表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Mr,Torture

作者: めいそ

 1「顛末」

 〈拷問に際しては、お前の好みも嫌悪も全部捨て去れ。

 ただ相手を観察し、効果的に痛めつけろ。

 これは業務でありそれ以上でもそれ以下でもない。

 お前がやらなければ他の誰かが代わりにやるまでの事。

 それなら慣れている人間がやった方がマシなんだ〉


 師はいつも僕の目を見てこう言った。

 今でも暗唱できるほどに、幾度となく聞かされた言葉だ。目を閉じずとも、師の青い瞳をありありと思い浮かべる事ができる。

 僕はその度「はい」と頷いた。師は決まったように「それでいい」と答えた。そうするともう師は目を合わせてはくれなかった。

 僕は一度師に、「なぜこんな役目をやっているのですか?」と訊ねた事があった。師は「成り行きだよ」と小さく呟いた。

 師はおそらく普通よりも繊細で優しい人間だった。この仕事はおろか、軍隊にすら向いてはいなかった。果たして向いている人間がどのくらいいたのか定かではないが、少なくとも僕よりはずっと適性がなかった。

 しかしそれにも関らず師は健康な成人男性だった。もし戦争が起こらなければ師は善良な町医者として生きていく事ができただろう。メスも鉗子ももっと別の使い方ができたはずだった。しかし実際にはそうはならなかった。

 肉体と精神に苦痛を与え情報を吸い出す事が僕たちの役目だった。医学を修めている人間のうち師のように運の悪いものは、痛めつける事と治療とを任された。痛めつけるだけの人間の方が、苦痛を長続きさせるために治す者よりはずっと気楽だったのではないかと思う。

 師は医者であり拷問官でもあったけれども誰かを殺す事は苦手だった。全くと言っていいほど捕虜やスパイを殺さなかった。殺さないでおくのが上手かった。スパイの中には痛みに対する訓練を積んだ者もいて、一筋縄では吐かなかったけれども、師はかなりうまくやってのけた。

 師は僕よりも一年早くこの仕事に就いていたので、僕は色んな事を教えてもらった。特に初歩的な医学の知識は役に立った。人がどこまでやったら死んでしまうかとかそういった類の事だ。

 僕は師を尊敬していた。

 だが師はもういない。

 流した誤情報が戦局を左右した事が原因で、師はスパイの嫌疑を被せられたのだ。師が昔敵国で暮らしていたことや上官たちから反感を買っていた事も不利になった。それは失敗自体への処罰でもあった。

 僕は師を拷問する事となった。

 僕は師を殺した。内通はなかったと上司には伝えた。

 


2「夜」

 僕は電球の弱弱しい明りのもと、薄暗い部屋でライ麦パンをかじっていた。マーガリンを塗りたくって硬い生地に歯を差し込む。何度も噛むとようやく飲み込めるようになった。

 「俺の分もやるよ」師はパンとポテトを僕の方へ差し出した。皿が木製のテーブルの上を擦る音がした。

 「いいんですか?」僕は訊ねた。

 「ああ、子供はたくさん食べたほうがいい」師は僕を子供扱いするのが好きだった。

 「でももう二十歳ですよ」と文句を言いながら僕はパンとポテトを口の中に入れる。おいしいとは思わないが腹に入らないよりいい。

 「二十歳の時よりもずっと余計に歳をとると、お前らほどには栄養を必要としなくなるのさ」師は、遠慮がちに突き出した自らの腹を叩いた。「こう無駄に栄養価ばっか高いものばかりだと、動かないおっさんはこんな風になる」

 「僕もあまり動きませんけど、若さなんですかね」確かに僕の腹は引っ込んだままだった。

 「ま、どっちにせよあまり食欲がないんだ。こんな時はコーヒーか酒でも飲むもんだが、こんなまずいコーヒーじゃあ飲まない方がましだ」

 「そうですか? 別に僕はどっちでもいいですけど」僕は煎った大麦のコーヒーを口に含む。

 「やっぱりお前とは気が合わないな」師は笑う。「でもその逞しさは見習わなきゃならんかもしれん」

 「ありがとうございます」

 窓の外から虫の鳴き声が聞こえる。それを除いては静かな夜だった。僕たちの宿舎は他の兵種のものからずっと遠くにあるため騒ぐ声なども聞こえてこない。空から爆弾の落ちてくる気配もなかった。

 「飲むか?」師はシュナップスの瓶を掲げた。芋の焼酎で、僕はその風味が好きになれない。

 「いいです。それ嫌いなんです。僕はエールの方がいい」

 「ま、無理にはすすめないさ。ただこっちじゃああんまり仲良くできそうな奴がいないから一人で黙々と飲むことになっちまう」

 「じゃあエールを一本くださいよ」

 「あ、お前、エールも結構高いんだぞ。別にいいけどよ」

 「明日酒保で買い足しておきますから」

 僕たちはカップを合わせて乾杯をした。一体何に対して乾杯なのだろう、と僕はいつも思うが師は間違いなくアルコールに対してだった。

 師は顔を真っ赤にし、眠りにつけるようになるまで飲む。酒がないと寝付けないというし、十分な量の酒が手に入らない時はいつもけだるそうな顔をしている。

 酔っぱらうと師はいつも亡くなった奥さんの話を始める。亡くなったと言っても、戦争のせいではなく病気のためであったらしい。よほど奥さんに依存していたのか、師はしまいには泣き出してしまう。その後は拷問した捕虜たちへ謝り始める。返事をするのは捕虜ではなく僕だ。最後にそのままテーブルに突っ伏して眠り始めた師を僕はベッドまで運ぶ。

 僕自身も一段上のベッドに乗り込み、横になる。そして何も考えず眠る。



3「拷問」

 瞳に涙をいっぱいにたたえて、師を見つめる女性がいる。

 椅子に縛られ、体の自由を奪われ、その口は固定具によって大きく開かれている。

 「何か言いたい事はあるか?」師は感情を押し殺した声で言う。

 女性は頭を振る。

 師はゴム手袋をした手にタービン――平たく言えばドリル――を握り、女性に近づいていく。

 その大きく開かれた口にタービンを突っ込む。

 これは師が最初にまず行う方法だった。

 歯の神経というものはひどく敏感で、どんなに意志の強いものでも、麻酔なしで耐える事はできない。それを麻酔なしで削るのだ。一気にやると死んでしまうからゆっくりと削り取っていく。

 この方法を僕は密かに奥歯のスイッチと呼称していた。ここを押すと大半の人間は喋らせる事が出来る。奥歯のスイッチが壊れている者も時々いたが彼らは内部の導線や部品を確認されることになる。

 ところで人間というものは様々な事に苦痛を感じる生き物で、だから拷問の種類はそれこそ星の数ほどある。その内どれを採用するかは拷問官のセンスによる。勿論既存のものに依らなくても構わない。拷問とはアイデア勝負だと語る者もいるくらいだ。

 けれども師の拷問には遊びの要素はなかった。ただただ情報を吐かせたがっていた。血を見る方法は好きでなかったのだろう。

 歯の神経を削る痛みは脳髄を貫いて、純粋に痛みだけを抽出し、被験者の全身を駆け回っていく。そのような拷問を受けてなお喋らない者もいる。痛みを受けているのは自分ではない、と思いこもうとしているらしかった。時々苦しみぬいて死んでいく人間がいるけれどもそうまでして守る情報があるのだろうか。

  女性は白目をむいて苦しんでいる。固定された腕の皮膚にくっきりと痣ができている。失禁している。よほど痛かったのだろう。師はタービンを引き抜く。

 「早いうちに言ってしまった方が楽だぞ。お前の国はお前一人を助けてくれたりはしない。お前は自分で自分を助けるべきなんだ。それを誰が責められる?」師はそう諭していく。「何か言いたい事はあるか?」

 女性は何度も頷く。師は女性の口を自由にしてやる。

 女性が泣きながら語りだす。

 師は落ち着いた口調で聞き取りを始めた。



4「猫」

 猫が鳴いていた。黒い猫だった。猫は怪我をしていた。目が片方開いていなかった。

 師と僕は街でその猫を見かけた。医療器具を買いに行った帰りだった。

 「最近はこういう猫が多いな」師は言った。

 「そうですね」

 師は猫に近づいていく。しゃがんで猫の鳴き声をまねる。

 「まさか治療でもする気ですか?」僕は聞く。

 「ばか、愛でるんだよ。治療なんかしたら嫌われちまうだろ」師の声が明るくなる。「子供のころはずっと猫を飼ってたからな。今でも時々猫と触れ合いたくなるんだ」

 「ノミを移されますよ」

 「俺の血でよけりゃいくらでも吸わせてやるよ」

 猫はそろそろと師の方へ歩み寄ってくる。人間に慣れているのだろう。慣れすぎたせいで片目を潰されてしまったのだ。

 「何か食いもん持ってないか?」

 「ありますよ。食いかけのソーセージが半分」

 「そんなもんよくポケットに入れて歩くな。ちょっと分けてくれないか」

 僕はソーセージを師に渡す。猫は一部始終を見て媚びた声を絞り出す。師がソーセージをちぎって投げるとソーセージを殺しそうな勢いで猫はそれに飛びつく。

 その分を食べ終わると猫はまた師を見つめる。師はソーセージをちぎって投げる。それがソーセージがなくなるまで続く。

 「僕のおやつが猫の胃袋に移動してしまいましたね」

 「そう当てつけがましい事言うなよ。あとでなんか奢ってやるからさ」

 「情けは人の為ならずですね」

 「その通りだ。情けの大盤振る舞いでもしたら大金持ちになれるぞ、きっと」

 「優しさが世界を動かしているわけですね」

 「わかってきたみたいだな」

 いつのまにか猫はどこかへ行ってしまう。


5「担当」

 僕は捕虜のふとももにナイフを突き立てた。それほど深くはない。表面を切り裂いた程度だ。血がゆっくりと溢れ出る。

 するとその捕虜が僕にはわからない言葉で僕を罵る。僕は捕虜の頬を打つ。

 「なんて言ってるんですか?」僕は師に聞く。

 「死んじまえ、ケツ穴金玉野郎だとよ」

 「どこの国でも同じような事を言うんですね」

 「しかしこいつも強情だな」師は言う。「ちょっと俺に代われよ」

 「この捕虜を吐かせるのは僕の役目ですから」

 「ふん、殺すんじゃないぞ」

 「わかってますよ」

 師は煙草を吸いに部屋の外へ出ていく。監督役でありながら師は他人の拷問をあまり見ようとしなかった。

 僕は捕虜にもっと痛い事を始める。言葉が分からないので精神的に責めることはできない。もっともこの捕虜ような人間だとこの段階では痛めつけるより他にない。色々な場所を打擲し続けるうちに捕虜はだんだんと情けない顔になっていく。

 「なんで喋らないんですか?」と僕は捕虜に話しかける。勿論意味は通じない。

 「ううぅ……」捕虜は呻くだけだ。

 鉄と糞尿の匂いが部屋中に充満している。窓が小さいため換気が十分でない。空気は淀んで部屋の雰囲気をより一層不気味に仕立て上げる。

 僕はこの実のない行為に辟易する。人の心を読む力があればどんなにいいだろう、と夢想する。

 僕が理想を描いている内にも捕虜の血液は流れ去っていく。



6「喧嘩」

 「この変態共め」と兵営の敷地内ですれ違いざま兵士の一人に挨拶される。

 「普通ですよ」と僕は挨拶し返す。

 僕は突き飛ばされる。兵士は唾を吐いて去っていく。

 頭にきたので僕は兵士を後ろから突き飛ばす。兵士は勢いよくつんのめる。

 そうすると今度は兵士に腹を殴られてしまう。僕も兵士を殴り返す。

 殴り合いが始まるがだんだんと一方的な戦いになる。鍛え方が違う。僕は負ける。

 そこに師が通りかかる。

 「何やってるんだよ、お前ら」

 「もう一人変態がきやがったか」兵士は言う。

 「何だお前は潔癖症か?」師は返事をする。「それに俺の方が上官だぞ」兵士の階級章を指さす。

 「知らない! あんな事をやってる人間は糞だ!」

 またもや喧嘩になる。

 そこに向こうの直接の上官が通りかかる。

 「またお前か!」その上官は兵士に怒鳴る。そして僕たちに言う。「すまんな、こいつは誰かれ構わず突っかかるからこっちでも手を焼いてるんだ。何回営倉行きになっていることか」

 「そうかい、そいつ自身が変態だったのか」師は言う。

 「なんだと!」兵士は憤るが、上官に制されて引きさがる。二人は兵営の方へ向かっていく。

 「大丈夫か、坊や。まあ、もしかすると別人かもしれんが」

 僕の顔はボコボコに腫れているみたいだ。

 「僕ですよ。でもそっちこそ誰なんです?」

 僕たちは笑う。その晩僕達は熱を出して苦しむ事となる。



7「悪夢」

 時々夜中に悲鳴が上がる。師の悲鳴だった。ものすごい声だ。僕はこの絶叫の常連被害者だった。他の部屋の人間の耳に届いていないか心配になる。銃を持って飛び込んでくるかもしれないから。

 そのうち下のベッドでごそごそする音が聞こえる。ごくごくと酒を飲む音がする。

 師は再びベッドに横たわる。僕はつまらない事を考えながら再び眠ろうとする。しかし寝付けない。そのうち師にむかつき始める。

 「悲鳴男」僕は師を非難する。

 「起きてるぞ」

 僕は寝言を言ったふりをする。

 「冷血漢」師は僕が寝たふりをしているのをいいことに僕の悪口を捻り出す。

 「きちがい医者」

 「きちがい坊や」

 「人間の屑」

 「地獄行き優先順位一位」

 僕たちは寝言を言った振りを続けながら罵り合う。

 その内師が我慢負けして、ベッドから起き上がり上に寝ている僕をポカンと殴る。

 「痛いなあ、突然どうしたんです?」

 「俺はお前の上官だぞ」

 「上官だからって何もしていない人間を殴ったらだめですよ」

 「しらを切る気か」

 「しらもなにも本当に知らないんですよ」

 「お前は人間の心を持ってるのか?」

 「拷問官が言うことじゃないですよ」僕は師の傷に塩を塗る。

 師が本気で僕を叩く。

 「痛い!」僕は飛び上がる。「何するんですか!」僕は師を髪の毛の薄い頭を殴る。

 「もうお前とは絶交する!」

 僕たちは朝まで互いに攻撃し続ける。起床の時間になると師が呟く。「おい、悪かったよ」

 「え、何がですか?」

 「この野郎!」



8「戦況」

 「最近食事の質が落ちたな」師は僕に話しかける。

 「シチューの具が明らかに減りましたね」

 「何より、酒が品切れするようになった」

 「死活問題ですね、それは」

 「ああ」

 食器を動かす音だけが響く。

 「空襲も激しくなってきたし、負けるんだろうな、そろそろ」

 「そうかもしれませんね」

 「さっさと終わらないかな」

 「そうすれば仕事もしなくて済みますね」

 「ああ」師は天井を見る。「ついでに死ねないかな」

 「いつか死ねますよ」

 「そうだな」

 


9「雪」

 師は血に塗れていた。師自身の血ではなく、目の前の拷問椅子に座る男の血に。

 男は苦しそうに表情を歪めながらも口を固くつぐんでいた。

 「どうしてだ……」師は震えていた。どこまで責めても相手が口を割らない事は、以前にも何度かあったけれど、師が被験者の前で狼狽を露わにすることなど初めてだった。

 「どうしたんです、変わりましょうか?」僕は言う。

 師は頭を振る。「俺がやる……」

 「そうですか」

 「……すまないが、一旦部屋から出ていてくれないか?」

 「わかりました」

 分厚い扉を開けて僕は部屋の外に出る。リノリウムの廊下を歩いて施設の外まで行く。新鮮な空気が吸いたかった。

 外気は冷たかった。空からは雪が降っていた。僕は段差の所に腰かける。

 「今日は冷えるな」玄関口で煙草を吸っていた同僚が僕に声を掛ける。

 「そうですね、最近どうですか?」

 「今週は三人殺した」

 「僕は二人です」

 「まだまだだな」同僚は嬉しそうに言う。

 殺した数が少ない方がいいのでないか、と思ったが僕はただ「精進します」とだけ答えた。

 「なあ、煙草持ってない?」

 「持ってないです。吸わないもので」

 「そうか」同僚は僕に興味を失い、寒空に輪っか状の煙を吐いた。

 僕はしばらくそこに座っていたが寒くなって建物の中に入る。控室まで戻ると師が服を着替えていた。

 「あいつやっと喋ったよ」

 「そうですか」僕は言った。「雪が降ってますよ」

 「一昨日も降っただろうが」しかし師は興味を示さなかった。



10「霹靂」

 僕たちは夕食後の休憩時間を、スカート(カード遊びの一種)をやって潰していた。

 「これ二人でやってもつまんないな」師は言う。

 「だから言ったじゃないですか。誰かもう一人呼んできましょうよ」

 「わかった。じゃあちょっと待ってろ」師は席を立つ。

 その間僕は本を読む。しばらくすると師ともう一人の男がやってくる。

 「やあ」

 「こんばんは」

 僕たちは席に着きカードを配っていく。

 黙々とカード遊びが続く。

 「楽しいか?」師は全員に聞く。

 「まあまあです」僕は言う。

 「私は楽しいよ」男は言う。

 「ほんとに?」師は信じられないといった表情で確認する。

 「まあまあです」

 「はい!」

 「いままでどんな人生を送ってきたんだ、お前らは」師はあきれ顔でやれやれといったポーズを取る。

 その時だった。

 「○○医師はいるか!」制服の男が大声で部屋に怒鳴りこんで来た。「来てもらおうか、お前にスパイ疑惑がかかっている」

 ○○医師とは師の事だ。


11「終わり」

 目の前で師は椅子に縛り付けられている。これは僕がやった事だ。

 これから師は僕に拷問を受けることになっている。

 僕の他に数人の上官が僕の背後に立っていた。

 「人に散々同じ事をやっておきながら、自分がいざここに座ると拷問の非人道さを呪うんだから馬鹿げてるよな」師は自嘲的に笑う。

 「黙れ!」上官の一人が師の腹部を殴る。

 「うっ……」鳩尾を打たれ師は呻く。

 「まあまあ落ち着いてくださいよ。それは僕の仕事なんですから」僕は二人の間を遮り、上官に進言する。

 「誰に口をきいてるんだ。こんな賎業で国から給金を毟り取っている分際で」上官は色を作し、僕の顔を拳で殴る。僕は床に倒れる。

 僕はゆっくり立ちあがって、師の方へ向き直る。

 「いつもやっているようにやってみろ」上官の一人が背後から僕たちに言う。「聞くところによるとお前たちはずいぶん仲がいいらしいじゃないか。そうなると拷問を加える方もかなり辛いんじゃないか? 貴様が喋りさえすれば拷問官の彼も苦しい思いをせずに済むんだぞ?」

 その台詞を聞いた瞬間、師は大声で笑い出した。上官の怒鳴る声がかき消される程だった。

 「何がおかしい!」

 「何がおかしいって、傑作ですよ。こいつが辛い思いをする? そんなことあるわけがない」師は僕を顎でしゃくる。

 「人聞きの悪い事を言わないで下さいよ」僕は不平を鳴らす。「ちゃんと辛いですよ」

 「猫が主人を失う程にはな。残念ながらこいつは苦しみませんよ。誰かを拷問する事ではね。その相手がたとえ俺だとしても」

 そういえば、犬は主人が死んでもその死体を絶対に食べたりしないけれど、猫はかじってしまうという話を聞いた事がある。師は俺を猫と同レベルに見ていたのか!

 「なんだと?」上官たちは怪訝そうな顔をする。

 「こいつはちょっと共感能力に欠ける人間でしてね、これだけ長い事付き合ってると色んな事がわかってきます。俺はこいつを気にいっていましたが、こいつは本当の意味で、俺を気に入ってるだけだったでしょう」

 「心外です」僕は主張する。

 「血も涙もない人間が本当にいると知った時は流石の俺も驚きましたよ」師は僕を馬鹿にする。

 〈拷問に際しては、お前の好みも嫌悪も全部捨て去れ。

 ただ相手を観察し、効果的に痛めつけろ。

 お前がこの行為に感情を抱く必要はない。

 これは業務でありそれ以上でもそれ以下でもない。

 お前がやらなければ他の誰かが代わりにやるまでの事。

 それなら慣れている人間がやった方がマシなんだ〉

 これらの師の言葉は、一見まだ年若い僕を気遣った忠告に思えるけれども、本当の所は僕へ向かってのものではなかった。

 よくあることだ。人は何かを自らに言い聞かせる時、誰かの存在を借りる。誰かに言い聞かせることで自らの言葉の正しさを再確認する。それを肯定して貰えたなら尚いい。だから僕はいつも「はい」と頷いてあげたし、師は「それでいい」と答えた。

 実際はどうでもよかったが、他人の考えをいちいち否定するほど野暮ではない。これで血も涙もないと言えるだろうか? 師こそ薄情な奴だ。 

 ところで上官は額に血管が浮き出るほど怒っている。

 「もういい! 他の者を呼んできてやらせる」上官の一人が部屋を出て行った。

 「お前ももういい。今すぐ出ていけ!」他の上官も僕にそう怒鳴った。

 師は不安そうな、それでいて可笑しくてたまらないといったような表情をしている。

 僕は師に目くばせする。師は頷く。

 僕は近くにあったメスを握り師に近づく。そして、師の喉元を一気に切り裂いた。スッパリ切れた頸動脈からは鮮血がほとばしる。師から学んだ医学の知識がまた役に立った。

 僕は師の様子を窺う。首から大量に血を流している。

 「ありがとよ」と師の口が動いたのを見た。

 僕は上官に報告する。「内通の事実はなかったと彼は言っておりました」

 次の瞬間、上官が何か叫びながら、僕を渾身の力で殴った。僕の身体は浮く。

 すると血の跳ねた跡の残る天井が見えた。角度の違う天井の写真が何枚も視界に入った。僕は体が床に倒れるのを感じた。立ちあがろうとしたけれどそうできなかった。視界がぼやけていった。

 ――そしてその後の事は覚えていない。僕は気付くと牢屋に入れられていた。 

 どんな罰をうけなければならないかひやひやしたけれども、結局僕は何の処罰も受けなかった。

 何故なら幸いな事に僕の処分が決まる前に僕の国は戦争に負けたのだった。

 僕は他の兵士たちと一緒に敵だった国の土地に運ばれた。

 その寒い土地に僕たちは抑留され、馬車馬のようにこき使われている。

 誰かを拷問するような比較的楽な仕事ではなく、重たい荷物を運ばされる辛い仕事だ。

 僕は若いからいいけれど、もし師だったら体を壊して苦しんだだろうと思われるのであの時死んでいてよかったのだなと思う。

 もしあの世があるとすれば師は今ごろ何をしているだろうか。

 奥さんとは再開できたのだろうか。

 やはり死んだ人間の事はよく思えてくるのだなとこの頃つくづく思う。

 師は不思議に思うかもしれないが、僕はまた師と会える日を楽しみにしている。

某有名作品のイミテーションみたくなってしまったのが心残り。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ