6.拙い悪意を煙に巻いて
5月9日、雲一つない満点の夜空が広がる午後6時。
第2区画にある50階建ての高層ビルに大勢の人々が集まっていた。
ビル1階の受付では今日のイベント情報が電光掲示板に書かれており、その中に1時間後の午後7時から48階の大ホールを使った特別なパーティーについても記されている。
「まさか、島の統括機関が主催とは……」
「それなら確かに、応援呼びますよね……」
48階の大ホール。その入り口付近には、きっちりとした空気感を損なわないシックな警備服に身を包んだ捜査官達が、客の誘導や見張りを行っている。
その中にはロクロとザイアも含まれており、お互い馬子にも衣裳だと苦笑していた。
所謂TPOに気を使った服装といっても、それらを着こなしている本部の人間たちに比べれば、服に着られている分浮いている。その為2人は空気を読んで客の誘導ではなく、ホール周辺の安全を確認していた。
「あー、くそ。着替えたい」
いつものコートではなく、ボタン一つしか開けられない防弾加工の警備服にうんざりしながら、溜息を付く。今は人の出入りがひと段落したのか、二人は休憩を貰っていた。人があまり来ない喫煙スペースで、ザイアは煙草に火を付ける。
「駄目ですよ、ザイアさん。勝手に脱いだら怒られます」
「分かってるけどよ……こんな堅苦しいの、苦手なんだよ」
「僕だって苦手ですって」
「ったく、ギオンとクララベルは上手く逃げやがって……」
パーティー当日の3時間前になって、支部長から追加で連絡がやってきた事を思い出す。
片方が48階の会場の見張りを行い、もう片方が1階の受付の手伝いを行うという内容で、受付ならば女性がいた方がいいだろうと先手を打ったギオン達が1階担当となり、ザイアが納得できずにギオンと口論を車の中でしていたのが記憶に新しい。
結局、会場に来た瞬間に既に混雑が始まっているのを見たザイアが、即座に48階でいいと掌を返したことも含めて。
「でも僕らじゃ受付向いてなかったですし……。こっちの方が気楽ですよ、ザイアさん」
「お前さんとクララベルなら、いけたかもな」
「僕が受付? 流石に言い過ぎじゃ……」
「んなことないさ。少なくともギオンよりいい。今からでも変えてもらうか?」
「気遣ってもらえるのは嬉しいですけど」
そう話していれば扉が開く音――そちらに視線を向ければカツカツ、と喫煙スペースに同じ警備服を着た男2名がやってきた。だが彼らは煙草を吸いに来たわけではなさそうだ。表情はどこかうんざりとした、人を見下すような目だ。
「…………どうも」
「ふん、お気楽にお喋りとはな」
「休憩中の会話ぐらい、良いじゃないですか」
「今日は島の中でも、特に格の高い方々が集まる場所だ。本来なら、下品なおしゃべりも禁止されているのだがね?」
「ここ防音だから意味ないだろ。難癖付けたいだけなら他を当たれ」
そう言ってザイアがまた煙草に口を付けようとした瞬間、視界が一瞬宙に浮いた。だがそれと同時にやってきた首元の苦しみが、相手に掴まれているのだと理解させた。
重い重い、見下すための溜息を吐いた男がザイアのシャツを掴みながらなおも話す。
「難癖。ああ、そうだな。難癖だ。お前らのような庶民がここにいるのが気に入らない」
「ザイアさ――」
「いーよ、ロクロ。まだだ」
苛立っている彼の胸元に光る、上級捜査官の証。しかも本部に近い第2支部の人間のようだ。
ワルキューレの階級は3段階あり、大多数の人間が下級、実力や功績を認められた者が中級、そして中級の中でも更に功績を認められた者が上級になる。だが上級の隠れた取り方はいたってシンプルであり、コネである。
今ザイアの服を掴んでいる彼は、後者のように見えた。何故ならコネで上り詰めた上級捜査官は、特定の支部を見下す傾向が強いからだ。
「ワルキューレの中でも問題児しかいない支部、第6。本来ならこんな所に居てはいけない異物だというのに……人手が足りないからと、本部も頭が回らなかったんだろう」
「そうですよ、きっと!」
隣にいたコバンザメのような男が同意する。にこにこと愛想を振っている辺り、彼に胡麻を擂っているのだろうと察せれる。
「ああそうだ。きっとそうだ。全く、さっさと帰ってもらいたいところだよ」
そう言って乱暴に、壁の方へと投げ捨てるようにザイアを離す。痛みに呻く男の声がして、上級捜査官の男は内心歓びに満ちていた。
(全く! 庶民がこんなところに来るなんて……客が吃驚してしまうだろうし、本部の方々も困ってしまうじゃないか。こうして掃除するのも私の役目だ)
「ほら、君もそうじゃないか?」
うんうん、と自分の世界で頷きつつ、今度は近くにいたロクロにも手を伸ばそうとした、その時だった。
パ、パンッ。
音が聞こえ、いつの間にか上級捜査官ともう一人の男が倒れている――というよりも眠っていた。銃を構えていたロクロが、鋭い視線で睨みつけながら、それを確認してようやくホルスターにしまい込む。
それを見てにやにやと、新しい煙草に火を付けザイアは満足そうにしていた。
「ロクロ、サンキューな。ちょっとすっきりした」
「ザイアさん大丈夫ですか、怪我とか……」
「あんな鍛えてないやつの暴力なんざ、痛くねえよ。それよりまた早くなったな、お前さん」
「まあ大分しごかれてますからね。元上級捜査官の人に」
「俺の速度はもうだいぶ遅くなったっつの」
「何言ってるんですか。僕、あの胸倉掴んだ人しか麻酔弾撃ってないのに」
「そーだったっけ?」
呆れたようにロクロがそう言えば、ザイアはへらへらと煙に巻く。ロクロの特技である拳銃の技術、その中でも早撃ちのノウハウを教えた男は、美味そうに煙草の煙を味わうだけだった。
次回5/14 21:00に更新予定です。