大笑いした悪魔の秘密(ショートショート)
今、一人の男の前に悪魔がいる。魂との引き換えを条件に、お決まりの契約交渉が進んでいた。
男は、何か違和感を覚えていた。相手が悪魔だからではない。この男、そういう方面に関しては割と信じるほうなのだ。
あぁ、そうか。
彼は、違和感の正体に気がついた。目の前の悪魔は、なるほど悪魔然とした姿なのだが、口が異常に大きいのだ。その両端は、頭頂部に届かんとするほど裂け上がっている。
さて、男から願いの内容を聞き出した口の大きい悪魔は、心の中で笑い出した。
”ホント、人間ってのは愚かな願いをするもんだよな。そんな望みを抱いたって、後悔するに決まっているのにさ”
元々、笑い上戸なのか、単に意地が悪いのか、悪魔の心に響く嘲笑の声はどんどん大きくなっていく。やがてそれは、実際の口にも伝播していった。
ククッ、クククッ。
我慢しているのに口が勝手に動き出す。もう本人にも止められないあんばいだ。
それを見ていた男は腹が立つというよりも、むしろ興味津々に悪魔の顔を見つめる。なぜなら悪魔の頭まで裂けた口は、まるでアゴが外れたが如く大きく開いていたからだ。それはまるで、顔が半分に割れたようにも見える異様な光景だった。
ハーッ、ハッ、ハッ!
自らの状況を分かっているのかいないのか、悪魔は更に大声で笑いだした。
その時である。
男は”メリッ”という、何か肉が避けるような音を耳にした。
悪魔もその音を聞きつけ”しまった”と勘づいたがもう遅い。
こわれたガマグチのように大きく開いた悪魔の口は、その勢い余って裏返しにでんぐり返った。悪魔の歯や口内は表に丸見えとなり、驚いた事にそれはどんどん体の下のほうへと広がっていく。まるで細長い袋を、くちのところから裏返していくように。
さすがの男もこれには仰天した。数分の内に、悪魔の体は完全に裏返り、体の中が”おもて”になった。
さぞや、グロテスクな姿を晒したんだろうって?
いやいや、とんでもない。
いや、本当に”とんでもない”姿を悪魔は披露したのだ。
なんと裏返った悪魔の姿は「天使」そのものだった。
「あんれ、まぁ。堕天使が悪魔になるとは聞いていたが、そうなっとるんか!」
男は、先ほどから撮影していたスマートフォンの画面を見ながら、驚嘆の声を上げる。
「お、おい。やめてくれ。映さないでくれ!!」
声のトーンが一オクターブ高くなった悪魔、じゃなかった、天使が叫んだ。
「何言ってるんだ。こんな世紀の大発見を映すなって? 」
男がニタニタと笑いながら、天使にレンズを向け続ける。今や主導権は、完全に男のほうにあった。
「こりゃ、ネットに上げたら大バズリ間違いなしだな。信用しない奴も多いだろうが、なに、再生数を稼げればいいさ」
男は目を上に向けながら、収益の皮算用を始める。
「そ、そんな事は止めてくれ。頼む、頼むよ。仲間に知れたら、僕は地獄から追い出されちまう。
もう魂を取る仕事も出来ないし、悪魔には失業保険もないんだぞ。
ここはひとつ、憐れな天使を助けると思って……」
天使は、ひざまづいて懇願した。
それを見た男の口角が、クイっとあがる
「うーん、考えてやらなくもないな」
「ほ、本当に?」
天使の顔に、ひとさしの希望の光が差し込んだ。
「さっき、俺が頼んだ願いがあるだろう。あれを叶えてくれ」
どんな要求をされるのか心配していた天使は、ほっと安堵の表情を見せる。元々、契約を取りに来たのだ。それを実行するだけなのだから、何の問題もない。
フン。人間というのは、どれだけ愚かな生き物なのだろう。こんな滅多にないチャンスをふいにするなんて……。
天使がそう思った時、男が二の句をつぐ。
「ただし、死んでも魂はやらない。それが、条件だ」
死刑宣告にも等しい言葉が、あたりに響いた。
「ええっ? そんな無茶な」
天使は、思わず叫ぶ。
「じゃぁ、この映像は早速ネットに上げるぞ。
まぁ、よく考えてみろよ。これが衆人の目に触れれば、お前は失業してしまうんだろ? それに比べれば、魂一つくらい安いもんじゃないか」
「あ、あんた、悪魔か!?」
虚しい皮肉が、天使の口をついて出た。
だが天使に選択の余地はない。彼は、しぶしぶ男の条件を受け入れた。
「はぁ……」
男が立ち去った後、深いため息をつく惨めな天使。
「悪魔36178号よ。これで何度目だ」
突然、天使の後ろから声がした。
「あっ、あんたは監察官の……」
監察官と呼ばれた長身の悪魔が、へたり込んでいる天使を見下ろす。
「あれほど、笑いグセは治せと言っただろう。こちらとしても、我慢の限界だ。
確かに人間は愚かだし、心の中で嘲笑するのは勝手だよ。しかしそれが続く内に、そんな大きな口になったのを忘れたか。
天使の姿を晒したのも、一度や二度じゃないだろう」
監察官が、手元のタブレットを操作しながら言った。
「今回だけ、今回だけ許して下さい。次は必ず!」
天使が、今度は悪魔に懇願する。
「ダメだね。
わかっているだろうが、人間の願いを叶えるのだってタダじゃできない。使える予算 の総額は決まっているんだよ。それを魂で回収し、利益を得るんじゃないか。
お前さん。どれだけ地獄界に損害を与えているのか、わかっていないようだな」
監察官の至極まっとうな物言いに、天使はうつむくしかなかった。
「僕は……、クビですか……?」
うなだれて尋ねる天使に、
「まぁ、そうだ。しかし、クビだけじゃすまんよ。悪魔となったキミが、地獄界から追い出されて生きて行けるとは思えない。かといって、ノラ悪魔になられても困る。
上とも相談していたんだが、キミには他の悪魔たちの見せしめになってもらうよ」
と、監察官が冷たく言い放つ。
「見せしめ?」
「あぁ、そうだ。
キミは天使から堕天使になり、すなわち悪魔となった。これより”堕ちる”としたら何だと思う?」
意味ありげな言い回しに、最初はポカンとしていた天使だったが、やがてその真意に気がついた。
「ま、まさか……!」
「わかったようだね。そう、君には”人間”に堕ちてもらう。
最高の見せしめだろう?」
監察官の表情は、侮蔑と嘲笑に満ちていた。
「そ、それだけは、ご勘弁を! 人間なんぞになるくらいなら、死んだ方がマシだ」
天使の哀訴も空しく、監察官は職権で天使に魔法をかけた。天使は見る見るうちに、おぞましい人間の姿になっていく。
「やぁ、お似合いだよ。君の寿命は、あと七十年くらいかなぁ。せいぜい人間ライフを楽しんでくれたまえ。
まぁ、人間界では年を取るほど悲惨な暮らしが待っているというから、今の内に人生を謳歌するんだね」
監察官の言葉に、
「七十年? そんなに長く……。冗談じゃないです。そんなの耐えられません、絶対に!」
と、愚かな人間となった天使が、涙を流し上司へと訴える。
「お願いです。僕を悪魔に戻して下さい。
魂でも何でも差し上げますから!」
その言葉を聞いた監察官の目が、最高にいやらしく光った。
【終わり】




