無駄話 後編
立ち位置は私が階段の踊り場、奴は二階の廊下。
薄気味悪い仮面の下――。
身体は、スーツに黄色いエプロンを纏っている。
きっと。あれは服を汚さないためだろう。
ところどころ真っ黒なのは、いったい何が付着しているのか。
鼻にこびりつく鉄錆の臭いを嗅げば、考えるまでもない。
ずいぶんと新鮮な匂いだ。
よく見れば右手の、化け物みたいなサイズの肉切り包丁からも、粘つく液体が滴っている。
どうやらいまさっきまで、『作業中』だったらしい。
――新しい犠牲者が出ていた。
その事実に、心の中で歯噛みする。
だが感情を見せてはいけない。
それは相手に、付け入る隙を与えることになる。
「……よくできた衣装だ。舞台装置といい、B級ホラーとして及第点ではある」
声をかけても、巷で噂の解体屋は、身じろぎひとつ返さない。
いい振る舞いだ。奴はホラー映画の基本を押さえている。
登場の仕方は使い古されたものだけれど。
それでも、昨今流行りのジャンプスケアよりずっといい。
「加えて逃げも隠れもせず、素直に出てきたことには、感謝の念さえ浮かぶよ」
(……位置が悪いな。奴が上で、私は下だ)
私の狙える範囲には、致命傷を与えられる上半身がない。
逆に奴は、私の急所を狙いたい放題になる。
持ってきた装備は、両足側面のホルダーに刺さる鋼鉄製のトンファーだけだ。
拳銃などの遠距離制圧が可能な武器はない。
もとより有ったところで、私の射撃センスは壊滅的だから、意味はないのだけれど。
そんなわけで、愛用品しか持ってきていなかった。
とはいえ――。
私にとってはそんな条件、不利でもなんでもないものだ。
「おかげで早く家へ帰れる。夜更かしはあまりしたくないし」
トンファーを抜いて、持ち手で軽く一回転。
フォンッ、と軽く、風を切る音が響く。
手になじんだ硬い感触を確かめながら、一段目に足をかけた。
私が動きを見せても、奴は微動だにしない。
様子を見ている、あるいは近づくのを待っているのか。
いずれにしろ、後手に回るつもりなら失策だ。
「私は――様子見とかしない性質だから」
ドゥッ!と、強い衝撃音が空気を震わせる。
私の身体から立ち昇る、金色の光が噴出した音だ。
異能の解放――力を使うための、下準備のようなものと思えばいい。
私のそれは、見るも鮮やかな黄金の輝きを放つ。
真っ暗な階段に舞う、蛍のような光の粒子。
その中を、さらにもう一段、登っていく。
奴のいる二階までの段数を数えてみれば、十三段だった。
まだまだ距離は離れている。
奴の肉切り包丁はもちろん、私のトンファーも届かない。
せめてあと、五段程度は登らなければ、足りないだろう。
――そう思っているなら、間違いだ。
右足で力強く、一段上にダンッ!と音を立てて踏み込む。
圧縮された空気が高速で移動する、冷たくて速い音色と共に。
「――切り裂かれろ!」
同時に右手で奴を殴りつけるように、大振りの弧を描く。
纏う光は、右手に沿うように握ったトンファーへ。
光が描いた軌跡が固まる。
それは三日月形の刃となって、殺人鬼へ襲い掛かった。
無慈悲な月の速度は速く。
音速を超えるそれは、ライフルの弾速にも匹敵する。
空気の摩擦を感じさせる、鋭い高音域の音。
いわば殺人鬼の胴を両断せしめる、断罪の鎌だ。
あらゆるものを切り裂く、金色の刃。
それが私の異能だった。
「――――!」
刃が射出される瞬間、ようやく殺人鬼は動いた。
斬撃を受けようと、身体の前で巨大な肉切り包丁を立てる。
「馬鹿だな。それは悪手だ」
次の瞬間。
スパン!と乾いた切断音が一度だけ鳴った。
殺人鬼の胴体が『肉切り包丁ごと』、真っ二つになる音だ。
「私の異能はシンプルだけど、強力でね。切れないものは『割りと』ない」
学園のすべてを覆うほどの、広大な暗黒空間。
こんな大それた異界の準備までしておいて、ずいぶんとあっけない。
この殺人鬼の異能は、『犯行をバレないようにしたいという願望の具現』だったのか。
だとしたら、あまりにもお粗末な――――、
「――――っ!?」
そこまで考えてようやく、私はその違和感に気づいた。
切断された奴の身体や包丁の、落下音が聞こえない。
二階のそこに、確かにいた。
私の異能が奴を仕留めるところまで、確認もしていた。
そのはずなのに。
殺人鬼の姿が消えている。
(虚像じゃない。確かに実物としてそこにあった)
ならどこへ?
あれはいったいなぜ死んでいないのか。
――瞬間。
背後に気配を感じ、ゾクリと、全身の細胞が悲鳴をあげた。
「――ちっ!?」
身体を捻り、振り返りながら右肘を打つように繰り出す。
その右手に沿わせたトンファーが、何かを防いだ。
ギィンッ!と、硬い金属音が激しく響き渡る。
一緒に、骨まで響く衝撃で右腕が痺れた。
「……驚いた。お前――なぜ死なない?」
ギチギチと擦れあい、音を立てるトンファーと肉切り包丁。
武器も身体も無傷のまま、殺人鬼に背後を取られていた。
「くっ――!」
受けた右手に角度をつけ、包丁を滑らせる。
ごり押しで力を込めていた殺人鬼の身体は、そのままバランスを崩した。
その隙をついて、捻っていた体勢から振り向き直す。
「――――頭!」
前のめりになった頭部がガラ空きだった。
狙いは右の側頭部。
渾身の力を込めて、左のトンファーを走らせる。
ゴッ!と、鈍い音が、重く硬い感触と共に耳に届いた。
持ち手に近い先の部分が、奴の頭に突き刺さった音だ。
そのまま力任せに殴り倒す。
間違いなく手応えはあった。
けれど、異能ではない純粋な暴力だ。
コイツに効いている気がしない。
(とにかく、一旦距離を取らないと――)
何をするにしても階段では足場が悪すぎる。
そう考えて、急いで二階へ駆けあがる。
いや、駆け上がろうとした。
「冗談だろう!?」
駆け出そうとした私を迎えたモノ。
それは上の段から振り下ろされる、肉切り包丁だった。
とっさに両手を頭の前で交差して、トンファーで受け止める。
「うぁっ!?」
上段から勢いを乗せて振り下ろされた一撃は重く。
受けきれずにバランスを崩して、弾き飛ばされた。
踊り場まで吹き飛び、リノリウムの床に、背中を強く打ち付ける。
そのショックで一瞬、呼吸が止まり、視界が明滅した。
「……つっ」
眩む視界の中、上半身を起こして階段を見上げる。
二階に、始まりの時と同じ姿で、殺人鬼が立っていた。




