おとぎ話 前編
――あちしは、死ぬのかもしれないな。
人気の途絶えた午前二時。
旧市街は一日を終え、静かに眠りについている。
その中ほどにある、古びた喫茶店の前に。
夜空を見上げ、猫――知の輪はぼんやりと佇んでいた ――あちしは、死ぬのかもしれないな。
人気の途絶えた午前二時。
旧市街は一日を終え、静かに眠りについている。
その中ほどにある、古びた喫茶店の前に。
夜空を見上げて猫――知の輪はぼんやりと佇んでいた。
それは彼女の主、賽の神に頼まれたお使いの為だ。
『箱を開けてきてほしい。パンドラの箱を』
『にゃ~……それ、開けちゃいけないやつじゃ』
『そう。開けてはいけない災厄の箱だ』
『やっぱり。駄目じゃないですか』
『それでも必要なんだ。底にある希望が』
パンドラの箱――あらゆる災厄を内包した破滅の箱。
開ければ災厄があふれだし、最後に希望が残るという逸話。
その希望が必要だと神は言う。
だが、それは災いとセットで。順番も希望が後だ。
だからきっと。
箱を開ければ、何か酷いことが起こるんだろう。
神様はそれを知っている。
それが、全能を奪われた神様に残された、唯一の力だから。
――星を詠むこと。運命を視る能力。
つまり未来予測だ。
神様のそれは、予知ではないので変動する。
変えられる未来を視るという、全能とは程遠い不完全な力。
とはいえ、変える為に必要な努力は尋常じゃない。
ほんの一つボタンを掛け違えても、すぐ戻される。
ボタンをちぎる、シャツを変える程度ではダメだ。
世界からシャツの存在を、無くすくらいやらないと意味がない。
(いや、それはさすがに言いすぎかにゃ)
でもそのくらい、大変な事なのだ。
そして、そんな未来の視える神様は。
あちしに――その後の指示をしなかった。
だからそういうことなんだろう。
お願いされたということは、少なくとも。
あちしは、『箱を開けることまで』はできるらしい。
正しくは開けるのではなく、箱の封印を解くだけだ。
「まあ実際……無事に帰れる気はしないにゃあ」
ため息と一緒に肩を落とし、目の前の店に視線を向ける。
――喫茶店『Prudence』
表向きは古びたただの喫茶店。
その地下には、秘密組織の基地がある。
あちしが目指す箱は、当然その秘密基地の中にあるんだろう。
「にゃ~……別に有象無象なら、いいんだけど」
再び大きくため息を吐く。全くもって気乗りしない。
誰が好き好んで、オカルト専門の世界機関と喧嘩するのか。
『気をつけなさい。あの場所には”彼”がいる』
嘘かホントか。
宝箱は神殺しの逸話を持つ、老人が守っているらしい。
「やれやれ……ぼちぼち行きますかにゃ」
ここにいてもしょうがない。
ぼーっとするのはもう、百年で飽きたのだ。
音も立てず、喫茶店の中へ潜入する。
隠密行動なんて慣れたもの。
でも実際は、潜入という表現も大げさだった。
なぜって基地は稼働していないのだ。
中に誰か詰めているわけでもなく。
この基地を管理しているのは、喫茶店の主一人。
あくまで有事の際にしか使われない場所らしい。
すぐに隠し扉にたどり着く。
普通の鍵と、強めの結界。
どちらもあちしにとっては飾りでしかない代物だ。
扉を開けて、長い真っ暗な階段を降りていく。
降りきった先で、大きな電子扉にぶつかった。
「にゃんて面倒。これだから近代文明は」
鍵穴はおろか、ドアノブさえないただの壁。
横の端末で認証しないと入れない。
流石に強力な結界もある。
それ自体はともかく、物理的に分厚い扉は困った。
「やだにゃあ。これ、いじるとバレるよね~」
しばし端末とにらめっこ。
「どのみち時間かけてもバレるか」
決断して端末に手を添える。
呼吸を整え目を閉じて。
静かに。焚火をくべるように。
身体の奥底で、じんわりと火を育てるイメージ。
そうして手のひらに、炎を導いていくように。
――『天耳通』
『CODE001746。声紋アクセス【マスター】認証されました』
一般的に知られる六つの神通力の一つ。
天耳通は、遠くの音やあらゆる言語、思考などを聞き取ることができる力だ。
それを応用して端末に残る過去を再生。
音声を復元して認証を突破する。
闇が二つに割れて、扉が開いた。
いまの異変は店の主に伝わるだろうか。
(ここからは――時間との勝負かにゃ)
中に入ると、その光景に圧倒された。
「おー……すごく秘密基地っぽい」
四十畳はありそうな、薄暗くて広い部屋。
照明ではなく機械的な青い光に満ちている。
並んだテーブルと、据えられた無数のコンピューター。
前面の壁一面に、巨大なモニターが設置されていた。
映っているのはこの町――御咲町だ。
画角的に監視カメラっぽい?
なんかこう、わくわくして尻尾が揺れる。
ロマンあふれる光景だった。
けれど……。
部屋を見渡しても、箱は見当たらなかった。
「え~……そんなことある~?」
げんなりと肩を落とし脱力する。
でも基地には他に部屋なんてなかったのだ。
見逃しようもない。
「不味い。すっごく不味いにゃ」
ここにはないのかもしれない。
でも上には、店の主がいる。
――神殺しの老人が。
危険度は段違いだ。
文字通り命を懸けることになる。
(……迷ってる暇はないか)
諦めて瞳に力を込める。
――『天眼通』
肉眼では見えない、あらゆるものを見る力。
壁の一部に、術式で隠されたドアがあった。
その奥に赤い宝箱がある。
間違いない。見た目にもそれとわかる災厄の色。
(最初からやればよかった……でもそこそこ疲れるし)
最悪の事態を考えると、わずかでも温存したい。
ひきつづき神通力で、ドアをこじ開ける。
宝箱の封印はシンプルな茨の魔術だった。
「んにゃ? これお姫の母上か」
懐かしい魔力の気配。
いまは亡き友人の施した封印だったらしい。
「ごめんね。破っちゃうけど許してね」
茨が解かれる。やることは終わった。
後は速やかに部屋から出て、急いで脱出しなければ――。
「やれやれだ。儂も寄る年波には勝てんか」
部屋を出ると、しわがれた声に迎えられた。
どうも隠密が得意なのは、あちしだけじゃなかったみたい。
――最悪だった。
それは彼女の主、賽の神に頼まれたお使いの為だ。
『箱を開けてきてほしい。パンドラの箱を』
『にゃ~……それ、開けちゃいけないやつじゃ』
『そう。開けてはいけない災厄の箱だ』
『やっぱり。駄目じゃないですか』
『それでも必要なんだ。底にある希望が』
パンドラの箱――あらゆる災厄を内包した破滅の箱。
開ければ災厄があふれだし、最後に希望が残るという逸話。
その希望が必要だと神は言う。
だが、それは災いとセットで。順番も希望が後だ。
だからきっと。
箱を開ければ、何か酷いことが起こるんだろう。
神様はそれを知っている。
それが、全能を奪われた神様に残された、唯一の力だから。
――星を詠むこと。運命を視る能力。
つまり未来予測だ。
神様のそれは、予知ではないので変動する。
変えられる未来を視るという、全能とは程遠い不完全な力。
とはいえ、変える為に必要な努力は尋常じゃない。
ほんの一つボタンを掛け違えても、すぐ戻される。
ボタンをちぎる、シャツを変える程度ではダメだ。
世界からシャツの存在を、無くすくらいやらないと意味がない。
(いや、それはさすがに言いすぎかにゃ)
でもそのくらい、大変な事なのだ。
そして、そんな未来の視える神様は。
あちしに――その後の指示をしなかった。
だからそういうことなんだろう。
お願いされたということは、少なくとも。
あちしは、『箱を開けることまで』はできるらしい。
正しくは開けるのではなく、箱の封印を解くだけだ。
「まあ実際……無事に帰れる気はしないにゃあ」
ため息と一緒に肩を落とし、目の前の店に視線を向ける。
――喫茶店『Prudence』
表向きは古びたただの喫茶店。
その地下には、秘密組織の基地がある。
知の輪が目指す箱は、当然その秘密基地の中にあるんだろう。
「にゃ~……別に有象無象なら、いいんだけど」
再び大きくため息を吐く。全くもって気乗りしない。
誰が好き好んで、オカルト専門の世界機関と喧嘩するのか。
『気をつけなさい。あの場所には”彼”がいる』
嘘かホントか。
宝箱は神殺しの逸話を持つ、老人が守っているらしい。
「やれやれ……ぼちぼち行きますかにゃ」
ここにいてもしょうがない。
ぼーっとするのはもう、百年で飽きたのだ。
音も立てず、喫茶店の中へ潜入する。
隠密行動なんて慣れたもの。
でも実際は、潜入という表現も大げさだった。
なぜって基地は稼働していないのだ。
中に誰か詰めているわけでもなく。
この基地を管理しているのは、喫茶店の主一人。
あくまで有事の際にしか使われない場所らしい。
すぐに隠し扉にたどり着く。
普通の鍵と、強めの結界。
どちらもあちしにとっては飾りでしかない代物だ。
扉を開けて、長い真っ暗な階段を降りていく。
降りきった先で、大きな電子扉にぶつかった。
「にゃんて面倒。これだから近代文明は」
鍵穴はおろか、ドアノブさえないただの壁。
横の端末で認証しないと入れない。
流石に強力な結界もある。
それ自体はともかく、物理的に分厚い扉は困った。
「やだにゃあ。これ、いじるとバレるよね~」
しばし端末とにらめっこ。
「どのみち時間かけてもバレるか」
決断して端末に手を添える。
――『天耳通』
『CODE001746。声紋アクセス【マスター】認証されました』
一般的に知られる六つの神通力の一つ。
天耳通は、遠くの音やあらゆる言語、思考などを聞き取ることができる力だ。
それを応用して端末に残る過去を再生。
音声を復元して認証を突破する。
闇が二つに割れて、扉が開いた。
いまの異変は店の主に伝わるだろうか。
(ここからは――時間との勝負かにゃ)
中に入ると、その光景に圧倒された。
「おー……すごく秘密基地っぽい」
四十畳はありそうな、薄暗くて広い部屋。
照明ではなく機械的な青い光に満ちている。
並んだテーブルと、据えられた無数のコンピューター。
前面の壁一面に、巨大なモニターが設置されていた。
映っているのはこの町――御咲町だ。
画角的に監視カメラっぽい?
なんかこう、わくわくして尻尾が揺れる。
ロマンあふれる光景だった。
けれど……。
部屋を見渡しても、箱は見当たらなかった。
「え~……そんなことある~?」
げんなりと肩を落とし脱力する。
でも基地は一部屋だけしかなかったのだ。
見逃しようもない。
「不味い。すっごく不味いにゃ」
ここにはないのかもしれない。
でも上には、店の主がいる。
――神殺しの老人が。
危険度は段違いだ。
文字通り命を懸けることになる。
(……迷ってる暇はないか)
――『天眼通』
肉眼では見えない、あらゆるものを見る力だ。
壁の一部に、術式で隠されたドアがあった。
その奥に赤い宝箱がある。
間違いない。見た目にもそれとわかる災厄の色。
(最初からやればよかった……でもそこそこ疲れるし)
最悪の事態を考えると、わずかでも温存したい。
ひきつづき神通力で、ドアをこじ開ける。
宝箱の封印はシンプルな茨の魔術だった。
「んにゃ? これお姫の母上か」
懐かしい魔力の気配。
いまは亡き友人の施した封印だったらしい。
「ごめんね。破っちゃうけど許してね」
茨が解かれる。やることは終わった。
後は速やかに部屋から出て、急いで脱出しなければ――。
「やれやれだ。儂も寄る年波には勝てんか」
部屋を出ると、しわがれた声に迎えられた。
どうも隠密が得意なのは、あちしだけじゃなかったみたい。
――最悪だった。




