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9.蒼天への転調-3

 屋敷をぐるりと囲む高い外壁が、重圧感を持ってそびえ立つ。硬い煉瓦の質感は天まで続き、その先には青く澄んだ空が広がっていた。


 昨日とはまるで違う穏やかな陽射しの中で、門衛たちは今日も鉄格子の門を守る。


 ここ数日、貴族(シャトーア)の娘が現れてからというもの、近年に類を見ないほどの騒動が続いていた。しかし振り返ってみれば、鷹刀一族には、なんの被害もなく、仕掛けてきた斑目一族のほうが大きく力を削がれたという――。


 下っ端である門衛たちには、にわかには信じられないが、上の者たちがそうだと言うのなら、きっとそうなのだろう。


 しかし、この快挙に大きく貢献したルイフォンが、屋敷を出ていってしまった。


 引き取られた当初は、傍系だと軽んじられたものだが、持ち前の性格と頭脳で、彼はすぐに皆に愛される存在となった。凶賊(ダリジィン)、使用人を問わず、彼を弟のように、あるいは我が子のように可愛がっていた。


 この門衛たちも例外ではなく――だから彼らの心は、火が消えたようにどこか空虚なのである。


 門衛たちは、誰からともなく溜め息をつく……。


 ――こうして彼らが、のどかで穏やかなだけの寂寥感を享受していたとき。


 ふと。


 遠くから、人影が近づいてきた。


 門衛たちは、まさかと目を見張る。


 決してひ弱ではないけれど、少年らしさの残る細身の体躯。やや前のめりの、猫背で特徴のある歩き方……。


「ルイフォン様……?」


 傍らに、花のような美少女を連れている。いわずもがな、彼を追いかけていった貴族(シャトーア)の娘、メイシアだ。


 門衛たちは肩を叩き合い、叫び、喜び、慌てて執務室に連絡を入れる。


 そうこうしているうちに、ルイフォンとメイシアが到着した。


 そして――。


「ただいま」


 抜けるような青空の笑顔で、ふたりが笑った。






 ルイフォンがメイシアを伴い、屋敷へと続く長い石畳を歩いていると、玄関扉が勢いよく開かれた。


 ひとりの男が、血相を変えて飛び出してくる。肩までの、さらさらとした黒髪は乱れ、黄金比の美貌には複雑な色合いが浮かんでいた。


「ルイフォン……!」


「よぅ、リュイセン」


 ルイフォンが、軽く手を上げる。


 年上の甥にして、兄貴分。次期総帥エルファンの次男であり、一族を抜けた長兄に代わり、いずれは総帥位に就く後継者――リュイセンだった。


「何故、戻ってきた?」


 険もあらわに、リュイセンの静かな低音が響く。斬り裂くような眼光に、メイシアが、びくりと震えた。


 ルイフォンは、彼女を庇うように一歩前に出て、リュイセンとまっすぐに向き合う。


「親父やエルファンは黙認してくれても、お前だけは怒っていると思っていたよ」


 言葉の内容とは裏腹に、ルイフォンは臆することなく、堂々と胸を張る。


「俺は『責任を取る』という言葉で飾って、自分を正当化して屋敷を出た。けど、それは結局『逃げ』に過ぎなかった。――お前は、見抜いていたんだろう?」


 軽く顎を上げてルイフォンが尋ねると、リュイセンは黒髪を肩で滑らせ「ああ」と頷いた。


 予想通りの返答に、ルイフォンは小さく息を吐く。


「だから、卑怯者の俺を、お前は許さない。違うか?」


「お前をとっ捕まえて、『投げ出すな』と殴り倒して連れ戻そうかと思ったぞ」


 長身から落とされる冷酷な声には、明らかな憤りを含まれていた。しかし、決して荒立つことはなく、祖父や父にそっくりの魅惑の(つや)を保っている。


 ――と。リュイセンの目線が、すっと動き、メイシアを示す。そこには敵意はなく、むしろ敬意に近いものがあった。


「けど俺よりも先に、そいつが、お前に逢いたいという一心だけで追いかけていった。そしたら、俺の出る幕ではないだろう。お前が出ていったことについては、俺は何も言わん」


「リュイセン……」


 ルイフォンが兄貴分の名を呟く。


 リュイセンは、再びルイフォンに視線を戻した。


「だが、何故、戻ってきた? 一度、一族を出た人間を簡単に受け入れるほど、鷹刀は軽い場所ではないはずだ」


 厳しい顔でそう言ったものの、それは嘘だと、リュイセンにも分かっている。


 一族の者たちの大半は、帰ってきたルイフォンを諸手を上げて歓迎するだろう。貴族(シャトーア)ではあるが、ルイフォンを一途に想うメイシアも好意的に受け止められている。


 リュイセンとて、弟分の帰還は嬉しい。


 母親を亡くしたルイフォンを、この屋敷に連れてきたのは他でもない、リュイセンなのだ。


 ルイフォンがいれば、心強い。そう思わせる何かがある。祖父のイーレオが、たびたび口にする『人を魅了する人間』という戯言(たわごと)も、あながち嘘でもないとさえ思える。


 だからこそリュイセンは、この弟分には道理を通してほしいと思うのだ。


「お前は身勝手だ」


 低い声が、深く轟いた。


 ふたりの間を、微妙な空気が流れる。


 決して、険悪というわけではない。いがみ合っているわけでも、そしり合っているわけでもない。


 ルイフォンは、リュイセンの言葉に逆らわなかった。「ああ、俺は身勝手だ」と、言われたことを繰り返す。


「四年前、俺がこの屋敷に受け入れられたのは、俺が親父の血を引いた血族だからだ。そして、俺は一度出ていった。――だから今度は、一個人の俺として、改めて、この屋敷に居ることを認められたい」


 どことなく癖のある、彼らしい特徴的な表情が抜け落ちる。鋭く無機質な顔が、ルイフォンの本気を物語っていた。


 リュイセンの目が、冷徹な光を帯びた。


「なら他所者として、直系の俺と勝負しろ。お前に見どころがあると認められれば取り立て、後ろ盾になってやる」


 だがそれは、認められなければ、金輪際、鷹刀一族の敷地に足踏み入れるな、ということだ。


「分かった。それで構わねぇぜ」


 ルイフォンは、挑戦的に口角を上げた。


 リュイセンが庭を指し、場を移そうと促す。そこでは、すっかり花を落とした桜の大樹が、芽吹き始めた若葉を枝いっぱいに抱えていた。






 足首を慣らすように芝を踏むと、青い香りが漂う。


 すぐ後ろでは、メイシアが胸元のペンダントを握りしめていた。不安げな面持ちでルイフォンを見つめているが、無駄な気休めは口にしない。ただ、すべてを見届けようと、黒曜石の瞳に瞬きひとつ、許さなかった。


 ルイフォンは振り返り、メイシアの黒髪をくしゃりと撫でた。


 それだけで、彼女の顔がぱっと花咲く。呼吸が緊張から解放され、柔らかく緩んだ。


『信じている』と、彼女は無言で彼を見上げた。だから彼は、『任せろ』と目を細めた。


 ルイフォンは上着を脱ぎ、メイシアに手渡す。シャツ一枚の軽装でリュイセンと向き合い、手首を返して示した。


「この通り、暗器は持っていない。その代わり、お前も刀はなしだ」


「いいだろう」


 細身の体躯ゆえ、腕力に限界のあるルイフォンは、長い刀を扱えない。だが、身の軽さなら、リュイセンを上回る。


 彼は落ち着いた様子で、体をほぐす。軽く跳躍すると、背中で金色の鈴が跳ねた。


「行くぞ!」


 ルイフォンが鋭い声を上げ、リュイセンに迫った。


 後ろに大きく引いた右拳を、体のひねりを使いながら思い切り振るう。


 狙いは顎か。身長差を逆手に、下方向から突き上げるか――。


 だが、そんな大ぶりの一撃は、リュイセンも看破している。彼は体を屈め、腕を引いたことで、がら空きになった腹へと拳をのめり込ませようとした。


 腕のリーチが長いリュイセンのほうが、圧倒的に有利。


 しかし……。


 リュイセンは本能的な危険を感じ、咄嗟に体を引いた。


 目の前を、ルイフォンの膝蹴りがかすめる。獲物を捕らえそこねた体は、回転しながら、ふわりと舞った。一本に編まれた髪が宙を泳ぎ、金色の鈴が殿(しんがり)を務める。


「な……!?」


 リュイセンは息を呑む。


 握った拳はフェイント。


 円を描く腕の動きによって回転の力を生み出し、非力なルイフォンを補うようなスピードと破壊力を膝に載せたのだ。


 さすがは、同じチャオラウを師事する(おとうと)弟子(でし)と言わざるを得ない。


 大技を外したルイフォンは、隙だらけだった。そこに軽く一撃を加えるだけで、リュイセンの勝ちは決まる。


 けれど、彼は見逃した。


 この勝負は、腹に一発食らわせて終わりにするつもりだったのだが、気が変わったのだ。そんな泥臭い戦い方では失礼というものだ。


 深く息を吐く。鷹刀一族の直系らしい、冷酷にも見える整いすぎた顔で、リュイセンはルイフォンを見据える。


 ルイフォンが体制を立て直すのを待って、リュイセンの手刀がルイフォンの首筋を狙った。


 ルイフォンは素早く横に飛び退()き、難を逃れる。猫のように軽やかに着地すると、間髪おかず、今度は彼から仕掛けた。


 正面から受けて立とうとするリュイセンの間合いの外から、ルイフォンは回し蹴りを仕掛けた。ひねりをきかせ、力強く踏み切った足が、雨上がりの柔らかな土をえぐり、青芝生を散らす。


 ルイフォンの爪先が、リュイセンのこめかみを狙う。普通に考えれば、隙の多い無謀な攻撃――だがルイフォンは、逆光を味方に引き入れていた。


 背を輝かせながら、リュイセンの長駆に挑む。


 瞳を刺す光の矢に気づいたリュイセンは、しかし動じることなく、気配だけでルイフォンの蹴り上げられた足の位置を察し、太腿に手刀を叩きつける。


 重い一撃が、骨に響いた。


 ルイフォンの足が、地面に払い落とされる。かろうじて倒れ込みはしなかったが、姿勢の安定していないところへリュイセンの手が伸びた。腕を取られ、関節を()められる。


(いて)っ!」


 肘から手首、指先までも、しっかりと捕らえられ、ルイフォンは身動き取れなくなった。


 勝負あったなと、リュイセンの美貌が酷薄に嗤う。


 ルイフォンの格闘センスは決して悪くはない。だが致命的に力が足りない。かといって、蹴りに頼れば動きに無駄が出る。チンピラ程度なら楽に翻弄できるだろうが、凶賊(ダリジィン)としては、まったく戦闘に向いていない。


 勝てば認めてやる、という約束ではなかった。いずれは一族を背負うリュイセンに、勝てるわけがないのだ。逆に、もしルイフォンごときに負けるようなら、リュイセンのほうこそ出ていくべきだろう。


 落としどころをどうするか。――リュイセンは眉を寄せた。


 あちらこちらから、一族の者たちが固唾を呑んで見守る視線を感じる。この状況で、ルイフォンを追い出すことなどできるわけがない。


「リュイセン」


 うなるようにルイフォンが呼んだ。痛みからか、額には脂汗が浮かんでいた。けれど、その瞳は好戦的で、ややもすると怒りすら見て取れた。


「俺の指を折るなよ? 腕もだ」


「ルイフォン?」


「勝負はお前の勝ちだ。そもそも、俺がお前に敵うはずがない。そんなことは分かっていて、俺はお前の話に乗った。――だから今度は、俺の話を聞け」


 獣が威嚇するような形相で、リュイセンを睨む。こぼれ落ちた汗が、顎を伝った。


「お前の話……?」


「この勝負に意味はない。俺は別に、一族として――凶賊(ダリジィン)として認められたいとは思っていないからだ」


「な、に……?」


 驚愕と共に、リュイセンの力が緩む。それに乗じて、ルイフォンは拘束を振りほどいた。


 軽く体をゆすり、筋肉を解きほぐす。掌を閉じたり開いたりすることを繰り返し、指が滑らかに動くことを確かめると、ルイフォンは鋭く光る猫の目を向けた。


「俺は、何処にも属するつもりはない」


 握りしめた形のままの拳を突き出し、リュイセンの目前で止める。


「俺は、自由な〈(フェレース)〉だ」


 はっ、と気づく。――リュイセンは、その拳を知っていた。


 ルイフォンと初めて出会った、あの日。緑の香る初夏の陽射しの中。


 母親に馬鹿にされたルイフォンは、桜の大木に八つ当たりしようと拳を突き出した。


 けれど、寸前で止めた。


 そして、『俺が指を痛めたら、仕事になんねぇだろ』と、(とお)にも満たない子供のくせに、一人前に言ってのけたのだ。


「ああ、そうだった……。お前は〈(フェレース)〉だ」


 リュイセンは呟く。


 それなのに彼は、ルイフォンを凶賊(ダリジィン)として迎えようとした。血族だから優遇されるのだ、と陰口を叩く一部の者を黙らせるため、後ろ盾になってやるとすら言った。


 可愛い弟分に、意味のない戦闘を強いた。――愚かさに、嗤いがこみ上げてくる。


「だが、一族に加わるつもりがないなら、どうして『屋敷に居ることを認められたい』なんて言ったんだ?」


 リュイセンの問いに、ルイフォンがふわりと笑う。優しく穏やかな、青い空のように。


「鷹刀が好きだから。――ここは俺の居場所なんだよ。俺にとっての一番はメイシアだけど、親父やエルファン、ミンウェイ。チャオラウや料理長……。勿論リュイセン、お前も必要だ」


 照れることなく、まっすぐに向けられた純粋な眼差しに、リュイセンは惹き込まれる。


 初めて会ったときと同じだ。


 魂が、強い。


「俺は欲張りだから、全員、必要なんだ」


「ルイフォン……」


「それからメイシアにも、鷹刀の中に居場所を作ってやりたい。俺たちは『ふたりきり』じゃなくて、『皆に囲まれた、ふたり』でいたいんだ」


 ルイフォンは後ろを振り返り、メイシアに向かって手を伸ばす。その手に引き寄せられるように、彼女が駆けてくる。長い黒髪をなびかせ、柔らかに顔をほころばせながら……。


「心配かけて、悪かった」


 メイシアを抱き寄せ、ルイフォンはくしゃりと髪を撫でる。無言で何度も首を振る彼女の目には、涙が浮かんでいた。


 弟分を想うメイシアの姿に、リュイセンの心がちくりと痛む。ひとり、空回りしていたようで、なんともいたたまれない。


「……ルイフォン。この勝負、どうして受けたんだ?」


 黄金比の美貌が、情けなく歪んだからだろう。ルイフォンがくすりと笑った。


「俺に対するお前の怒りは、もっともだったからな。勝負に応じることで、お前の気が鎮まるなら安いものだと思った」


 それからルイフォンは、少しだけ考えるような素振りを見せてから、にやりとする。


「実は俺、一族の誰よりも強いんだよ」


「なっ?」


「俺は〈ベロ〉を人質に取ることができる。鷹刀が表に出せない、あらゆる情報を意のままに操れるし、捏造することも可能だ」


 さぁっと、リュイセンから血の気が引いた。そういえば、斑目一族を壊滅状態まで追い込んだのは、クラッカー〈(フェレース)〉だ。


「けど、俺が欲しいのは『居場所』だ。強硬手段を使って従わせるんじゃ意味がない。だから、お前に認めてもらう必要があった」


 強い瞳が――強い魂が、まっすぐに向かってくる。


 ルイフォンは、リュイセンの年下の叔父で、弟分で。それより何より『ルイフォン』なのだ。


 胸が熱くなる。


「お前を認めるよ。鷹刀の一族ではなく、鷹刀と対等な〈(フェレース)〉として――」


 リュイセンは右手を差し出した。四年前に迎えに行ったときと同じく。けれど今度は、一族としてではなく。


 ルイフォンも覚えていたのだろう。握手をかわすのではなく、リュイセンの掌に拳を打ち付けてきた。


 小気味よい音が響く。


「おかえり。よく帰ってきたな」


 リュイセンは心から、ルイフォンとメイシアを迎え入れた。



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