毒に溺れて
地底湖の湿った空気が、大階段を上がるにつれて重苦しい熱気に変わっていく。
俺たちは、ミユを先頭にして上がっていく。
「みんな、解毒薬の数を確認しておこう。一人最低でも5個は持っておかないと不安だ」
俺は、この先に待ち受ける『あいつ』対策に必須の解毒薬の数を確認する。
ニアとミユは7個、ジーナは6個、俺は5個に再分配する。
「この先にいるのは、そんなにヤバい毒のバケモンなのかい?」
ジーナが腰の皮袋に解毒薬をしまいながら言う。
「ワールドボスの中でも一二を争う猛毒の持ち主です。本当に危険な致死毒なので、少しでも攻撃を受けたり、毒を被ったりしたら、すぐに解毒薬を飲んでください。さもないと、大変なことになります」
ミユが念を押す。
最上段に辿り着いた俺たちの前に広がった景色は、古代の儀式場のような場所、広大な円形広場だった。
中央には、紫黒色の不気味な毒を吐き出す巨大で奇怪な生物、大蠍の体から麒麟の首と頭が生えている――ワールドボス『スケロリア』が、獲物を待つように鎮座していた。
「……あれが、スケロリア‥‥‥。ゲームで見るより、ずっと禍々しいです」
ミユが声を潜めて、俺たちに最終確認を促す。
「いいですか、あいつは全身が猛毒の塊です。ハサミのラッシュ、広範囲の尻尾振り回し、そして口からの麻痺毒。全て掠っただけでも致命傷になります。解毒薬はすぐに飲んでください!」
俺が付け足す。
「狙い目は、尻尾振り回し直後の一瞬の硬直だ。その際に長い首の付け根を叩き切れば、巨大な胴体も無力化できる」
「作戦はこうだ。俺が正面から攻撃。ジーナは機を見て、背後から蠍の尻尾の毒針を切り落としてくれ。ニアとミユは左右からあいつの足を切り落としていく。動きが悪くなると攻撃も見切りやすい。みんな、斬った時に噴き出る毒の体液に注意して。尻尾振り回しは思ったより広範囲まで届くから気をつけていこう」
「任せな。あんな気味の悪いバケモン、さっさと始末してやるよ」
ジーナが二本の短剣を回しながら鞘から抜き構える。
「ゼロ、私、頑張る!」
ニアの声は低く、どこか強迫観念じみた響きがあった。
「みんな行くぞ!」
俺の号令と共に、四人は走り出す。
スケロリアがこちらに気付き、耳障りな不可解な声で咆哮した。
麒麟に似た醜悪な顔、口が大きく裂けるように開き、黄色い麻痺毒の霧を吹き出す。
「散れっ!」
だが、霧が思ったより大きく爆散し、俺たちは少しずつ被ってしまう。
「くっ!」
毒霧に触れた場所より体に痺れが急激に広がり、痛みが神経を伝わり脳にダイレクトに届く。
「みんな、解毒薬を!」
四人はそれぞれ解毒薬を飲む。
痛みが和らぎ、体の痺れが消えていく。
「みんな、解毒薬は惜しむな!」
俺はそう叫ぶと、正面から突き進み、猛烈なハサミの連撃を刀の腹で受け流す。
一撃ごとに、腕が痺れるような衝撃が走ると共に、スケロリアの体表を覆う粘液状の毒液が飛び散り、俺の体全体に付着する。
俺は素早く腰の皮袋から解毒薬を取り出し、親指で蓋を開けると片手で一息に飲み干す。
こいつは、本当に厄介だ。
横からミユが大斧をスケロリアの足に振り下ろす。
ニアも鋭い踏み込みで足を狙うが、硬い外殻に弾かれてしまう。
「硬い……! なら、関節を……!」
「ニア、深追いするな! 下がれ!」
俺の制止を無視するように、ニアがさらに一歩踏み込む。
そこへ、スケロリアの巨大な尻尾が、死神の鎌のように横になぎ払われる。
「みんな、危ない!避けろ!」
俺の声より早く、ジーナがニアに向かって走り出す。
間一髪、ジーナがニアの襟首を掴んで後方へ放り投げる。
そのままジーナが空中で身を翻し、焔の閃光を放った。
「この蠍のバケモノ、ジーナ様の一撃を喰らいな!」
鮮やかな手際だった。
ジーナの二本の短剣が、スケロリアの最大の武器である尻尾の先端――猛毒の針を、関節の隙間から正確に切り飛ばした。
「ギィェェェェエエエッ!」
絶叫と共に、スケロリアの動きが一瞬止まる。
切り飛ばした瞬間に、体液が勢いよく飛び散り、ジーナやニアの体に付着した。
二人は慌てて解毒薬を飲む。
しかし、尻尾振り回しの後の「隙」が生まれた。
「今だ!!」
俺は地面を蹴った。
だが、その時――。
俺よりも先に動いた影があった。
ニアだ。
「私が……私が終わらせる!」
彼女は飲み干した解毒薬の瓶を投げ捨てると、自分の安全など度外視し、スケロリアの背中へと駆け上がっていた。
「やめろ、ニア!こいつは体にも毒を纏っている」
そこまで彼女を突き動かしているのは、何なのだろう?
スケロリアの首の付け根、猛毒の粘液にまみれた弱点。
ニアの剣がそこへ吸い込まれるように突き立てられる。
「ニュェェェェエエエッ!」
絶叫と共に、スケロリアの首の付け根から勢いよく猛毒の体液が吹き出し、ニアはモロに体中に浴びてしまう。
「きゃあぁぁ。」
ニアの悲鳴と共に、毒に触れたニアの皮膚が一瞬で緑色に変色していく。
首が皮一枚で繋がっているスケロリアが、死に物狂いで体を振り回し、ニアを勢いよく叩き落とす。
「ニア!解毒薬を!」
「ニアさん!早く!」
俺は自分の解毒薬を取り出し、ニアの体まで走る。
彼女の剣はスケロリアの首に刺さったままだ。
暴れるスケロリアは、やつの範囲攻撃である、全身から霧状の猛毒を勢いよく噴き出す。
辺り一面に猛毒が霧雨のように撒き散らされている。
「うっ!あああああッ!」
鈍い感触と共に、俺の体中にもスケロリアの毒が付着し、焼けるような痛みと、吐き気が襲う。
急いで持っていた片手に解毒薬を飲む。
瓶を捨て、腰の皮袋から新しい解毒薬を取り出す。
倒れているニアまでたどり着くと、すでに全身緑色で虫の息だ。
「ニア、早く飲め!」
俺は解毒薬の瓶をニアの口に当て、急いで飲ませる。
弱々しく飲み干すニア。
緑色がゆっくり肌色に変化していく。
だが、絶え間なく降り注ぐスケロリアの猛毒。
俺はニアを抱き抱えると、急いで、スケロリアの体液の毒雨の範囲から逃れるため走る。
「うっ!」
またスケロリアの猛毒が付着する。
あまりの痛みに思わず膝をつく。
急いで片手で腰の皮袋に手を突っ込む。
最後の一本だ。
俺は急いで飲むと、再び両手でニアを抱き抱えて走り出す。
ニアにもさっきの毒雨は付着しているが、ここで飲ませているとまた二人とも毒を喰らってきりがない。
安全圏に逃れてから飲ませよう。ニアはまだ解毒薬を持っているはずだし。
俺は登ってきた階段の辺りまで全力で走る。
ジーナもミユも、毒雨にやられたらしく、解毒薬を飲みながらついてくる。
この辺でいいだろう。
俺はニアを下ろして仰向けに寝させると、ニアの腰に手をやる。
なっ?!
皮袋がない!
どういうことだ?
戦闘で落としたのか?
「ジーナ、ミユ!解毒薬を一つ、急いで!」
ジーナが腰から取り出した俺に手渡す。
急いでニアに飲ませる。
「ゼロさん、スケロリアの毒の霧雨は、ゲームではあんなに広範囲に降り注がないです!」
ミユが戸惑った表情で言う。
「あぁ、ゲームとは違う。しかもゲームでは感じることのない痛みが半端なく凄いな」
「解毒薬、あと二本です」
「あたしは残り一つ」
「俺はもうない。ニアは落としたらしい」
「ははっ、あの毒の雨の中、あいつの止めを刺しに行くのに、解毒薬がたったの三本かい」
ジーナが皮肉たっぷりに言う。
「ミユの解毒薬を、俺に一本、ジーナに一本渡してくれ。ミユはここでニアの看病を頼む」
「ジーナ、お互い一本ずつを使ってあいつの間合いに入る。俺があいつの首を切るから、もしあいつを倒して俺が噴き出る毒にやられたら解毒薬を飲ませてくれ。万が一倒せずに俺が倒れたら、残りの一本を使ってミユのところまで戻って3人で脱出してくれ」
「あいよ、必ず倒せるさ」
ジーナは俺を見つめニヤリとする。
「行くぞ、ジーナ!」
俺とジーナはスケロリアがのたうち回るたびに傷口から噴き出る猛毒の体液の雨と水溜まりを避けながら、近づいていく。
俺は刀を納刀し、居合い切り四連撃のイメージを頭の中で描く。
霧雨のように細かい毒の体液が空中を舞っている。
その中を突っ切るしかない。
霧の中に入った瞬間、全身から激しい痛みが脳に響く。
それでも足を止めずスケロリアに走り寄る。
「うっ!」
ジーナに何かあったに違いないが、振り向く余裕はなかった。
とにかくこいつを倒してからだ。
痛みが耐え難くなり、麻痺毒により脚が止まりそうになったので、俺は最後の解毒薬を飲む。
行くぞ!
俺は間合いを見計らい、思い切り踏み込むと、全身全霊の力で刀を抜きながら斜めに切り上げる。
そのまま刀を返して逆斜めに切り下げる。
「キュェェェェエエエッ!」
麒麟のような首が蠍の胴体から切り離されると同時に、緑色の体液が勢いよく噴射する。
俺はもう一歩踏み込みながらも、右に身をかわす。
ゲームでは倒した際の体液は切り口の方向に噴出したはずだ。
俺の予想通り、スケロリアは左側に体液を噴出させる。
今回はゲーム通りで助かった。
巨体が地響きを立てて崩れ落ち、周囲に立ち込めていた毒霧や瘴気が霧散していく。
「……本当にやったのか……?」
俺は自然に口にしていた。
またゲームとは違う異変が起こるのではないか?
だが、何事もなく静寂が戻る。
俺はジーナのことを思い出し、急いで振り返って走り出す。
ジーナは片膝をつき、解毒薬を飲み終えていた。
「ジーナ、大丈夫か?」
倒れているジーナに俺が手を差し伸べると、ジーナは一瞬だけびっくりするような目をした。
「……遅いっての。もう立てるわよ」
しかし、握る手にほんの少しだけ力が入る。
ゴゴゴゴゴゴ‥‥‥
重い音を立てて、広場の奥の祭壇が沈んでいき、その穴から光が溢れる。
再び上がってきた祭壇には、目的の『ルーンブレード』が眩い光を放っているのが見えた。
「凄いねぇ!伝説武器だよ!」
ジーナがキラキラした目でルーンブレードを指差す。
「ミユ、ニア、もう大丈夫だ!こっちに来てくれ」
俺はそう叫ぶと、ジーナと共にひと足先にルーンブレードの場所に向かう。
「ニアさん、行きましょう」
ミユはニアと二人で走り出す。
その途中、ニアは、何故か広場の端に向かう。
そこにはニアの皮袋が置かれている。
ニアは、自分の皮袋を静かに手に取り、ベルトを閉めて腰に装着すると、何事もなかったかのように、また走り出す。
綺麗に床に置かれた皮袋を見たミユは、それは意図的に置かれたものだと一瞬で理解する。
なぜ、ニアさんは解毒薬を置いて戦ったのだろう、まさか‥‥‥そんなことは‥‥‥。
「ゼロ、大丈夫?毒は平気?」
ニアは、俺の元に心配そうに走り寄ると、腰から解毒薬を取り出した。




