味しいからだけではなさそうだった。


 ふと、ルイフォンが尋ねた。


「お前、どうして、そこまで必死になれるんだ?」


「え? 何がですか?」


「異母弟のことだよ。母親が平民(バイスア)なんだろ? 貴族(シャトーア)なら毛嫌いしていたとしても不思議じゃない」


「私は、おかしいですか?」


 メイシアはワイングラスに映った自分の顔を見る。半分しか血の繋がらない異母弟とは、ちっとも似ていなかった。


「私の母は政略結婚で、父とは上手くいかず、私が小さい頃に実家に戻りました。私には両親と一緒の思い出はひとつもありません」


 ルイフォンは皿に箸を運びながら、黙って頷いた。


「傷ついた私と父を支えてくれたのが継母です。私を実の娘のように可愛がってくれて、父と三人の幸せな家族でした。そこに、ハオリュウが増えたんです。小さくて可愛くて――私が守ってあげなくちゃいけないと思いました」


 生まれたばかりの異母弟を見たときの感動を、メイシアは今も鮮明に覚えている。この小さな命には寂しい思いをさせたくないと思ったのだ。


「でも、私とハオリュウの関係は、必ずしも優しいものではなかったんです」


「……そうだな」


 貴族(シャトーア)の跡継ぎは男子であるのが原則だが、平民(バイスア)出身の継母の子であるハオリュウより、身分の高い貴族(シャトーア)の母の子であるメイシアに然るべき婿を迎えて跡継ぎとすべきだ、と親族が声を上げている。それは《(フェレース)》として調査したルイフォンも知っていた。


「私の存在がハオリュウをおびやかすなんて……」


 メイシアはこみ上げてくるものをぐっと抑えた。誤魔化すように、グラスに残っていたワインをあおる。


「……家族の中で、異質なのは私じゃないですか。ハオリュウは、ちゃんと血の繋がった父と継母の子で――。私はこの家族に加えてもらった『異邦人』なんです」


「おい……? メイシア?」


 空のグラスに新たなワインを注いでいるメイシアに、ルイフォンが不審の声を上げる。嫌な予感がした彼は、空になっている自分のグラスとメイシアのグラスをすり替えた。


「私が鷹刀一族のところに行けば解決すると聞いて、嬉しかったんですよ。ふたりが助かる上に、私はハオリュウをおびやかす存在でなくなるんだ、って……」


 メイシアの黒曜石の瞳に、淡い電灯の光が揺らめく。


 ああ、そうか――と、彼女は思った。


 彼女はずっと、家族の役に立ちたかったのだ。家族のために働けるなら、家族の一員として胸を張ってよいのだから、と――。


 メイシアはワイングラスの脚に細い指を絡め、(ふち)に唇を寄せた。それは運命の神への感謝の口づけのようであった。


「お前、顔が真っ赤だぞ!」


 とろりした恍惚の微笑みを浮かべるメイシアに、ルイフォンが血相を変える。


「ルイフォン、ありがとうございます」


 極上の笑みを浮かべて彼女は、ふっと力を失った。


 彼は、とっさに空のグラスを取り上げ、彼女の上半身を抱きかかえた。


「おい……嘘だろ?」


 ルイフォンは呆然とする。


 そのとき、彼は食堂の入り口に人の気配を感じた。ぎくりとして、首を回すとそこにいたのは想像通りの人物だった。


 罵声を浴びるルイフォンの腕の中で、メイシアは久し振りに――本当に久し振りに、心地のよい眠りの世界に落ちていった。






~ 第一章 了 ~

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[良い点] 第一章 桜花の降る日に 読了にての感想 全体的な雰囲気が良い意味で韓国ドラマを連想させる。群像劇であり恐らく少年、少女どちら側からも語られているはずだが、滑らかなサイドの切り替えによるも…
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