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峻厳なる山道

夜明け前。




焚き火の熾火おきびは、かすかな赤を残したまま、静かに灰へと変わりつつあった。




昨夜の夜襲を退けた身体は重い。




それでも、肺いっぱいに吸い込む空気は驚くほど澄んでいる。




悪魔の丘へ向かうなら、日が高くなる前に山道へ入らねばならない。




そうでなければ、視界も足場も、命も――一気に奪われる。




「……出発しよう」




俺の言葉に、三人が短く頷いた。




ミユはすでに地面にしゃがみ込み、赤黒い山肌を指先でなぞっている。




「この道、ゼロさんも知ってますよね? 本当に、ここを通るんですか? 毒性ガスの噴出口、落石、そして……視界外からの奇襲攻撃。急がなければ別の安全なルートもたくさんありますよ」




「危険は承知のうちさ。このルートが一番早い。早く悪魔の丘に辿り着かないといけないし、何よりこの四人なら、無事で踏破できると思うんだ」




ミユは自分を追っている存在を思い出し、首を縦に振る。




「ふふふ、ゼロ。頼りにしてくれてるねぇ。だけど、気を抜いたら即死ってことだろ?」




ジーナは軽く言ったが、その目は周囲から一瞬も離れない。




ニアは無言で剣の柄を握り直し、深く息を吸った。




山道は、想像以上に狭かった。




馬一頭がようやく通れるかどうか。




両脇は切り立った岩壁で、足元には赤黒い砂礫が不安定に積もっている。




一歩、踏み外せば谷底だ。




「馬を降りて曳いて行こう」




俺が言うと、ミユも頷いた。




「そうですね、この先は徒歩の方が安全です。……落石は、音より先に来ますから」




四人は馬から降り、装備を整え、手綱を曳いて歩いて進む。




進むにつれ、空気が明らかに変わっていった。




鼻を刺す刺激臭。




岩の裂け目から、緑がかった煙がぷつぷつと噴き出している。




「毒素です。吸い込むと、麻痺と視界障害が出ます」




ミユが祝福の香袋を取り出し、皆に配った。




「口元に当ててください。完全ではありませんが、致死量は防げます」




香袋から滲み出る香りの効能に守られて、俺たちは慎重に、一歩ずつ進む。




祝福の香袋は、ゲームでは何度も使ったけど、こんな匂いなんだな。




俺は、檜と白檀と線香の匂いが複雑に混じった香りに、どこか懐かしく、不思議な安心感を覚えながら進む。




山は、こちらの集中力を試すかのように沈黙していた。




――そのとき。




カラン。




小石が、頭上から転がり落ちた。




「みんな、止まりな!」




叫ぶのと同時に、ジーナがニアを抱き寄せる。




次の瞬間。




ゴゴゴゴ――ッ!




岩壁の一部が崩れ、巨大な岩塊が音を立てて落ちてきた。




「岩肌に!」




全員が岩壁に張り付く。




岩は、ついさっきまで俺たちが立っていた場所を粉砕し、谷底へと消えていった。




砂埃が舞い、視界が白く染まる。馬たちが驚き、いななく。




「……今の、普通の落石じゃないね」




ジーナが低く言う。




俺も同感だった。




タイミングが、良すぎる。




「来るぞ……!」




気配は、真上だ!




岩陰に見えたのは、灰色の皮膜を持つ人型の魔物――ロックガーゴイル。




羽は退化し、岩肌への張り付きに特化した個体だ。




数は五。




「俺たちを狙って石を落としてくるぞ! 跳び込み攻撃にも気をつけろ!」




「みんな、馬を曳いて、全力で駆け抜けるよ!」




ほぼ同時に、俺とジーナが叫ぶ。




一体が壁を蹴り、弾丸のような速度で飛びかかってくる。




俺は前に出て受け止め、即座に刀を抜きながら十文字じゅうもんじに斬り払った。




――硬い。




「っ……! やはりな」




刃が、浅い。




「ゼロさん、核は胸部中央です!」




ミユの声が飛ぶ。




「了解!」




ジーナが跳んだ。




狭い山道とは思えない機動で岩を蹴り、壁を蹴り、空中で背後を取る。




炎の短剣が、核を正確に貫いた。




砕け散る岩片。




「ニア、今だ!」




ニアは一瞬、躊躇した。




だがすぐに歯を食いしばり、前に出る。




足場は悪い。




それでも――芯を叩く。




教えた通りに剣を低く構え、踏み込む。




ガーゴイルの胸部が砕け、光となって霧散した。




残りも、長くは持たなかった。




戦闘が終わると、山は再び沈黙を取り戻す。




「……怖かった」




ニアが、小さく呟く。




「でも……ちゃんと、戦えた」




「ああ。確実に成長してるさ」




俺はそう言って微笑む。




それから、どれほどの時間が経っただろう。




毒霧を避け、落石を警戒しながら、俺たちはひたすらに狭い山道を登り続けた。




やがて――頂上に辿り着く。




唐突に、視界が開けた。




「……っ」




ニアが息を呑む。




眼下に広がっていたのは、この世のものとは思えない光景だった。




赤黒く焼け爛れたような大地。




歪んだ空気が陽炎のように揺れ、天を突くように乱立する奇怪な岩柱が、まるで巨人の墓標のように並んでいる。




瘴気を含んだ毒々しい沼地が鈍い光を放ち、その丘の中央には、禍々しい石柱群が鎮座していた。




サークルピラー……悪魔の丘は、ゲーム通りの場所にあるな。




「あれが悪魔の丘の転移装置、サークルピラーです」




ミユがジーナとニアに説明をする。




「あれが二つ目の転移装置かい。あれに触れば、前に触ったやつに転移できるんだったね。やっと本当にそんなことができるかどうか確かめられるねぇ」




ジーナは興味津々だが、その表情には警戒の色も混じっている。




俺たちは山を下り始める。




登りと違い、下りの道は、なだらかで幅も広い。




だが、近づくにつれ、麓から吹き上げる風が冷たく、湿った死の臭いを運んできた。




馬に跨り、一気に駆け下りる。




悪魔の丘に足を踏み入れると、まずサークルピラーを目指す。




赤黒く禍々しい瘴気に前回は狼狽したジーナも、今回は気後れすることはなかった。




石に触れた瞬間、ひやりとした感触が掌に走り、体の奥をなぞられるような違和感が起こる。




次の瞬間、淡い光が走り、手の甲に紋様が浮かび上がった。




俺たち四人は悪魔の丘のサークルピラーを登録した。




「よし、これでミユを追う連中がきても、転移で逃げることができる。逃走の選択肢が広がったな」




俺の言葉に、ミユが反応する。




「……本当に、迷惑をかけてごめんなさい」




「ミユ、そういうつもりで言ったんじゃないんだ。逃げる手段はいくつも持っておいて損はないからね。しばらくはここで腰を据えてレベル上げをするし、ゲームでもプレイヤーはよく来る場所だから、見つかる可能性も高いと思うんだ」




「ゼロ、あんまりお嬢ちゃんを心配させるんじゃないよ。口に出さなくてもいいこともたくさんあるのさ。口は災いのもとってさ。次から気をつけな」




ジーナがミユの肩に手を回し、俺に説教をする。




「気をつけるよ。みんな、ごめん」




「そんなことより……あいつらがお待ちかねのようだよ。終わるまで待ちきれないってさ」




ジーナの言葉に、場の空気が凍りついた。




彼女が指差した台地の奥。




そこから、カタカタと骨の鳴る音が響き渡る。




スケルトンとワイトたちの集団が、意志を持たぬ軍勢のようにゆっくりとこちらへ進軍してくる。




だが、それ以上に異常だったのは、その背後だ。




突如、胃の底を掴まれるような強烈な圧迫感が俺たちを襲った。




馬たちが激しくいななき、泡を吹いて後退りしようとする。




空気が重い。




まるで、物理的な質量を持った「死」がそこに滞留しているかのようだ。




濃密な、魂を削り取るような邪悪な気配。




――ワールドボスクラスだな。




「……ゼロ、みんなに指示を!」




ニアの声が震えている。




恐怖からではない。




本能的な拒絶反応に抗っているのだ。




全員が黙って頷き、武器を構える。




振り返れば、先ほどまでいた山道は深い霧に包まれ、すでに境界線すら見えない。




俺たちは、ついに――




本当の地獄、「悪魔の丘」へと足を踏み入れた。


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