―第3話「紅蓮ノ記憶」―
刃と刃が交差し、火花が散る。
そのたびに、夜の静寂が砕けた。
イザナの剣術は相変わらず鋭く、隙がない。
だが蓮――鬼姫の身となった今、力も反応も、それを上回っていた。
「……やっぱり、本当に“あなた”なのね」
イザナがわずかに目を細めた。
「剣の間合いも、癖も、何一つ変わってない……。
でも、あなたのその目……もう人間の目じゃない」
「……それでも、俺の中に残ってる」
蓮は刃を下げた。
心臓の奥が焼けるように疼く。
鬼としての渇き、獣の本能が、今にも理性を噛み砕こうとしていた。
「――イザナ、俺は……なぜ鬼になったんだ?」
「……え?」
「俺は、鬼に“食われた”んじゃない。
“斬られた”んだ――誰かに、背後から」
言いながら、蓮の脳裏に走馬灯のように過る映像があった。
――夜の城。
――炎上する拠点。
――血塗れの床。
そして――
■「……悪く思うなよ、蓮」
■「これは“人のため”なんだ」
「……あれは……誰だ……」
頭の奥に響く、誰かの声。
背後から斬られた感覚と共に、かつての“仲間”の残像がよみがえる。
だがそこまでだった。
意識がぐらつく。
「くっ……!」
膝をつく蓮の背に、イザナが一歩近づく。
「……まだ完全に鬼になってないのね。
理性と本能、その狭間で揺れてる――
けど、それはつまり、“戻れる”ってことよ。蓮。戻ってきて」
その声は、かつてのイザナだった。
剣を交え、共に命を預け合った“戦友”の声。
「もう、鬼にならなくていい。私が――私が、連れ戻す」
「……できない」
蓮はゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、紅く揺れていた。
「俺は……“鬼姫”の器にされた。
俺の身体の奥には、誰かの――いや、“何か”の記憶が眠ってる」
――再び、映像が脳裏を焼いた。
■「……我が名は“アカツキ”」
■「鬼と人と、いずれ滅びる世界の狭間に生まれた者」
■「次に目覚める時、我は“刃”ではなく、“華”として咲く」
それは、鬼姫の記憶。
百年前に封じられた、“特別な鬼”の意識だった。
「……つまり、俺は――」
「《鬼姫アカツキ》の転生体……」
森の奥から、もう一人の足音が響く。
姿を現したのは、仮面の鬼とは違う風貌――
黒い烏羽の衣をまとう、鬼とも人ともつかぬ男だった。
「ようこそ、“アカツキ”。
いや、如月蓮――あなたの役割は、まだ終わっていない」
「……お前は、誰だ?」
その問いに、男は微笑む。
「我は、鬼狩りでも、鬼でもない。
世界の“境界”を見守る者……名を《ヨミ》と申す」
そして男は、ゆっくりと蓮に手を差し伸べた。
「来なさい。過去と未来の真実を見せてあげる。
この世界の“歪み”を、あなたが知るべき時が来た」
蓮は、一度だけイザナを振り返った。
「イザナ……俺はもう、“戻れない”」
イザナは答えなかった。
ただ、涙を浮かべ、刃を鞘に戻した。
「行って。……でも、私はまた、あなたを斬りに来る」
「……それでいい」
こうして、鬼と人の狭間に立つ者は、
忘れられた禁忌の扉へと、足を踏み入れた。