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欲望の残滓

黄色い鎧の男は倒した。 


これで『欲望同盟』は終わりだ。


だが……。


「大丈夫か、ジーナ!」


「……ゼ……ロ……」


麻痺毒か!


俺は腰の皮袋から解毒薬を急いで取り出すと、ジーナの口元へ運んだ。


幸いにも意識はあるようで、彼女は何とか少量ずつ自力で薬を飲み下した。


刀を鞘に収め、俺は近くにあったシーツでジーナの体を包み込む。


そのまま彼女を横抱きに――いわゆるお姫様抱っこの形で抱え上げ、階下へと向かった。


こんなおぞましい場所に、一時もジーナを置いておきたくなかった。


「ゼロ、ゼロ……っ」


ジーナは俺の首にしがみつき、声を上げて泣き続けている。


「大丈夫だ、ジーナ。もう平気だからな」


俺の言葉にも、彼女の涙は止まらない。


「落ち着け。あいつはもう死んだんだ」


階段の途中に、ジーナの服と装備が散乱している場所があった。


俺はそこで静かに彼女を下ろす。


破られた服を集め、即席で結び合わせる。


「ジーナ、この服を一応身につけておいてくれ。変な勘違いをされないためにも。……破れてはいるが、なんとか直して着てみてほしい。その上からさっきのシーツを羽織ればいい。その間に、俺は地下の女たちを解放してくる」


俺は一目散に階下へ向かった。


最下層の階段の先には、重厚な鉄の扉が立ちはだかり、巨大な南京錠がかけられていた。


俺は腰の皮袋から爆発球を取り出す。


点火栓を押し込み、扉に向けて投げつけると、すぐさま階段の上へと避退した。


凄まじい爆発音と共に、塔がわずかに揺れる。


煙と埃が立ち込める中、俺は再び階下へと駆け降りた。


視界は最悪だが、収まるのを待つ余裕はない。


湿り気を帯びた冷気。


鉄錆と排泄物、そして腐った血の臭いが鼻を突く。


視界が開けた瞬間、奥から奇声が上がった。


「ギシャアアア!」


「ウヒヒヒヒ!」


頭から豚や牛、獣を模した薄気味悪い被り物を被った男たちが三人。


返り血で汚れた大斧やスパイク付きのメイスを振りかざし、獲物を狙う獣の足取りで迫ってくる。


おそらく拷問人だろう。


その背後の檻には、生気を失い、木の葉のように震える女たちが詰め込まれていた。


中には拷問道具で無惨な傷を負わされた者もいる。


「……貴様ら、人間か」


怒りで視界が赤く染まる。


俺は一気に踏み込み、三人をまとめて斬り伏せた。


絶叫が地下の空洞に反響し、どろりと重い血が石床に広がっていく。


俺は死体から鍵束を奪い取ると、片端から牢屋を開けていく。


「さあ、外へ出るんだ!」


だが、女たちは何が起こったのか理解できないのか、あるいは生きる意欲を失ってしまったのか、すぐには反応しなかった。


俺は喉が張り裂けんばかりの声で叫ぶ。


「黄色い鎧の男は倒した! 欲望同盟は滅んだ! 地獄から脱出するんだ!」


その言葉で、女たちの瞳にわずかな光が戻った。


彼女たちはよろよろと起き上がり、出口を目指し始める。


誰一人として「我先に」と駆けていく者はいない。


動けない者を互いに助け合い、支え合いながら歩みを進めていた。


そうだ、これこそが人間だ。


あいつらのような獣ではない。



俺はさらに奥へと進み、牢の鍵を開け続ける。


一番奥の分厚い鉄の扉をゆっくり開ける。


扉を開けた瞬間、女の悲鳴と男たちの下卑た笑い声が飛び込んできた。


俺は勢いよく中へ踏み込む。


中央のベッドには、手足を四方に固定された女が絶叫していた。


その周りには、山羊と犬、虎の被り物を被った三人の拷問人が、卑猥でおぞましい道具を手に「遊んで」いた。


「貴様ら……!」


躊躇ちゅうちょはなかった。


瞬きする間に三人を袈裟懸けにする。


拘束を解き、近くにあったシーツを彼女に渡す。


全身の傷が痛々しい。


だが、それ以上に目を引いたのは、肌に刻まれた無数の紋様――刺青いれずみだった。


「堕落の女神メリダの神官か……」


神職にまで手を出すとは。


欲望同盟の卑劣さは底が知れない。


俺は怯える彼女に手を伸ばし部屋を出た。


倒れそうになる体を支え、外へと連れ出す。


外では、ミユとニアが甲斐甲斐しく女たちの世話をしていた。


俺の姿を認めると、二人は安堵の笑みと、不安な表情を同時に浮かべた。


「ゼロ、ジーナさんは?」


俺はハッとして、慌てて踵を返すと階段を駆け上がった。


まさか、ジーナが絶望して早まったことを……!


だが、その心配は杞憂に終わった。


ジーナはどこからか調達してきたのか、水色の服に白いスカートという新しい服に身を包んでいた。


腰には短剣がきちんと装備されている。


「ゼロ、本当に……ありがとう。」


ジーナはいつになく真剣な表情で俺に礼を言った。


「間に合ってよかった。……さっきのことは、その、誤解されると厄介だから、二人だけの秘密にしておこう」


俺がそう告げると、彼女は小さく頷いた。


俺たちは高級回復薬片手に砦内をくまなく探索し、生存者がいないか確認してまわった。


最終的に救出できたのは、六十九人の女性たち。


だが、その何倍もの命がここで無惨に散っていったに違いない。


彼女たちの無念を思うと、今はこの世に存在しない『欲望同盟』への憎悪が再び胸に満ちてくる。


ふと見ると、女たちの集まっている場所で騒ぎが起きている。


ミユが捕らえていた欲望同盟の生き残りの下っ端三人。


彼らが女たちに取り囲まれ、無様に慈悲を乞うていた。


だが、女たちの瞳には憎悪の炎が宿っている。


彼女たちは手に手に武器や石、瓦礫を掴み、一斉に男たちへ襲いかかった。


俺たちは、誰もそれを止めなかった。


……当然の報いだった。


無惨なむくろを晒す男たちを背に、俺たちはここから一番近い街、宮殿の門前町へと出発しようとする。


その時、一人の女が突如として倒れ、苦しみ始めた。


褐色の肌に刺青、銀髪のロングヘア。


俺が助けた女神官だ。


その彼女の下腹部に、不気味なピンク色の紋様が浮かび上がり、怪しく光り出した。


「これは『従属の呪い』だね……」


ジーナが哀れみの目を向ける。


「欲望同盟の誰かと契約させられたんだろう。あるじが死んだことで、この子も殉死させられようとしているんだ」


「どうすれば助かる!?」 


俺たち三人は、ほぼ同時にジーナに問いかけた。


「誰かがもう一度、契約を結び直すしかない。だけど、欲望同盟の連中のことだ。おそらく…その、なんていうか、男でなければ上書きできない種類の契約だよ」


「だから、具体的にどうすればいいんだ!」


苦しみのあまり血を吐き始めた銀髪の女を見て、俺は思わず怒鳴っていた。


「それは……ここで、その行為をするには、ちょっと……、そうだ、もしあの契約だとすれば、粘膜接触が条件だから、口づけをすることで上書きできるはずだ。」


ジーナの言葉を聞き終える前に、俺は彼女へと歩み寄ろうとした。


だが、俺の腕は恐ろしく強い力で掴まれた。


振り返ると、そこには今までに見たこともないような真剣で険しい表情のニアが俺を睨んでいた。


「ゼロ! 正気なの!? 従属契約がどういう意味か分かって言ってるの? しかも、あの女と不潔な契約を……! あなたがそこまでする必要なんてどこにもない!」


俺は、ニアがなぜこれほどまでに怒っているのか、その時の俺はまだよく分かっていなかった。


「命に不潔も何もない! せっかく救えた命だ。助けられなかった多くの犠牲者のためにも、ここで見捨てるわけにはいかないだろう!」


「でも! 何もゼロがやらなくても……。街まで連れていけば、誰か他の人が……っ」


「この様子を見てくれ! 街まで持つと思うか!? 口づけ一つで助けられるなら安いものだ。分かってくれ、ニア!」


「…………っ」


俺は拘束を振り切り、血にまみれて苦しむ銀髪の女に、躊躇なく口づけを交わした。


瞬間に、彼女の下腹部にあったピンクの紋様が淡く輝き、やがて霧散するように消えていく。


女はそのまま、糸が切れたように意識を失った。


「助かってよかった。急いで回復させましょう」


ミユがそう言いながら駆け寄り、口移しで高級回復薬を飲ませる。


「だれの命も平等かぁ。あんたらのそういう考え方、わたしは嫌いじゃないよ」


ジーナが微笑んだ。


だが、その傍らでニアは下を向いたまま、石像のように固まっている。


握りしめられた両手は、小刻みに震えていた。


鈍感な俺にはその震えの意味が、潔癖によるものだとしか思っていなかった。


しかし、ミユは確かに見た。


ゼロが銀髪の女に口づけをした瞬間、ニアが浮かべた『悪鬼』のような形相を。


ミユは平静を装いながらも、今後のパーティの行く末が不安で仕方がなかった。


一週間後。


『悦楽の宮殿』の門前町にある宿屋。


俺たちは助け出した女たちを連れてこの町に戻り、町の警察組織に女たちの身柄を委ねた。


場所柄、組織内には欲望同盟に通じていた者も多かったようだが、本拠地が壊滅したと聞いて、もはや女たちに手を出す者はいなかった。


女たちは徐々に生気を取り戻し、一人、また一人と故郷へと帰っていく。


欲望同盟を想起させるこの町の淫靡な空気を考えれば、一刻も早く立ち去りたいのが本音だろう。


俺たちは砦の金庫から手に入れた金貨を、彼女たちに一人あたり三十枚ずつ均等に分け与えた。


当座の生活には困らないだろう。


俺たちは宿屋の食堂で円卓を囲んで夕食を食べていた。


気まずい……。


ニアは誰とも視線を合わせず、ただ黙々と食事を食べている。


あの日以来、俺と口を利いてくれない。


俺もあえて話しかけなかった。


なぜ、あんなにも怒ったのか。


契約によって、見ず知らずの素性の知れない女が、俺たちのパーティに入るかもしれないということに嫌悪感を覚えたのだろうか?


口づけをする行為自体が穢らわしいという潔癖な感覚なのか?


ジーナはあの日、塔から出てきた時の服装の違いを二人に指摘されたが、「可愛い服があったから貰ってきた」という苦しい言い訳で押し通している。


ミユは、銀髪の女――ヤオの世話を一身に引き受けてくれている。


そのあまりに献身的な姿は、まるで誰かからヤオを守るようにも見えた。


その甲斐あって、ヤオはみるみる元気を取り戻している。


今ではミユだけでなく、ジーナとも少しは打ち解け、食事の際も笑顔を見せるまでになっていた。


ただ、俺はニアの手前ヤオにどう接したらよいか分からず、結局のところ、ニアと同じように自分から喋ることなく、笑顔で会話を合わせるだけだった。


突然、ニアが立ち上がると、何も言わずに自分の部屋へ引き上げていく。

……。


どうすれば機嫌が直るんだ?


俺はニアに何と声をかけようか、思い悩む。


俺たちは食事を終えると、それぞれの部屋に戻る。


俺は宿屋の窓から、甘ったるい香の匂いにうんざりしながら、夜空に輝く星空を眺めていた。


ミユを追う者はもういない。


ヤオも地獄から解放された。


欲望同盟という呪縛はこの世から消え去った。


俺は、これからも俺の信じるままに生きる。


仲間を守り抜き、そして、いつか必ず、家族の元へ帰る。


「次は、『ドラゴンの墓場』だな」


俺は星空を見ながら一人呟いた。


あそこで『脱出の刻印』を体に刻む。


それが、この世界というゲームをクリアするための、次なる一歩だ。


クリアした先に、本当の現実が待っているのか、それとも予想もしない結末が待っているのかは分からない。


だが……。


「試してみる価値はある」


独り呟く俺の背後から、視線を感じた気がした。


慌てて振り返るも、誰もいない。


ただ、ドアがほんの少しだけ開き、隙間から廊下の光が差し込んでいた。


そして、これからの俺たちの旅を暗示するかのように、夜風がカーテンを不気味に揺らしていた。

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