これは怖い話ではありません。不思議な話です。「おじいちゃんの遺影」
これは私が体験した紛れもない実話であり、実話ゆえに特に怖いオチもない。だから、これを不思議な体験として語る。
職業柄、いろんな家を回る。古びた団地、まだ新しい高層マンション、仕事内容はそれぞれだが、依頼人の人柄も千差万別で、癖が強く厄介な相手に当たることも多い。
だから、その日訪ねたアパートで出迎えてくれた三十手前の男性には、正直ほっとした。一人暮らしの引越しのための不用品回収の依頼。人当たりもよく、言葉遣いも丁寧。こちらの説明にも素直に耳を傾け、余計な詮索もしてこない。
アパートは三階建て。鉄筋コンクリートの外壁の塗装はくすみ、結構な築年数である。当然、エレベーターはなく、三階の依頼主の部屋から荷物を運び出すのは骨が折れそうだった。作業当日、私は高校時代からの友人Oを臨時のバイトとして呼んでいた。Oは、別の短編で話した「フィリピン人女性の幽霊」の件で私の部屋に居候していた男で、筋金入りの怖がりだ。
部屋の中は雑然としていたが、目立って不気味なものはなかった。家具や家電、積み重なった段ボール、布団や衣服。軽トラック三台分ほどの量にはなったが、作業は恙無く終わり、私たちは荷を下ろした倉庫で分別を始めた。
***
作業は単調だ。基本は産廃だが、家電はリサイクル法に準じ、金属類は資源へと回す。手を動かしながらも、私は心ここにあらずだった。そのとき、段ボールの山に向かっていたOの声が上ずった。
「……おじいちゃん出てきた〜っ!」
悲鳴とも泣き声ともつかない、情けない叫び。私は苦笑しつつ近寄った。Oが指差す段ボールの中には、額縁が見えた。
引きずり出すと、老人の遺影だった。立派な額縁。黒い縁取りに、背後の白布。写真の中の老人は正装で、こちらを見据えていた。
私はしばし考えた。遺影が荷物の中にあること自体、あり得なくはないだろう。だが依頼主からは一言も触れられていない。
Oは若干、狼狽えていた。
「どうすんの、これ……」
私がOの顔に遺影を向けると、目線を逸らす。写真の老人の瞳を直視できないらしい。
***
私は依頼主へ電話をかけた。
「回収した荷物の中に、ご遺影のようなものがあったのですが……」
スマートフォンの向こうで、一瞬沈黙があった。呼吸音が聞こえ、ためらいの気配が伝わってくる。数秒の間ののち、ようやく返ってきた答えは、
「……処分してください」
それだけだった。
妙だった。「すみません、それは間違いです」「届けてください」などと言う返事を想像していた。だが彼は何の説明もせず、ただ処分を望んだ。
私は職務上、それ以上追及する気もなかった。Oは青ざめた顔で「本当に捨てるの?」と繰り返したが、私は淡々と返した。
「産廃に回すよ」
***
それから五年。
特に何も起きなかった。
夜中に枕元に立たれたわけでも、奇怪な夢を見たわけでもない。倉庫の電灯が点滅することも、Oに再び居候されることもなかった。あの一枚の遺影は、他の粗大ゴミと同じ流れで運ばれ、砕かれ、処分されたはずだ。
私の生活には何の変化もなかった。
だからこそ、時折思い返す。
あの依頼人はなぜ、一言も触れずに遺影を手放したのか。
あの一瞬の間はなんだったのか。
あれは本当に彼の家のもので、彼の祖父のものだったのか。
あるいは、まったく別の誰かの「おじいちゃん」ではなかったのか。
いや、そもそも引っ越しにしては「片付けすぎ」じゃなかったか?
私は他の短編を見ていただければわかる通り、いわゆるホラー・オカルト的なものを、全く気にしない性分だ。特に供養も祈祷もせず、そのまま廃棄した。だがもし、産廃の過程で関わった誰かの身に、何かが降りかかっていたとしたら──申し訳なく思う。
それっきり、何も起こってはいない。
今のところは。