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7.引鉄を託す黙約-2

「あっ、緋扇さん。ご足労、痛み入ります」


 ベッドに体を横たえたハオリュウが、にこやかに声を掛けてきた。


 どんな第一声を出したものか、決め兼ねているうちに扉を開けてしまったシュアンは、それで救われた。


「……夜分に、すまんな」


 ハオリュウの言葉を受ける形で、彼は愛想なく答える。


 何気ない人当たりの良さは、貴族(シャトーア)の作法という、習性にも近いものなのだろうか。シュアンは機嫌取りの世辞は言えても、ハオリュウのような社交術は身に付けていない。


 彼は改めて、ハオリュウをただの子供扱いした自分を、愚かだったと思った。


 ハオリュウの頭には、白い包帯が巻かれていた。しかし、それは〈影〉に花瓶を投げつけられた跡で、おまけのようなものだ。


 本当の怪我は毛布に隠された足にある。医療器具の類は見当たらないが、部屋に染み付いた濃い薬品の匂いが、傷の深刻さを物語っている気がした。


「僕が書いた書状は、お役に立ちましたか?」


 そう言いながら、ハオリュウがベッドサイドの椅子を勧める。


「ああ、助かった」


 腰掛けながらシュアンが答えると、ハオリュウは「それは良かったです」と無邪気に微笑んだ。そして、もぞもぞと体を動かし、顔をしかめながら上半身を起こそうとする。


「おいっ!」


 そんなことをすれば傷が開くかもしれない。そうでなくても、相当の痛みがあるはずだろう。


 慌てるシュアンを、ハオリュウは軽く手で制する。夜着の緩い袖がめくれ、少年の細い腕があらわになった。そこには無数の、砕けた硝子の花瓶による擦過傷があった。


「あなたに、これをお返ししようと思っただけですよ」


 ハオリュウは枕の下から拳銃を取り出した。


 シュアンが貸した拳銃――ハオリュウを傷つけた拳銃だった。


「どうもありがとうございました」


 清々しいとさえいえる笑顔と共に、シュアンの手の中に重みが加わる。


 それは、かつてシュアンの肩に載せられた、先輩の手と同じ重さだった。




『いいか、シュアン。撃つのは一瞬だが、不可逆だからな。――その一発の弾丸が、無限の可能性を摘み取るんだ』




 ハオリュウに銃を手渡した時点で、シュアンは引き金を引いていたのだ。決して他人に委ねてはいけなかった照準と覚悟を……手放したのだ。


「俺が帰ったあとに何が起きたのか、ミンウェイが教えてくれた」


「ああ、やはりミンウェイさんでしたか。僕の包帯にあなたが驚かなかったので、どなたかに聞いたのだろうとは思っていましたが」


 のんびりとすら感じられるハオリュウに、シュアンは苛立ちを覚える。


「……何故、すぐに撃たなかった?」


 シュアンなら、〈影〉と判明した瞬間に引き金を引いていた。


 もしハオリュウが、実の父の体を前に、撃つのをためらったのなら、理解できる。けれど、そうではないのだ。


「あんた、〈影〉に本物の父親のふりをさせたんだって? そのあとは毒殺しようとしたと聞いたぞ。あんたは、いったい何をしたかったんだ?」


 使うつもりがないのなら、貸す必要はなかった。そうすれば、照準のずれた弾は発射されなかった。――ミンウェイの言った通り、ハオリュウの怪我は、なかったのだ。


 手の中の銃が、ずしりと重い。


 先輩の言葉が、耳の中で繰り返される。


「緋扇さん、怒っているんですか?」


「……あ、あぁ……。いや、そういうわけじゃない」


 これではまるで八つ当たりだ。シュアンは尻つぼみに押し黙る。


 ハオリュウは、特に問いただすつもりはなかったらしい。シュアンから視線を外すと、薄く嗤った。


「そうですね。確かに、他人から見れば、僕の行動は理解できないでしょう」


 そう言ったハオリュウの顔から、すっと笑みが消えた。


「――異母姉のためですよ」


 軽く首を曲げ、ハオリュウはシュアンを見やる。これだけは譲れなかったのだと、漆黒の瞳が冷たく言い放っていた。


「〈影〉にされた父を僕が殺した、なんて異母姉が知ったら、傷つくに決まっています。だから僕は、彼女を幸せにするシナリオを組み立てたんです」


「シナリオ?」


「異母姉と鷹刀ルイフォンは、自分たちの仲を父に認めてもらおうとしていました。僕としては複雑な思いもありましたが、ルイフォンは本物の父なら感涙ものの発言をしてくれたんです。――それを〈影〉は踏みにじった……」


 ハオリュウは唇を噛んだ。


「本物の父様なら、諸手を挙げて祝福していたはずだった。――姉様が可哀想だった……!」


 彼は拳を握りしめ、感情が漏れ出さないようにを押さえ込む。しかし、興奮を帯びたハスキーボイスからは、静かな怒りが撒き散らされていた。


「〈影〉を殺し、僕が当主になれば、異母姉の処遇は僕の一存で決められます。彼女を鷹刀ルイフォンにやることも可能です。……でも、そうじゃない。異母姉は、皆に祝福されて、幸せになるべきなんです」


 高ぶりすぎた気持ちを鎮めるために、ハオリュウは小さく息を吐いた。そしてまた、あの無邪気すぎる笑みを見せる。


「だから、本物の父ならば言ったはずの台詞を〈影〉に言わせました。それだけのことですよ。そして、用が済んだから始末しようとしました。あの優しい父の顔を〈影〉の醜い嗤いで穢されるのは、耐えられませんから」


 半端に口を開けたまま、身動きが取れないシュアンに、ハオリュウは、にこりと笑った。


「ああ、銃ではなく、毒を使った理由を知りたいんでしたね? ――簡単なことです。僕が父を殺したことを異母姉から誤魔化すためです」


「誤魔化す?」


 語尾を上げたシュアンに、ハオリュウは「はい、そうです」と頷く。


「〈(ムスカ)〉とやらの技術に『呪い』というのがあったでしょう? だから、『呪い』によって父は死んだことにしようとしたんです」


「どういうことだ?」


「『父は、脅されて〈(ムスカ)〉の手先になっていた』と、異母姉には説明しました。それなら、脅されたことを告白した父が『呪い』で死んでもおかしくないでしょう?」


「な……」


 話に聞いただけの『呪い』すら小細工に利用する、その発想の柔軟さにシュアンは舌を巻く。確かに、『呪い』のせいにするのなら、銃殺ではなく毒殺のほうが都合がいい。


「けど、なら――なんで俺に銃を借りた?」


「失敗したときの保険です」


 無邪気な笑顔に、シュアンは鼻白む。思わず眉を寄せ、強い口調で尋ねた。


「毒が失敗したときの、最後の手段として撃つつもりだったのか?」


「勿論、それもありますが――」


 ハオリュウは言いよどみ、いたずらがばれた子供のように、ちらり、と上目遣いでシュアンを見る。


「僕は、殺人に関しては素人の、しかも子供ですよ? 成功する確率が、どのくらいあると思っていたんですか?」


 シュアンは答えられなかった。冷静に考えれば、その確率は高いはずがなかった。


「〈影〉――父と比べ、体格的に劣る子供の僕が、返り討ちに遭う可能性は充分にありました。しかも僕は、いざとなったら、ひるんでしまうかもしれません。相手の体は『父』なんですから。でも〈影〉は僕に対して、なんの遠慮もありません。圧倒的に僕が不利なんですよ」


 言われてみればそうである。否、だからこそ、やはり問答無用で〈影〉を撃つべきだったのだと、シュアンは思う。


「銃を使っても、僕が〈影〉を仕留められなかったときは、かなりの高確率で、僕は殺されているでしょう。……保険というのは、その場合でも〈影〉を殺すための手段です」


 漆黒の瞳が含み笑いをする。シュアンは無意識に体を引き、背中を背もたれに押し付けた。


「あんたは、何を企んでいたんだ……?」


「僕が銃を持っていれば、あなたは返してもらいに僕を訪ねてくるはずです。でも、そのとき僕が死んでいたら……?」


 ハオリュウが軽く首をかしげる。その顔はシュアンに答えを促していた。


 シュアンは息を呑んだ。ハオリュウの意図が、はっきりと読めたのだ。


「俺に〈影〉を殺させるつもりだったのか……」


 知らずに、声がかすれていた。


 銃を貸してほしいとの頼みに、そんな裏の意味があったとは考えもしなかった。罠ともいえる狡猾さに、憤りよりも先に、驚愕を覚える。


「だが、あんたの思惑通りに、俺が動くとは限らないだろう!?」


 背中を冷たい汗が流れ、シュアンは思わず反論せずにはいられなかった。


「いえ。あなたなら動いてくれますよ。貴族(シャトーア)嫌いのあなたが、同じ境遇の僕に優しかった……。あなたには〈影〉を許すことができないはずです。だから僕はあなたを信じて、あなたに託しました」


 白い包帯の額の下で、漆黒の双眸がシュアンを捕らえる。信頼の眼差しは揺るぎなく、ハオリュウは穏やかに微笑んでいた。


 思わず惹き込まれそうになり、シュアンは慌てて目をそらす。沈黙が訪れ、窓の外の雨音が緩やかに入り込んできた。


 シュアンは、雨の歌に聞き入るような、風雅な人間ではない。秒針を刻むような音に、追い立てられるような気分になる。予期せぬハオリュウの言葉に、焦りと居心地の悪さを覚え、知らずに荒い声が出た。


「俺の気まぐれに期待するなんて、馬鹿げている……! どう考えたって、多少、あんたの姉さんが傷ついても、問答無用で射殺するほうが、確実だったろう!?」


 余裕のないシュアンに対し、ハオリュウは変わらぬ笑顔を保っていた。


「僕は、小さい頃から僕を守ってくれた異母姉を溺愛しているんですよ。でも、いつまでも僕だけの姉様にしておけないから、できる限りの(はなむけ)をしたかったんです。――そう言うあなただって、相当おかしなことをしているじゃないですか」


「俺が、なんだって?」


「あなた自身は、名誉なんてものに、まったく価値を見出していないのに、先輩の名誉を守るために僕のところに来ましたよね? あなたが先輩を大切にされているように、僕だって異母姉が大切なだけです」


「……っ!」


 シュアンは言葉に詰まった。それには反論ができなかった。彼は、ぼさぼさ頭を掻きむしり、半ば意地のように別の方向から言い返す。


「……あんたが死ぬ確率のある選択をしたら、駄目だろうが。あんたがいなくなったら、姉さんは貴族(シャトーア)の家を継がなきゃならねぇだろ。せっかく、好きな相手とうまくいくところだってのに……」


「そうですね。だから、あなたが保険として意味を持つのは、想定した中で一番最悪の事態のときでした。それに比べて、現実の結末は、かなり良かったと思いますよ」


 そう言って、ハオリュウは、しばし思案顔になり、また続ける。


「――いえ、これを言うと、あなたには申し訳ない気がするのですが……最後に本物の父に逢えた奇跡があるので、むしろ異母姉が何も知らずに終えるよりも、ずっと良かった。最高の結末だったんじゃないでしょうか」


「死の間際の奇跡……か」


 ミンウェイから話を聞いたときには、シュアンは耳を疑った。


 ――もしも……あの一発の弾丸が、一瞬のうちに先輩の命を奪うのでなかったら、自分も本物の先輩に会えたのではないか、と――不覚にも弱い心がよぎってしまった。


 けれどシュアンは、即座にその考えを捨てた。


 あの一発の弾丸は、無限の可能性を摘み取ると分かっていた。シュアンは覚悟の上で、引き金を引いた。後悔なんかしたら、一発の弾丸の重さを教えてくれた先輩に失礼だ。


 だから、考えない。


『それ以外の無限の可能性』の重みを、シュアンはきちんと背負う――。


 押し黙ってしまったシュアンを気遣うかのように、ハオリュウが明るめの声を上げる。


「手を下したことになってしまったルイフォンは、ショックを受けて出ていってしまいましたが、異母姉が追いかけていって、そのまま帰ってきませんし……きっと、これでいいんですよ」


 遠くを見つめ、ハオリュウは苦笑する。


「大切な姉さんが、それでいいのかよ?」


「僕としては、まだ数年は異母姉を家から出すつもりはなかったんですが、仕方ありません。貧乏くじを引かせたルイフォンへの詫びだと思うことにします」


「一番の貧乏くじは、あんただろう!」


 それは無意識の動きだった。


 シュアンは椅子から立ち上がり、ハオリュウの頭を鷲掴みにして撫でくりまわした。


「餓鬼のくせに、無理ばかりするな! 大人の立場がねぇだろ」


「緋扇さん?」


 ハオリュウの明晰な頭脳でも、シュアンの行動は理解不能だったらしい。戸惑いもあらわに、目を瞬かせている。


「あんたは、よくやった……。頑張った。凄く、頑張った……!」


 ハオリュウを子供扱いしたことを、シュアンは愚かだったと思った。だが、そうではない。ハオリュウは子供扱いしてもらえずにいたから、子供になれなかったのだ。


 だからシュアンは、無性に褒めてやりたかった。自分よりも遥かに頭の回る相手だが、それは必要なことのはずだった。


「ちょ、ちょっと、緋扇さん!?」


 戸惑い、頬を膨らませつつも、ハオリュウはシュアンの手を払い除けたりはしなかった。拗ねたような顔つきでありながら、目尻に皺が寄っている。


「……そうですね。…………我ながらよくやったと思いますよ」


 ハオリュウは視線をそらし、小さな声で「ありがとうございます」と呟いた。


 意外に可愛いところもあると驚きつつ、シュアンは顔をほころばせる。だが、そのあとに続くハオリュウの言葉が、冷水のようにシュアンを襲った。


「――でも、まだ、終わりじゃない」


「……え?」


 ハオリュウは顔を上げ、にっこりと笑った。シュアンの背を、ぞくりと悪寒が走る。


「あんた、何を考えている?」


「あなたも考えていることですよ」


 凍てつくような漆黒の瞳。幼いはずの少年の顔が、為政者のそれになる。


「――ただ、あなたの目は、まっすぐに〈(ムスカ)〉に向けられているでしょうけれど、僕の場合は少し違いますね。最終目標は僕も〈(ムスカ)〉ですが、まずは藤咲の当主として、他家の力を削いでおく必要があります」


「他家……?」


「藤咲は、予期せぬ当主の交代で、しばらく荒れるでしょう。その隙に付け込まれるわけにはいきません。同じだけの報復をしておくのが、妥当というものでしょう。それとも、これは単なる私怨ですか? ……まぁ、どちらでもいいことですけどね」


 そう言ってハオリュウが嗤い、シュアンは悟る。


 ――ハオリュウは、厳月家の当主を殺すつもりだ。


「あんた……」


 シュアンは絶句する。


 ハオリュウは父親を失ったあと、たぶん泣いていない。一生残る自分の怪我にも、おそらく嘆いていない。ただひたすら、この先にすべきことを見据えている。


 貴族(シャトーア)という恵まれた地位に生まれながら、ハオリュウは理不尽に奪われたもののために戦っている。それは、腐った社会を狩ろうとするシュアンと、なんら変わることはない。闇の部分が重なって見える……。


「……具体的にどうする気だよ?」


「さて、どうしましょうか?」


 それ以上のことは、言うつもりがないのだろう。ハオリュウは、軽く首をかしげて無邪気に笑った。だからシュアンは、自分から尋ねる。


「また今回みたいに、無謀にも自分で突っ込んでいく……わけはないよな? 足の()かないあんたは、鷹刀を頼る。イーレオさんは人がいいし、あんたの父親のことに関しては、負い目も感じているだろうからな」


「そうですね」


 ハオリュウは曖昧な言葉だけで口を止めるが、それしか方法はないはずだ。


 そして、この依頼が耳に入ったとき、ミンウェイが喜々として名乗りを上げるだろう。ハオリュウに対して何もしてやれなかったと、自分を責めていた彼女ならば、きっと。


 けれど、彼女はもう暗殺者ではない。彼女が関わることを、シュアンは認めない。許さない。


 そして何より、この孤独な闇に気づかなかったふりをしてはいけないと、シュアンの魂が告げる。


「……俺は、あんたに銃を貸したことを後悔しちゃいないが、失敗だったと思っている」


 唐突に話題を変えたシュアンに対し、ハオリュウは不審そうに鼻に皺を寄せた。


「いきなり、どうしたんですか?」


「あんたは、実戦には向いていない」


 ハオリュウの問いかけには答えずに、シュアンは畳み掛けた。その言葉に、ハオリュウは半分納得し、しかし半分不満の残った顔をする。


「ええ。確かに、そうだとは思いますが……?」


 それが何か? と目が言っている。


「あんたは、後ろのほうで偉そうに命令しながら、腹黒い顔で嗤っているのが似合っているんだよ」


「……それはまた、随分ですね」


 ハオリュウは、怒ったものか呆れたものか、判断に悩むとばかりに溜め息をついた。そのすかした顔を切り刻むべく、シュアンは言葉の刃を研ぐ。


「あんたは、自分ができることと、できないことを読み間違えた。格好つけて『最高の結末だった』なんて言ったって、一生残るような怪我をしたら、ただの負け犬だろ。自分に酔っているだけの、馬鹿な餓鬼だ」


 ハオリュウの顔から、すっと表情が消えた。冷たい眼差しをシュアンに向ける。


「あなたは、僕にどうすればよかったと言うのですか?」


 嘘で塗り固められた笑顔が剥がれ、尖った口調のハスキーボイスが、懸命に低音を作る。予想外の過剰な反応に、シュアンの心が浮き立ち、三白眼をにやりと歪ませる。


「最後の手段として俺を使うことを考えていたのなら、初めから、土下座してでも俺に頼むべきだったな」


「な……っ」


「……そして、粋がった餓鬼の頼みを、馬鹿正直にそのまんま叶えて銃を貸してやった俺も、相当な阿呆だ。俺の判断は失敗だった。――俺も責任を取る必要がある」


 シュアンは、ハオリュウの肩に手を載せた。


 ハオリュウが、びくりとする。反射的に身を引こうとした彼を、シュアンの掌が押さえ込んだ。


 薄い夜着を通して、シュアンよりも高い体温を感じる。それは子供だからか、あるいは怪我のために体が熱を持っているのか――。


「だからな、ハオリュウ……」


 かつて先輩がシュアンの肩に手を載せたとき、どんな気持ちだったのだろうと、ふと思う。


 勿論、状況はまったく違う。けれど、願いのような、祈りのような、この気持ちは、似ているような気がする。


「今度は間違えるな。――今度こそ、俺を使え」


「え……?」


 言葉を失ったハオリュウが、シュアンの悪役面の凶相をじっと見つめた。


「あんたは、俺が築いた屍の山を見て、自分の掌が赤く染まっていると感じることができるだろう?」


 シュアンは、ハオリュウと出会ったときのことを思い出す。


 警察隊が鷹刀一族の屋敷を蹂躙したときのことだ。


 偽の警察隊員とハオリュウが同じ部屋にいて、エルファンの指示でシュアンが警察隊員を射殺する手はずになっていた。そのとき、子供のハオリュウには刺激が強すぎるだろうと、ミンウェイが彼をバルコニーに退避させたのだ。


 けれど、ハオリュウは部屋に戻ってきた。ただ、シュアンの作った屍を見るためだけに。


「――ならば、俺の手は、あんたの手だ」


「緋扇さん? いったい、どうしたんですか……?」


「『シュアン』だ」


「え……?」


「あんたは、貴族(シャトーア)の当主だ。懇意にしておいて、損はしないってだけさ」


 こう言えば、ハオリュウは納得するだろうか。――本当は、放っておけないだけ。ハオリュウを気に入っただけだ。


 シュアンは顔をずいと寄せ、三白眼に睨みをきかせた。


「だから、俺に頼め。――俺に『()れ』と」


 ハオリュウが、目を丸くしてシュアンを見上げた。その角度から、ごくりと唾を呑んだ喉の動きが、はっきりと分かった。


「本当に、いいんですか?」


「構わない」


「ありがとうございます、シュアン……」


 白い包帯を巻かれた頭が、深々と下げられる。スーツに覆われていた肩は、今は柔らかな夜着に包まれ、本来の華奢な輪郭を晒している。


 ミンウェイとは違い、素直に名前で呼んでくれたハオリュウに、シュアンはわずかに口の端を上げた。


 ――静まり返った部屋に雨音が響く。失われた命を悼むように、厳かに歌う。


 ハオリュウが顔を上げた。漆黒の瞳の深い闇が、シュアンの闇と同化する。


「シュアン、()ってください」


 少年のハスキーボイスが高らかに響いた。


 握りしめられた指の間で、金色の指輪が撃ち抜くような鋭い光を放った。



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