本と環境。または、わたしはKindleに魂を売りました。
題名の通りです。
わたしはKindleに魂を売りました。
あれだけ本は紙でなければという信念というか妄執というか、そんなものを脳みそのひだ、ひとつひとつに差し込んでいたはずでしたが、スマホにKindleを入れました。
理由はオーウェルの『ウィガン波止場への道』です。
紙の本は恐ろしく高いんですよね。八千円くらいするんです。
図書館使えよ、という話もありますが、オーウェルの作品は自分のものとして読みたいんです。
でも、いくらなんでも、八千円はアコギだろと思っていたのだ、なんといまだけ990円!
こうして衝動ダウンロードしたKindleですが、予想以上に便利でした。
わたしは通勤に満員電車を利用しているのですが、すし詰めで本を取り出し、現在のページを維持しつつ、次のページをめくるのは非常に困難ですが、Kindleならページを維持する手間もめくる手間もないわけです。
魂を売った自分に罪悪感を感じる一方で、非常に読書がしやすいという点も無視しがたいと思っていたら、思わぬ副作用がありました。
ディストピア小説を読むのに満員電車ほどぴったりくることが分かったのです。
特に行き過ぎた管理社会を風刺したものが絶品で、ザミャーチンの『われら』、ハクスリーの『すばらしき新世界』、そして、もちろんオーウェルの『1984年』がぶつかってくる他の乗客を通じて、全身に染み渡るようなわけです。
同じような効果がないかと探してみると、大恐慌や大暴落を扱った本を読むとき、じんの『GURU』という曲と相性がいいです。
1907年。ウォール街。
数人の山師の無鉄砲な投機の失敗に巻き添えを食って次々と倒産する信託会社。
まったくプールされていない現金。徹夜の帳簿作業。
そして、銀行家たちが椅子の足りない部屋に、満員電車の平社員みたいにぎゅうぎゅう詰めになって集まり、現金がない、現金がない、と顔を蒼くする。
こうしたドミノ倒し型大混乱と『GURU』の早口歌詞と低音アップテンポが実によいわけです。
きっとこんな、環境との相乗効果は他にもたくさんあるのでしょう。
そう考えると、毎日、満員電車に圧縮され成型され利用されるトコロテン人間なわたしの魂も結構いい値段で売れたんじゃないかと思ったりする、今日この頃です。




