深淵への潜行
ヒヨマの村での騒乱を終え、俺たちは悪魔の丘の我が家へと戻った。
俺は急いで竈に火を起こす。
ヒヨマで手に入れた食材を手早く調理し、温かなスープと肉と野菜のソテーを作る。
香ばしい肉の匂いと、ハーブの効いた芳醇なスープの香りが食欲を刺激する。
四人で食卓を囲む。
みんな疲れているのか、無言で食物を口に運ぶ。
「ミユ、味はどうだ?」
「美味しいです、ゼロさん。このお野菜のスープ、私、好きです」
「ニア、疲れたか?」
「‥‥‥疲れてないです」
「ジーナ、傷は大丈夫か?」
「えっ、あ、あぁ、もう、大丈夫さ。あれくらいでくたばるジーナ姐さんじゃないよ」
なぜか、一瞬取り乱した様子でスープを続けざまに口に運ぶ。
その様子を見ていたニアは無言でスプーンを握り、スープの中の野菜を執拗に突き回していた。
彩り豊かなはずの温野菜は、すでに跡形もなく潰され、濁った液体の一部と化している。
俺はそのことに気づかなかったが、それに気づいたミユが眉を顰める。
その夜。
ニアの隣の部屋で眠っていたミユは、壁越しに響く「ドンドン……」という鈍い音で目を覚ました。
寝返りにしてはあまりに激しく、規則的で、そして重い。
それは、言葉にできない焦燥や嫉妬を拳に込めて、寝台や壁に叩きつけているような――行き場のない感情が暗闇に漏れ出した、孤独な音だった。
ミユは耳を押さえて毛布を頭まで被った。
翌朝。
朝食の席でも会話は最小限だったが、俺たちは生き残るための冒険者として、行動を開始した。
昨日の騒動で得た報酬と、魔女から譲り受けた強力な品々を整え、悪魔の丘のサークルピラーへと向かう。
「みんな、転移するぞ。サークルピラーに触れて、手に紋様が現れたら、紋様をもう片方の手で触ってみてくれ」
ゲームではピラーごとに紋様があり、それをカーソルで選択する方式だった。
つまりこの場合、もう片方の手で紋様を直接触ればいいに違いない。
ピラーに触れ、手に紋様が現れると、俺たちはその紋様にもう片方の手で触れる。
青い光が俺たちを包み、次の瞬間、周りの景色がまるでワープ空間にいるように光速で流れる。
景色が止まると、そこは以前訪れた、あの食人族の集落近くのサークルピラーだった。
転移成功だ。
「本当に転移してるよ!こりゃ、凄いねぇ!」
ジーナは驚愕して思わず叫んだ。
俺たちは以前訪れた古代遺跡に歩みを進める。
予想通り、食人族の村は廃墟と化していた。
やはりNPCは生き返らない、この世界のNPCは、人間そのものだ。
以前と同じように、腰の水袋から仕掛けに水を流して地下へ続く扉を開ける。
地下に降りて、発光棒のレシピの祭壇の部屋から奥に続く、さらに深く、暗い未踏の領域へと踏み込む時が来た。
「ここからは私がナビゲートします。私、この古代遺跡、アイテムと素材集めにゲームでよく来てました。」
ミユの凛とした声に従い、俺たちは複雑に入り組んだ回廊を進む。
「このダンジョン、毒の床や、瘴気の壁、爆発扉とか、トラップがやたらやらしいんですよね、入り組んでいるし、ルートを覚えるまでは大変でした」
その通りだ。
俺はこのダンジョンは苦手だった。
特に俺の目を引くアイテムも素材もないので、俺はゲームでは必要がない限り来なかった。
ミユが先頭、次はジーナ、俺の横に寄り添うようにニアが付き従って進む。
ミユのナビゲートのおかげで最適解のルートを進む。
やがて、遠くから地鳴りのような「ゴーッ」という重低音が響き始めた。
「いよいよですね、最初の関門です」
目の前に現れたのは、地下の断層を貫き、猛烈な勢いで流れる巨大河川だ。
逃げ場のない急流が、底知れぬ暗闇の先へと吸い込まれている。
「ここを下る。準備はいいか?」
俺は太いロープの端を周囲で一番大きな岩に固定し、先端に重石と発光棒を括り付けて濁流へと放り込んだ。
ロープは200尋になるように、ヒヨマで測ってもらっていた。
数分後、手応えが変わり、ロープがピンと張る。
それが「底」へ続く、唯一の命綱だ。
全員でヒヨマの魔女にもらった呼吸薬を飲み干す。
鼻に抜ける苦い刺激と共に、肺が水の中でも酸素を取り込める特殊な感覚に包まれた。
水流に逆らいながら、ロープを伝って潜行する。
当初の予定では、俺が先頭、ジーナ、ニア、ミユの順だった。
だが、ニアが珍しく強い口調で主張した。
「ミユは道を知ってるし、赤い鎧の仲間が来た時のことを考えて、最後尾はゼロがいいと思う」
その頑なな瞳に押され、俺たちはミユ、ジーナ、ニア、俺の順で進むことになった。
視界の端で、手に持った発光棒の淡い光が揺れている。
泡と共に押し流されそうになる身体を必死に支え、暗い水底を下っていく。
やがて前方に、放水路の出口が見えてきた。
放水路の水は滝のように高所から巨大な地底湖へと流れ落ちている。
だが、この地底湖はゲームにおいて「水中無双」と悪名高い、凶悪な肉食魚『メーヴェルー』の巣窟だ。
何の備えもなく飛び込めば、着水と同時に数百の牙に切り刻まれる。
俺は片手でロープを必死に掴んだまま、背中の袋から爆発球を取り出した。
爆発球は、魔法的な衝撃で作動する点火栓がついていて、水中でも点火できる。
俺は点火栓を押し込むと、水流に乗せて放流する。
10秒後。
「ズ、ズンッ……!」
地面の振動が水中に伝わる。
微かに聞こえる重低音が爆発球の作動を確認させる。
ここは、ゲームではなく、現実。
念には念を入れ、ゲームでは3個で制圧できるのだが、6個を放流する。
爆圧によって湖の主たちは内臓が破裂し、浮上したはずだ。
事前に決めた手順では、この後、俺が先行して飛び込み、安全を確認する手筈だ。
出発の合図として発光棒を大きく回そうとした、その時。
「ニア!?」
目の前にいたニアは、俺の方を一度振り返って微かに微笑んだ後、突如、ロープを離した。
自ら激流の渦へと身を投げ、出口の向こう側へと吸い込まれていった。
「クソッ!」
俺も迷わず手を離した。
放水路の出口が迫る。
一瞬の浮遊感の後、視界に巨大な地底湖の全貌が映し出された。
「カハッ……!」
激しい着水の衝撃が全身を打つ。
平衡感覚を失いかけたが、呼吸薬のおかげで溺れる心配はない。
水面に顔を出すと、周囲には爆発で変わり果てたメーヴェルーの巨躯がいくつも浮いていた。
俺は必死に腕を動かし、岸辺へと泳ぎ着く。
そこには先に上がっていたニアが、ずぶ濡れのまま、肩を震わせて立ち尽くしていた。
「ニア! どうしてあんな勝手な真似をした! もし一匹でも生きていたら、今頃食い殺されてたんだぞ!」
俺の声が、地底湖の地下空間に激しく反響する。
ニアは力なく、卑屈な笑みを浮かべて地面を見つめた。
「……ゼロに、危険な目にあってほしくなかった。私、魔法も使えないし、戦闘じゃお荷物だから。せめて、死ぬかもしれない役目くらいは私が……」
その言葉に、俺の胸が締め付けられた。
俺はニアの肩を強く掴み、真っ向から見据えた。
「違うだろ、ニア。お前はお荷物じゃない。大切な仲間だ。お前がいなきゃ、俺は磔にされたまま死んでいた。俺は、冒険の最後まで、お前に隣にいてほしいんだ。だから……自分を捨てるような真似は二度としないでほしい」
ニアの瞳に、堪えていた涙がじわりと浮かび、頬を伝った。
「ゼロ……。ごめんなさい、私……自分勝手で……」
俺は彼女が落ち着くのを待ち、合図の爆発球を3発を湖に放り込んだ。
数分後、放水路からジーナとミユが勢いよく飛び出してくる。
「全く、とんだお転婆娘だねぇ! おかげで心臓が止まるかと思ったよ!」
ジーナの呆れ声に、ようやく場が和らぐ。
辺りを見渡せば、地底湖の壁一面に広がるヒカリゴケが、俺たちの足跡に合わせて青白く幻想的に明滅していた。
その光の道の先には、目的のルーンブレードが眠る祭壇へと続く、古びた大階段が見える。
その入り口には、醜悪な怪物を模った石像が、不気味にそそり立っている。
このダンジョンのラスボスは、ゲーム通りの『あいつ』なら、勝機はある。
だが、この世界はゲームの知識だけじゃ測りきれない。
それでもやるしかない。
俺は腰の愛刀の柄を握りしめた。
このあと待ち受ける『あいつ』との戦いが、予想を上回るあんな戦いになるとは、この時、誰が予想できただろうか。




