セルバグ族の墓
「この川を渡れば、悦楽の宮殿まではあと少しです」
ミユが前方の濁流を指さして言った。
俺たちは今、目的地である『欲望の砦』の目と鼻の先まで来ていた。
「渡るって……どうやってだい? 結構な急流だよ」
ジーナの問いに、ミユは二つの選択肢を提示する。
「このまま馬を連れて泳いで渡るか、上流にある橋を渡るか。ですが、橋は『欲望同盟』に見張られている可能性があります」
「隠密性が絶対条件だ。奇襲を仕掛ける前に見つかるわけにはいかないね」
ジーナが腕を組み、険しい表情を見せる。
ふと俺は、ゲームの知識を総動員して一つの提案を口にした。
「……そうだ。橋のすぐ近くに『セルバグ族の墓』があったはずだ。あそこに寄って、魔法契約をしてから行くのはどうだ?」
俺の脳内では勝利へのロジックが急速に組み上がっていった。
あそこで魔法を習得すれば、悦楽の宮殿前の門前町で売られている『シーホーク』の素材を使い、『ウインドホーク』の魔法が発動できる。
初期レベルの魔法だが、筒を利用して爆発球を飛ばせば、即席の「迫撃砲」になるはずだ。
さらに、最深部で手に入る『透過石』があれば、姿を消して橋を突破できる。
俺がその計画を話すと、ジーナとニアは魔法習得に目を輝かせたが、ミユだけは苦い顔をした。
「……あそこへ行くのですか? あのダンジョンは罠の密度が尋常ではありません。一人でも困難なのに、四人同時に挑んで無事にクリアできるとは思えません」
確かにミユの言う通りだ。
あそこは有名な映画さながらの初見殺しダンジョン。
転がる巨石、吹き矢の壁、石の釣り天井、そして一度踏むと連鎖的に崩落する床。
複数人で入れば、先頭が床を抜いた瞬間に後続は奈落の底だ。
「俺一人でも魔法が覚えられれば、迫撃砲での遠距離攻撃ができる。ゲーム通りクールタイムがあるなら順番に攻略する手もあるが……まずは行ってみよう」
俺たちは断崖に刻まれたセルバグ族の墓へと到着した。
そこはネイティブアメリカンの墓を彷彿とさせる、断崖絶壁の岩の割れ目に死者を埋葬する特異な形式だった。
相談の結果、最もリスクの低い「ニアの案」が採用された。
まずは俺が一人で挑み、その間にミユがトラップの回避法を二人に教え、クールタイム(再使用待機時間)を待ってから次を考える。
「よし、行ってくる」
俺は馬を降り、腰の武器も水袋も、動きを阻害する小物はすべて外した。
ニアが甲斐甲斐しく俺の装備を受け取る。
ここは戦闘ではなく、純粋な身体能力と記憶力が試される死の試練だ。
ワンミスが即、命取りになる。
岩肌を掴む手にじわりと痛みが走る。
ゲームとは違う「リアルの感触」に緊張が走った。
崖の中腹にある割れ目に滑り込むと、そこにはゲーム通りミイラ化した遺体があった。
遺体を安置していた大きな石の台座を動かすと、暗い口を開けたダンジョンの入り口が現れる。
深呼吸し、頭の中でルートを反芻する。
入り口から下を凝視すれば、ゲーム通りの無数の鋭い棘。
一箇所だけある平らな面を狙い、意を決して飛び降りる。
「――っ、痛っ……!」
着地の衝撃が足首を打つ。
二階から飛び降りたような痛みだが、骨に異常はない。
着地点にある石のスイッチを押し込むと、二筋の炎が通路に伸びた。
その間がダンジョンの通路だ。
俺は燃える二筋の炎に彩られた道を進む。
棘のトンネルを抜け、次のエリアへ。
ここからはスピード勝負だ。
足を踏み出した瞬間、背後から轟音と共に巨大な丸石が転がってくる。
壁からは毒矢の雨。
俺は記憶を頼りに矢の軌道を読み、全力で駆け抜ける。
そして最後にして最大の難所。
釣り天井が落ち、同時に足元の床が崩れ始める一本道。
「はあああああッ!」
頭上から迫る石板をダイブで回避し、着地した瞬間に後ろの床が消える。
走る。ただひたすらに。
足の裏に感じるのは、崩れゆく石の震動と、空を切る感覚。
ゴールが見えた。
俺は最後の力を振り絞り、向こう側の床へと飛び込んだ。
息を切らしながら祭壇へ向かう。そこには司祭のミイラが禍々しい革表紙の本を抱えていた。
祭壇には透過石も置いてある。
俺は透過石を手に持ち、司祭の干からびた手から本を取る。
ページを開くと、中に挟まれていたのは、鮮やかな金の鱗粉を纏った黒い蝶だ。
くそっ、ゲーム通りならこれを食べるのか。
俺はそれを手に取り、躊躇わず口の中へ放り込んだ。
咀嚼し、喉の奥へ押し込む。
――視界が、真っ暗になった。
気づくと、俺は入り口のミイラが安置されていた台座の上に倒れていた。
急いでステータスを確認する。
【魔法:習得済み(レベル1)/使用可能:炎の奇跡、命の花】
よし、成功だ。
俺のレベルは100。
魔法素材さえあれば、最高位の魔法まで習得できる器はある。
崖を慎重に降りると、三人が駆け寄ってきた。
「どうだった!?」
期待に満ちたジーナの笑顔の問いに、俺は首を振った。
「魔法は覚えた……だが、罠は想像を絶するレベルだ。ゲーム以上にリアルな死の恐怖がある。悪いことは言わない、二人はやめておいた方がいい」
「そんな、約束が違うじゃないか! わたしだって強くなりたいんだ!」
食い下がるジーナ。
だが、ミユが静かに言葉を添える。
「……ゲームをやり込んでいる私でさえ、クリアは紙一重でした。『欲望同盟』の緑色の鎧の人も、ここで失敗して命を落としています」
それでもジーナは諦めきれないのか、崖に手をかけようとする。
俺はその体を無理やり引きずり下ろし、彼女の両肩を強く掴んだ。
「な、なんだい、いきなり!」
「ジーナ、死んだら元も子もないんだ。ジーナの実力を疑ってるわけじゃない。でも、万が一ジーナが戻ってこなかったら、俺は嫌なんだよ!」
至近距離で、真剣そのものの眼差しで訴えた。
俺の荒い息が顔にかかる距離に、ジーナの威勢がみるみる萎んでいった。
「わ、分かったから……行かないからさ。その……肩が痛いし、あっ、少し離れてくれ……」
真っ赤になったジーナが顔を背ける。
俺は慌てて手を離し、「悪い、つい」と謝った。
ニアが「思い直してくれて良かったです、ジーナさん」と、いつも通り柔和な笑みを浮かべる。
俺の装備を持って来て、俺の腰に巻いてくれようとする。
だがミユは見ていた。
俺とジーナのやり取りを見つめるニアの顔が、一瞬だけ醜く歪んだのを。
……あの一瞬の表情は、何? 昨夜のことも……。ゼロさんに、伝えた方がいいの……?
不穏な予感に、ミユの心は激しくざわついていた。
結局俺たちは、そのまま、橋に向かって馬を走らせる。




