焚き火と偽りの名前
その後は、特に他の追放者と遭遇することもなかった。
確か、この辺りにもいたはずだが……誰かに先に倒されたのだろうか。
色々と腑に落ちない点はあったが、
どうせ夢だ。深く考えずに進むことにした。
採取をしながら、川の流れに沿って歩く。
やがて夜になり、適当な窪地を見つけて野宿を決めた。
夜の冷え込みは、想像以上だった。
昼間の灼熱が嘘のように、砂漠の空気は一気に温度を失う。
布切れ同然の衣服では、風が皮膚を直接削っていく。
「……このままだと、体力を削られるな。焚き火をしよう」
俺がそう言うと、向かいにいたニアは即座に首を振った。
「火は危険だ。他の追放者に見つかる」
正論だった。
焚き火は、“ここに人がいる”という宣言に等しい。
「大丈夫だ。気づかれない」
そう言って、俺は乾いた枝を集め、石を打ち合わせる。
うまくいくかは分からなかったが、手は迷わなかった。
ぱち、と小さな音。
やがて、弱々しい炎が揺らめく。
赤い光が闇を押し退け、二人分の影を地面に落とした。
ニアは落ち着かない様子で周囲を見回していたが、
やがて小さく息を吐く。
「……本当に、大丈夫なのか?」
「少なくとも、見つかったことはない」
“今まで”は。
そう付け加えるのを、俺は飲み込んだ。
火の温もりが、ようやく指先に戻ってくる。
⸻
しばらく、無言の時間が流れた。
炎が枝を噛み、ぱちぱちと音を立てる。
その音だけが、やけに大きく聞こえた。
先に口を開いたのは、ニアだった。
「……名前、まだ聞いていなかったな」
「ああ」
一瞬、言葉に詰まる。
本名を名乗る気には、どうしてもなれなかった。
ここは、俺の知っている世界じゃない。
――いや、そうであってほしかった世界だ。
「……ゼロだ」
咄嗟に、口から出た名前。
「ゼロ?」
「ああ。転生者らしい」
自分でも馬鹿げていると思う設定を、軽く口にする。
案の定、ニアは眉をひそめた。
「意味が分からない」
「この世界のことを、少しだけ知ってるって意味だ」
俺は肩をすくめる。
「君のことを知ってる、って意味じゃない」
その言葉に、ニアはわずかに笑った。
「私はニアという」
焚き火を見つめたまま、ニアは続けた。
「私は、没落貴族の娘だった」
淡々とした声だった。
「縁談を断った。それだけで、反逆の罪を着せられた。
両親は幽閉されている」
指にはめられた指輪を、親指でなぞる。
「これを付けられた瞬間、全て終わった」
怒りも、悲しみも、どこか遠いもののようだった。
「だから、私は生き残る。
それだけだ」
その目は、揺れていなかった。
俺は、静かに頷いた。
⸻
夜明け前、簡単な粥を作った。
立ち上る匂いに、ニアが目を覚ます。
「……いい匂いだな」
「食えるうちに食っておこう」
二人で黙って口に運ぶ。
温かさが、腹の底に落ちていった。
「この先だが……」
食事を終え、俺は切り出す。
「カヒムに向かう」
「街か?」
「ああ。罪人の地で一番栄えている。
金があれば、情報も物資も手に入る」
ニアは少し考え、俺を見る。
「なぜ、そんなことを知っている?」
「俺の知っている世界なら、な」
正直に答えた。
「……だが、確信はない」
しばらくの沈黙の後、ニアは短く答えた。
「……分かった。行こう」
川沿いで採取を始めた、その時だった。
藪の奥で、淡く青白い光が、一瞬だけ瞬いた。
こちらへ向かってくる。
「……今の、見たか?」
ニアが低く呟く。
「ああ」
俺は即答した。
「大丈夫だ。
特殊個体だ。倒し方を知っていれば、危険じゃない」
――そう言ったはずなのに。
発光の間隔が、違う。
最初から、あんな風に点滅はしない。
胸の奥に、理由の分からない違和感が残る。
川の音が、急に遠くなる。
――次の瞬間を、
俺は、まだ知らなかった。




